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EX+2 最強ロリポップ

   
         
(1)

     

『セイルへ

心配かけてごめんね。

ちょっと色々あったけど、最後(?)には友達が増えました!

しかも、なんだかクラスのみんなも声を掛けてくれるようになって、学校が前よりずっと好きになりました。

アンさんにも凄く心配かけたから、昨日電信してみました。

友達がたくさん出来たって教えたら、自分の事みたいに喜んでくれたよ。

その時、後ろの方でヒューが何か言ったみたいで、「またそういう意地悪ばっかり言うんだから」って、ちょっと睨んでました。

相変らず、ヒューはアンさんに頭が上がらないようです。

マキ』

       

      

マキがジンとリックを避けていた真相を明かすならば。

眼鏡少年たちの嘘は端から信じていなかった。もしジンとリックがマキを迷惑だと思っていたとしたら、聡い少年はすぐにも気付いていただろう。脅かされた事についても、別段恐怖を感じた訳でもないし、来るなら来れば? くらいの感想しかなかった。

それでもマキが二人から離れようとしたのは、つまり、自分が傍に居る事でジンたちに迷惑が掛かるのを嫌がったからだ。これでエスカレートした脅しが本当に暴力沙汰にでもなったら。

マキは確実に、相手を返り討ちにしただろう。

さすがにそれはマズいと少年は考えたのだ。自分のせいでジンやリックにまたありもしない噂が立つのは、許せなかったのか。

だからあっさりと身を引いたのだと知ったら、ジンもリックも呆れたかもしれない。でもマキは、どうしても譲れなかった。

        

自分のせいで上手く行かなくなった本当の両親を、知っている。

必ず迎えに来ると言いながら一度も連れて帰ってくれなかった片親の背中が、忘れられない。

彼らを怨んではいない。

今の家族が、とても好きだ。

ただ、自分が彼らの何かを壊したという罪悪感が、マキの幼い心を傷つけたのは確かだった。

           

あの両親は上辺だけの関係を、もう十五年も続けている。

         

       

それで三人のランチタイムが元通りに甘い(?)ものに戻ったかと言うと、それは少しだけ違っていた。

「ああ、今日は午後から専攻科の実習だっけ」

と、向かい合わせにくっつけた机の横に引き寄せた椅子の中、長い足を持て余しつつ組んでいたリックが、サンドイッチに挟まれたピクルスを指で抓んでマキの弁当の端にそっと押し込みながら言う。

その暴挙にマキがむうと恨めしそうな顔をするのと同時、リックの手の甲をマキの正面から伸ばされた手がぴしゃりと引っ叩いていた。

「そうだよ。教養クラスは、選択?」

叩かれて引っ込めた手でバンザイしたリックを、カナンの藤色が冷たく睨む。リックの好き嫌いが激しいのにいつも悩まされていたジンは、たった数日で幼馴染に対する主導権を握った実技クラスの委員長に、内心感心していた。

そう。あの眼鏡少年騒動以降、マキとジンたちのランチは中庭でなく、Aクラスと実技クラスのどちらかか、中庭、というローテーションに変わっていて、おまけにカナンという参加者が増えている。

なんでこんな事になったのだろうかとジンなどは思わなくもないが、マキ同様大して二人に気を遣うでもないカナンの参加に問題はなかったから、あえて人目を憚るのではなく、大っぴらに友達関係を公表してみようという、今はいわば実験のような状態か。

これでまたマキやカナンに何かあれば手を変えなければならないのだが、今のところ周囲に目立った動きも、おかしな噂もない。そもそも、Aクラスでジンたちに逆らえる者はなく、実技クラスでは逆にジンたちの方こそマキにぞっこんで委員長を巻き込んだと大半の生徒が知っていたから、問題が起きる要素もないのだが。

バンザイしたまま蒼褪めているリックの口元に、マキがよれたピクルスを一枚突きつけている。残りは引き受けてやるけれど一枚くらいは食べなさい。という意志に漲った碧が頭上の引き攣った顔を睨んでいる光景に、ジンが思わず吹き出しそうになった。

「何笑ってんだよ、ジン」

「選択といっても、結局は専門科の教授への質問タイムみたいなものだけれど」

じろりと睨んで来るリックの視線に笑いを捻じ伏せた涼しい横顔を向け、ジンは知らぬフリを決め込んでカナンに答えた。

無言でピクルスを巡る攻防を繰り広げるリックとマキを放って、ジンとカナンはそれぞれのサンドイッチを頬張りながら、話を続ける。リックは好き嫌いが多くマキは食事を残すのを良しとしないため、毎回のようにこういった騒ぎが起こるものだから、いちいち付き合っていられない。

「今日は学年混合で校内対抗試合があるんだ、ラクロスはね。

それで…、ねぇ、マキ?」

各学年に一クラスしかない実技クラスには、週二回、中等部一年から高等部三年までが合同で行う専攻科実習というのが設けられており、それぞれが推薦された部門で纏まり試合やトレーニングを行う。

「今日は、マキも出るんだよね? 合同に」

と、既にマキが転入して一ヶ月以上が過ぎたにも関わらず、カナンが奇妙な事を言い出した。

「? もしかしてマキちゃん、今まで一回も合同に出てないの?」

半ば無理矢理口に押し込まれたピクルスをろくろく噛まずに飲み込んだリックが、首を捻りつつマキに問うと、少年は弱ったような顔で頬を掻いてから、小さくこくりと頷いた。

出てないというか…。

「今更なんだけれど、マキくん。きみは、何の競技の推薦でセントラルに転入したんだい?」

ジンの唇から滑り出したのは全くもって今更な質問だったが、なぜか、教室内…今日のランチは実技クラスだった…の誰もが無言でうんうんと首を縦に振っている。

転入早々に実力テストがあったから、数回合同実習はなかった。しかし、それ以降はちゃんと週二回授業はあったのに、マキの姿はどこにも見当たらなかったのだ。

なんとなく肩を寄せて小さくなったマキが、自分を見つめて来るジンとリックとカナンの顔を順番に見回してから、ふうと大袈裟に溜め息を吐く。向かい合わせにくっつけた机の四辺にそれぞれ着いた彼らの真ん中には、食べかけのパンや飲み物が散乱していた。

教室内のざわめきだけを纏い無言で待つ友人たちの顔を下から見上げたマキの眉が、情けなく下がっている。泣きそうではないがかなり気落ちしたその表情の意味が判らなくて、思わず三人は顔を見合わせた。

その時。

がらりと教室のドアが開かれ、大柄な教師が一人顔を出した。

「おーい、スレイサー居るかー」

「あ、はい、ここに居ます」

四角い顔に太い眉に、無精髭。特別高身長ではないがそれなり以上にがっちりした体躯の彼は元警備軍だったか城詰めの近衛兵だったかで、今はセントラルの拳闘実技講師をしている。

呼ばれたマキがはーいと手を挙げて立ち上がるのとほぼ同時に、カナンがドアを振り返って声を出す。それに気を引かれて動いた講師、ユーリ・ラキウスは、垂れ気味の蒼い目を眇めて人の良さそうな笑みを浮かべた。

「今日から合同参加していいそうだから、午後の授業が始まる前に道着持って教授控え室まで来い。お前、今日は様子見で、俺と組み手な」

頭のぶつかりそうなドアの枠に手を掛けてユーリが言うと、マキが乾いた笑いの表情で何度もこくこく頷く。そうか。まずは実力を測られるのか。という溜め息交じりの心の声が聞こえそうな、そんな表情だ。

「んじゃ」

ユーリが軽く手を挙げて消えると、室内から興味深げな視線がマキに集中する。

「…もしかしてスレイサーって、拳闘の推薦?」

最初にそう声を発したのは、拳闘推薦でセントラルに来たクラスメイトだった。どうせバレてしまうのだからとマキは、ちょっと弱ったような顔で頷いてから、わざと握り拳を作って軽く構えを取った。覇気のないその姿は、決して強そうには見えないが。

へー、意外。なんて暢気な言葉を聞き流しつつ、マキはすとんと椅子に腰を落とす。それから、右斜め前で難しい顔をしているジンに視線を当て、ことりと首を捻った。

なに―?

まぁ、外見上自分と拳闘がすぐさまイコールにならないのは判っていたからちょっとくらい意外そうな顔をされるだろうと思っていたが、ジンの表情がやたら深刻で気になる。

「いや。マキくんは別に、故障したりしていて合同に参加出来なかった訳ではないんだろう? 今まで」

ゆっくりと旋回した濃い灰色にひたりと見据えられて、マキはうっと息を詰めた。その話題には触れて欲しくなかった。

「なのに一ヶ月も、それこそ推薦でやって来たのにも関わらず専攻科目に参加していなかったのが、不思議だなと思っただけで。…いや、別に、どうでもいい事だったね」

またもや、ふにゃ、と泣きそうに歪んだマキの表情を目にしたジンが、慌てて首を横に振る。なんだろう。この微妙に懐かしい感触は。いつかもこんな、マキの泣きそうな顔を見たような気がする。

「うわー、ジンちゃんたら意地悪ぅー」

「気色悪い呼び方をするな!」

がたがたと椅子ごと移動してマキを横から抱き締めたリックに言われて、ジンは静かに怒りを込め言い返した。

「で? 実はなんで今まで合同に参加してなかったの? マキ」

言い合うジンとリックを交互に見遣ったカナンが不意ににっこりと微笑んでマキを見つめ、悪気のない顔で小首まで傾げる。

「っ! 委員長最悪っ!」

「…その容赦のなさには、僕も脱帽だ」

首のところに回されたリックの腕に縋り付いて涙目になったマキと、非難がましい表情で牙を剥いたリックと、呆気に取られて目を瞬いたジンに見つめられても、カナンは笑顔を崩さなかった。中等部ラクロスセントラルチームのレギュラーを確保している委員長は、優しげな外観に見合わず強心臓というのが、クラスメイトから彼が頂いている評価だ。

リックの制服の袖を皺にしてくすんと洟を啜ったマキの涙目攻撃にも、カナンは退かなかった。ある意味、物凄い精神力か。さすがアスリート? 緊迫する場面でも最高のパフォーマンスを発揮せねばならない競技人としては、申し分ない。

頭のいい人間の中にはしかし精神面で弱い者も居て、試験や学会というとその能力の半分も披露出来ずに終わる場合もある。と、ジンが無意味に感心する中、笑顔のカナンに圧されたマキが、ついに、渋々と机の中を探ってペーパー式端末を取り出しメニュー画面をぴらりと広げた。

背後からそれを透かして眺める、リック。ジンとカナンは目一杯表示されたページメニューの上から下までを順番に視線で辿り、最後に、笑って良いのか労うべきなのか迷って、口を固く結んだ。

つまり。

メニューにびっしりと並んでいるのは補講プリントのタイトルで、範囲は殆ど全ての教科に及んでいた。

「…もしかして、六中は少し勉強が遅れていたのかい?」

数学の点数を思い出しれみれば、マキは勉強が得意だとは言えないかもしれない。それにしても、あまりにも多い教科数に呆気に取られたカナンと違って、奇しくも少年の数学のテスト結果を見た試しのあるジンは、ふと思い付いた可能性を口に上らせた。

その問いに、マキがリックの腕にしがみ付いたまま涙目でうんうんと情けなく頷く。というか、いつまで抱き着いてる気だ? とジンは少々剣呑な表情で幼馴染を見上げた。

「はー、それで、合同の時間を使って勉強させられてたってワケ? それは…ご愁傷様…」

ははは。と額に冷や汗を滲ませて乾いた笑いを漏らしつつカナンが言う。

「んで、今日から合同に参加って事は、とりあえず補講は終了したって、そういう意味だよね? マキちゃん」

端末の表示部分を消してそれを机に戻したマキが、頭にすりすりと頬ずりして来るリックを放ってご愛飲のカルシウム飲料を手に取り、うん、と頷く。

「次の実力テスト前に追いついて良かったと言うべきだろうな。…そういえば、その実力テストなんだけれど」

マキが気にしていないのに自分だけリックを咎めるのはおかしいと思ったのか、ジンは食べ終えたサンドイッチの包装をたたんで場所を作ると、そこに頬杖を突いてから、ちらりとマキの顔を見遣った。

「マキくんがご希望なら、テスト前に勉強会でもしようか?」

そこでジンは、眼鏡の四角いフレームに指を添えてついと押し上げてから、平素はそうそう崩れない冷たい面を、薄い笑顔で飾った。

それを目にして、カナンが銜えていたサンドイッチを落とそうになる。笑顔だ。と思った。入学以来、ジン・エイクロイドの笑顔などついぞ見た試しがないなどと本気で言われていた彼の嘘偽りない笑顔に、思考も停止する勢いだった。

「おー、そりゃいいねぇ。理数系はジンに任しとけば安心だし、語学関係と機械語はオレに任してくれたら安泰だよ? 委員長も参加する?」

ぽかんとしたカナンの顔を面白そうに覗き込んでリックが言うなり、マキがぱっと笑顔を作って身を捻り、声の主に抱き着く。

「うわ。嬉しい? マキちゃん。オレはマキちゃんがそんなに喜んでくれて、嬉しい」

だらしなく目尻を下げたリックの胸元にぐりぐり額を擦り付けて「嬉しい」と「笑顔」を振り撒いていたマキが、白い頬をピンクに染めて顔を上げる。教室の片隅で繰り広げられるほんわかランチ風景をちらちら窺っていたクラスメイトが、その愛らしい笑顔の直撃を受けて、何人もが口に入れたものをぼたぼた零した。

そして。

ぱっとリックの腕から逃れたマキは反対に身を捻り、机に頬杖を突いたままだったジンにも体当たりするように抱き着いたではないか。こちらは身長問題で丁度額が頬に当たるものだから、毛先のうねった金髪にあちこち撫でられたジンが少し擽ったそうに首を竦め。

先より一層緩んだ頬と、柔らかく眇められた双眸。

に。

室内は凍り付いた。

マキの撒き散らす「嬉しい」に攫われてしまったのか、そのジンの顔は明らかなはにかんだ笑みに緩み、まさかあの鉄面皮…あまりの表情の乏しさにそう陰で言われていた…がこの変わりようとはなんぞや! という所か。

「じゃぁ、その相談は今日の帰りにでもしようか。マキくんは、そろそろ教授控え室に行かなくてはならないだろう?」

少し首を傾げて言ったジンにあの輝くような笑みを見せたマキが、未だほんのり色付いたかわいらしい顔で頷く。それを受けて、少年は冷たく見える眼鏡の奥で薄く微笑み、それから華奢な肩を優しくさすった。

どうしよう、らぶらぶだ。その光景を直視するに耐えられなくなったのか、カナンがさり気なく視線を逸らし、誰かに助けを求めるように室内を見る。

教室内には、変な緊張と机に突っ伏した屍と、悔し涙を啜る音が入り混じっていた。スタートで躓き燻る級友たちを見回した委員長は、ジンとリックはやはり色んな意味で凄いのかもしれないと思う。

だって、誰より先にマキの魅力に気付いたのだから。

周囲の阿鼻叫喚など知らぬ振りのマキは、ジンから離れると手早く弁当を片付けてから、背後のロッカーに仕舞いこんでいたボディバックを取り出して肩に掛けた。

「帰りに迎えに行くね、マキちゃん」

手を振るリックにきらきらの笑顔を見せたマキが、ぱたぱたした足音を伴って机とクラスメイトの間をするりと通り抜け、教室から出て行く。その背をほんわかムードで見送ってから正面に顔を向け直したリックとジンの横顔を、カナンはマキと同じカルシウム飲料を飲みながら、恐々見比べた。

「んで? 委員長はどーよ、勉強会」

「別に、無理して参加しなくても構わないけれど?」

突如くりっと首だけを回して見下ろされ、カナンがびくりと肩を震わせ小さくなる。

「…暗に邪魔者扱いなのが癪に障るから、参加する」

怯えて見せるくせに言うべきところは言う辺りがやっぱり委員長だと、不意に相好を崩したリックが笑うと、それまでの冷たい表情を消したジンも、口元に薄い笑みを載せた。

その、照れているような嬉しいような笑顔がなんだか歳相応に見えて、カナンもいつの間にか柔らかく微笑んでいた。

  

   
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