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EX+2 最強ロリポップ

   
         
(2)

     

『ヒューへ

ついに拳闘の授業がありました。…うん、色々大変でした…。

そういえばヒュー、ラキウス教官知ってる? 元お城の近衛兵だったんだって。

教官は、ヒューの事もアンさんの事も小隊長の事も知ってるけど、向うは知らないんじゃないかなって笑ってました。

あの人たちは有名だからねって教官は言ってたけど、そうなの?

マキ』

      

      

午後、専攻科の合同実習が開始されるのを待って、ジンとリックは「道場」と呼ばれる建物に向かった。週二回あるこの時間、教養クラスでは選択で芸術系の授業が行われる事になっているのだが、二人は自由学習を選択していたから、必ず出なければならない授業がある訳ではないのだ。

だから大抵はこの時間も自由学習日と同じように学習室で過ごすのが常だったのだが。

「やっぱ見るでしょー」

悪びれた風なく頭の後ろに手を組んで背伸びしたリックが、武道場の二階部分を占める座席にふんぞり返って言えば、こちらは優雅に足を組んだ姿勢で肘掛に腕を預けていたジンが、非常に歯切れ悪くああとかうんとか答える。

「にしても、意外と居んだねぇ、見学」

セントラルには校舎の他に幾つかのスポーツ施設があり、この建物は、一階がプールで、二階が道場になっていて、観覧席は張り出した二階部分の壁をぐるりと回っていた。その、四方に一箇所ずつある階段を登ってすぐの通路を更に上まで上がり、なるだけ人目につき難い場所の座席を確保したジンとリックの視界には、二面ある正方形の「リング」と、そのリング中央に整列した生徒たち十数名、それから、自分たちのように階下を見つめる生徒たちの姿がある。

「どうやら、高等部になると逆に、この時間を息抜きに使う生徒も多いらしい。まぁ、ギャラリーが多いのは、ほら、あれのせいだろうが」

あの眼鏡少年…リフェール・プラドから齎されたのはおよそジンの生活には無関係な、つまりはいらん情報ばかりだったが、中には幾つか耳寄りなものや、役立つという訳ではないが知っていて損になはならないというものも含まれていた。そのうちのひとつをジンは、団子になった生徒たちのうち一際目立つ長身を顎でしゃくって、リックに披露してやる。

「ラドルフ・エルマ、高等部二年。ここまで二年連続女王杯の優勝者で、三連覇を狙っている。見た通り…、といってもロクに見えないが、人当たりのいい二枚目なのがウケていて、生徒にファンも多い」

「はぁ、なるほど、ね」

言われて周囲を見回したリックが、急に納得したように頷く。確かに、あちらこちらに小さく纏まっている生徒達からは、浮ついたような熱っぽいような視線がフィールドに注がれていた。

かなりの遠目で詳細は判らないが、他の生徒よりも頭半分出る背丈に、ややがっちりした体躯。だからといって愚鈍な感じはなく、なるほど、やけに姿勢のいいのと、短く整えられた濃茶色の髪が清潔感を醸し出している。

「顔見えねー」

「? 興味あるのか?」

前方に伸び上がるようにして呟いたリックを、ジンは意外なものを見るような目で振り仰いだ。いや、別に幼馴染が誰にどう興味を示そうとも関係ないのだろうが、ああいう…がっちり系で自分に自信がありそうな年上は、明らかに彼のタイプではないはずなのだが。

「あるね。オレ様のマキちゃんに着く悪い虫になりそうかどうか、大いに」

なんだそっちか。と変に納得してジンは、思わず浮かしかけていた尻を椅子に戻し、また前と同じポーズで足を組んだ。

「―――というか、いつからお前のマキくんになった……」

「細かい事は気にすんな」

あまり細かいとは言えないだろうと内心うんざりしたジンと、ラドルフが周囲に向ける鷹揚な笑みに気を取られていたリックの視界の隅に、一際、それこそ生徒とは圧迫感の違う大きな姿が割り込んで、二人はそれぞれ表情を引き締めた。

道場の端、少し奥まった出入り口から現れたのは、言わずもがな、拳闘の教官であるユーリ・ラキウスと、その背中に隠れそうになっているマキだった。

「……なんか、他の連中と違くねぇ?」

生徒たちは、それぞれが身体に馴染んだ道着を着込んでいて、それは多分マキにも言えるのだろうと、二人はしきりに首を捻りながらも思う。実際、フィールドで待つ生徒たちは白や青や黄色などのカラフルな、動き易そうな衣装を身に着けていて、教官であるユーリでさえそうなのだ。

だが、マキはどうだろう。

当惑と緊張に支配されたフィールドを凝視して、ジンもリックも息を詰めた。

       

       

ユーリがマキを伴って道場に姿を見せた瞬間、振り返って一瞬笑顔を作った生徒たちの表情が、酷く不審げなものに変わる。まぁ、それは判らないでもないかとユーリは、慣れているから、苦笑と共に一人納得した。

マキを含め全部で十五名になった拳闘科の殆どの生徒たちは、この実習時間をそれぞれの道場で着用している道着で受ける事になっている。そうすれば、一目で流派が判るという利点があるからだ。

大会で使用されるのは、王都警備軍でも採用している「十式」という基本組み手なのだが、防具を着けるフルインパクトのフリースタイル競技はその限りでなく、セントラルの拳闘科は高等部になると、大人もエントリーする大規模格闘技大会に参加する事が出来るようになる。その為に常日頃から異種組み手の時間も取っているので、道着の種類で相手の手を読む訓練にもなる。

が、しかし。

概ね、道着というのは固く丈夫な織物でゆったりと作られている。袷になっている上着タイプと、ただ被るだけのプルオーバータイプくらいには分かれているが、ボトムとセパレートになっていて動き易そう、という共通点があった。

色も様々で、ラインが入っていたり、刺青のように背中に派手な刺繍があったりするのだが、ユーリの背後からひょいと顔を覗かせたマキのそれは、まるで他と違っていた。

色は、生成りと黒の二色。生成りの下着はスタンドカラーで、手首の辺りに紐が縫い付けてある長い袖を適当にたくし上げ、器用にその紐でぐるぐる巻きにして丈を調節する。ボトムも同様に足首に紐が着いていて、膝下で締め上げてあった。そして、その上に袖のない一重の真っ黒な長衣を被り、腰の部分に黒い組み紐が二重三重に巻きついている。長衣の丈は膝よりもやや下で、身体の両脇に深い切れ込みがあった。

「今日からようやく合同に参加する事になった、マキ・スレイサーだ」

言いつつユーリは、自分の背中に隠れているマキの頭にでっかい手を載せて引き寄せ、ぐるぐると撫でながら前に押し出した。

それで、マキがはにかんだように俯いて、ぺこりと頭を下げる。

「教官」

と、一番最初に反応を示したのは、件のラドルフ・エルマだった。

そもそも拳闘科では高等部三年を抜いて纏め役的立場にあるラドルフの発言に、誰もが耳を傾けている。その様子を碧の瞳できょろりと見回す、マキ。

道着のこなれ方や見た目で判断するに、確かに弱そうな生徒はいないけれど、「強い」と言うほどのものもない。今発言した上級生はまぁまぁ出来そうだと思うが、それにしても、学生の拳闘大会程度の実力だと思う。

ラドルフがユーリに何か話しかけているのを右から左に聞き逃しつつ、マキは改めて一塊りになっている生徒たちをじっくり観察した。中等部からは自分を入れずに五名、高等部からは九名の参加者がいる。

どの顔も怪訝そうにマキを見返しているのだが、それは別に気にならなかった。そもそも、見た目少年はとてもじゃないが強そうにも、拳闘士にも見えないから、どこに行ってもこんな顔をされる。

「マキ」

ユーリの太い声で呼ばれて、マキは慌てて教官を振り向いた。

「お前、今道場で「何」やってる?」

それに、すごく乱暴な訊き方だと苦笑を漏らしつつ、マキは五指を目一杯広げた右手を差し出し、少し置いて、指を一本折り畳んだ。

「―――五式四段か…。十式の基礎組み手なんか…覚えてるか?」

少し困ったように眉を寄せたユーリが、頭の後ろで一つに括っているブラウンのウエービーヘアをがしがしと掻く。顎の平たい四角い顔に無精髭で、この粗野な動作。でかい全身からひたひたと滲み出す男臭さに、マキは妙な新鮮さを感じた。何せ少年の知っている「警備兵」といえば兄たちだったりその恋人だったり、傍若無人傲岸不遜が売りの魔導師だったりで、およそ見た目は「軍人」らしくない優男揃いなのだ。

全く記憶にない十式の基礎組み手など掘り起こす努力もない少年が、涼しい顔でぷるぷると首を横に振りユーリを少し疲れさせ、ラドルフの顔を顰めさせる。無言ながらも、覚えてないものは思い出せないに決まってるじゃないか。的空気を感じ、本丸警邏部に所属していた元近衛兵は、やっぱりこれはあの「スレイサー一族」なのだと納得した。

「じゃぁ、とりあえず前半は十式の基礎からやり直しだな。組み手は後半でいいだろ」

少し弱ったようにへらりと笑ったユーリがそう言って、何か言いたげな表情のラドルフを生徒たちの方へと追い返す。

いつも通りに。と適当な感じに言われてすぐ、上級生が中心になり準備運動らしいものが始まった。果たして、それに混じっていいものかどうか迷ってきょろきょろするマキの肩を軽く叩いたユーリは、少年を壁際へと誘う。

「学生の十式、相手出来るか?」

板目も美しい…人工だから結局は印刷なのだけれど…壁に背中を預けて床に座るなり、ユーリは生徒たちの準備運動風景に視線を据えたまま、ぽつりと呟いた。その問いそのものがなんだか可笑しくて、マキはちょっと頬を緩めてしまったが。

「なんというか、セントラルもある意味厄介なのに目を付けてくれたモンだ。スレイサーにとっちゃ、学生に勝つなんてのは造作もないんだろう?」

俯いて面倒臭そうに言いつつ首の後ろをがりがり掻くユーリの隣で膝を抱え、マキも今度は少し困惑を混ぜて苦笑した。確かに彼の言う通りだと思う。特に目立った訳でもなく、目ぼしい拳闘の大会になど初等部後期に入ってからは一切出場して居ないにも関わらず少年にセントラルのスカウトが来た理由が、未だに判らない。

「…さっきの上級生な、あいつが、スレイサー道場の門下生と組み手したいって言い出してんだが…、どうだ?」

問われて。

マキが、準備運動から簡単な型を攫うのに移っている生徒の群れを見遣る。

問題の上級生ラドルフは、下級生に足運びを教えている最中のようだった。まぁ、その時点でもそこそこ動きは悪くないが、どうも…。

んー。と難しい顔で眉間に皺を寄せたマキが首を捻ると、その視界の片隅で、何か黒いものがすうと流れた。

それに気を引かれて視線を水平に少し動かせば、下級生を纏わり着かせたラドルフから少し離れた場所で、上下とも黒い道着の生徒が一人、酷くゆったりとした動きで型を攫っている。

マキは、問題のラドルフではなくその上級生を食い入るように見つめた。思わず瞬きを止めてしまう程に惹き付けられたのは、幼い頃、当時の大師であった片親と一番上の兄が、本気で殴り合いの喧嘩をした時以来かもしれない。

いいや。あれは喧嘩ではない。真剣勝負だった。

それほど稀な事ではあったが、マキは間違いなくその、誰にでも真似出来そうなゆっくりした速度で停滞なく続けられる基本の型に見入った。背丈に見合う長さの手足。やや薄く感じる身体はしかし無駄のない筋肉に覆われているのだろう事が見て取れたし、何よりも、緩い動きでもふらつかないバランス感覚と低い重心の取り方、身体全体に配られた気の張り方が美しいと思う。

マキの師に比べればそれはまだ荒削りであったけれど、学生の拳闘レベルからは頭一つ抜きん出ているかもしれないと少年は考えた。

それで、セントラルに来た甲斐があったとマキは嬉しくなる。ただ自分より強いだけの者なら、自宅に幾らでも居る。そうではなくて少年は。

少年は。

両親や兄たちのように護るものを得て護るべく、この都市を、人間の醜さも美しさも全てを知った上で護り通すのだと誓う。

都市には、自分を捨てた両親と、自分を愛してくれる家族が、同じように暮らしている。

だから、マキは反対する親友も難色を示す両親も振り切って、セントラルへの転入を希望したのだ。早いうちから都市の全部を見たいのだと訴えた少年の味方は当初、セントラル出身の双子の兄だけだったが。

嫌な事も辛い事もたくさんあればいい。もっと、尊敬出来る人がたくさんできるといい。それ以上に楽しい事、嬉しい事があって、自分を判ってくれる人と出会えればいい。

マキの見つめる先にあるその人の纏う空気は、少年の尊敬する師…兄…に似ていた。

  

   
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