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EX+4 学祭ハリケーン

   
         
(9)

     

『ラスとロイは、学校が好きだったんだって思う。

だから本当はもっとゆっくり、六年間通っていたかったのかもしれない。

でも。

ラスとロイはセントラルが好きで、セントラルの生徒だって事に誇りをもってて、だから、セントラルを汚す奴らが許せなかったに違いない。』

     

     

休憩時間の残り半分という頃、長机に持ち出したお茶やお菓子で一息吐いたマキが不意に、校内催事案内をジェレミーの前に広げて一点を指差す。

白く硬いカフスを清潔な印象の小さなボタンで留めた先端の、細い指。すんなりとしたそれのおしまいを飾る淡いピンクの爪はどきりとするほど艶めかしいが、良く見れば、その指の節は硬く浮いている。

などという些細な拳士っぷりを完全に無視した一同が、マキの指した校内地図を覗き込む。そこはセントラル正面エントランス奥、校舎内の一角だった。

「あ。これってもしかして、ラス師範とロイ師範の作った、アレ?」

マキの指が示す部分に、セントラルのミニチュアらしいイラストが描いてある。それを見て、在学中にライアスとロスロイが作った「豪華飛び出す絵本」を思い出したジェレミーが顔を上げて問うと、少年は白いヘッドドレスに金糸を纏い付かせながら、うんうん! と満面の笑みで頷いた。

「そういえば、昨日は色々と忙しくてマキくんもまだ見ていないんだったね、その模型。

展示場所は遠くないし、休憩時間が終わるまでに戻って来られるだろうから、どうだろう、ジェイも一緒に見に行くかい?」

果たして、ジンがそんなマキにまつわる大事を「そういえば」などという台詞で思い出すように度忘れするはずもなく、それをいつ切り出そうか場の空気を読んでいたのではないかと考えたカナンが視線を流せば、その先に居た赤毛の幼馴染がすぐに気付いて、にんまりと笑う。

マキはそんなカナンとリックに気付かなかったようで、ジンの提案が余ほど嬉しかったのか、白い頬をピンクに上気させて碧色の目をきらきらと輝かせた。

「少しくらいなら休憩時間延ばしてもいいよ? マキ。その代わり、明日ぼくの友達が来た時、一緒に会ってよ」

テーブルの上に広げられたプチフールの上空で細い指…こちらは、掌側に硬いマメがあるという高飛びの些細な選手っぷりだが…をくるくる回し次の獲物を選んでいたラルゴが仰け反るようにして、カナメの向こうに溜まっている中等部組に声を掛ける。

言われてすぐ、マキはスツールから飛び降りてラルゴに駆け寄ると、小さなケーキを摘んだメイドさんの背中に飛び付いた。それで、どうやら相当嬉しいらしい、とダダ漏れの喜色にアテられてだらしなく頬を緩めた面々を傾けていたカップの縁越しに見遣ったカナメは、今更だろうがと心の中で前置きして、うんざりと呟く。

「…こいつが今さっき自分よりデカい相手地面に転がしたって、思い出せよ…一応…」

愛らしくか弱く見えてもその中身が「ああ」だからこそマキ・スレイサーなのだと、実は、誰もが判っているんだろうなとも、思ったが。

     

     

お客のジェレミーと試合も終わって今日は自由行動だというカナンを含めた中等部組五人がぱたぱたと落ち着きなく会議室から消えて、いっとき静寂が戻る。とはいえ、今だオープンカフェは営業中だから、忙しく歩き回る足音や食器類の触れ合う音、厨房班の交わす声などはなくならないのだが。

部屋の中央に置かれたテーブルで一通り腹ごしらえしたラルゴが、空になった紅茶のカップをことりと置いて、ふうと一つ息を吐く。

「何? 疲れた?」

丁度テーブルを挟んだ向かいに座っているラドルフが目敏くそれに気付いて苦笑しながら問うと、なぜか、ラルゴはゆる巻きにしたポニーテールの先端をぱさぱさと揺らして大仰に肩を竦めながら、首を横に振った。

「ううん。マキ、何にも判ってないみたいだけど、大丈夫なのかなと思って」

言われて、無言でお茶を飲んでいたカナメが横目でラルゴを見ながら、訝しそうに片眉を上げる。

「だって、あの格好だよ? 変に目立っちゃうからさ」

去年の自分を思い出したラルゴが険しい表情で呟くと、ようやくカップをテーブルに戻したカナメがわざとらしく溜め息を吐いた。

「護衛が四人も付いてんだ、下手なナンパなんか近付けもしねぇよ。おまけに見た目どうでも本人はああだぜ?」

ああ。とは、マキの腕っ節の強さを言っているのだろう。それに同意するようにラドルフが頷き、しかし、ラルゴがまた首を横に振る。

「そうじゃなくて。

そりゃ、直接手を出してくれれば一発KOだってのは判るけど、例えばマキが一人で居る時に相手が単純な好意だけで近付いて来たら、あのコ、強くは拒否できないと思うんだよね」

ミニスカートの裾が捲れ上がりそうになるのも気にせず足を組んだラルゴの台詞に、ラドルフとカナメは思わず押し黙った。

それは、なんとなく、判る…。

「だから、周りがどんなに躍起になってマキをへんてこな連中から遠ざけようとしても、本人にその気がなかったら無理でしょ?」

へんてこな連中、で、思わずマスターのにんまり顔を思い出してしまった拳闘科コンビの顔をちらりと見遣って、ラルゴは「あーあ」と大きく声を出した。

「それにさー、学園祭が終わったから終りってワケでもないんだよ? 去年の鼻持ちならないぼくでさえ、付き合ってーとかデートしよーとかいう誘いに何ヶ月も悩まされたんだから」

「……鼻持ちならないって…自覚あったんだな…」

自分で自分を鼻持ちならないと言い切ったラルゴに、カナメが呆れた台詞を吐き付ける。

「ありましたよ、悪いけど。世間がぼくに求めてたのは澄ました女王様だったから、厭味なくらいにそう振舞ったもん」

意外とはっきり告げられたラドルフとカナメが、顔を見合わせ苦笑した。そうか。と思う。判ってやっていたのか、とも。

「だから、ぼくは周囲に冷たくしても良かったんだよね。それで納得というか、当然だって思って貰えたワケだし。でも、マキは違うでしょう? だから、ちょっと心配」

再度肩を落としてテーブルに両肘を置き、組んだ手の上に顎を乗せたラルゴの綺麗な憂鬱顔を見つめ、ラドルフはちょっと笑った。

「心配、ね。昨日までとは大違いだ」

「…何ですか、エルマさん。ぼくがマキを心配したら悪いワケ?」

剣のある声で問われて、女王杯二連覇の王者がますます笑う。

「いいや、悪くないな。むしろ、良い傾向」

「だったらその締まり無いニヤケた顔やめてよ」

つん、とわざとそっぽを向いたラルゴを、カナメが片頬で笑う。

「カナメのエロ臭い薄笑いも禁止」

「ぶっ!」

じろりと横目でカナメを睨んだラルゴが言うなり、向かいのラドルフは吹いたが…。

なんだかんだで五年もクラスメイトをやっているのだから、彼らの間に流れるのは穏やかな空気だった。確かに、気持ち悪い猫撫で声で擦り寄って来るラルゴは鬱陶しいが、こうしてさっぱりとした口調で厭味の応酬をするのは、決して悪い気分ではない。

「まぁ、今ここでこうして心配だ心配だと言っても、どうしようもないけどね。学園祭が終わってから何かあれば、相談に乗ってやろう」

実害がないのでは、どうする事も出来ないし。

「んー。さっさとカレシ作っちゃえばいいのにね、マキ」

と。

にこやかに告げたラドルフに視線も向けず明後日の方向を見たまま、ラルゴがぽろりと零す。

「はぁ?」

カナメ、変な声が出た。

「そしたら、とりあえず、付き合って攻撃は封じられると思わない?」

何かもの凄く良い考えが浮かんだような声を上げたラルゴが、ぱっと視線を正面に戻してテーブルにしがみ付く。

「ね、ね! そう思うよね、ラドルフ」

「そう思うって…、確かに、居ないよりは…」

居た方が?

「だよねー。どうしよ、立候補しちゃおうかな」

で!

「はぁああ?」

カナメ、やっぱり変な悲鳴が出た。

「立候補って、何に?」

「やだなー。今の話の流れを振り返って御覧、エルマさん」

「御覧って、お前、そこおかしいだろ!」

「カナメ、うるさい」

きっ、と睨まれたカナメが絶句し。

「そういうのって早い者勝ちじゃないけど、先手必勝? ってコトもあるし」

いや、それもどうだろう。と、ラドルフは内心嘆息し。

「ミン理論で行ったら、一番有利なのは既に告白も終わって交際を申し込んでいる段階にある僕だと思うんだ」

「「「うわぁあっ!」」」

突如。

長机の頂点部分から掛けられた落ち着いた声に、しかし、そこに人が居たと気付いていなかった三人が、奇妙な悲鳴を上げて椅子から転げ落ちそうになる。

「ベイカーさん!」

「…いつの間に…」

「―――…」

拳闘科の二枚看板にさえその気配を悟らせず近付いていたマスターは、赤くなったり青くなったり忙しい下級生を見つめて、眼鏡の縁をきらりと光らせ微笑んだ。

「そういう相談事に僕を誘わないなんて、酷いなぁ、君たち」

ふ、ふふふふふ。

マスター・ベイカー。神出鬼没だった。

     

   
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