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EX+3 学祭タイフーン

   
         
(5)

     

『セイルへ

あんなの履いたら走れない! ってリセルに言ったら、ウエイトレスは走らなくていいの! と逆ギレされました……。

どうやら、変なスイッチが入ってしまったようです。

助けて…。

マキ』

      

       

「ウエイトレスぅ!!」

放課後、実技クラスに響き渡った素っ頓狂な声に、教室を出て行きかけた生徒たちさえ思わず足を停め、窓際に固まっているクラスメイト…と教養クラスの有名人たちを振り返ってしまった。

一瞬遠のいたざわめきに、マキが苦笑しながら室内を見回し、なんでもないと軽く手を振る。それでクラスメイトたちはなんだか意味不明の引き攣った笑いを残し、自分たちの行動に戻った。

そんなマキを取り囲んでいるのは、呆然と目を瞠ったジンとリックとカナンで、アランはマキと並んで椅子に座らせられたまま、恐縮したように小さくなっている。

「ウエイターじゃなくて、ウエイトレス?」

最初に意識を復旧させたジンが眉間に皺を寄せてアランを見下ろすと、少年は内心悲鳴を上げながら姿勢を正して何度もこくこく頷いた。

「ほら、去年も居ただろ? 競技科のミンさんがフリルの付いたミニスカート穿いて」

「知らないな。僕は去年生徒会の方が忙しかったから、校内の出し物は殆ど見ていないんだ」

というかそれはそっちの都合であってなんでぼくが睨まれなくちゃならないんだ! と理不尽な苛立ちをぶつけられたアランが内心逆ギレ…でも、心の声は洩れないし、顔は蒼褪めたままだが…するなり、リックが二度瞬きしてから短く息を吐き。

なぜか、急に相好を崩してにんまりほくそ笑んだ。

「あーん。アレか。うん、アレね」

例えば生徒会の役員でなくても校内の催しになど無関心なジンと違って、リックは少ない暇を最大限に活用し面白そうなものだけを一通り見て回っていた。途中、本来足を向けないつもりだった中庭のカフェに「スゴイ美人」が居ると聞いて興味を引かれ、ちょっと覗いたのを今更ながら思い出したのだ。

結果を言うなら、わざわざ人混みに悩まされつつ赴いたカフェで見たウエイトレスは、確かにそこそこの美人だったがリックの趣味にはまるで合っていなかった。でれでれと近付いて来る男どもに向けられた慢心した笑顔がどうにも気持ち悪く、子供の頃からそういうもの囲まれていてうんざりしているリックは、あーはいはい、くらいの感想と共に一瞥くれただけで、さっさとその場を後にしている。

ただし。

そう、ただし、だ!

朧な記憶を叱咤してウエイトレスの衣装を思い出したリックは、にやにやしながらマキの正面に椅子の背凭れを抱え込むようにしてどさりと座り込んだ。

黒を基調とした清楚なミニのワンピースに、眩しい程白いブラウス。細かいフリルで飾られたヘッドドレスと申し訳程度のエプロンというそれをなんとか脳裡に描き、勝手に目の前の少年に着せてみる。

瞬きも排除してじっと見つめて来るリックの視線に気付いて、マキがジンを見上げていた小さな顔を正面に戻すと、ふわふわの金髪が窓越しに差し込む陽光にきらきらと光りながら踊る。まだ幼さの残る少年には、あの上級生のような嫌な色気は出せないだろう。しかし、長い睫に縁取られた碧色を不思議そうに瞬かせながらことりと小首を傾げる仕草が凄く、物凄く、無意識に頬どころか顔の全体が緩んでしまうほどに愛らしく、その姿に脳内でウエイトレスの衣装を合成した少年は、椅子の背凭れに顎を載せてにこりと微笑み返した。

前言(?)撤回。主体性がないと非難されようが、不純なスケベ心を出すなと叱責されようが、至上の眼福を約束された超美味しいこの状況を邪魔する理由が見つけられない、ああ、見つからないともさ!

急激に機嫌の良くなったリックの笑顔を、マキがますます当惑したような顔で見つめ返す。薄い笑みの形に固定された桜色の唇にグロスを塗る想像をして…そんな事まで…リックはあっさりと掌を返した。

「カフェの責任者て、誰? アランくん」

未だ不穏な空気を撒き散らすジンと、呆然自失から立ち直れないカナンをきっぱり無視して、リックがいかにも真面目腐った声でアランに問いかける。

それで、ジンがキッとリックを睨み下したが、幼馴染はそんな視線も意に介さない。

「きょ…競技科三年の、マスター・ベイカーさんですっ」

最早自分を飛び越してマスターに直接抗議しようとでもいうのかと蒼白になったアランに、リックはぱちりとウインクして見せた。それから、ブレザーの懐から携帯端末をするりと取り出し、どこかの番号を入力。程なくして、嫌に固い男性の声が「なんでございましょうか、ぼっちゃま」と応える。

それに、カナンとマキとアランはきょとんと目を瞠り、ジンはますます眉間の皺を深くした。

「ロドリゴにちょっと訊いてくんない? ホテルのラウンジで使ってる給仕用のワゴンの予備と、テーブルクロス貸して欲しいんだけど」

『どのような用件でのご使用でございましょうか』

「学園祭でさ、オープン・カフェ出すトコがあんだけど、そこに提供してほしーなーと思って」

『…少々お待ちください』

一瞬言葉に詰まったらしい携帯端末の向こうの人物を思い出して、ジンは額に手を当て天井を仰いだ。

リックの通話の相手は彼の父親の秘書であり、リックの屋敷の執事でもある男性だった。絵に書いたようにお堅い印象の男で、幼い頃から成績だけはいいが遊び惚けてばかりいて父親の仕事に目もくれない「ぼっちゃま」に、どうにかして経営者としての心構えを持って欲しいと常々思っているらしい。

その「ぼっちゃま」が、だ。学園祭というまっとうな理由で親に協力を求めたのが、もしかしたら嬉しかったのかもしれない。きっかけはなんでもいい。なんでもいいから興味を持つ事が大切、とは、いつぞや自宅に遊びに行った際小言混じりに彼がジンに零した本音だし。

『リーくん!』

果たして、リックが何を言い出すのか本意が判らぬまま顔を見合わせた友人たちの耳を劈いたのは、鼻を啜る音混じりのきんきら声だった。

「マミ、煩ぇよ。普通に喋ってくれたら聞こえるって。つか、マミじゃなくてロドリゴに用事あるって言ったでしょうが、オレは。ああ? ベス!」

ひょいと片眉を吊り上げたリックが抗議するなり、小さな端末のスピーカーが壊れるような勢いで、甲高い声が言い返して来た。

『やだ! 何、コノコは! 親捕まえて「煩ぇ」だって、何て口の利き方するの! そんな生意気言うと、ロッドに反対しちゃうよ、ボク。ロッドとベスがバンザイしながらリーくんに全面協力しちゃいますって誓約書書いたって、破り捨てちゃうよ!』

「おーおー捨てろ捨てろ。そしたらオレはマミの居ない所でロッドとベスと仲良くするもんねー」

『うそっ! 最悪。 マミも混ぜてくれなきゃやだーー!』

超ハイテンションな誰かに慣れているのか、リックは意外にも飄々と受け答えしている。それを尊敬の眼差しで見つめるマキたちの上空で、ジンは頭を抱えていたが。

携帯端末のスピーカーから聞こえていた絶叫が急に遠のいて、一瞬の後、こほん、と重々しく咳払いする声が聞こえた。

『リック…』

「ああ、つー訳で、学園祭なんだけど、いい?」

相手が変わったのだろう、リックがにこにこしながら携帯端末に問いかける。

『カフェは、お前の受け持ちなのか?』

「いや、違うけどね。友達がそっちに参加なんだよねー」

『ほお』

何か含みのある相槌にも、リックの笑顔は崩れなかった。

「勿論、借りるからにはちゃーんと責任持って管理するよ。つっても学生が扱うんだから、高価なモンはいらない。ワゴンもクロスも払い下げかなんかでいいし」

『数は?』

「それは、今から責任者に掛け合って確認する。今ロドリゴに確かめたいのは、貸してくれんのかどうかってコト」

リックが言って、暫し沈黙。

『判った。詳しい話は家に戻ってからだ』

「わお! サンキュー、ロドリゴ! アイシテルっ」

あーはいはい。とそこだけリックに似たふざけた口調の陰で、ボクはーーっ! という甲高い悲鳴が聞こえる。

最後にリックは「はいはい、マミも愛してるよ」と言い足して携帯端末の小さな画面に投げキッスをくれ、それを閉じた。

「よしっ、準備万端! さ、早速そのなんとかいう責任者のトコに行こうか、マキちゃん」

でれでれと目尻を下げたリックが携帯端末を懐に戻すなり、その頭頂部をジンがぱしんと叩く。

「一体どういうつもりだ、リック!」

「いってー。どういうつもりって、ねージンちゃん。マキちゃんは、ウエイトレスの恰好させられんの、断わらなかったんだぜー。だったらここはひとつ、協力してやんのがトモダチってモンでしょー」

わざとのように痛そうな顔をしたリックは言いながら立ち上がると、置き去りのマキたちをその場に残して、ジンの腕を引っ張り彼らから少し離れて背を向けた。

「落ち着こうよ、ジンちゃん」

「…気色悪い呼び方をす――」

剣呑な表情で睨んで来る幼馴染の肩を抱き、最後まで言わせずにリックはジンの耳元に唇を寄せた。

「そのなんとかいう競技科の上級生はどうでもいいんだけどさ、ウエイトレスの衣装が、めちゃくちゃカワイイんだって」

「…は?」

「色は白と黒。全体にストイックな感じでさ、すっげーカワイイんだよ、その服が」

ダメ押しみたいに言い置かれて、ジンは灰色の目を怪訝そうに眇め、思わず口をつぐんでしまった。

「ぶっちゃけ、去年の上級生は媚び媚びでダメだったんだけどさぁ、あのメイド服? とかいうの着たマキちゃんは、史上最高に可愛いとオレは思うワケよ」

「それと、リックがカフェに協力するのと、どう関係あるっていうんだ」

こそこそと耳に吹き込まれる吐息を手で払い除けつつ、ジンがリックから離れようとする。それを無理矢理引き戻した幼馴染はにやりと口の端を持ち上げ、判ってないなと言わんばかりに肩を落とした。

「口実でしょ、口実。これでオレは、ホテルの備品に責任あるからつって、カフェに貼り付いてても文句言われないだろ? お前ねぇ、あんな可愛い衣装のマキちゃん野放しにしたら、誰に何されるか判んないよ? そもそも、マキちゃん自身はその仕事断わってないワケだし、オレらが反対する段階じゃないしさぁ」

それならば、という事か。

「ジンは去年カフェに行ってないから知らないだろうけど、結構人気あったみたいなんだよね、ウエイトレス」

ちなみにリックは、その時ウエイトレスに着いて…というよりは引っ張り回されてなのだが…いたのがカナメだったと、覚えていない。

「本人がやるつってんのに邪魔すんのは筋じゃない。でも、オレはマキちゃんが心配。だったら使える手使って、くっ付いて歩くしかないでしょー」

下心丸出しの笑顔で言い切って、リックはジンの肩をばんばんと叩いた。

「も一回言うけど、ぜってーかわいいと思うよ、マキちゃん」

語尾にハートマークの付いていそうな囁きを残し、リックはジンを置いてさっさと踵を返す。

「………」

ジンはその場に立ち尽くしたまま、大袈裟な身振り手振りで話すリックと、重苦しい緊張から一気に解き放たれて表情を緩めているアランと、しつこいくらいに「ミニスカートだよ!」と繰り返しているカナンと、それら全部ににこにこと笑みを振り撒いているマキを見ていた。

確かに、少年はウエイトレスの恰好をさせられて見世物になるのを嫌がっているようには見えない。特に喜んでいるようでもないが、上級生の命令に従わされている感じもない。その辺りの事情は判らない…判る訳もない…けれど、とにかく彼を見るにつけ、リックの言うように邪魔する理由はなさそうだった。

暫くしても近付いて来ないジンを不審に思ったのか、マキがひょいと顔を上げて少年を見る。その碧色の瞳に不安のようなものを見つけて、ジンは少し戸惑った。

ジンはその時、どんな顔でどういう対応を取るべきか、判らなかったのか。そもそも、なぜ自分がマキのウエイトレス姿に対してこう不愉快な思いを抱いているのかという問題も、ある。

そう。

単純に、可愛らしい衣装を着せられたマキの姿を楽しもうという、リックのような悟りの境地には到達出来ていない。着るのは構わないし、多分、幼馴染が言うように似合うだろうとも思う。

でも、何かがもやもやと腹の底に溜まっているような気がした。

意味不明の。

百歩譲って。

自分たちの前でだけ着てくれるなら、大歓迎なんだが…。とか、ちらりと考えてみる。

目新しい感情の起伏に戸惑いがちなジンの顔を見つめていたマキの懐で、急に澄んだベルの音が鳴る。それに慌てた少年が内ポケットから取り出したのは、最新式の携帯端末だった。

セントラルの生徒、特に自宅の遠い者は中等部であっても携帯端末を持っている場合が少なくない。しかし、マキがそれを取り出すのは始めての事で、少年たちは目を瞠って顔を見合わせてしまった。

「うわお、マキちゃん携帯なんか持ってたんだ」

リックの驚き声に、マキが少し困ったように頷く。

実はこれ、数週間前に長兄から送られてきた荷物の天辺に乗っかっていて、すぐ上の双子の片割れが盛大にブーイングを飛ばした曰くつきの物だった。通信契約済みの最新式高速端末は、末っ子のセントラル転入祝いに兄の恋人たちが機能を精査し且つプログラムをカスタマイズした、おまけ映像付きだ。

手際よくとしか言いようないほど綺麗に圧縮されたフォトフォルダには、兄たちと恋人たちの幸せそうな写真とお祝いの言葉がぎっしり詰まっている。

集中する視線の中で居心地悪そうにしながらも端末を開いたマキが、一瞬きょとんとしてから吹き出す。それから少年は誰かから送られて着た電信を表示したまま、小さなモニターを興味津々の友人たちに向けた。

『マキへ

衣装部に掛け合って、このデザインで作って貰うように。だっさいワンピースなんか着せられたら、許さないからね!

靴と小物は今度持って行くから、心配ないって言うんだよ?

マキが世界一かわいいと信じて疑わないセイルより.

追記:末っ子…とんだ兄貴で大変だね…』

          

       

どうやら本文は兄、追記は…別の誰かのものらしいメールに添付されていた写真は、清楚且つストイックなメイド服と、脇に並べられたヘッドドレス、ニーハイソックス、編み上げのブーツだった。

これを着ろと。

兄貴が。

命令して来たらしい。

兄貴、ノリノリである。

下手したら衣装ごと持って来兼ねない勢いの次兄の電信にというよりも、追記の一言がツボに入ったらしいマキが笑っている。その衣装とマキの笑顔を嫌に真剣な面持ちで見つめていたジンは、いつの間にか無表情なまま懐に手を突っ込んで自分の携帯端末を取り出していた。

         

         

翌日。

競技科高等部三年マスター・ベイカーは、転送されたメイド服の見本を衣装部備え付けの端末に表示しつつ、内心大事になって来たなと思っていた。

「……って、これ…。確か、なんかの映画でリリスが着てたヤツじゃないの? ワリと最近」

「……マニアの人でも家族に居るんだろう?」

でなかったら、衣装だけなんて持ってる訳ないし。という表情で頷き合う衣装部の生徒を後ろから眺める、マスター。

「でも、二着なんて作れないけど、マスター」

時間がなさ過ぎる…。

「いいよ、一着で。ミンの分は去年のに少し手入れたくらいで済まして」

内心の浮かれた気分が窺えるにんまり顔で言い残し、マスターは衣装部を後にする。

そう、衣装は完璧。カフェのテーブルにはリゾートでも有数の高級ホテル、ヴィア・ローゼズのカラフルなクロス。その間を縫う愛らしいウエイトレス…というかメイドさん?…は見た目も贅沢なカフェワゴンを押し、給仕はいい男。しかも提供されるメニューの目玉でもあるプティ・フールとオリエンタルティーは「カフェ・コーダ」提供と来ている。

想像するだけで満員御礼。売り上げは殆どが慈善事業への寄付になるが、催し物の人気投票で一位を獲得するという栄誉は、金銭に換え難い。

というか。

「…絶対かわいいんだろうな、スレイサー…」

ざわめく廊下をてくてくと歩きながら、マスターはぽつりと呟いた。

栄誉よりも彼が望むのは。

あの衣装を身につけてはにかんだように微笑むマキの写真一枚だった。

  

   
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