■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

EX+3 学祭タイフーン

   
         
(11)

     

『ラスへ

セントラルの模型に隠してあるサイン? て、もしかしてあれの事?

ロイに訊いたら、そうだって言ってたけど…。

マキ』

     

      

呆気に取られた視線が四方から注がれる中、マキは乱暴に腕を引かれるまま、目を白黒させて小走りにその背中を追いかけていた。

転ぶ、転ぶっ!

マキの二の腕を掴み、短い裾が乱れるのも気にせずずんずんと進むのは、完璧なウエイトレス姿を誇るラルゴだった。

楕円形の人工芝地帯を中心に設置されたオープンカフェを縫う通路。白い円形テーブルの最中にぽつりぽつりと映える明るいビビットカラーが殊更くつろいだ雰囲気を演出する、その間を、細い眉を限界まで吊り上げたラルゴが、今にも転びそうになりながら必死に追い付こうとしているマキを半ば引き摺って移動する姿は、一種異様な光景でもあった。

正直、マキは本気を出せばラルゴの手から逃れられただろう。しかし、少年はそうしなかった。出来なかった。

「マキマキマキマキって煩いっての! いいですよ。判りますよ。そりゃぁ、誰だってかわいい子が好きだもの。でも、判ってるのと納得出来るのは別! しかも、去年は僕にでれでれした連中が掌返すみたいに猫撫で声で、マキは? なんてもう、腹立つ!」

口の中でさっきからぶつぶつと文句を繰り返しているラルゴの怒りは正当だと、マキは思った。

ラルゴの怒りの原因が、子供っぽい自己中心的なものだと言う事も当然出来ただろうが、引っ張られて転びそうになりながらも、マキは彼に対して少しの苛立ちも怒りも感じてはいなかった。それどころか、ラルゴが少年に向ける負の感情はつまり、マキがこの「ウエイトレスの仕事」を断わっていれば生まれなかったものだろうとさえ思う。

少年は、自分を卑下しているつもりはない。

しかし、思う。

     

ボクが余計な事したばっかりに…。

      

驚愕の視線に晒されながらも元居た場所、カフェワゴンとラドルフとイチイを置きっ放しにした場所近くまで戻って、ようやくそれらの姿が視界に入ると、ラルゴは急ブレーキを掛けるようにして足を止め、勢いで突っ込んで来たマキだけを更に前に押し遣った。

それでラルゴは待つイチイの所にマキを行かせて、自分は退場しようと思っていた。余りにも惨め過ぎる。世間なんて結局そうだ。

結局。

     

「見た目さえ良ければ、誰でもいいんでしょ!」

      

投げ遣りに小さく吐き捨ててマキの腕を離そうとした、瞬間。

咄嗟になのかなんなのか、マキが、ラルゴの細いがしっかりと筋肉の付いた腕に指を引っ掛けて握る。それで今度は少年に腕を取られた青年は、勢い引っ張られて前につんのめりそうになった。

思わず転ぶと身構えたラルゴの正面にマキの華奢な身体がすと滑り込み、肩と背中でそっと彼を受け止める。一回り小さな少年に突っ込んだはずなのに、不思議と衝撃が少ない。

とんと胸元にマキの肩が当たり、ラルゴは反射的に眼下の少年の顔を見た。斜め後ろから見えたのは酷く強張った頬と伏せられた長い睫だけだったが、なんだかそれが哀しそうで、今にも泣きそうで、小さな罪悪感を刺激する。

     

初めて見た瞬間から、周囲に愛されているような。

それを屈託なく素直に嬉しいと受け取っているような。

少年が悪い訳ではない。

多分。

誰も悪い訳ではない。

多分。

ただ―――。

       

ラルゴの秘めた、刹那の感情の揺れを感じ取ったのか、マキはぴくりと頬を強張らせて一瞬だけ不思議そうな顔をし、肩越しに青年を振り返ろうとした。

やはりそうだとマキは思う。ラルゴは…確かに少年に対して一方的な敵愾心を剥き出しにしていたが、それが…「何か、おかしい」。

一瞬の戸惑い。それでも未だ胸の内で燻る苛立ちに任せて少年を突き飛ばそうとしたラルゴの耳に飛び込む…、野太い悲鳴。

「いやああああああああああああああああんっ!」

ぎょっとして顔を上げたラルゴか目にしたのは、顔を真っ赤にして両腕を広げ突進してくるイチイの、…迫力満点で気色悪い全開の笑顔だった。

「いっ!」

思わず色気もくそもない、喉の引き攣りに似た声を上げたラルゴがマキから飛び離れた直後、こちらはやっぱり悲鳴の一つも上げずに、しかし全身を硬直させた少年の小さな身体を押し潰す勢いで、イチイが突っ込んで来る。

「やぁだぁ! あははははは! もう、かわいいメイドさんって、マキだったのぉ!」

バカ派手なドレットヘヤーを振り乱したイチイは、蛇に睨まれたカエル状態でびくりと肩を跳ね上げたマキをがっちり腕に抱きこみ、聞くに堪えないだみ声でぎゃははと笑いながら白い額に顎鬚を擦り付けた。一秒か二秒呆然とした少年はそのじょりじょりした肌触りにようやく意識を取り戻したのか突然暴れ出し、細腕でゴツイおかまを引き剥がそうともがいている。

周囲から注がれる好奇の視線など意識の向こうに蹴り出して、ラルゴは呆気に取られその光景を見ていた。かわいい最高生きててよかった等々。ぎゅうぎゅうマキを抱き締めるイチイの零れるような…でもやっぱり音声が入ると気持ち悪い…笑みに耐えられなくなったのか、ついに。

マキはキッと眦を吊り上げて、イチイの脛をブーツの爪先で蹴っ飛ばした。

「いたっ!」

大して力など入れていないように見えたのに衝撃は相当だったのか、悲鳴を上げて腕を緩める、イチイ。その隙を見逃さずに囲う両腕の肘を下から跳ね上げた掌底で上空へ叩き払うなり、マキはするりと太い拘束から抜け出して、惚けて突っ立っているラルゴに突っ込んで来たではないか。

ばすん! と体当たりされてこれまた反射的にマキを抱き締めたラルゴの腕の中、少年は大きな碧色を潤ませて鼻を啜った。

怖いよー。

その気持ち、良く判る…。

蹴られた脛をさするイチイを冷めた目で眺めたラルゴは、マキを腕で囲ったまま何度も頷いた。いくら相手が著名なカメラマンだとしても、素直な感想は偽れない。

先から息を詰めて様子を窺っていたギャラリーは、そこで俄かに色めきたった。何せ、メイドさんが2ショットでしかもしっかり抱き合っているなんて美味しいシチュエーション、そうそう訪れるものではない。

だから、禁止事項だと知っていながら素早く携帯端末を取り出し、カメラを向ける。

緊張に目を血走らせたギャラリーが今まさにシャッターを押さんと親指の腱に力を込めた、瞬間、固い靴底が煉瓦調の敷石を叩く慌しい音が幾つも重なり、一瞬で、抱き合ったままイチイを見つめているラルゴとマキを取り囲む。その見事なガードに阻まれてシャッターチャンスを逃した大多数が歯噛みし、または悔しげに顔を歪める中、ゆったりと近付いて来た生徒が固まる一団を躱して、地面にしゃがみ込んだでかい図体の手前に進み出た。

「失礼ですが、どちら様ですか?」

顔は笑っているのだが完全に冷え切った目付きでイチイを見下ろす、マスター。

「え? ああ。アタシ、学園側からパンフレット用の写真を…」

と、ラドルフに説明したのと同じに言いながら、イチイは立ち上がって名詞を差し出した。

受け取った小さなデジペーパーに視線を落としたマスターの眉が、微か中央に寄る。来年度の学園案内用の写真を撮るとは聞いていたが、まさかこんな気色悪いヤツが来るなんて、と、顰めた横顔にはありありと書いてあった。

微妙に剣呑な空気を撒き散らす生徒たち…ジン、リック、カナメ…をぐるりと見回してから、イチイはちょっと困ったように眉のお終いを下げると、未だラルゴに抱きついたまま涙目で鼻を啜っているマキに苦笑して見せた。

「だからぁ、忘れてたのはアタシが悪いけどねぇ、マキー。そんなに嫌な顔する事ないじゃないのよ。もう」

やれやれと分厚い肩を竦めたイチイが、わざとらしくよいしょと言いながら地面に片膝を下ろし、その場にしゃがみ込む。

「はいはい、ごめんごめん。マキの許可なく「踏み込んだ」アタシが悪ぅございました。だから機嫌直して? ね? かわいい写真たーっくさん撮って、リセルとセイルに送ってあげるからぁ」

その時になってようやく、この騒ぎに始めから巻き込まれていたラルゴとラドルフは、イチイとマキが知り合いらしいと気付いた。いや、遅いのだが…。

無防備に両手を広げて首を傾げたイチイの顔をじっと見たまま、マキがラルゴの身体に回した腕にきゅっと力を込める。

それで。

本当ならば。

ほんの数秒前まで。

謂れのない嫉妬でマキを恨んでいたラルゴは。

      

白い清楚なヘッドドレスに飾られたふわふわの金髪と、小さな顔。ほんのり赤く染まった鼻の頭と、丸いほっぺた。ごく色の薄い、ツヤを控えたグロスで光る唇をきゅっと噛んで、透明な被膜を纏った碧色の瞳を潤ませた、腕の中の少年。

      

………。なにこれちょっと待ってよなんでこのコこんなにかわいいのっ!

     

所詮。

ラルゴだって健全(?)な男子な訳で。

自分とマキを同じステージ上で考えた場合には抱かなかった正義感と庇護欲に駆られて、縋り付いてくる小さな身体をぎゅーっと抱き締めた。

「マぁキぃ〜。お願いだから許してぇ〜? ねぇ〜」

酷いだみ声でそんな甘えるような事を言われても気持ち悪いだけだろうにと、ジンたちは自然と寄る眉を意識しながら思う。

「重ね重ね失礼ですが」

マキがラルゴから離れようとしないのを確認してから、マスターは先より冷たい声で、ちっとも失礼だと思っていないようにさらりと言った。

「オルノさんは、マキくんとお知り合いで?」

問われて、マキからマスターに視線を移したイチイが、意外にも男らしい荒っぽい動作で立ち上がる。

「あー。親御さんの一方と、お兄さんたちと…」

お兄さんたち? といえば、双子の事だろうかと誰もが思う。その空気を察したのか、イチイは大造りな顔を笑みで歪めて小さく首を横に振った。

「まぁ、殆ど家族ぐるみね。アタシが売れない頃からの付き合いで、マキんトコの家族が増える度に写真撮ってたし。でも、特に付き合いのあるのが片親と、一番目と二番目の兄貴たちなの」

リセルとセイルとは大っぴらには出来ないが仕事上の付き合いがあり、長兄とは歳が近い上に昔よく組んで悪さを(……)していたイチイが肩を竦めて言う。

「それで…まぁ、結構仲良くして貰ってるんだけど、あのコ、初等部後期の中頃まですんごい人見知りでねー、自分から近付くのは良くても、相手が勝手に「踏み込んで」来るの凄く嫌がってたのよ。でも、アタシってスキンシップ大好きだし、マキってなんか、こうぎゅーっとしてぐりぐりしたくなるじゃない? それで、あんまり遠慮しなかったら、どうも嫌われちゃってねぇ〜」

弱ったように派手なドレットを掻き毟るイチイの顔を見ながら、カナメとラドルフは内心首を捻る。「踏み込む」とは、間合いの事だろうか。マキが拳闘士であると思えば違和感のない言葉だが、何か…奇妙なニュアンスの違いを感じた。

「初等院後期二年くらいにはもう色々吹っ切れて、マキも以前みたいに人見知りしなくなったけど…まぁ…、今日はアタシが悪いんだし、後で改めて顔出すわ」

ラルゴから離れないマキを見て今は無理だと判断したのか、イチイは仕方なさそうにそう呟いてから、しかし、何かを思い出したように、首に下げていた一眼レフを顔の横まで持ち上げた。

「でも、このまま一枚撮ってもいい? マキ」

懲りない人だと思うには、イチイの声は真剣そのものだった。

「記念に、一枚」

何の記念にするつもりなのか。

       

「だってなんか嬉しいじゃない? アタシ、マキの傍にそんなにたくさんお友達がいるの」

      

      

マキがあの家に来てから、初めて見たもの。

     

       

言ってイチイは、微笑み。

マキも、少し恥ずかしそうに、笑った。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む