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EX+2 最強ロリポップ |
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『ヒューへ お仕事がんばってますか。 ぼくも、勉強がんばってます! でも、がんばりすぎてアンさんに心配かけないでね? これから学園祭とか色々あって、ますます学校が楽しくなりそうです。 マキ』
午後は全員で公用語の勉強をする事にした。 公用語は、浮遊都市間で行われる通信などに使用されている世界共通語で、連盟理事都市に名を連ねるファイランでは必須科目になっている。 そもそもファイランは癖の強い独自言語を使っていないため、公用語と似た形態の言語圏であると言ってよかった。しかし、細部には差異が見られたから、逆に混乱しやすいという難点もある。 四人の中で公用語の成績が最もいいのはリックだった。少年が生まれた時オル・マツナカ家はすでに貴族でなかったが、いつか階位の復活を夢見る両親に公用語の家庭教師を付けられていたのだ。 まずはヒアリングからやってみようという事になって、先生であるリックが問題を読み上げ、他の三人が質問に対する回答を公用語で書く。広い公園内ではぐれた友人を探すという、旅行でもしなければなんの役に立つのか判らないシチュエーションの質問を繰り出すリックをからかいつつも、問題は進んだ。 リックの見たところ、聞き取り能力はジンとマキがほぼ同等という、意外な事実が判った。少年が質問し、一呼吸も置かずに二人は回答を書き始める。始まった途端眉間に皺を寄せて唸り出したカナンは、そっとしておいてやろうと思うが。 またもやタネを明かすなら。 公用語。政府機関の関係者ならば使えて当たり前の言葉。とくれば、マキの周りには幾らでも居る。殆ど城住まいと化した長兄は言わずもがな、最近は連盟中央府を通して他の浮遊都市にまで映画ソフトの配信を始めた関係上二番目のムービースターもある程度は話せたし、三番目と四番目の双子はそれこそセントラルの主席だった秀才だから、当然のように堪能。おまけに、兄たちの恋人もそれぞれそれなりの理由で公用語を使いこなす。となれば、じゃぁ、今日はかわいい末っ子のお勉強のために公用語で会話しましょーとか、普通にやってくれる。 だがしかし。ここに、微妙な落とし穴が…。 「ジンの正解率はいつも通りで問題なし。で、マキちゃんはスペル間違いが多くて、配点が下がっちゃう傾向と」 ここでもあえてカナンの話題に触れないリックを、当の委員長が藤色の双眸を細めて恨めしげに見ている。もう情けなくて涙も出ないのか、委員長はその後、ばた、とテーブルに突っ伏してしまった。 「ヒアリングテストは配点が高いから、確実に押さえておきたいところだね。じゃぁ、どうする? リック」 特に、これ。とでも言いたげに指差された、カナンのプラチナブロンド。 「マキちゃんは、死ぬほど単語の書き取りしたら解決だよ。会話としては理解出来てんだよね? マキちゃん」 言われて、カナンの頭をぺたぺた触っていたマキが慌てて振り返り、うん、と頷く。その様子がおかしくて、ジンはテーブルに頬杖を突いた姿勢で小さく笑った。 そう。マキの親切な兄たちとその恋人たちは、書けなくたって話せれば大抵の問題は切り抜けられる! という理由で公用語会話はきっちりと教えてくれたのだが、筆記に関しては全く手を付けていなかったのだ。 だから答えそのものは合っているのだが、スペルが間違っていて配点が下がる。 っていうか死ぬほど書き取りって、どのくらいやればいいんだろう。マキは一抹の不安を抱きつつ、少年の端末に何やらソフトを差し込んでいるリックを恐る恐る見た。 「はい。これ全部終わったら、マキちゃんも教養クラスに転向出来るかもよ?」 手渡されたテキストのタイトルを見て、今度はマキがばたりとテーブルに突っ伏す。 「…「デキる! 公用語のポイント10,000語」…。「今すぐ使える会話タイプ単語練習帳☆ 一つの単語を10回書くだけ!」、って…」 投げ出された端末を覗き込んだジンが溜め息混じりにそれを読み上げると、マキは涙目で少年をじっと見つめ、くすん、と鼻を啜った。一万語を十回ずつだなんて、書いた傍から最初の分を忘れる。 「…こ…この中からテストに出そうな単語を選んであげるから、全部は書かなくていいよ、マキくん」 慌ててマキを慰めるジンを笑いつつ、リックはカナンを連行してソファに移動し、目の前に何枚かのロムを重ねて置いた。 「はい、委員長はこっちね。このヒアリング学習ソフト貸したげるから、必死になって聞き取りしような」 なー。と言い直し、マキに弄り回されて乱れたプラチナブロンドをますます乱すようにぐるぐると頭を撫でるリックを、カナンはやっぱり情けない表情で眺めた。 「意外と容赦ないよね、リックて…」 「容赦してたら成績なんか上がんないって。はい、ぶつぶつ言わずに始める始める」
必要以上に気合いの入ったドルチェを一階の厨房で仕上げたルシアが二階に戻ると、まず目に入ったのは、完全にテーブルに額をくっ付けた状態で、しかし何かに操られているかのように空中でペン先を動かしているマキの屍と、ソファに丸くなって両手で頭を抱え、ローテーブルの上に置かれたヘッドフォンから目一杯身体を逃がして怯えているカナンの姿だった。 どんよりと沈んだ空気に圧されつつ室内にルシアが踏み込むなり、ソファに転がっていたカナンとテーブルに突っ伏していたマキが同時に顔を上げる。どちらもやつれて見えるのは、決して気のせいなどではないだろう。 助けて…。な感じに見つめられて、ルシアはカバーを掛けたトレイを捧げ持ったまま当惑した。息子たちがどれだけスパルタに勉強を教えたのか、はたまた、二人のもの覚えが物凄く悪かったのかは想像出来ないが、こんな風に縋られては無視も出来ない。 「……、ほ、ほらっ! 根を詰めすぎるとかえって頭に入らないって言うし? この辺にして、おやつにしたら?」 憐れな生贄を追い詰めるゾンビのように、新しい単語を模索中のジンと新しいヒアリングソフトをヘッドフォンに繋いだ端末に押し込んでいたリックが、ルシアの声に気を引かれて顔を上げた。 瞬間、である。 瞬きの隙間を縫うようにして椅子から転がり落ちたマキと、ソファの背凭れに身体を擦るようにして乗り越えたカナンの陰影が狭くない室内に孤を描き、あれよあれよと言う間にルシアの背後に回ったではないか。 セントラル実技クラスのエリートを舐めてはいけない。 さすがこれには、ジンもリックも、ルシアだって驚いた。いかに運動神経抜群だと言われていようとも、教養クラスの二人ではここまで静かに素早く行動出来ないだろう。 トレイを捧げ持った人を驚かせてはいけないと思ったらしく、さすがに背中に縋り付きはしなかったものの、うるうると目を潤ませたマキとカナンは、甘い香りを振り撒いているルシアの背後にぴたりと寄り添い息を詰めている。 硬直したルシアと、マキとカナン。三人を一呼吸の間見つめたジンとリックが、ゆっくり視線を旋回させて顔を見合わせ、ふーっと息を吐いて肩を落とした。 「判ったよ。今日はここまでにしよう」 「その代わり、テストの一週間前は放課後も勉強だからね? 判ってる? マキちゃんも、委員長も」 涙目威嚇攻撃にあっさり屈した息子たちから手を取り合って小躍りしているマキとカナンに視線を移し、ついつい口元を緩めてしまう、ルシア。その姿は、ジンたちと同い年とは思えないほど可愛らしい。 「はいはい、じゃぁ、テーブルの上を片付けて、手を洗って、席に着いて。今日のドルチェは僕の気分と同様、最高の出来だからね」 捧げ持っていたトレイを軽く下げて見せると、マキとカナンは慌ててテーブルに戻り、散らかしていたテキストや端末を纏めてバッグに突っ込んだ。その、どことなく男の子らしい大雑把さにまた少し微笑ましい気分になる。 「日曜日はマキちゃん、ダメなんだよね」 ルシアがお茶を淹れる傍らに滑り込んで来たリックが手を洗いながらカウンターの向うのマキに問うと、少年は波打つ金髪をぱらりと散らして振り向き、ちょっとだけ眉を寄せて申し訳なさそうに頷いた。 「いつもダメ?」 ううん。と首を横に振る、マキ。 「今週だけ?」 うんうん。と何度も頷く、幼い仕草。 入れ替わり立ち代わりシンクに寄る少年たちの最後にやって来たマキは、きちんと手を洗ってから、カウンターの上に置かれていた銀色のトレイを背伸びして取って、にこにこしながらルシアに向き直った。 「…お手伝い、してくれるのかな?」 やはり、少し待っても何も話そうとしない少年に小首を傾げてルシアが言うと、マキが殊更明るい表情でこくんと頷く。 「嬉しいなー、なんか凄く嬉しい。うちの息子と来たら、リオンと並んで偉そうにしてるばっかりで、全然お手伝いなんかしてくれないんだもん」 わざと軽い調子で言ったルシアを、ジンがじろりと睨む。勿論本気でなかった片親はそれでますます笑い、マキも口元の笑みを濃くした。 捧げ持たれたトレイに暖めたカップとオレンジの砂糖漬けを並べたガラスの器を載せてやると、マキがやや緊張したような表情でゆっくりテーブルへ向かって行く。 「ジン、ティーポット運んで」 かちゃかちゃと茶器の鳴る合間にジンを呼び寄せたルシアの手元を、カウンターの内側に入って来た少年がひょいと覗き込んだ。 「予想通り、いい出来だね、パパ」 「宣言通りの出来というんだよ、こういう時は」 「これ、お店で出せるんじゃない?」 「商品にするには、ちょっと手間が掛かるのが難点だな。他の手軽なドルチェに比べたら、価格も二割は高くなるだろうし」 「いいレアリティだと思うよ?」 カバーを取り去られたトレイに並ぶ、美しいドルチェ。ランチの後の短時間でどうやってここまで完璧に仕上げたのかと思えるそれを目にして、ジンはしょうがなさそうに笑った。 「いい感じに創作意欲が刺激されたみたいだね」 ジンが思うに、ルシアは料理人というよりも芸術家気質が強く、何ヶ月も平凡な主夫業に没頭していたかと思えば俄かに家庭を顧みずキッチンに閉じ篭るような、そんなタイプだった。 それでも店の商品は数ヶ月ごとに入れ替えなければならなくて、半ば義務的に見た目も美しく美味しいドルチェを…嫌々ではないが、どこか冷めた表情で開発するのだが。 「健やかな少年たちと捻くれた息子たちを見ててね、いいバリエーションだなーなんて思ったから」 ははは、と殊更機嫌よく笑ったルシアが、円筒形の華やかな菓子を指差す。 「それで、出来上がりがこれだなんて、僕には一生芸術家の感性は判りそうもない」 言って肩を竦めたジンは、さっさとティーポットを持ってカウンターの中から出た。
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