■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

EX+3 学祭タイフーン

   
         
(2)

     

『セイルへ

もうすぐ学園祭です。

ジンとリックは生徒役員会の中等部代表だから、とにかく色々忙しいみたい。委員長は二日目にラクロス実業団チームとの交流試合に出るんだって、なんかすごいよね!

初めての学園祭なので、とても楽しみです。

それで……その事でリセルが電信すると思うから、呆れないで相手してやってね。

マキ』

       

       

アラン・リウは今まで自分の事を取り立てて目立った生徒だと思った事はなかった。実際、成績もそこそこで顔も体つきも平凡、公立の初等院後期の終わり近くになっていきなりセントラルに推薦された時は確かに目立ちまくり、「自分スゴイかも」なんて有頂天になったりもしたが、意気揚々と進学してみれば周囲は自分の百倍スゴイ生徒揃いで、結局、大して目立つ事のないまま現在…中等部二年の中期中盤…に至る。

いや。

と、そこまでを超高速で考えてから、アラン・リウは自分の両肩に両手を置いて、嫌になるくらいクソ真面目な顔をしている相手を、ぼんやりと眺めた。

アラン・リウはその日、中等部二年の殆どの生徒が通るであろう階段の前で、死ぬほど目立っていた。しかし、セントラルに入学して以来始めて注目度満点の瞬間にも関わらず、気持ちは冷めている。

いやぁ。

「ホント、よろしくね、アランくん!」

肘から先だけの動きでばたばたと肩を叩く相手…錆色の赤毛を真正面から強風でも受けているかのように派手に後ろに流し、左右の耳にじゃらじゃらとピアスを光らせた、垂れ目気味の二枚目から視線を逸らさないまま、自動的と言って差し支えないだろうぎこちない動きでこくりと頷く、アラン。

途端、やや腰を屈めてアラン少年の顔を覗き込んでいたリック・オル・マツナカは、中等部二年とは思えない大人びた顔に満足げな笑みを載せ、ようやく身を起こした。

そのリックの笑顔の向こうで繰り広げられている光景を、アラン・リウはやはり夢見心地で眺めている。そうでもして現実から遠ざかっていないと、周囲から注がれる好奇心と敵愾心と一部の同意…これは主に実技クラスの連中からだと思われる…を含む視線に、耐えられそうもない。

呆然と佇むアランとやけに笑顔大盤振る舞いのリックを避けて流れる、移動する途中の生徒たちがちらちらと視線を投げている先では、いつ何時も崩れない完璧さでぴしりと制服を着込んだジン・エイクロイドが、資料を抱えてにこにこしているマキ・スレイサーに難しい顔を向けていた。

「いいかい、マキくん。嫌な事があったらちゃんとリウくんに「嫌だ」と意思表示するんだよ」

極端に濃い灰色の髪をぴっちりと整えた眼鏡の少年が、その細いフレームの端を指先で神経質そうに叩きながら沈鬱な声で呟く。

派手な感じに制服を着崩したリックの印象は、完全に軟派。片や髪型にまで一分の隙もないジンは、完璧な優等生。もしかしたら対極に位置するだろう二人はしかし、セントラルでは知らぬ者のない有名人だ。

そして、そんな二人にこれ以上ないくらいに溺愛(?)されているものだから。

華奢でちっこくてふわふわの金髪と大きな碧の瞳も愛らしいクラスメイト、マキ・スレイサーも、転入三ヶ月足らずでセントラルの有名人になっていた。

その後、ジンとリックからしつこいくらいに「マキくんは何もしなくていいように考えてくれ」と言い含められたアランの、最早魂の抜けたような横顔を覗き込んだマキが、本当に申し訳ないような表情をする。

精根尽き果てて、でもこれから拳闘科の上級生を説き伏せなければならないという重要任務が残っているアランに掛ける慰めの言葉は、マキにない。だから少年は、抱えていた資料を小脇に挟んで両手を自由にすると、その、少し力を入れたら折れてしまいそうな手で、だらりと身体の横にぶら下がっていたアランの手を包むように握り締め、胸まで持っていった。

「あ…い…ああああああああああああああああああああああああ…」

その、緊張で指先まで冷え切った手をふわりと包んだ温かさにはっと意識を取り戻したアランが、急激に頭のてっぺんまで真っ赤になっておかしな声を上げる。だって仕方ないだろう。思わず一歩後退り、しかし包まれた手を振り払う訳にも行かず、つまりは生徒の往来激しい階段の手前でマキは、アランの手をしっかり握ったまま彼の顔を見上げているのだから。

少し不安そうな顔で。

ぴかぴかの碧を翳らせて。

桜色の唇をきゅっと引き結んで。

こんな状況で、一体どうしろというのか!

「だ、だだだ大丈夫だマキ! どんな事があってもお前にイヤな事はさせないから!」

どうにでもなれというか、勢い言い切ったアランは反射的に空いている方の手をマキの背中に回して少年を抱き寄せようとした。そういう事が無意識にしたくなるような状況だし、それがきっと自然なはずだ! と訳の判らない結果に到達した上での行動だったのだが。

アランの腕が動いた瞬間、マキは少年の手をパッと離していた。それから、背中に回されるはずの手首に軽く裏拳を当てながら身体を横に引きつつ、一歩下がる。

結果。アランは不自然に両腕を広げたまま往来の真ん中に立ち尽くし、マキは何事もなかったかのような顔で佇んでいるだけだった。

「……さすが拳闘科…」

ばつ悪く苦笑いするアランの脇を通り抜ける生徒たちの口から洩れた溜め息交じりの台詞に、マキは小さく肩を竦めてうふふと笑った。

       

それでつまり、彼らに何が起こっているのかと言うと…。

       

拳闘科の生徒がたむろって居る席に近付いて腰を下ろしたアランが机にぐったりと伏せ、すぐ隣にマキが座る。拳闘科は高等部七名中等部生八名の計十五名で、今到着したマキとアランが最後だった。

「これで拳闘科(ウチ)は全員揃ったな」

科代表になる高等部三年の生徒がぱぱっと頭数を数えてすぐ、マキたちのように集まるもう一つの塊を擦り抜けて、前方に掲げられているスクリーンの脇に立つ数名の生徒たちに近付いて行く。

途中転入で学園祭は今年が始めてのマキは、興味津々といった風情で室内…教務校舎一階の小会議室内部を見回した。確かここに集められているのは拳闘科と、競技科と呼ばれている、陸上のフィールド競技で活躍する生徒たちのはずだ。

全学年教養十二クラスの生徒の大半は何らかの部活動に所属していて、当然ながら殆どが文系だった。何せこの特殊な学園における運動部というのは実技クラスの延長で、素晴らしくレベルが高いものだから、迂闊に齧る事も出来ない。そうなれば必然的に、文系クラブに所属する他なくなる。

事前に目を通して置くようにと渡された学園祭の資料を今更ながら机に広げたマキは、表示させた去年のプログラムを眺めて感心した。さすがは「セントラル」か。学生の文化活動発表の場とか呼ばれているが、放送部が製作した映画の上映や、大掛かりな舞台装置を使ったオペラの上演、大学院顔負けの科学実験が発表されたりと、イベントは盛り沢山だった。

その他にも、セントラルを目指す全ての学生向けに校内ツアーというのもあって、一部の運動部は一般公開日の二日目と三日目にデモンストレーションや交流試合などをプログラムしている。

なるほどねぇ。などと学園内地図付きの資料を眺めていたマキの視線が、ふとあるページで停まる。

「何? なんか判らない事とか、ある? マキ」

それまで机に突っ伏していたアランが、傍らの気配が動かなくなったのに気付いて顔を上げると、問われたマキはふかふかの笑顔を満面に浮かべてぷるぷると首を横に振り、学園案内を兼ねた地図の中央辺りを指差して、顔の前に翳した。

それで、つい拳闘科の生徒たちが一斉にマキを凝視する。

下級生から上級生までが一様に緩んだ表情で小さな少年の笑顔を覗き込んでいる奇妙な光景を、カナメは少し離れた席からぼんやりと眺めていた。

「ああ。それ、そういえば、スレイサーのお兄さんたちが作ったんだっけね。今も、学園祭の名物だよ」

最初に声を発したのは、カナメと一緒に少し生徒の輪から外れているラドルフだった。相手は上級生だし、しつこく組み手しようと誘われるのには辟易しているものの別にラドルフ本人には嫌悪感などないのだろうマキが、振り返って頷きながらはにかむように微笑む。

マキの指しているそれは、白くて馬鹿でかいセントラルの全景模型だった。しかも、素材は薄い合成樹脂板で、いわゆる「飛び出す絵本」のように折り畳まれているものを開くと、一瞬にして学園が出現する仕組みになっている。

それを学園祭の三日間で仕上げて最終日に披露したのが、「伝説の」スレイサー兄弟だった。

「そういえば、このオブジェってどこかに隠しサインがあるって噂だったよな。今まで誰も見つけた事ないけど」

だから噂。などと拳闘科の生徒たちが話し合う中、前方に集まっていた数名の生徒がぱんぱんと手を叩く。

「じゃぁ、全員揃ったところで始めるぞー。今年も、拳闘科と競技科は合同でオープンカフェを出店しまーす」

「…拳闘科と競技科合同のカフェは、毎年恒例なんだよ」

競技科の最上級生らしい少年がどこかのんびりした口調で言うなり、アランがマキの耳元に唇を寄せてこそりと耳打ちする。それにこくんと頷いた少年は、展開しっ放しの資料の地図にさっと視線を走らせた。

地図には、デフォルメされたイラストで展示案内が描かれていて、コーヒーカップとケーキで飾られているのは、マキたちが普段ランチに使っている中庭の緑地周辺だった。

「そういう訳で、今から呼ばれた人は前に出て来てくださーい」

何が「そういう訳」なんだろう。と、内情を知らぬマキだからこそ抱く疑問には誰も答えてくれないまま、最上級生の進行で話し合いは淡々と続く。

室内には、全部で三十名程の生徒が居た。その内半数は拳闘科で、残り半分が競技科なのだろうが、なんだか一部の生徒が妙に…きらきらというか、ちゃらちゃらして見えて、マキは机に頬杖を突き、その様子を窺うように目だけで室内をぐるりと見回した。

競技科の生徒たちは全体的にほっそりとしていて…投擲部門の数名は違うが…、制服をちょっとおしゃれに着崩している感じだった。そう考えると、自分たちは固いイメージだなと少年が少し笑う。それも仕方がないので、特に不満はないのだが。

拳闘でセントラルに選出される少年たちが硬派に見えるのは、幼い頃から厳しく躾けられている場合が多いからだろうと、それこそ七歳からそういった世界にどっぷり嵌っているマキは思った。

その間に、競技科の数名が呼ばれて前に出、広げられたスクリーンの前に並んでいる。果たして何の目的なのかマキには判らなかったが、ちょっと照れたような顔で次々出て行く生徒たちはどの顔ぶれもパッと見華やかで、つまり、カッコイイ感じがした。

「ラルゴ・ミン」

「はいはい。とーぜんだよねぇ?」

競技科で最後に呼ばれた少年がゆったりと立ち上がるなり、マキがきょとんと目を瞠る。長い飴色の髪を背中の中ほどまで垂らし毛先を緩いカールにした彼は、今まで呼ばれた誰よりも派手な、綺麗な顔立ちをしていた。長い睫に縁取られたチョコレート色の双眸が印象的だ。

が、しかし。

まぁ、そこそこ綺麗な人。というのが、ラルゴに対するマキの感想か。未だ座席に着いたままの生徒たちからは羨望の溜め息が洩れたが、少年にしてみれば、だ。

「あの程度」の綺麗さは、見慣れた「御方」たちの足元にも及ばない訳だが。

もしそのマキの内情を知ったなら、誰もが、目の肥え過ぎだと少年を羨んだだろう。何せマキの思う「美人」とか「綺麗な人」というのは、そもそも桁違いなのだし。

誰の事かは、推して知るべし。

「はーい、次は拳闘科から。ラドルフ・エルマ」

ラドルフの名前が室内に響いた途端、固まっていた拳闘科の面々からは「やっぱり」という空気が滲んだ。呼ばれた当人は特に気負いもなく、軽く手を挙げて席を立つ。

「カナメ・トキワ」

ラドルフの時は無反応だったマキだが、やや離れた場所に座っているカナメの名前には興味を引かれて、呼ばれた当人をちらりと振り向いた。

これまた「やっぱり」な空気の中、なぜかカナメは眉を寄せて不愉快そうな顔をすると、渋々といった様子で重い腰を上げた。明らかにわざとらしく洩れた溜め息にマキが不思議そうな顔をするなり、スクリーンの前に立っていたラルゴが、「カナメ!」と喜色に弾んだ声を上げる。

容姿に見合った澄んだ声で名前を呼ばれたにも関わらず、カナメはなぜかますます顔を顰めて、カールした毛先をひらりと躍らせ駆け寄ったラルゴをさり気なく躱したではないか。

「んもう、なんで避けるの!」

「…机が邪魔だったんだよ」

雑多に散らかった机の群れの前で足を停めたラルゴが、形のいい唇を尖らせて抗議するのをちらりとも見ずに、カナメは苦笑するラドルフの脇に並んで立つ。その顔は、面倒臭い事に今年も狩り出されたといわんばかりに、不機嫌に歪んでいた。

どう見ても冷たくあしらわれたにも関わらず、すぐ気を取り直したらしいラルゴがカナメに向き直り、笑顔で口を開こうする。

「今回の目玉は、拳闘科マキ・スレイサー!」

それを遮るような絶妙のタイミングで名前を呼ばれ、マキはラルゴとカナメを視界に納めたまま、きょとんと目を見開いた。

呼ばれた意味がさっぱり判らなくて。

ラドルフが妙ににこやかにマキを見つめた意味が判らなくて。

カナメが妙に渋い顔をした意味が判らなくて。

びっくり眼のままひと塊りになった拳闘科の生徒を見遣り、その顔が次々に「当然だろ!」とでも言いたげに綻び、アランだけが天井を仰いで十字を切った意味が判らなくて。

マキは、頭の周囲に疑問符を浮かべてぱちぱちと瞬きしながら、ことりと小首を傾げた。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む