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EX+3 学祭タイフーン

   
         
(13)

     

『誰だって、自分に対する世間の目と噂が気になるのだと言ったのは、まるでそんなものには興味なさそうな顔をしたヒューだったと思う。

それから。

誰に対しても「イメージ通りの自分」なんて主体性のない人間は、この世に存在出来ないのだと言ったのは。

リリス・ヘイワードだった』

      

      

入れ替わり立ち代わりやって来るクラスメイトの波も引き、最後の一時間はカナメとマキ、ラドルフとラルゴの両方が、フロアを巡回する。

今日の分の軽食は殆どがネタ切れを起こしていて、残っているのはちょっとした焼き菓子と飲み物だけだったが、大抵の生徒たちは既に二回目か…それ以上カフェに足を運んでいるようで特に問題はなかった。

でれでれと鼻の下を伸ばした生徒たちに愛想100%の笑みを向けつつ、ラルゴが茶器の載ったワゴンを押している。その傍らを歩くラドルフが妙な顔をしてちらちら様子を窺って来るのが煩くなったのか、客の姿が疎らになった所で、ラルゴはクラスメイトに視線を投げた。

「どうかした?」

「いや…。なんだか、憑き物が落ちたような顔してるなと思ってね」

飴色の瞳で見上げられたラドルフは言って、正面に視線を向け直した。実際落ちたと思うのは変な色気? というか、周囲に向けられていた媚びた空気のような気がするが。

「やだなぁ、拳闘科のヤツらって…。そういう勘の鋭いところって、キライ」

「…」

キライと言われても判るものはしょうがないじゃないかと内心嘆息したラドルフが苦笑する。先の交代時間冒頭、十分だけ時間をくれと言ってバックヤードに消えたカナメが何をしたのか知らないが、イチイ登場前にラルゴから感じた刺々しさまで綺麗に消えているのに、正直困惑する。

「何かあった?」

「いい事と悪い事」

「……」

笑いを含んだ声音で即答されて、ラドルフはなんとなく肩を竦めた。いい事も悪い事もあったようだが、結果的には良い方に傾いているようだから、これ以上根掘り葉掘り質す必要もないかと踏ん切りを付ける。

敷石の通路をゆったりと歩く途中に呼び止められ、入場口で購入したチケットを手渡されて、ラルゴが紅茶を淹れ始める。それを横目に手際よくテーブルにマットを敷いていたラドルフの腕を、お客の一人がそっと引いた。

「写真、撮っちゃだめですか?」

ちらりとラルゴに流された視線を追って首を巡らせたラドルフは、もう作り飽きた困り顔で申し訳ありませんと会釈した。一人許せばその後は全部を許さなければならない。だから、写真を撮ってもいいのはバックヤード内だけと決めている。

まだ何か言いたそうな生徒たちにお茶と焼き菓子を提供し、ラドルフとラルゴは揃って頭を下げその場からそそくさと逃げ去った。

「もー、明日から思い切って撮影時間とか設けたらいいんじゃない? 断わるのもうんざりだよ」

盛大に肩を落として天蓋を見上げたラルゴの台詞に、ラドルフが笑う。

「こっちとしてはその方が楽だけど、ベイカーさんと中等部のあの二人が許さないだろうな」

言われて、ラルゴは鼻面に皺を寄せた。

「エイクロイドとマツナカ…。見てるこっちが恥ずかしくなるほどマキを甘やかしてるよねー。もう、ベタ甘っていうか、バカだよ、あれは」

辛辣に吐き捨てたラルゴの口調が、でも、なんだか少し以前と違っているような気がして、ラドルフは小さく目を瞠った。

元より少々毒舌な所はあったから内容は大差ないのだろうが、言い方に変な棘がない。

「だからって付き合って自分だけのものにしたいとか思ってないっぽいところが、微妙に子供でかわいいよねー。その辺、余程アブナイのはベイカー部長の方だし。あの人、そのうち何かしでかしそう」

何をだよ。と内心突っ込みつつ、もしかしたら、ウキウキ、とでも表現出来そうな軽い足取りで横を歩くラルゴを恐々見下ろし、ラドルフは今度こそ本気の溜め息を漏らした。

「絶好調だね」

「いい事と悪い事があったから」

額から流れて頬に毛先の掠る前髪を透かして、ラルゴがちらりとラドルフの薄笑みを見遣る。その仕草は今朝までの媚を含んだものと同じだったが、押し付けるように見え隠れしていたわざとらしい色気がすっかりと消えていて、だからなんとなく、コケティッシュで魅力的に思えた。

「吹っ切るにはまだ時間掛かるかもしれないけど、腑に落ちたんだよ」

するりと視線を外したラルゴの横顔。

「―――その方が、ずっといいんじゃない?」

言って小さく笑ったラドルフにラルゴは、何か判っていない、きょとんとした顔を向けた。

        

       

気にし過ぎてどうしようもなかったのだとラルゴは言った。くだらない話だけれど、気にしなさ過ぎて自然体な少年が、羨ましかったのだと。もし彼が有頂天にでもなってくれれば、おかしな屈託を感じる必要などなかったかもしれない。

でも。

少年はその愛らしい外見と相反する芯の強さを当たり前に抱えていて、甘やかされる事に慣れているのにきちんと一人で立っていて。

羨ましくて。

惨めになって。

でも。

       

「正面から見ちゃったら、やっぱりかわいいなーと思うワケでしょう? 人並みに。実際、腹の立つ話だけど、あのコ、かわいいよね?」

     

あんな風に一瞬で物事に対する構え方がころっと変わっちゃうなんてコト、あるものなんですかね。

と、マスターが独り言みたいに漏らしたのを耳にして、大きな身体を華奢な椅子に預けていたイチイがくすりと小さく笑う。

「土台が不安定だったら、あるんじゃないの?」

「…土台ですか?」

何を言われたのか理解出来なかったのだろうマスターが、それまで眺めていた生徒たちの塊から傍らでカメラのフィルターを交換してるイチイに視線を移し、首を傾げた。

「人間の心の土台なんて、意外に緩いモンじゃないのかしらねぇ。あれが好き、これが嫌い、あの人は好き、あいつは嫌い、気に食わない…。それって、自分としては確固たる意志に感じられてるのかもしれないけど、実はいつも危なっかしく揺れてて、ふとした拍子に、スキがキライになったりキライがスキになったりするのよ、きっと」

厳つい顔にしょぼい顎鬚。どう見ても男臭い外見なのにも関わらずやたら堂に入ったおねぇ言葉が、やっぱり少し気持ち悪い。

まるで手元のカメラに話しかけてでもいるように、イチイは顔も上げず少し笑いを含んだ声で続けた。

客の消えたオープンカフェを、競技科と拳闘科の生徒たちの声が彩る。催事時間が終了してから現れたイチイはマキとラルゴとギャルソンたちの写真を思う存分撮りまくってから、最後に、集合写真を撮ってくれると言った。

「君にだって覚えあるんじゃなぁい? 大して知りもしないのにあいつは苦手だーなんて思ってて、でも実は話してみたらすっごい気が合っちゃってー、なんてコト」

「それは…判りますが…」

でも、マスターの言いたいのは、少し違う。同じようでいて、少し、違うのだ。

しかし、実際何が違うのかと問われたら即答は出来そうもないとマスターは思った。確かに、それまで敬遠なのか一方的な遺恨なのかを抱いてマキを敵視していたラルゴが、今は驚くほど穏やかな表情で少年と頬を寄せ合いカメラのフレームに収まっているのだから、イチイの言うのもあながち的外れではないと思うが。

「――アタシ、いい写真が撮りたいのよね」

器用に一眼レフのパーツを交換していたイチイが、不意に言いながらくたびれたニットコートの内側に手を突っ込む。

「だからって、綺麗なモノだけ撮りたいんじゃなくて…、美しいものは美しく、柔らかいものは柔らかく、醜悪なものは醜悪に。判る? どの方向でもいいの、どんなものでもいいの、ただ、ドキッとするような写真を、撮りたいのよ」

言って、にっと分厚い唇を歪めて笑ったイチイは、懐から取り出したいかにも安っぽい…プロのカメラマンが持つにしてはという意味で…小型のデジタルカメラをマスターに向け、なんの前触れもなくカシンとシャッターを切った。

「はい、これが君の悩みの正体」

撮ってすぐにカメラを差し出され、マスターが訝しそうな顔でイチイに近付く。悩み事の正体などと言われても、果たして、自分の悩みが写真になど焼き付けられるのかと思った。

小さなカメラの背面を閉める画面を覗き込んだマスターが、なんだか複雑な気分で顔を顰める。

「つまらなそうな顔だ」

自分の、どこかをぼんやりと眺めている横顔に視線を当てて呟けば、すぐ戻るのは失笑なのか、苦笑なのか。

「だから、君の今の悩みはつまらない事なんじゃないかってコト。写真って瞬間は、自分を取り繕う暇なんか与えてくれないのよねぇ」

さてそろそろ準備できたかしら? と軽い口調で言いながらイチイは椅子から腰を上げる。その気配を感じつつマスターは、小さな画面の中の自分と、その向こうに滲んでいる生徒たちをじっと見ていた。

彼らは、笑っている。小さな画面の中の小さな笑顔の群れ。その手前に一人ぽつんと佇んでいるのだろう自分は、なんて…くだらないのだろうか。

つまらない悩みを抱えて。

くだらない表情で。

何を考えて、何をしたかったのか。

高校生には難しい謎掛けですね。

と、マスターが苦笑交じりに呟いて一歩踏み出すと、先を歩いていたイチイはわざとのように天に視線を向け、大口を開けて笑った。

「それだけ判れば上等だと思うわよぉ? そのカメラ、貸したげるからスキなもの撮ってごらんなさいよ。撮り終わったら、メモリ抜いて進呈するわ」

ばちん★ と音のしそうなウインクをさっと避け、マスターはありがとうございますと小さく言ってから、まず、そのイチイの気持ち悪い笑顔を一枚、ぱしゃりと切り取ってカメラに収めた。

       

いい写真が撮りたいの。笑顔だけなんて無理な注文なんかしないわ。不機嫌でもなんでもいいのよ? でもね、写真に収められる積み重なった時間の最後が笑顔で締め括られた時、凄くしあわせな気分になるのが、いいのよ。

        

ウキウキと話しながら先を歩くイチイの肩越し、マキの金髪を飾るヘッドドレスの位置を直すラルゴの笑みを刷いた口元に、マスターも頷いて、そうですね、と答えた。

2009/02/17(2010/10/06) goro

  

   
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