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EX+1 ほろ苦ストロベリ

   
         
(4)

     

『ヒューへ

友達が出来ました!

同じ中等部なんだけど、ボクよりずっと大人っぽくて落ち着いていて、おまけに頭もすっごく良くて頼りになります。

ちょっと…色んな噂もある人だけど、そういうの、ボクは全然気にならないし!

ジェイがいなくても、いつか、ちゃんとボクの事を話せたらいいなって、思います。

それから、この前またセイルが小隊長と喧嘩して帰ってきました。

その日の夜中、小隊長が制服のまま尋ねて来たのには、ボクもリセルもびっくりしました。セイルは無事小隊長と帰って行ったけど。

ヒューも、恋人は大事にしないとダメだよ?

マキ』

        

          

ジン・エイクロイドというのは真面目で不器用で、だから、媚を売りつつ群がって来る大多数を上手くあしらう事も出来ず、頑なに他者との接触を避けているのだと気付いた時、リック・オル・マツナカは自分が酷く擦り切れて色褪せた、つまりは「汚い奴」なのだと自覚した。

ジンとリックは、お互いの両親がセントラルの先輩後輩…最早どちらがどちらか、四人も居るのでジンもリックも覚えていない…だった事に端を発し、幼稚園、初等院、セントラルと、まるで兄弟のようにして育った。ファイラン全土にカフェ・チェーンを展開するエイクロイド家と、第十エリアに豪華さが売りの巨大ホテルを経営するマツナカ家では、お互い両親が留守になりがちだったから、子供たちはどちらかの家に預けられて寝起きする事も少なくなかった。

初等院後期辺りになると、子供たちだって世の中のシステムを少しずつ知り、利用する事を覚え始める。そうすると、それまで無邪気に遊んでいた学友が急に揉み手して擦り寄って来るようになり、意味もなく、ジンやリックの家のホームパーティーに招待してくれなどと言い出す。

元々、自宅に居てそういった大人たち…それぞれの両親に取り入ろうとする、か…を見ていた二人は、あっさりと世間に失望し、学校という子供社会に失望し、固く心を閉ざすようになる。その結果が、今現在のジンであり、リックなのか。

「…マツナカくん、この前の、物理のテストなんだけど…」

他人の机…実技クラスの窓際、一番後ろ…でなんとなくぼーっとしていたリックは、視界の外れから差し出されたデジ・ペーパーに視線もくれず、ああ、と気の抜けた声を上げて軽く手を振った。

「オレ、物理苦手なんだけど、それでもいいのかな」

無碍に断わられなかったからなのか、最初はおどおどと質問してきた生徒が急に笑顔を作ると、リックの前の席に飛び込んで机に答案用紙を広げる。苦手だなんてとんでもない。自分よりずっと成績がいいんだから、謙遜する必要なんかない。みたいな気持ち悪い褒め言葉に、リックは引き攣った笑みを浮かべた。

こういう時、ジンならまず誰も近づけない空気を発して周囲を牽制するだろう。それでも果敢に挑んだ生徒は冷たく拒否されて、言い募る間もなく追い返される。

ジンは、誰かを特別扱い出来ないから、誰にも期待されたくないから、全てを拒絶する。

リックは逆に、当たり障りなく一問か二問付き合ってやる。誰が、何人来ても、だ。廊下の途中で声を掛けられても、適当に会話してからその場を立ち去る。一見するとジンよりも愛想良く取っ付き易いように見えるが、その実彼は、誰にでも優しいようにして、誰にも優しくない。

誰もを平等に、上辺だけであしらっている。

いつの間にか出来た人だかりに囲まれて、リックは内心苦笑した。

最初にリックに話し掛けた少年は、誇らしげな顔で彼の正面の座を死守している。あれこれと差し出される答案を少年は腕で払い除け、まだ自分が質問し終わっていないのだと怒鳴っていた。

果たして、自分にどれほどの価値があるのだろうか。

果たして、ジンにどれほどの価値があるのだろうか。

月並みな言い方で申し訳ないが、ジンをジンとして、リックをリックとして友人や恋人に欲しいという誰かが現れたなら、一生大事にするのにな、とすっかり擦れた少年はガラにもなく思った。

いい加減外野が煩くなって来て、リックは無言のまま椅子を押し退け、立ち上がった。そもそもリックは、周囲に不審そうな顔をされつつこの座席に戻って来るはずの少年を待っていたのだが、目的の少年…マキ・スレイサーは一向に姿を見せる気配がない。

肝心のマキが現われないのに、今や実技クラスには元来ここに居るべきでない隣の教室からやって来たのだろう連中まで溢れている。そもそも、最早ここに留まる理由もなく立ち去ろうとしたリックを呼び止めようとする、最初に声を掛けてきた少年も、周囲のこそこそ話を聞くにつけ、教養Bクラスの生徒らしかった。

「そろそろランチだし、オレ、もう行くわ」

十割上辺だけの作り笑いを残してひょろひょろと人垣を擦り抜け実技クラスを後にしたリックは、まず教養Aクラスを覗き込んでジンが居ないのを確認してから、図書館へと爪先を向けた。学習室で彼と合流してから中庭の木立の陰でランチを摂って、そのまま昼寝してしまおう。午後からもう一度マキのクラスを尋ねる事も出来るだろうが、あの、さっきの生徒たちが近付いて来るのは頂けないので、今日はもう諦めるしかない。

静かでありながら落ち着かない雰囲気の廊下をのろのろと歩きながらリックは、なぜ自分はマキ・スレイサーにこうも拘っているのだろうかと考えた。話をした事はない。顔を合わせたのだって、最初に出会ったあの日だけだ。正直、全く見ず知らずの生徒と言っても過言ではないはずなのに。

それなのに、だ。

媚びた作り笑いと、リックやジンに気に入られようとする涙ぐましい…虫唾の走る…言葉の数々に取り囲まれる度思い出す、純然たる笑顔。一片の曇りもない、心の中を如実に表す黒目がちな碧の瞳と、面白いようにくるくる変わる表情。

時折擦れ違う生徒たちから注がれる粘つくような視線を無視してずんずん歩きながら、では、自分があの少年に会いたいのかという前提で考えてみようとリックは思った。

なぜ会いたいと思うのか。

まず、マキ・スレイサーは気色の悪いおべんちゃらを言ったりしない。当たり前だ。あの少年は、ともすれば必要な事すら口に上らせない。

誰に対しても。

それから、余計な事を言わない代わりに、その表情を、全身を目一杯使って感情を表現する。初対面のリックやジンでもすぐに感じ取れたように、マキ・スレイサーは纏う空気を鮮やかに塗り替えて、今の気持ちをはっきりとこちらにぶつけてくる。

誰に対しても。だろう。

細長い廊下を曲がり、図書館に繋がる二階通路が見えた時、リックの中で不意に答えが出る。そうか。と思ったらなんだか酷くおかしくなって、少年はスラックスのポケットに両手を突っ込み、顔を伏せて小さく笑った。

つまりマキ・スレイサーは、誰も特別扱いしない。その他大勢も、ジン・エイクロイドも、リック・オル・マツナカも、リックが周囲に対して取っている「誰にでも優しいようにして誰にも優しくない」というのではなく、そういう事ではなく、全てに対して平等に、純粋に、気持ちを曝け出している。

だから、会いたい。

思わず、オレは愛情に飢えたガキか、と内心自分に突っ込みつつ、リックは学習室のドアを開けた。

広い室内はがらんとしていて、整然と並んだ机の間に数名の生徒の背中が見えた。一人きりで勉強に没頭している者。肩を並べて机の上に広げた資料を指差し、小声で話し合っている者たち。点在するそれらの奥、ディスカッション用の大テーブル脇にジンの背中を見つけて、リックは足早にそちらへ向かった。

珍しい事もあるもので、ジンの定位置は大抵窓際の資料検索卓なのだが、今日はどういう訳か通常の机、しかも学習室の中央近くに着き、ぼんやりしていた。なんだろう、恋わずらいか? などと思ってみて背筋を震わせたリックは、わざとのように足音を立てて近付き、二つあるうち空いている方の椅子に腰を下ろす。

ポケットに手を突っ込んだままどさりと腰を下ろしたリックを、ジンがちらりと横目で見る。マキ・スレイサーには会えたのかとか、もっと手短にどうだったとか、わざわざ実技クラスまで赴いたリックの成果を確かめる言葉がないのを不審に思いつつも、赤毛の少年はわざとらしく肩を落として嘆息した。

それで、リックがマキに会えなかったと判ったのか、ジンは片頬を微かに引き攣らせるようにして短く笑っただけで、何も訊きはしない。

というか、種を明かせば、リックがマキに会えなかったのはとうに判っていたから、聞く必要もなかったのだが。

「ちょっと早いけど、ランチ行かん?」

「もう少し待て」

机に頬杖を突いて正面を見つめたままのジンが小さく答えて、リックは小首を傾げた。別に何か忙しいようには見えないのに、何をしたいのか、という所か。

それで手持ち無沙汰になったリックは、ようやく目の前の机の上を観察し、再度首を捻った。ジンは確か何も持たずに学習室へ来たはずなのに、二人の前には幾つかの資料ディスクとブック型端末、口を開けっ放しのペンケースが端雑に放置されている。

ジンの他に、誰か居たのだろうか。

だったら天変地異。と難しい顔で眉を寄せたリックを、ジンは気配だけで察して小さく笑った。その気持ちは判らないでもない。何せ、今ここにこうして未だ動かずに居るのは、ジンにしても驚くべき事だったのだから。

それから暫し、二人は言葉を交わすでもなくその場に居続けた。リックは時々退屈そうに欠伸を噛み殺したり、誰のものか判らないペンケースの中を覗いたりしたが、ジンはそれこそ彫像にでもなってしまったかのようにぴくりとも動かなかった。

どのくらい経ったのか、いい加減ランチに行こうとリックがジンをせっつくかどうか迷い始めた頃、極控え目に学習室のスライドドアが開いたような音がした。元々静音機能のついているドアだから、教室のようにがらがらと音を立てるでもないが、重い本体が床を滑ったのは感じられる。

それを合図になのか、ジンは立ち上がってドアに向き直った。これでようやくランチにありつけると、親友の取った行動の意味も考えずにのそりと立ち上がったリックは。

振り向き様、自分の鼻先を掠めるように飛び込んで来た鮮やかな金髪にぎょっとして身を引き、そのまま硬直してしまった。

何せ、だ!

リックの鼻の頭に頭頂部が来るほど小柄な誰かは、迷いなく、傍らに佇んでいるジンに体当たりする勢いで抱き着いたのだから。

天変地異なのかっ!

恐怖に強張った表情で更に一歩後退したリックは、自分で斜めに蹴り避けていた椅子に膝裏をぶつけて、そのままどさりと腰を落としてしまった。その間、瞬きもなく見開いた両眼を熱烈な抱擁…に、見えた…を交わす二人から逸らせなかったのは、致し方あるまい。

抱き締め返すというよりは、後先考えずに飛び込んで来た小さな身体を支えるように背中に添えられたジンの指先から少し視線を上に移し、リックが急に眉根を寄せる。緩やかにカーブした眩しい金色の先端がふわふわと襟足で踊っている小さな肩に、記憶を刺激されたのか。

「どうだった?」

旧知のリックでさえ滅多に聞いた事のないジンの穏やかな声に、親友は益々目を剥き絶句する。その時少年は、本当の衝撃に直面した時人間は声を失うのだと一つ賢くなっていた。…なんだか、無駄な知識かもしれないが。

問われて、では、答えは返ったか、といえば。

ジンにしっかりと抱き着いていた小柄な背中がパッと離れ、しっかりと握り締めていたデジ・ペーパーを開いて顔の前に翳す。それでやっぱりリックからその人物の顔は見えなくて、しかし。

「八十六点…。普通じゃないの?」

なぜか点数の最後を花丸で飾り、この調子で次もがんばれ! と一言添えられた採点部分を指差して、リックは恐る恐るといった風にジンの顔を見上げた。

「いいや、大進歩だな。冒頭の二問は僕と答え合わせしたにせよ、総じて七十八点の増加だ」

「………」

ジンの微かに笑いを含んだ声を聞きつつ、リックが額に冷や汗を浮かべる。待て。それじゃぁ何か? 基準は八点なのか?

ええ、八点ですとも。

一番難しい応用問題と、図形の面積を求める問題と、少々複雑な計算問題が壊滅的にダメな状態だとしても、それ以外は途中の計算式もきちんと書かれている、答案用紙。その右上に燦然と輝く丸で囲まれた「再」の文字が意味不明だが、内容は、先日リックたちの受けた実力テストで間違いはない。

と、リックが唖然としたまま考えを巡らせ、ついでに混乱する最中、二人の下に駆け込んで来た第三の少年は、再度ジンに抱き着いた。

無言で。

一言も発しないで。

でも。

全身で「嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい!」と表現しながら。

「……マキちゃん?」

頭上でひらりと揺れたデジ・ペーパーの受信装置を凝視してから、リックが気の抜けたような声で呟く。

それに返ったのは、ジンから身体を離したマキの、零れるような笑顔だった。

  

   
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