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EX+1 ほろ苦ストロベリ

   
         
(5)

     

『セイルへ

仲直りしましたか?

セイルが我侭ばかり言って小隊長を困らせてるんじゃないかって、リセルが毎日心配しています。

喧嘩はイヤだよねってロイに言ったら、でも、喧嘩して許せる関係も大切なんだって笑ってました。だけどロイったら、その後で、ボクにはまだ早いかなって意地悪言うんだ。酷いと思わない?

早起きしてお弁当作るのは面倒だけど、中庭でのランチが楽しいから、毎日がんばってます。ジンとリックが、ボクのお弁当はいつもキレイだねって褒めてくれるよ?

学校が、ますます楽しいです。

マキ』

       

       

午前の授業が終わるとすぐ、マキはお弁当を抱えて教室を飛び出した。あの自由学習の日以来、少年の昼食は中庭をぐるりと囲んだ木立の間に点在するベンチの一つになっている。

足早に校舎を駆け抜けて中庭に出ると、もう数組の生徒たちが人工芝に輪になったり、肩を寄せ合ったりしながら、ランチを広げている。そんな中、脇目もふらずにマキが目指したのは、やや奥まった場所にぽつんと置かれたベンチだった。

「マキちゃん」

こっちこっち、とまばらな樹木の陰から手招きされて、マキは小走りでそこに近付いた。どうやら今日の買出し当番はジンらしく、肘掛まである立派なベンチにはリック一人だ。

一見すると高等部の生徒にも見える大人びた風貌のリックが、今日も上機嫌で自分の脇を掌でぽんぽんと叩き、ここへ座れと示す。それにちょっとはにかんだ笑みを見せたマキがベンチの真ん中にぽすんと飛び込むと、決まって彼は、きらきらと光を躍らせる金色の髪をくしゃりと撫でてくれた。

あの自由学習の日、まずジンがしたのは、マキが現れたところでリックに謝罪する事だった。少々怪訝そうに眉を寄せた親友に、黙っているつもりはなかったけれど驚かせようと思ったんだと言い訳した少年を、赤毛の少年はすぐに破顔して許した。

リックの事を覚えているかと問われて、マキは大きく頷き、ジンにして見せたように窓を指差し微笑んだ。そこで手短に自己紹介を終え、半ば二人に連行される恰好で中庭に移動したマキは、ランチを摂りながらそれまでの経緯を説明するジンに頷いて同意したり、数学のテストの点数をバラされて頬を膨らませたりしながら打ち解け、その後、毎日ランチの時間にここで会おうと約束させられた。

それから数日。

相変わらず一言も喋らないマキを二人は迷惑がる事もなく、もっぱら話題の提供者はリックで、ジンは時々静かに言い返したり言い足したりするだけだけれど、楽しく昼食の時間を過ごしていた。

会話というには一方的かもしれないが、意志の疎通は出来ているとリックもジンも思う。時折脱線して幼馴染らしく言い合う二人を、マキはいつもにこにことあの屈託のない笑顔で見ていてくれる。

ジンが戻って来るのを待っているのか、マキはベンチに座ってからも弁当の包みを膝に載せているだけで、手を着けようとはしない。ただにこにこと、少しだけ頬を紅潮させて、リックをじっと見つめている。

長い睫に煙る、碧の瞳。

純然たる笑顔。

「マキちゃんさー、オレたちと居て、楽しい?」

ついついにやけながらそう問えば、マキは迷いなくうんと頷く。

「そっか。オレは、マキちゃんがそう言ってくれて嬉しいよ」

許されるならぎゅっと抱き締めて頬ずりしたい気持ちで、リックも微笑む。

本人たちは全く気付いていないが、遠目に見たらそれは出来たてほかほか、熱々カップル間違いなしという光景だ。

セントラルには、素っ気無くも義務的に設置されている売店ではなく、きちんと名前の通ったファーストフードチェーンが幾つか入ったカフェがあり、生徒たちは大抵そこでランチを買い求め、思い思いの場所…それにはもちろん、カフェのラウンジも含まれる…で昼食を摂るのが常だった。

リックに頼まれたホットドックとデザート、それから、自分の野菜サンドとベジタブルジュースに、マキが毎日欠かさず飲んでいるらしいカルシウム飲料を抱えて待ち合わせのベンチを目指しながら、その視線の先で展開されている光景にジンが内心苦笑する。

もしかして、リックが買い出しの時は自分もああ見えているのだろうかと、不安ではないが酷く落ち着かない気分になった。これでは、さっき小耳に挟んだ妙な噂に対して、あまり不快な顔も出来ない。

少しは自重すべきかどうか迷いながら歩を進めるジンに先に気付くのは、いつもマキだった。何か話しかけるリックに向けられていた明るい碧がゆっくりと水平に振れ、煉瓦調の敷石が描く小道をなぞるジンにひたりと据わるのと同時、小さな白い顔がきらきらの笑顔で輝く。小さく手を振る幼い仕草がどうにも外見に合い過ぎていて、だからついつい頬が緩むのだと、少年は毎回自分に言い聞かせた。

マキは、例えばジンとリックのどちらか一人が大勢の生徒に紛れ込んでいても、すぐ彼らに気付いた。人垣に埋もれそうな金色をジンが、リックが目で追う間もなく、マキの碧がぴたりと少年たちに吸い付き、小さく、あの曇りのない笑みを見せてくれる。

果たして。

それを「自分たちが特別だ」と思った訳でもないだろうが、世の中に疲れ切ったようにしているくせに意外にも初心な所のある少年たちは、単純に嬉しい。こちらが気に掛けている程度には、マキも二人を気に掛けているのだと…感じる。

いやいや…。

正直、マキが二人の視線に反応するのは、「見られている」からか。確かに、その視線が見ず知らずのものや悪意のあるものであればとっとと切り捨てて知らぬフリを決め込むのが常の少年が振り返るのは、相手がジンやリックだと判っているからなのだが。

マキに遅れてジンに気付いたリックが軽く手を上げる。

ようやくふたりに近付いてリックにホットドックの包みを手渡しながら、ジンはマキを挟むようにベンチに座った。向かって左から、リック、マキ、ジン、という並び方は、一日目から自然に出来上がった法則のようなものか。

腰を落ち着けてからジンは、マキの弁当の上にいつものカルシウム飲料をことりと載せた。お使いの報酬は、やや身を屈めて覗き込むようにしているジン「だけ」に向けられる、あの清潔でとろけるような笑顔。しかも今日はお気に入りのイチゴ味で、笑顔の輝きも二割増しだ。

「どういたしまして」

つい吊られて薄い笑みを零しながら答えれば、リックがにやにやしながらマキの頭越しに幼馴染みを見ている。背凭れと肘掛の交わる角に背中を預けてマキとジンに身体を向け、わざとらしく顎を上げているのを、ジンは不愉快そうな顔を作って睨んでやった。

「おー、こわっ」

きゃ! とまたもやわざと悲鳴を上げたリックが、マキの小さな背中に隠れようと身体を丸める。伸ばした手で華奢な少年の腕を掴み、楯にするようにジンの前に翳されて、マキは声も立てずに笑った。

学習室で会ってからもう十日になろうかという今日まで週末を空けて毎日のように昼食を共にしながら、ジンもリックもマキの声を聞いた事はなかった。何か拘りでもあるのか、違うのか、金髪の少年は笑い声さえ上げない。

否。一度だけ、二人は聞いているのかもしれない。

最初に出会った日の、あの力強く周囲を圧した声が、マキのものであったとすれば、か。

ひとしきりふざけあってから三人は、ようやく食事を開始した。出来合いのホットドックをぱくつくリックの隣では、マキが今日もキレイに飾り付けられた弁当にいただきますと言うように小さく頭を下げ、それからフォークを握っている。

ジンはその様子を見るともなしに見ながらサンドイッチを開いた。三角形の白いパンに挟まれた緑や赤が目に鮮やかで食欲をそそる。

「今日はロールサンドなんだ、マキちゃん。にしても、マキちゃんの弁当っていっつも丁寧に作ってあって、美味そうだよな」

ひょいとマキの手元を覗き込んだリックが感心したように言うなり、チーズをハムで包んでピクルスを飾ったものを口に入れた少年が、ぱあっと嬉しそうに微笑む。四角い食パンの耳を落として野菜とベーコンを乗せ、マヨネーズらしきソースを掛けてくるくると巻いたものがふたつと、スライスチーズと生ハムと細長く切った根菜類を巻いたトマトソース味のものがふたつ、おかずの脇に転がっている。

主食はロールサンド。おかずは先のチーズ巻きの他に、葉物野菜のコールスローサラダと、プチトマトと、香ばしく揚げたミートボール。特別手の込んだものには見えないが愛情たっぷりなのが判るそれに、ジンとリックの口元も緩む。

マキは口に入れていたものをごくんと嚥下するとすぐ、二色のロールサンドをひとつずつ手に取って、にこにこしながら順番にリックの前に押し出した。それでちょっと当惑したらしい親友に見つめられて、ジンは首を捻る。

「…どちらか一つ、くれると言ってるんじゃないか?」

思い付きでそう言って、ジンは確かめるようにマキの横顔に視線を当てた。それに返ったのは先よりも格段に嬉しそうな笑顔と、小さく、少し恥ずかしげに頷く仕草。

「ホント! んじゃぁ、こっちの野菜のヤツかなー。…って、そんじゃぁマキちゃんのお昼、足りなくなるよ?」

それは別に構わないのだろう、マキはリックに向かって野菜サンドを差し出すと、ぷるぷる首を横に振った。それから、もういちど新しい二本を手に取ってジンに向き直る。

どうぞ。と。

ジンはそれに薄い笑みを向けて小さく頭を下げてから、遠慮せずに根菜の巻いてあるほうを選んだ。良く見るとパプリカも添えてあって、彩りも綺麗だ。

「出来合いで悪いけれど、僕もお裾分けしよう」

自分の膝に置いてあるサンドイッチを一切れ取り上げたジンが、マキの弁当の端にそれを置く。そんななんでもないトレードが少し嬉しいような、こそばゆいような気になって照れ隠しに少年の零れるような笑顔から視線を逸らせば、またもや、リックのにやにや笑いと目が合ってますます恥ずかしかった。

いつももっと美味しいものを食べているだろうけど。

お口合えばいいけど。

受け取って貰えると嬉しいんだけど。

ジンもリックも、そんな台詞と一緒におどおどと差し出される包みを一度も受け取った試しはない。

もしかして、あなたのために一生懸命作りましたと言われたら無碍に断われないかもしれないが、そんな風に遠慮しているようにしてどこか卑屈な言葉で味を落としそうなプレゼントではなく、単純に褒められたのが嬉しかったから極自然に差し出されたものを、ふたりには拒む事は出来なかったしそんなつもりもなかったのか。

マキは。

ふたりは知らない。

朝、大好きな両親と双子の片割れに見守られて他愛ない話をしながら自分で作る昼食。

壊滅的に料理の下手なリセルに手を焼いていたスレイサー家ではあの長兄にさえ食事当番があり、それは幼いマキにも当然回ってきていたから、息子たちは皆意外にも料理上手だった。

いつものようにリックが話題を提供し、時々ジンが口を挟み、マキは笑っている。

今日のお返しに、明日は自分がデザートにプリンを奢ると言うリックに、マキは無言でバンザイした。甘いものが好きなのだろうか。ジンはその時、新製品の試食に狩り出される時マキを誘ってみようかとぼんやりと考えていて、ついさっき、カフェで小耳に挟んだ嫌な噂の事など、これっぽっちも覚えていなかった。

マキ・スレイサーが、どういう手段でかは知らないが、ジンとリックを誑し込んで纏わり着いているという、当人たちにとってはまるで逆の、根も葉もない噂がこのささやかな幸福に水を差す事になるとは、その時、誰も想像していなかった。

  

   
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