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EX+3 学祭タイフーン

   
         
(8)

     

『セイルへ

衣装協力ありがとうございます、と、被服部(衣装を支度してくれたところ)とベイカーさんが言ってました。

あと、お兄様のご期待に副えるよう全力を尽くします。とかも言われたんだけど、セイルの期待って、何?

マキ』

       

        

開け放たれた暗幕の前に立ち、涙目になってもじもじする少年を目にしてカフェ控え室内に奇妙な静寂が降りる。

呼吸音さえ厭うような、重い沈黙。

薄っすら濡れた碧色から何かを訴えかけるような視線をジンたちに向けて佇む少年、…マキは。

そんな状態であっても、人間、何か信じられないものを見た瞬間、本当に頭のてっぺんから爪先まで二往復も確認しちゃうもんなんだな。と、ぽかんとした友人たちの視線が上下に移動するのを感じながら思った。

………ある意味、肝の据わった観察眼だが…。

そんな刹那の静寂の中、最初に行動を起こしたのは意外にもカナメだった。というか、青年は仮縫いの時点で一度マキのメイド…あれは絶対にウエイトレスでないとカナメは断言した…姿を見ていたから、多少免疫があったのかもしれない。それでも、同様に二度目になるジンとリックが未だ固まっているのだから、十分強心臓と言えるのだろうが。

カナメは、蒼白になって硬直するラルゴに一瞥くれてからマキに近付いた。こうなったら、事情を知っていた全員が開き直るしかないと腹を括る。

正直。

二の腕や太腿、首筋と、意外にも露出度が高く品のない色気を辺り構わず垂れ流すラルゴのウエイトレス姿よりも、マキの清楚で清潔で初々しいメイド服姿の方に百倍色気を感じるのは、もしかしてどこか悪いからなのだろうかと…カナメは内心溜め息を漏らしていたのだが。

「…そんな情けねぇ顔すんじゃねぇよ。ほれ」

ガラ悪く片方の手をポケットに突っ込んだままカナメは、マキと爪先のぶつかるような距離まで近付いて、その目尻に溜まった水滴を空けた右の指先で軽く拭ってやった。それに少年が、一瞬首を竦めて擽ったそうにする。

途端、室内を占める緊張に変な成分が追加された、と、ジンはようやく回転し始めた脳で考えた。

マキが身につけているのは、少年の次兄から「これを作って貰え」という高飛車でありながら愛情の感じられる奇妙なメールに添付されていた、一見すると地味なくらいのメイド服だった。

純白のヘッドドレスはフリルのない極平凡なもので、殆どカチューシャのように見える。しかし、きらきらと美しく光るウエーブのかかった金髪には逆に酷く良く映えて、マキの白い顔に浮かぶ様々な表情を一層引き立てたし、いつもは頬を擦る肩までの髪がすっきりと後ろに流されてピンク色の耳朶も露だ。

衣装の方はといえば、ぴっちりと首を覆うカラー、細い手首をやんわりと締めるカフスはどちらも白い硬質なもので、レースやフリルは一切使われていない。そこそこの筋肉はあるが未だ薄っぺらい身体を覆うのは少しだけ光沢のある黒の、長袖。腰周りはラルゴのような幅広のベルトではなくただの縫い取りによる切り替えだけで、スカートはプレーンなフレアタイプになっていて、やはりギャザーもない。

ワンピースの飾りらしい飾りは、襟元から腰までの合わせを飾る包みボタンだけだった。袖が膨らんでいないからか、余計にマキの肉付き薄い腕が強調されているような気がする。

丈が遥か膝の上という完全なミニスカートの裾からちらちらと覗くのは、レースではなく細かなギャザーを寄せたペチコート。そして脚は黒いリボンで上部を緩く締めるタイプの白いニーハイソックスで、足元は靴底が少々厚めでセミロングの編み上げブーツだ。

ラルゴのような露出は全くない。

全体に固い印象さえ受けるような、白と黒。

最後の仕上げにと被服部の生徒が、こればかりはラルゴと全く同じエプロンをマキの腰に巻く。

それでようやく出来上がった小さなメイドさんは少しはにかんだように俯いて頬をピンクに染め、しきりにスカートの裾を気にしながら、ちらりと、渋い顔のカナメと呆然自失のラルゴ、それから、既に頬と目元をでれでれに緩めたリックとマスター、最後に、果たしてどういう顔をすればいいのか判らない、妙な緊張を漲らせたジンを順番に、上目遣いに、見回した。

だから、視線がひたりと停まったのはジンの頭上で。

瞬きしない灰色と見つめ合ってというか、睨み合って。

ボク、ヘンじゃない? とマキは、戸惑うような表情でことりと首を傾げた。

途端、ジンがびくうと肩を跳ね上げ、片足だけ一歩後退る。同時にぱっと動いた手がいつもなら絶対崩れない怜貌の口元を覆い、眼鏡の下の目元と耳朶が面白いように真っ赤になった。

「うわぁやべぇ想像以上にかわいいっ!」

ジンが一人でパニックを起こしている傍ら、急に意識を取り戻したリックが大きく手を広げてはしゃいだ声を上げる。それに同感だとマスターは、いかにも偉そうに腕を組んでうんうんと頷いた。

「トキワ! お前の本当の仕事は御用聞きでも給仕でもなくて、マキちゃんの護衛だからな!」

マスターの呼称が「スレイサー」からいきなり「マキちゃん」になったのに、当のマキが肩を竦めて少し恥ずかしそうに、可笑しそうに笑うと、うっかりそれを目にした厨房係の生徒たちはぼうっと少年を見つめた。その視線に気付いて首を巡らせ小首を傾げれば、黒い衣装に包まれた肩で波打つ金髪がふわりと踊った。

「……護衛なんかいるかよ、こいつに」

室内の奇妙な空気に顔を顰めたまま、カナメが肩越しに周囲をぐるりと見回す。目に入るのは野郎どもの締まりないへらへら笑いばかりで、うんざりしたが。

「大丈夫、大丈夫! マキちゃんの貞操はオレらが死守するから!」

「自分に死守させろ。それが一番安全だ」

弾んだ声で言ったリックに返しながらカナメは、ラルゴが発する不穏な空気に微か眉を寄せた。いかにも刺々しいのではない。しかし友好的でもない…もしかしたら爆発する直前の力を蓄えているかのような静けさに、知らず、その視線からマキを庇う恰好で移動していた。

「写真撮ろう、マキちゃん」

満面の笑みを湛えたリックが言うと、恥ずかしそうに頬を染めたマキがこくんと頷く。それを見て、他の生徒たちも一斉に携帯端末をポケットから取り出し、その勢いの良さで少年を怯えさせた。

即席の撮影会場になった会議室の片隅、無造作に置かれたテーブルに軽く腰を下ろして機嫌のいい笑みを零しているマスターに近付いたカナメが、彼と同じようにテーブルに寄り掛かる。

「よくもまぁ、今日まで衣装の事、秘密にし通せましたね」

「被服部に緘口令敷いたよ」

マスターの口元から消えない薄笑みと満足げな横顔を横目で盗み見て、カナメはやれやれと肩を竦めた。緘口令などというまっとうな単語を使っているが、実はどんな手を使ったのか判らないのがマスターの恐ろしい所だ。

「マキちゃん。マツナカじゃないけど、予想以上に可愛いよね」

「…ベイカーさんが年下趣味だったなんて、知りませんでしたよ…」

それまで腰を下ろしていたテーブルから離れつつカナメが溜め息混じりに漏らすと、なぜかマスターも彼の後に着いてその場を後にした。

「はははは!」

マキを取り囲んでいる生徒の輪の、ずっと手前。マスターが肩を震わせて笑い出す。その跳ねるような声に、一人窓際に佇んでいたラルゴが眦を吊り上げてキッと彼らを睨んだ。

「可愛いければ、年上でも全然オーケーだけど?」

マスターは、絡んで来るラルゴの視線を完全に無視し、喉の奥で笑いを噛み殺しながら小声で言い返した。

「一応、ラルゴも自称「可愛い」んですけどね」

「自称だろう? ダメダメ、そんなのは。

それにあんな、ちょっと誘ったらすぐ脚開くようなのはいらないよ。ぼくの好みはほっぺにちゅーしたら真っ赤になってふるふるしちゃうようなのであって、下品な色気なんかなくていいの」

それを聞いてカナメは、本気で呆れた。というか、あの噂は本当なのだろうかと…ちょっと不安になる。

「一応忠告なんですけど、ベイカーさん…。マキに変な気起こしたら、落とされますよ」

うん、気をつける。などとマスターは、絶対にマキから視線を逸らさずに、且つ薄笑みを消さずに、カナメの言葉を聞いていたのかいないのか判らない口調で答えた。

       

     

カフェの開店は午前九時。開会直後いきなり飲食ブースに訪れる客は少ないだろうから、先ずは少し慣れておこうという事で、朝一番はマキとカナメがシフトに入っている。

開店準備があるためようやくお開きになったプチ撮影会後、マキはすでに疲れたような顔で壁際に支度されている椅子に腰を下ろし、隣に座るジンの肩に凭れていた。

「おやおや。開店前の前哨戦でこんなんじゃ、三日間なんて持たないよ? マキちゃん」

ジンの腕にしがみ付いてぐったりしているマキをリックがからかうと、少年はむぅと唇を尖らせてにやにや笑いの友人を恨めしげに見上げた。

こんなの三日も続いたら死んじゃうよ。とでも言いたそうなその表情に、優しくマキの肩を抱いていたジンが弱った笑いを零す。

珍しいというよりも普段ならありえない恰好にここまで興味を示すのは関係者だけで、大半の生徒は見た目も艶やかで愛想のいいラルゴに集中するとマキは思っていた。後から順次訪れるだろうクラスメイトは声を掛けて来るかもしれないが、せいぜいその程度であって他のお客の相手はしなくていいとも。

思っているのだが?

「僕はそろそろ、搬入された材料の最終チェックに行くよ。それが終わったらフロアに出るから、またその時にね、マキくん」

軽く肩を叩かれたマキは、渋々肩に触れていた温もりから離れる。いつもならリックの過剰なスキンシップも全く平気な少年なのだが、さすがに今日は、ジンのように好きにさせてくれて、でも突き放すのではない心地良い距離感が嬉しかった。

名残惜しげなマキの表情に、椅子から腰を浮かせたジンが灰色の双眸を瞬く。

「……大丈夫、だよ。えーと…」

言われた途端、なぜかマキが酷く心細そうな目をした。

それがやっぱり凶悪に可愛らしくて、マキとジンを眺めていたリックもうっと息を飲む。

とにかく、だ。

白いハイソックスに包まれた華奢な膝頭を純白のギャザーの下で擦り合わせたマキの細い指が、黒いスカートの上でしきりに組み替えられていた。その忙しない動きとほんのりピンクに染まった頬と、少し潤んだ碧色が倒錯的に愛らしい。

と、今朝から煩悩全開のリックと違って一度のプチパニック以降何とか冷静さを取り戻していたジンが、不意にマキに向き直る。

「初めてだから緊張するだろうけれど、笑顔だけは忘れずにね。学園祭の間の君は、カフェに来てくれた「お客様」をおもてなしするのが、仕事なんだから」

淡々とも取れる口調で告げたジンは、にこりともせず、しかし睫を伏せるように小さく頷き、最後にマキの華奢な手をそっと握ってからすぐにその場を離れてしまった。

遠ざかって行くジンの背中を見送るマキの脳裡にぱっと浮かんだのは、今朝、いつもよりずっと早い時間に自宅を出る息子に片親…リセルが言った言葉。

        

「いい? マキ。衣装をつけた時だけは、顔上げて、にっこり笑って、迷ってるところも嫌がってるところも見せちゃダメだからね? 例えば気持ちが沈んでも、マキを見に来てくれたお客さんに気取られちゃいけないよ?

ウエイトレスの仕事を引き受けたって事は、今日から三日間、マキは「見られる」覚悟をしたんだって、そういう事だからね」

       

心配しないできっと上手く行く。

そんな優しい言葉などかけてはくれなかったけれど、マキは神妙な顔でリセルの言葉を受け止め、最後に頷いてから「いってきます」を言った。

給仕の仕事など、説明を受けただけでやった事はない。

じろじろ見られるのにはある程度慣れているけれど、一緒に写真を撮ってなんて言われた事はない。

でも、とマキは、ふざけて恭しく腰を折り手を差し伸べてくれたリックににこりと微笑みかけてから小さく会釈し、その手を取った。

        

でも。引き受けたからには、最後まできっちりやるしかないよね!

  

   
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