■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

EX+3 学祭タイフーン

   
         
(12)

     

『隠した事はないけど、話す機会もなかったし。

いつかは話すだろうと思うけど。

それが自分である必要も、あんまり感じてなかった。』

        

     

一瞬奇妙な空気がその場に満ち、マキは俯いて笑ってしまった。

確かに、世間的にはデリケートな問題なのかもしれない。けれど、マキにしてもイチイにしても…スレイサー家の内情を知る者ならばそれは、誰かが気安く口に上らせたからといって目くじらを立てるような問題ではないと思っている。

どういう反応を示していいのか、今の発言をイチイに聞き返すべきか無言で探り合う周囲を余所に、シャッターの切れる音が数度続いてからマキはようやくラルゴの背から手を離し、腕の囲いから逃れた。

言い訳は、ない。言い募る言葉も、ない。

それは、幼いマキがスレイサー家に預けられ、幾度も訪ねて来るのに一度も守られない約束を諦めた時、自身に少年が科した決まり事だった。

寂しいと言わない。

帰りたいと言わない。

嘘吐きと責めない。

会いたくないと訴えない。

構わないでと泣かない。

そういうものを。

小さな心を痛めて、そういう我侭を。

言わないと決めた。

様々なものを殺ぎ落としたマキは、だから、話す事を止めた。

膠着状態の周囲を置き去りにしてイチイに近付いた少年は、にこりと微笑んでからカメラマンの太い胴体に腕を回して抱き着き、すぐに離れた。

「お仕事の邪魔しちゃったわねぇ、すっかり。お終いは何時? その後だったら、写真、撮れるかしら?」

再度一眼レフのカメラを振って見せたイチイにマキは、こくんと頷き指を四本立てて見せる。

「四時ね、判った。じゃぁ、その後でまた来るわね、マキ。その時は、ウエイターさんたちもみんな集めててくれると嬉しいんだけど、いいかしら」

台詞の後半を佇むマスターに向けたイチイは、彼の返事も待たずに軽く手を振って踵を返した。

イチイが退場し、探るような気配に晒されて、マキが友人たちに背を向けたまま唇の端を微かに綻ばせて笑う。誰だって気付いていたはずだ。

掲示板に掲げられたロスロイの写真。それが、あまりにもマキと似ていない事に。

だからと言ってやはり何か言い訳するでもなく、マキはくるりと振り返ってミニスカートの裾を翻すと、ラルゴに拉致された少年を追って来たのだろう、ジンたちに笑顔を見せてから―――――。

       

「後で、ちゃんと話す」

      

外見に見合った少年らしい声なのに、弱々しさの欠片もないきっぱりした言い方。

その場に居てそれまでのマキを知っている者たちは、その良く通る透き通った声にどきりとしただろう。少年は、話さない。しかし、話せないのではない。今更ながら再確認して戸惑う。

「……意外と偉そう口調…」

呆然としていたラルゴの心の声が洩れたのに、誰もがなんとなく同意して頷いた。

「あ! マキー!」

いい加減仕事に戻った方がいいんじゃないかなぁなどと元凶? であるマキが思い始めた頃、点在するテーブルの群れの向こうに見えた生徒たちの中からよく知った声が掛けられて、マキとジンとリックが振り返る。

「委員長」

気の抜けた、どこかほっとしたようなリックの声を耳にしながらマキは、満面の笑みで近付いて来るカナンにひらひらと手を振って見せた。とりあえずは、話題転換。それから、シフトの交代作業もしなければならない。

それでマキは、どこか戸惑うように顔を見合わせている上級生たちをその場に取り残して、放置されたままのカフェワゴンへと爪先を向けた。

       

       

平然としたマキに流されるようにして交代したラルゴは、バックヤードの片隅、衣装変えの為にと即席で作られた小さなスペースに閉じこもり、丸椅子に座り込んで自分の膝に頬杖を突いていた。

左右を囲むのは背丈よりも大きな衝立。その上部に渡したレールにカーテンを引っ掛けただけの、本当に突貫で作られた空間が、朝から他人の視線を集めまくっていたラルゴを本来の……少し頼りない表情に戻す。

先端のつんと跳ね上がった長い睫を億劫そうにゆっくりと瞬き、グロスでてらつく形のいい唇から零れた憂鬱な溜め息を床に転がし、ラルゴはなんだかいたたまれない気持ちで苦笑した。

注目されるのは、嫌いではない。そう思い込んでいる。綺麗で生意気そうな顔に見合った「ラルゴ」は、きっと…そうでなければならない。

本当は。

爪先を苛立つように前後に動かし、乳白色の床を無意識に擦る。

きれい。かわいい。なまいき。おうじさまきどり。

右手に置かれている姿見にちらりと視線を流し、ラルゴはもう一度溜め息を吐いた。

「居るのか? 入るぞ」

忙しく立ち回っているのだろう足音を掻き分けて、覚えのあるぶっきらぼうな声を掛けられ、ラルゴは驚いて身を起こした。それと同時にぴったりと合わさっていたカーテンがさらりと開かれ、ギャルソン姿のカナメが遠慮もなしに入ってくる。

「フロアに出てる時間でしょ、カナメ。何かボクに用事?」

萎えそうになる気持ちを奮い立たせていつものように高飛車な問いを投げつけると、カナメはなぜか俯いて仕方なさそうに小さく笑った。

「少しだけ交代時間を延ばして貰った。マキの面倒は、ラドルフがみてる」

後ろ手にカーテンを合わせたカナメが様になった仕草で腕を組む。いつも怒っているような切れ長の双眸から注がれる居心地の悪い視線に、ラルゴはふうんと気のない返事をした。

「で? かわいい後輩に冷たくするボクに、お説教でもしに来たワケ?」

剥き出しの膝を掌で擦りながらつっけんどんに言い放つ、ラルゴ。カナメはそこでも、また少し笑った。

「なんだよ」

「落ち込んでるクラスメイトを慰めに来たとは思われてねぇのか」

言われて、ラルゴはきょとんとカナメの俯いた顔を見上げてしまった。

「………な、何言ってんの、ばっかじゃない!」

自分は別に落ち込んでなんかいないし、慰めて貰うような事など何もないと食って掛かろうとしたラルゴの飴色を、赤味がかった黒い瞳がじっと見据える。

        

「お前、自分の外見にコンプレックスあんだろ」

        

問いではなく。

判っていた事を確かめるような台詞に、ラルゴは思わず口を噤んだ。

緊張に頬を引き攣らせたラルゴにカナメが、静かな笑みを向ける。返事がないのを肯定と取ったのか、普段は口数の少ない青年が、まるで手品の種を明かすように淡々と話し始めた。

「しつこく纏わり付いて来るお前がどこかおかしいと思い始めたのは、もう随分前だ。自分を見て、褒めて、かわいいでしょう、みてぇに振る舞ってるくせに、いつもどこか気配が沈んでる。そのちぐはぐな感じがどうにも気持ち悪くて冷たくしても、お前が俺にやたら構うから、いい加減無視すんのも面倒になってきた」

呆れた空気も溜め息もない、言葉の意味は。

「―――――どんなにいい記録が出ても、注目されるのは顔だけ。少し順位が落ちれば、見栄えばっかりいいはりぼて呼ばわり。誰もボクが、手足にマメ作って立ち上がれなくなるまで練習してるなんて、想像してない」

だから、ラルゴは世間に対してキレた。

だったら徹底的に注目させてやろうじゃないかと。着飾って派手に振る舞って誰にでも媚びて容姿をひけらかして、それで気が済むんでしょう!? と。

「お前が好きにすんのにとやかく言うつもりねぇけどな、マキに当たるなよ」

「ほらやっぱりカナメだってそうじゃない! マキマキって…!」

「あいつは気配を読むのが上手いんだ、多分、俺より。お前、さっきおかしいと思わなかったのか?」

眦を吊り上げて噛み付いてきたラルゴの熱を冷ますように呟き、カナメは腕を組み替えた。

「今日まで、お前が苛ついてたから極力避けてたはずのあいつが、あの、なんとかいう気色悪ぃカメラマンから逃げた時、お前、咄嗟に庇っただろ」

確かに、半泣きで突進されてまずは驚いたが、本気で怯えているらしいマキをイチイから守るように抱き締め返したのは、嘘ではない。

「……だから、何」

睨むようにカナメを見つめて低く呟いたラルゴの、警戒心に満ちた声。

「これが普通のやつらなら俺だってそこまで勘ぐらねぇけどな、お前が本気でマキを突き放そうとしたら、あいつ、あっさり離れてたと思う」

「だから何!」

苛々と怒鳴り返したラルゴの顔から視線を外し、カナメは微かに唇の端を吊り上げた。

「見た目に騙されんなよ。あいつ、あのカメラマンが実は変質者で辺り構わず押し倒そうって魂胆だったら平気でぶん殴るぜ? でもそうしなかったのは、多分お前がマキを守ろうとしたからだ」

見た目に、騙されるな。

「カナメ、何が言いたいの」

剣呑な表情で問うたラルゴをその場に残して、カナメがカーテンに向き直る。

「もういいんじゃねぇのか? 俺も疲れたけど、お前も疲れてるよ」

最後の言葉が床に零れ落ち、ひらりと持ち上げられたカーテンから白い背中が消えて、ラルゴは強張っていた肩の力を抜いた。

子供の頃から、かわいいねと言われ続けていた。始めはなんの屈託もなく始めた陸上競技で注目されると、話題はなぜか記録ではなくその容姿に集中した。きれいでその上スポーツマン。その賞賛が、ラルゴには耐えられなかったのか。

血の滲むような練習をしても、容姿ばかりが取り沙汰されて記録は二の次。大きな大会で入賞し、インタビューを受ける時の始めの一言目は外観を褒めるものばかりで、誰もラルゴの努力には目を向けてくれない。

不満だった。

跳ぶのは楽しい。純粋に、目の前に立ちはだかるポールをぎりぎりでかわす高揚感が好きだ。

それなのに。

底の部分ではきっと真面目で、真剣に競技に取り組んでいるにも関わらず、容姿がそれを邪魔する。涼しい顔でさらりと記録を残し、当然でしょう? と言っているように見える。ラルゴはいつしかそのギャップに押し潰されて、自分を捻じ曲げ自分を守っていたのかもしれない。

彼は、スポーツマンである自分を誇りに思っている。

だからセントラルの入学案内が舞い込んだ時、ラルゴは心底喜んだ。初めて、記録を認められたと感じたのだ。

しかし、蓋を開ければ学園生活に変化はなく、容姿先行の賞賛ばかりが耳に付く。

だから、これはきっと嫉妬なのだと、カーテンを隔てた向こうの音を聞きながら、ラルゴはまた自分の膝に頬杖を突いて溜め息を零した。

マキ・スレイサーという少年は、愛らしいという賞賛の声を綺麗に無視し、守られるときは目一杯相手に甘え、それなのに、そう。

ラルゴはふと、さっきマキを抱き締めた両手を顔の前に広げてみた。

少年には、屈託がない。清潔で健やかで、気負った所もない。外見を褒め称える言葉に恥ずかしそうな顔をしても、それは…それだけだ。

何もその心に届いていないのではなく、その心は何ものにも惑わされない。

「……」

ラルゴ・ミンはその日初めて、自分は酷く気弱で臆病なのだと、気付いた。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む