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EX+3 学祭タイフーン |
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『ラスへ 副長にお祝いのお礼メールを送りたいので、アドレスを教えてください。 っていうか、副長、急にメールとかしたら、びっくりするかな? マキ』
学園は、いつもと違う落ち着きのなさと喧騒に沸き立っている。 無味乾燥ではないけれど学問を修めるための質実剛健的建物が、時に控え目に、時にばかばかしく、そして時に美しく飾られていて、なんだか居心地悪そうだった。 普段なら廊下を走るなとか制服は清潔に着なさいとか煩く言い募る教諭たちも今日ばかりは大抵の事を笑って許していたし、ファイランで一番進んだ学問を修めるために、未来の記録保持者やスター選手になるために、あらゆる部分で手を抜く事を良しとしない生徒たちも、歳相応の幼い表情で跳ね回っている。 年に一度行われるセントラルの学園祭は「開門祭」と呼ばれ、いつもは固く閉じた門を大きく開け放ち、今はもう学園を巣立ってしまった者の懐かしさ、これから学園を目指す者の憧れ、学園とは無関係なまま人生を遣り過ごそうとする者の好奇心を、柔らかく、賑やかに迎え入れる。
開門祭の開始を始める空砲を耳にして、カナメは天蓋をバックにぽっと空中に遊んだ小さな煙の塊を見上げた。それからなんとなく視線を正面に戻せば、清潔な白を控え目なレリーフで飾ったカフェワゴンに、マキが覚束ない手付きで茶器を載せている。 マキのあまりの愛らしさに思わず「付き合おうよ」と、本気だか冗談だか判らない溶け崩れた顔で告白(?)したマスターの提案で、メイドさんの出番は菓子とお茶をセットで頼んだお客様に対してだけという事になった。なんだかもう脳内でへんてこな反応が起こってしまったのだろう競技科代表は、お前たちこれがサービス精神だろレアリティだよ得点なんだよと意味もなく力説して、ついには衝撃の告白以降彼を微妙に白い目で見ていたジンとリックを呆れさせ、必要以上にカフェ内を歩き回らなくても良くなったマキを少しだけ安心させ、カナメに、マスターは腹黒なのに可愛いものに目がないという噂の信憑性の高さを確信させた。 開門の合図はあったが今日は学内行事日なのでその他にセレモニーはなく、手持ち無沙汰な生徒たちがそれぞれ目的の場所へと散り始める。今日の一番大きな催しは講堂で行われるブラスバンドのステージと演劇部のオペラ、それから、セントラル名物の「バンド合戦」と呼ばれるものだ。 それらの時間を鑑みて、やはり一番忙しいのは昼頃だろうとカナメは思った。その時間はシフトに当たって居ないのが救いだなと。 耳に当てたイヤホンから注文の指示が出て、カナメとマキはまずキッチンブースへ行き、三人分のパンケーキセットをワゴンに載せた。 「全部、23番ね」 「ああ」 さて、初仕事。 バックヤードに当てられている囲いの出入り口を開けて外に出ると、まず、二人は揃って頭を下げる。誰が見ていようといまいと関係なく、これは礼儀として決めた事だった。控え室出入りの際は必ず一礼する。それだけでお客様に対する心構えが出来るのだと言ったのは、にこりともしないジンだったが。 それで、言われた通り丁寧に頭を下げ、顔を上げて。 刹那、周囲が、しん、と静まり返ったのに、マキがきょとんと目を見開いた。 「………。行くぞ、茶が冷める」 早速サボろうというのだろう、座席には生徒たちが疎らに陣取っている。そのうちバックヤード近くの誰もがあほのようにぽかんと口を開けて、こちらを凝視していた。 幸先良いのか悪いのか。 片腕にシルバーのトレイを抱えたカナメはマキを促すと、いつものように姿勢よく歩き出した。 お茶を零してしまわないかとどきどきしつつもカナメを追ってカフェワゴンを押し、歩き出したマキが、ふと視線を上げ頬を緩める。背筋を伸ばして歩く青年の後ろ姿が、凄くカッコイイ。 いいなー、羨ましいなー。ボクもあと二年くらいしたら、カナメさんみたいにかっこよくなれるかなー。と、愛らしい系の少年にしたら絶対に無理だろう希望を抱きつつワゴンを押して歩き過ぎるマキを、座席の生徒たちが目で追っている。その、必要以上に熱い視線を一身に受けながら、カナメは内心苦笑した。 「あの、すいません!」 ワゴンが通るために少し広く取られた通路のすぐ脇、高等部の一年生らしい生徒たちの塊から声を掛けられて、カナメは足を止めた。 「注文、お願いできますかー?」 へらへらと笑いながらしきりにマキに秋波を送る生徒に向って、カナメが薄く微笑んで頭を下げる。 「申し訳ありません。ご注文は別の者が窺います」 ベストの胸ポケットに引っ掛けている通信用マイクのスイッチを入れたカナメがオーダー専門の生徒を呼び出す間、お客たちは一人残らずマキを凝視していた。中には必要以上の笑顔で手を振る生徒もいて、マキは少し当惑しつつもにこりと微笑み小さく会釈した。 かわいい。すげぇ。中等部のコかな。何年生だろう。名前聞いていいのかな。こっち見ないかな。寄ってくんないのかな。 耳に飛び込んでくるひそひそ話と注がれる視線。 23番テーブルに辿り着くまでの数十メートルで四回も呼び止められたカナメが決定的にうんざりしたのは、そのゴールで待ち構えていたのが、クラスメイトだからだった。 「お待たせいたしました」 「うわ、カナメ気持ち悪っ!」 「…うるせぇばかやろう…」 はははははは! クラスでも特に仲のいい友人が三人、普段の数十倍にこやかに迎えてくれたのを渋い顔で睨み返しつつ、カナメは丸盆にパンケーキの皿とマキの淹れた紅茶を載せて、テーブルに向き直った。 「つうかお前ら、なんでこんな朝いちで来てんだよ」 「だって。ラドルフが混む前に来ないと座れなくなるって言うからさ」 友人のうち一番小柄な少年がわざと唇を尖らせて言ったのに、カナメはなんとなく溜め息混じりに天を仰いだ。さすがはカリスマ? 関係ないが。どうせラドルフにも予想出来ていたのだろう…。 マキの噂はすぐに学内に広がると。 「てかさ、カナメ」 カナメが一人分のお茶をテーブルに置き終える頃、もう一人分を丸盆に載せたマキがにこにこしながら近付いて来る。その笑顔から視線を外さない友人が少し声を潜めて呟いた。 「あのコ? 拳闘科中等部のコって」 「そうだよ」 「紹介してっ!」 「…するか、ばか。俺たちゃ急がしんだ」 眉間に皺が寄るのを感じつつ言い返せば、友人たちが一様に不満そうな顔をする。 「じゃぁいいよーだ。自分で訊くモンね。―――キミさー」 カナメに向かって舌を出した友人が即座に笑みを作ってマキに顔を向けると、少年がことりと小首を傾げた。その幼い、愛らしい仕草に、テーブルにいた誰もが鼻の頭を赤くして笑みを返す。 「カナメの後輩だよね? 中等部だっけ。名前、なんていうのかなー?」 小さな顔に上る柔らかな笑顔を下から覗き込むようにして言われ、マキは少し困ったように眉のお終いを下げて、もう一度小首を傾げた。マスターとラドルフ、ジン、リックからキツく「ナンパは無視していい」と言われていたものの、カナメの友人では無碍にも出来ないと思ったのか、返答に困っている…というか、そもそもその返答が出来なくて困っているのかもしれないが…ように、カナメには見えた。 最後の一人分をテーブルに並べたカナメを、マキがちらりと上目遣いに窺う。なんとかして感満点の、ちょっぴり潤んだ碧色を目にして、カナメの級友たちはますます身を乗り出し少年を質問攻めにすべく息を吸い込んだ。 「中等部二年のマキ・スレイサーだ。本来ならお客の質問には一切答えない規則だから、お話はここまで。戻るぞ、マキ。次の呼び出しが来てる」 素晴らしくいいタイミングで友人たちの言葉を遮ったカナメがぶっきらぼうに言い捨てて耳孔に突っ込んだイヤホンを指で叩くと、マキは慌てて丸盆を両手で抱えてぺこんと頭を下げてから、ミニスカートの裾を翻してカフェワゴンに向き直った。 ワゴンの通れるやや広い通路までの短い距離を、マキがぱたぱたと小走りになって移動する。天蓋からの明るい日差しを受けて中庭に点在する木立の緑がぴかぴかと光り、少年の清楚な白と黒、それから眩い金色をやけに際立たせた。 「マジヤバイ。すっげカワイイ」 「………」 「マキちゃんて、今付き合ってるヤツいんの?」 「…知らねぇよ」 「つうかてめぇ、俺たちをちゃんと紹介しろよ!」 「………あのな…」 どうやら本気らしい友人たちの台詞を一応全部聞いてから、カナメは盛大に嘆息しつつ釘を刺した。 「あいつ…見た目ああだけど、バカみてぇに強ぇからな?」 カナメも本気だった。
果たして、オープンから半時間もすると、午前中の早い時間だというのに中庭のカフェには入場待ちの列が出来る騒ぎになった。その長蛇の列を横目に見つつワゴンを押して通路を歩くマキに集中する緩んだ視線とうっかり目が合うと投げかけられる笑顔に笑顔を返し、不慣れな給仕の仕事に勤しむ傍ら、少年は感心していた。 ミンさん見たさのお客さんて、こんなに居るんだー。 もうすぐ、ラルゴと交代する時間が迫っていた。
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