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EX+3 学祭タイフーン |
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『ヒューへ 友達がたくさん出来ました! 拳闘科の上級生にも、可愛がって貰ってるよ。 ラドルフさん(女王杯学生リーグで二連覇したっていうから、もしかして知ってる?)がやけにボクと組み手したがるのだけがちょっと困りものだけど、そこはユーリ先生とカナメさんがなんとかしてくれています。 ジェイが傍に居てくれないのは寂しいけど、学校はすごく楽しいです! マキ』
なんとなく恨みがましいラドルフの視線を背中に感じつつ、カナメはコートの端に立って腕を組み、目前で翻る細い手足を見ていた。 「……そこ、腕と脚の運びが噛み合ってねぇぞ」 カナメがそう指摘するなり、彼の正面で演舞を攫っていたマキがきょとんと碧を見開いて、自分の足元に視線を落とす。何がどう違うのか判らなかったのだろう、少し巻き戻して三手ほど前からやり直してみたものの、少年の手足の運びはやっぱりおかしかった。 むう。と眉間に皺を寄せて難しい顔をしたマキを見下ろしていたカナメは、さっくりと突き刺さって来るラドルフの視線が逸れたのを機会に、目前の少年に休憩を言い渡した。水分を補給しようと誘い、生徒達の間を巡回していたユーリに軽く会釈して道場から抜け出す。 ミネラルウォーターの自販機は、階下の室内プールと道場を繋ぐ階段の踊り場に置かれていた。そこは、一口に踊り場といっても休憩所を兼ねた広いスペースになっていて、三列に長椅子なども置いてある。 「なぁ、マキ」 ミネラルウォーターのボトルをマキに投げて渡し、それから自分の分を手にして、長椅子に座り込んだ少年の脇に腰を下ろす。 少々沈んだ声で、しかし親しげに呼びかけられたマキは、唇に置いていたボトルを離して小首を傾げつつカナメを振り仰いだ。最初の実技以降、なぜだか…とは、カナメだけの疑問なのだろうが…少年はやたらこの上級生に懐いてしまって、あれから二ヶ月、拳闘科ではすっかりカナメとマキはコンビ扱いになっていた。 「さすがに、そろそろラドルフをどうにかしねぇとなんねぇ時期じゃねぇか?」 室内プールからの歓声と水音が、薄幕一枚隔てた向こうから聞こえる、奇妙な「静寂」。無音ではないのにひたりと沈んだその空気をカナメは、腕が触れ合いそうな程傍に座りじっと身じろがずに居る少年の発する緊張だと思った。 もうこれ以上先送りには出来ないだろうとか、ユーリに相談してみるかとか。マキと自由組み手で対戦したがるラドルフをのらりくらりと躱すのも限界だなと感じていたカナメはしかし、少年が狙っているのはタイミングであって迷っている訳ではないと、漠然ながらそう思っていたので、それ以上余計な言葉を連ねようとはしなかった。 無関心そうに訊ねるだけ訊ねて返答を促しもしないカナメを見つめていたマキが、不意に固かった表情を緩めて、ぱっと両腕を広げ傍らの上級生に抱き着く。 「う…わっ!」 その不意打ちに本気で驚いたらしいカナメが奇妙にひっくり返った声を上げると、マキは黒い道着の胸元に耳を押し付けるようにして、くすくすと笑った。 「だから、脅かすなつってんだろ! それと、所構わず抱き着くなって!」 マキが過剰なくらいのスキンシップ好きで、尚且つ、家族やごく親しい周囲の人間も、必要な事柄さえ口に上らせない少年の頑なな心に少しでも近付こうとするかのように過剰に輪をかけたスキンシップで答えているらしいとカナメが知ったのは、本当に偶然だった。 ランチの時間、滅多に教室から出ないカナメがラドルフに誘われて中庭に赴いてみれば、そこにはマキと友人たちが芝生にシートを広げて食事をしていて、彼らはまるで全員が全員少年の恋人か何かでもあるように髪に触れ、頬に触れ、手を握り、少年もまたそれに答えて零れるような笑みを見せては、何の躊躇いもなく抱き着いていた。 その光景は最早中庭では珍しくもなくなっていたが、始めて目にしたラドルフとカナメはさすがに硬直する。 それで。 そこで話が済めば問題はなかったのだが。 マキは、ある意味当然のように、ラドルフとカナメに気付く。 それで。 会釈する程度ならば問題なかったのだが。 マキは、ぱっと弾けるように立ち上がるなり呆然とする上級生に駆け寄り、手前に居たラドルフには笑顔で会釈したにも関わらず、だ。 カナメには、体当たりする勢いで抱き着いた。 そこで叱らなかったのが悪いのか、引き剥がせなかったのを拒否しなかったと取られたのか、この些細な騒動以降マキの中でのカナメの扱いは、「ごく親しい人」になっている。 「何が嬉しいんだか知らねぇけど、自分でどうにかするつもりはあんだろ? だったらさっさと…」 ラドルフとの組み手防止に毎回カナメの所にマキが逃げ込むものだから、最近カリスマの視線が痛いのだ。初参加から二ヶ月、途中実力テストでの中断を挟んだせいで多少の足踏みはあったとしても、最早「演舞の手順を攫っておかないとダメだから」などという底の浅い理由で自由組み手に参加させないのも、限界だ。 ラドルフが直接何かを言って来た訳ではないし、事の推移を見ているユーリが何か問うて来た訳でもないが、どこもかしこも学園祭前でそわそわした空気の中にあって友人の放つ気配だけが日に日に不審げなものに変わっているのを感じていたカナメからの一言に、こちらも、そろそろどうにかしないとと思い始めていたマキは、やんわりと押し退けられるまま黒い道着から離れた。 でもこれは、拒絶ではないと少年は思う。 だから、嬉しい事があったら次だって迷わず抱き着くだろう。 まだ半分以上中身を残したミネラルウォーターのボトルを掴んで、もう一方の手でカナメの道着の袖を握り締めたマキは、ふかふかと微笑んだまま長椅子からぴょんと立ち上がった。その勢いに引っ張られて腰を上げたカナメの不思議顔など意にも介さず、少年は軽快な足取りで道場へと引き返し始める。 まさか今日これから自由組み手に参加するつもりなのだろうかと一瞬眉間に皺を寄せたカナメに、階段の二段上で振り返って短く見つめたマキが、すぐに笑顔を見せる。だから少年には何か考えがあり、対峙してしまえばこれはカナメには立ち入れない問題になるのだからと、彼は腕を引っ張られながら諦め気味の息を吐く。 すると突然歩みを緩めたマキが、少し不安そうな顔でカナメを見上げて来た。既に短い階段は終わり、道場の入口は目の前に迫っている。 「…違う。別に、マキに呆れてるワケじゃねぇ」 袖に縋りついたままのマキの手を巻き込んで、カナメは乱暴な手付きで華奢な下級生の金髪を掻き回した。というか、そんな事をしながら、果たして自分は何をしているのだろうかと内心がっくり肩を落としているのだが…。 ラドルフとマキの問題など、当事者同士でどうにかすればいいと思う。それに不用意に首を突っ込むつもりもないし、そもそも、何があっても強固に口を開こうとしない下級生の面倒など見るつもりもなかった。 なのにマキは懐いて来る。 構ってやれば零れんばかりの笑顔を見せて嬉しそうにする。 少しでも迷惑だという素振りを見せると明らかに落胆する。 そして。 何の未練も見せずに少し寂しそうな顔で力なく微笑み、すうと相手の間合いから遠ざかろうとする。 周囲の気配に聡過ぎるのか。極端に、嫌われる事や疎まれる事を恐れているのかもしれない。だったら決定的にそうなってしまう前に身を退くというのは、この少年のスタイルではないと思うのだが…。 「女王杯二連覇の王者がなんでこんなちびっこに拘るのか判らねぇよなぁと思ってただけだ」 もう一度がしがし金髪を撫でながらわざとのように言ってやると、マキはきゅっと唇を噛んで眉を吊り上げ、頭の上に置かれたカナメの手を振り払おうともがいた。カナメがマキに対して時々使う「ちびっこ」というのがどうにも気に食わないのだ。 空を切る細い腕を避けて一旦は頭から手を離したものの、またすぐぽすんと戻って来た大きな手の感触に、マキが殊更剣呑な視線をカナメの横顔に突き刺す。しかし、こちらも判っているものだから、涼しい顔を正面に向けて少年の抗議はきっぱり無視した。 それで結局マキは、頭のてっぺんに置かれたカナメの腕にぶら下がるような恰好で両腕を上げ、素知らぬフリの上級生に引き摺られて道場に戻るハメになった。
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