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EX+3 学祭タイフーン

   
         
(4)

     

『アンさんへ

学祭は、楽しそうだけど、大変そうです。

マキ』

       

        

即刻拒否しなかったものの、マキはなんだかまだ訳の判らないような顔でその場に突っ立っていた。いやいや。その単純明快な事情は早くも脳の隅々まで行き渡っていたのだが、だからといってなぜ自分がミニスカートなのですか? という疑問がそれと押し合いへし合いしていて、身動きしたらそのバランスが崩れてしまいそうな気がしていたのか。

それで結局硬直したように見えるマキからラドルフ、マスターと視線を移動させ、最後に控えたラルゴには顔も向けずに、カナメが肩を竦めて嘆息する。

今や室内はマキの様子を皆が見守っているような状態だった。厨房に回されたアランなどは椅子から腰を浮かせて、ジンとリックに言い含められていたようにマキの意志を確認し、嫌だというなら自分が断わらなければならないのかと蒼褪めている始末だ。

そこでマスターは、マキの意識が復帰しないうちに話を纏めてしまおうと口を開きかけた。熟考してやっぱり嫌だなどと言われたら、不本意にもラルゴの機嫌を取って過ごさなければならない。

が、しかし。

「嫌なら断わってもいいんだよ」

アランにとっては有難く、マスターにとっては不都合な台詞を吐いたのは、ラルゴだった。

「確かに君だって似合うかもしれないけど、折角作った衣装嫌々着たら、被服部の人にも申し訳ないし?」

さり気なく近付いて来たラルゴに顔を覗き込まれて、マキが微かに身を引く。

あからさまに目立つのは自分だけでいいとでもいうようなラルゴの笑顔に、マスターが微か剣呑な表情を作った。それをチラリと見て、無言で見つめて来るカナメを見上げて、マキはちょっと思い悩むような顔をしつつも、なぜか、ぷるりと首を横に振った。

その意味が判らなかったのだろう室内に、探る気配。

カナメは、拳闘科では一番マキに慣れているだろう上級生は、ウエイトレスを拒否したと思い込んでぱっと表情を明るく変えたラルゴと、灰色の双眸に落胆の色を浮かべたマスターをきっぱり無視し、俯き加減になった少年に向き直った。

「…断わらねぇんだな」

怒っている訳ではないのだろうが剣のあるカナメの声音に、室内が「ほえ?」とでも言いそうな間抜けな空気を醸し出す。

ふっと息を吐いたマキが、呆然としているラルゴから一歩離れてカナメを見返し、にこりと微笑む。それからマスターに向き直ってもう一度微笑み、ぺこんと頭を下げた。

奇妙な静寂の室内を騒がすように、緩く波打った金髪がぱっと散る。小さな顔、長い睫、少し恥ずかしそうに頬をピンクにして、でも拒否するつもりはないのだろうマキは、じっと見つめて来るマスターの灰色を見返し小首を傾げた。

「え…っと…」

一言も喋らないマキを不審に思ったのか、マスターが手っ取り早く事情を説明してくれそうなカナメに視線を移して当惑した声を漏らす。その視線と気配を受けたカナメは、やれやれと肩を落としてから、マキ、とぶっきらぼうに声を掛けた。

腕組みしたカナメに戻る、透き通った碧色。

「もういっぺんちゃんと言うぞ?

お前、ミニスカート穿いて接客させられんだからな」

カナメの問いに、マキは、うん、と頷く。

「ただのスカートじゃなく、裾にひらひらしたもんのついた、膝より短いヤツだぞ?」

また、頷きだけが返る。

「問題ないのか?」

うん、と。

「嫌じゃねぇのな?」

うん、と。

「別に断わってもいいんだぞ」

今度は、ぷるぷると首を横に振る。

「本当にいいんだな」

しつこいくらいに訊かれて、マキはうんうんと頷いた。

顔を上げたマキとカナメが、無言で暫し睨み合う。

実の所、マキにはミニスカートを穿かされる事についてなんの問題も、抵抗もなかった。有る訳がない、と言った方がいいのかもしれないが。それよりも、そんな美味しい状況を蹴ったと、両親と二番目の兄に知れた後が怖い。

少年は幼い頃から非常に愛らしく、芸能界を引退した片親と現役人気俳優の二番目の兄と来たら、少しかわいい衣装があると嬉々として自宅に持ち込み、マキに着せては歓喜の声を上げるという、迷惑且つ倒錯的な趣味を持っていた。

その、少年が着せられる衣装の中には二番目の兄が映画の中で女装したものも多く含まれていて、だからつまり、スカートに対する抵抗感は皆無だった。さすがにそんな恰好で人前に出るのはちょっと恥ずかしい気もするが、似合うならいいか、というのが…マキの心情である。

あと。

最初はちょっとだけなぜ自分がミニスカートなんだろうと思ったものの、周囲を見回して見てみれば、まずラドルフやカナメがそんなものを着たら、正直気持ち悪い。綺麗な顔のラルゴ辺りは良く似合うだろうから、この選出は問題なし。その他に誰が似合いそうな人はと目を凝らすが、あまりしっくり来る生徒もない。

それで自分が選ばれたのならしょうがない。というのがマキの感想だった。実際マキは色が白くにきびの一つもないから、そういう恰好をさせても「おかしくはないだろう」と思う。

そう、マキの中で自分は「変じゃない」だけで、まさかマスターが渋る拳闘科の代表を「絶対似合う、絶対かわいい!」と説き伏せたと思っていない。

自分の中の疑問に折り合いがついてしまえば、後は別に気にすべき事柄はなかった。家族が口を揃えて言う言葉を借りるなら、マキはどうあっても長兄のようなモード系にも双子の兄たちのようなストリート系にもなれないのだから、これはもうカワイイ系を極めるしかない。

「じゃぁ、本当に着てくれるんだね!」

軽く寄り掛かっていた机から身体を離して、マスターが笑みを浮かべマキの顔を見つめる。それで少年はカナメから視線を外し、競技科代表にもうんと頷いて見せた。

「それじゃぁ、早速シフトを決めないと。それから、被服部に予定通り衣装は二着で申請して、後は…」

これ以上誰かにごねられる前にと、マスターは一気にたたみかけようとした。それにしても、なんでこの子は一言も喋らないのだろうと微かな疑問は抱いたが、ここで邪魔されてやーめたとなる訳にはいかない。

でもやっぱり。

「ちょっと待ってよ!」

邪魔は入る。

出番を待っていたスクリーンに繋がるキーボードを叩いて給仕のシフトを捻り出そうとしたマスターを、いかにも不満そうな顔のラルゴが停める。

「ぼく、一人でも大丈夫だよ、ベイカーさん。別に、休憩とかいらないし」

「君が必要でなくても、君と組むウエイターには必要じゃないかな。去年、三日間休みなく働かされて、折角顔を見に来てくれた友人とろくすっぽ会えなかったって、トキワも言ってたし」

一人で目立ちたいラルゴに、それを阻止したいマスターが笑顔で言い返す。

なんだろう、この変な攻防。とマキが呆れる中、不意に…その遣り取りを眺めていたカナメとラドルフが少年の頭上で視線を交錯させた。

「一石二鳥だと思うんだ」

「…ああ、おれもそう思うわ」

ラドルフの笑いを含んだ声に、カナメの溜め息が返る。

「それじゃ。――ベイカーさん」

前半をカナメに投げたラドルフが、未だラルゴと何かを言い合っているマスターを呼んだ。

「何? エルマ」

ちょっと黙ってろ邪魔すんな。的視線で睨まれて、ラドルフが苦笑する。生徒役員会にも顔を出している関係でマスターとラドルフは比較的親しいのだが、意外にもこの上級生、我侭だったりする。

「拳闘科の上級生として、マキくんを差し出すのに一つだけ条件があります。それを守ってさえ下されば、本人も嫌がってない事ですし、ぼくらは喜んで彼をウエイトレスに仕立てますけど、どうです?」

軽くホールドアップして邪魔はしないという意志を表明しつつ、ラドルフは小さく首を傾げた。

「条件? なんだい、それは」

不毛な言い争いから救い出してくれたラドルフにマスターは、いかにも興味ありますという態度を示す。それで口を噤んだラルゴをその場に残し、競技科の最上級生は大きな碧色をきょときょとさせているマキに近付いた。

「カナメと組ませてください」

「ちょっ!」

それでまた顔色を変えたのはラルゴだった。しかし、その悲鳴にも似た声を、マスターは綺麗に無視する。

「薄々勘付いてらっしゃるとは思いますが、マキくんを他の誰かと組ませるのは事実上不可能ですから。ご覧の通り殆ど喋らない彼の言いたい事がすぐ判るのは、カナメくらいです」

「そういう特別扱いって、どうなの!」

「なら、ラルゴだってカナメは指名出来ないよ?」

ラルゴが後先考えず荒っぽく繰り出した一撃を、ラドルフはあっさりと片手で受け流すように捌いた。さすがそのタイミングの良さは、女王杯二連覇の王者にふさわしい。

一瞬うっと息を詰めたラルゴは、怒りと苛立ちに満ちた目つきでマキを睨んだ。

なんかこれってスゴイ逆恨み?

ちょっと呆れてわざとのように怯えた顔を作ったマキが、首を竦める。

「そもそもそんな、ロクに喋れないようなコ注文取ったり出来ないじゃない!」

「そんなの俺がやりゃいい」

事の推移を見守っていたのではなくこの瞬間を狙っていたのだろうカナメは、ラルゴが不貞腐れたように吐き出す語尾に被せて、きっぱりと言い切った。

そういう所で、カナメだってラドルフに負けず劣らずの実力者だとマキには思える。感情的に言い争う空気ではなく、相手の気持ちの起伏を上手く読んで二手目を封じる。余計な言葉で飾らない迎撃は極鋭く相手にも周囲にも斬り込み、受け身であるようにして、実は最速の攻撃だった。

「それに、去年の事があるからカナメは慣れてるだろう? 不慣れな生徒同士を組ませるよりも、慣れているラルゴとカナメが分かれてそれぞれ新しい誰かと組むのが当たり前だと思うけどな」

ラドルフはカナメの味方で、且つマキを擁護する立場らしく、駄々を捏ねるラルゴを更に黙らせるように、柔らかい口調ながらきっぱりと言う。それをマスターが満足そうなにんまり顔で眺めているのがどうにもおかしくて、マキはカナメの背中に隠れて小さく笑ったりした。

今にも詰め寄って来そうなラルゴから顔を背けたカナメが、黙って成り行きを見ていたマスターに視線を当てると、何か確かめるように小首を傾げる。とっとと話を進めてくれとでも言いそうなその表情に、競技科の上級生は薄く微笑んで頷いて見せた。

「じゃ、スレイサーくんはトキワと、ラルゴはエルマと組んでシフトを考えるから、よろしくね」

と、してやったりの笑顔でマスターに言われた瞬間、ラドルフの笑顔がぴくりと引き攣った。

「……」

「……。衣装合わせとかあんだろ…、その時、まさか二人とも俺に押し付ける気だったのかよ」

予想外の指名にひくひくと頬を痙攣させているラドルフの横顔に、カナメが低い声で叩き付ける。

その様子を見ながらマキは、今回の試合巧者はマスターだなと、内心大きく頷いていた。

  

   
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