■ 前へ戻る   ■ まだロリポップのお年頃ではあるけれど。

      
   
   

EX+2 最強ロリポップ

   
         
(8)

     

『何よりも大切な友人との、穏やかな時間を過ごすために。

誰よりも大切な恋人との、甘くほろ苦い至福の時を共有するために。』

    

      

暖めたティーカップは染みひとつない白磁。その縁に控え目に流された黄色と、底に小さく描かれた蒼い花がふんわりと優しい印象を醸し出していて、その拙い線画はソーサの縁にもひらりと踊っていた。

渋さを控えた紅茶には、砂糖を入れずに輪切りのオレンジを沈める。立ち上る気泡が琥珀の表面で弾ける度、微か、清々しい柑橘系の甘い匂いがした。

それだけで既に感涙ものだった、アフタヌーンティータイム。ルシアはプロのウエイター顔負けの手際でそれぞれに紅茶を給仕してから、勿体付けるようにして銀色のトレイをテーブルに置く。

並んだ四つのプレートに。

白と、黒の、四つのケーキ。

「黒い方がチョコレート。一層目と二層目はプレーンなスポンジで、最下層はメープルで甘味を付けたビスキュイ。挟んであるのは、ナッツのクリーム。表面のチョコレートには少しだけリキュールを混ぜてほろ苦くしてある。

白い方は、ホワイトチョコ。最下層のビスキュイは同じだけど、一層目と二層目のスポンジはカフェ風味で、挟んであるのもコーヒークリーム」

言葉もなく目をきらきらさせている少年たちの前に差し出されたのは、円筒形の、やや小振りなケーキが、白と黒それぞれ二個ずつだった。

デザインは至ってシンプル。ごてごてとした飾りなど一切なく、ただ、完璧な滑らかさを誇る表面に淡い金と淡い緑で描かれた、無秩序に走る格子模様が控え目でありながらしっかりと存在感を放っていて、とても美しかった。

天辺から皿まで完全にチョコレートコーティングされていて、一見しただけでは複雑な味を理解するのは難しい。それを丁寧に説明するルシアはなんだか嬉しそうで、ケーキを見つめる少年たちの顔も、喜びに輝いていた。

「チョコレートの表面は普通の飴で、ホワイトの表面はミントだよ?」

召し上がれと差し出されて、四人は思わず顔を見合わせた。

四人で、四個。

味は二色。

これは…。

「……どんな試練?」

思わず難しい顔で眉間に皺を寄せたカナンを、ルシアが笑う。

どちらかなんて選べないよと泣き言を並べつつテーブルの上のケーキをためつすがめつしているカナンと、こういう扱いには慣れているから苦笑いしているジンとリックの顔をぐるりと見回し、マキはとりあえず紅茶を一口飲んでみた。あっさりした甘さの中にふと香るオレンジが、忙しない時間からゆったりしたティータイムへの切り替えを促しているようで、それにも、凄いと感心する。

ルシアはプロフェッショナルなのだとマキは思った。

彼は、誰もがほっと息を吐く瞬間を提供する専門家だと。

嬉しくなった。

紅茶を飲んで緩やかに笑みを浮かべたマキは、ぱっと手を挙げてチョコレートのケーキを手に取った。柑橘系のお茶にナッツのクリーム…。考えただけで頬が緩むような、美味しそうな取り合わせだと思う。

「マキ、チョコ? じゃぁ、ボクもー」

マキと同じケーキに手を伸ばすカナンを見てから、残った白い方をジンとリックがそれぞれ引き寄せる。

と。

マキはルシアに向き直り、顔の前に垂直に掌を翳して、それで何かを切るような仕草をしてから首を傾げた。

「…今ナイフをあげるから、半分ずつ味見してね」

ぱちりとウインクしたルシアに、マキが満面の笑みを返す。

自分の手元のケーキだけでなくもう一色も食べたいと思うなら、分け合えばいいのだ。

体裁の美しいケーキにナイフを入れるのは勿体なかったが、ケーキとはそもそも見た目が問題ではないから…まぁ、大切な要素ではあるけれど…、ルシアは迷いなくそれぞれの前に置かれた小皿の中の円筒形をふたつに切り分けてやった。それで四人は白と黒とを交換し、改めて、ルシアにいただきますを言う。

「ぼく、もうちょい甘くてもいいなぁ」

「甘さ控え目は大人の味だからねぇ、委員長」

「…それは暗に、ぼくが子供の味覚だと言いたいの? マツナカくん」

わざとのように棘のある声で言われて、リックは笑いながら「怖ぇ、委員長」と言い返した。

ふざけあうリックとカナンを笑っているようにして、ジンの意識はマキに向けられている。その瞬間、を見逃してはならないと、少年は思った。

その、瞬間。

マキが、室内灯の淡い光と窓から差し込む陽光を躍らせる金色の華奢なスプーンで一口分のケーキを掬い取ってから起こる、瞬間。

       

瞬間。

      

ぱくり。とチョコレートケーキを口に入れたマキは、何かに驚いたようにぱちぱちと瞬きしてから、手元の皿に残っている白と黒をまじまじと見つめ、その後でようやく。

      

ふ。と、微笑んだ。

      

きらきらの碧をほんの少しだけ眇めて、つやつやの桜色にはにかんだ笑みを載せて、白い頬をほんのりと上気させたマキの横顔を目にして、ルシアはこれ以上ないほど満足した。

いい香りがするでしょう? 甘くないけど美味しいでしょう? 舌触りも悪くないでしょう? 用意されていた質問などどこかに吹っ飛んでしまった、つまりは惚けたような気持ちで見つめるマキは、ゆっくりと味わうようにフォークを動かしている。

濁りのない碧に映る白と黒のドルチェ。それをどう感じているのか、マキは薄い笑みを絶やさずにいた。

ただ、それだけではあるのだけれど。

じんわりと漂って来る幸福感に、見つめるルシアの頬も緩んだ。煩く感想など尋ねる必要などどこにもない。見ているだけで、誰にも判る。

無言を貫く少年の、美味しいと嬉しいが、そこに居るだけで。

じっと凝視していたからなのか、チョコレートケーキを半分ほど口に運び終えた所で、マキはふと顔を上げた。それで目が合ってすぐに零れたぴかぴかの笑顔に、知らずルシアも笑みを返している。

いつもは口煩く新しいドルチェについての感想を強要してくるルシアの大人しいのに、リックがジンにちらりと視線を投げた。それを受け取った幼馴染は、行儀悪くも使いかけのフォークの先で、佇む片親を指してから、わざとのように肩を竦めて見せる。

もうゆるゆるの笑顔でマキを見つめているルシアの横顔を、リックが声を殺して笑った。

       

      

『何よりも大切な友人との、穏やかな時間を過ごすために。

誰よりも大切な恋人との、甘くほろ苦い至福の時を共有するために。』

       

      

この名も無いケーキがカフェ・コーダ5号店数量限定週末専売となり、そのほんのり甘くてほろ苦いささやかな贅沢を求めた人々が長蛇の列を成すのは、まだ、少し先の話ではあるけれど…。

2008/11/21(2010/02/10) goro

  

   
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