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EX+1 ほろ苦ストロベリ |
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毎日毎日退屈で死にそうだ。 と、五体満足で健康で遊ぶ金にも困った事のないジンが、校舎から出る一歩目を右足にするか左足にするか迷っているような口調…つまりは、どうでもよさ気な些細な事を口に上らせてしまった風に…言ったから、大勢の見送りを手で追い払ったばかりの姿勢で、リックは「そりゃ贅沢な悩みだよ」と欠伸を噛み殺しつつ答えてやった。 成績優秀。スポーツ万能。片親はファイラン全域に展開するカフェ・グループの社長であり、経済学系の大学院を卒業して統括本部とやらで数年修行を積めば、自動的にその社長の椅子が転がり込むという家柄。中肉中背というパッとしない体躯だが、極めて濃い灰色のやや長い髪をきれいに整え秀でた額にさらりと流しているのとか、黒い細フレームの眼鏡の奥の酷薄そうな灰色の双眸だとか、中等部二年、十四歳とは思えない大人びた雰囲気だとかを総じて、彼に憧れる…一種の玉の輿狙いかもしれないが…生徒は中等部だけに留まらず、ここ、王立特別学習院、通称「セントラル」の高等部にも、ジン・エイクロイドのファンは多い。 何か言いたげに、遠巻きに見る取り巻き希望者の存在をさっさと頭から追い出したジンが冷めた表情でちらりと傍らの友人を振り仰ぐ。今の話題と全く関係ないが、こいつまた背が伸びやがった、と、内心舌打ちも出た。 下心丸出しだろうがそうでなかろうが、大抵の人間を傍に寄せ付けないジンのテリトリーに入り込む事を許されているのは、リック・オル・マツナカという、ひょろりと背の高い少年一人だった。 元貴族の…没落した、と言っていいだろう…末裔で、やや長い錆び色の髪をワイルドな感じにばさりと後ろに流していて、剥き出しの両耳には合計十二個のピアスを光らせているという、一見すると怖そうな外見なのだが、やや目尻の下がった甘いマスクが人懐こく、ジンより取っ付き易い性格も相俟って、友人は極めて多い。 それなのに、複雑な事情が絡み合ってともすれば孤立しがちなジンとばかりつるんでいるものだから、一部の悪意ある生徒からは、結局リックも太鼓持ちかと陰口を叩かれているらしいが、言われている当人はそれを歯牙にもかけていないようだった。 リックには、誰がなんと言おうと関係なく、ジンは昔から融通の利かない頑固な幼馴染なのだから。 毎度の如く他を寄せ付けない空気を纏ったジンとリックは、揃って昇降口を出た。彼らと登下校を共にしたい者も、親しく言葉を交わしたい者も多いが、二人はそういう…つまりは媚を含んだ眼差しを酷く嫌っていたから、結局、いつも二人きりだった。 その日、までは。 「ああ、そうだ。帰りに、五号店に寄るよう、父に言われていたんだ」 「五号店? って、ああ、パパさんトコか」 今朝、登校する前に顔を出した父…ジンの家ではカフェ・グループを取り仕切っている片親を「父」と、カフェのドルチェ部門、新製品開発に携わっているもう一方の親を「パパ」と呼んでいる…に、言われた事を思い出したジンが歩調を緩め、行き過ぎてしまったリックが立ち止まって振り向いた、瞬間。 がらぱあん! と頭上で派手な窓ガラスの開閉音が轟き、ジンの灰色とリックの飴色が上空を仰いだ。 「あっ! 待っ――――――――っ!!!!!」 「動くなっ!」 顎を上げたジンとリックの視界にふっと陰が差し、一つの悲鳴と、一つの鋭い声が降る。 どちらが自分に向けられたものか知る間もなく硬直した少年たちは、天蓋から差し込む陽光をきらきらと躍らせながら垂直に落下し、立ち尽くす自分たちの間を転がり勢いを一切殺さず立ち上がった眩しい金髪を呆然と見つめた。 刹那で全てを圧する、腹腔から放たれた迫力のある声。 ざわめきと悲鳴の中に一瞬だけ突き刺さったそれが、目の前の少年のものなのか、違うのか、ジンもリックも戸惑った。 白いシャツに煉瓦色のネクタイ。濃紺のブレザーの左胸には、左手で持った書物を胸に、右手で持った羽根飾りの杖を掲げる知恵の天使をデザインしたエンブレムが飾られ、襟とカフスの白いバイアスが眩しい。何の変哲もないスラックスはグレー基調のチェックで、足元は赤茶のローファー。 という、つまり、今呆然と佇むジンとリックと同様、セントラルの制服だった。 別に、学園内に生徒が居るのは問題ない。例えばその生徒が頭上から降って来て、無傷で着地したもの、まぁ、いいだろう。学園の特性上、博士号を取得するようなとんでもない天才も、二階から飛び降りてもぴんぴんしている脅威の身体能力者も居たって、別におかしくはない。 ただ、二人は言葉もなく、弾けるように立ち上がって振り返った少年を凝視していた。 毛先が肩にさらさらと掛かる鮮やかな金髪は優しいカーブを描いてゆるくうねり、広い額にも柔らかく遊んでいる。その金が縁取るのは、小さな顔。抜けるような白い肌は上等のベルベットにも似た輝きを持ち、僅かに上気したまだ幼さの抜けない頬と、濡れたように光る桜色のふくよかな唇と、くっきりした二重瞼に飾られた碧の瞳を殊更印象的に際立たせていた。 少年は、振り返って二度、ぱちぱちと長い睫を瞬かせた。小さな顔に不思議そうな表情を浮かべ、視線を外そうとも、言葉を発しようともしないジンとリックを見つめてから、不意に。
ゆっくりと可憐な花が咲き零れるように、微笑んだ。
その、嬉しさの溢れる笑顔に、ジンとリックが息を停める。二人の十四年という短か過ぎる人生の中で、果たしてこんな風に感情の篭った笑顔を見た記憶があっただろうか。父親に取り入ろうとする大人、自分に気に入られようとする子供、そんなものに囲まれてすっかり捻くれた二人に向けられた、ただの「笑顔」。 それになんだかいたたまれない気持ちで目を逸らしたジンとは対照的に、リックはただでさえ下がり気味の眦をますます緩めて、にこりと微笑み返した。 「怪我、ない?」 旧知のジンでさえぎょっとするような甘い声で言いつつ、リックが一歩少年に近付く。なんでもないという意味なのだろう、少年は金色の毛先から光を撒き散らしながら、ぷるぷると首を横に振った。 その幼い仕草が、かわいい。 「初年生かな」 次の質問にも、少年は首を横に振った。ぷるぷる。それから少し弱ったように形のいい眉をひそめて、すぐぱっと明るい表情を作る。 そうだっ! と少年の心の声まで聞こえそうな豊かな表情に、リックは益々笑みを濃くした。何の下心も存在しない、純粋な感情を表すその小さな顔と透き通った碧の瞳から、目が逸らせない。 少年が指差したのは、襟に掲げられた学年章だった。黄色いベルベットに「U」のブローチ。それは、中等部の二年生を示している。 示された学年章を確かめてすぐ、ジンとリックは顔を見合わせた。中等部の二年生といえば、自分たちと同学年ではないか。 まだ初等部後期二年…十二歳に満たないくらいか…と言われても信じられそうな小柄で華奢な少年を、先とは別な驚きで見つめていたジンが、ふと首を捻る。 「きみは、どこのクラスの生徒だ」 いつも通り高飛車に言い放ったジンを、リックが咎めるように見下ろす。 「おいおい、言い方に気をつけろよ、ジン。そんな事より、君さ」 自分の言葉遣いなど今まで一度も注意した事のないリックの言い様に、思わず険しい表情で幼馴染の顔を睨んだジンが口を開こうとした、その瞬間、背後で事の成り行きを見守っていたらしい見送りの連中から、意味不明の怒号と悲鳴が上がった。 途端、笑顔を消して慌てた表情になった金髪の少年は、ジンとリックにぺこりと頭を下げて踵を返すと、突風のような勢いでどこかへ走り去ってしまった。 あれよあれよと言う間に消えた、小さな背中。 またも呆然とするジンとリックは、数名の、どう見ても高等部の生徒が消えた少年を追って口々に何かを叫びながら過ぎるのを見送ってから、ぎくしゃくと顔を見合わせた。 「なんだったんだ、一体」 「さぁ…」 溜め息を吐いたジンに肩を竦めて見せたリックが、不意ににやりと口の端を吊り上げる。 「誰か、今のコの事、知ってるかな」 小さな背中の消えた方向を指差して、リックは人好きのする笑顔を作り昇降口付近に溜まっている生徒たちを振り返った。ジンに比べ軟派な性格が幸い(?)したのか、遠巻きの一団から数名、挙手しつつ進み出て来る。 「あいつ、実技クラスの転入生です」 「確か、第六中等院から、二週間くらい前にこっちに来たばかりです」 「なんか知らないけど、放課後になると高等部の生徒に追いかけられてます、最近」 ちらちらと目配せしあう生徒を眺めつつ、リックはふうんと気のない返事をした。それを聞いて、ジンが大仰に溜め息を吐きつつさっさと歩き出す。 「今頃転入してくるとは、珍しい」 まるで、自分の感想はそれだけだとでも言うように言い捨てたジンを追って生徒たちに背を向けたリックは、軽く手を挙げてからふと、思い出したように少しだけ振り返って再度問いかけた。 「名前は? 転入したばっかで友達とか居なくても、誰か名前くらい知ってるよね」 何気ない問い。 それこそが、ジンとリックの本懐なのだけれど。 興味のないような顔をして。 実は。
「マキ・スレイサーです。ジンさん、リックさん」
聞いて、瞬間、二人はちらりと視線を合わせた。
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