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EX+4 学祭ハリケーン

   
         
(8)

     

『ヒューへ

たのしい事はずっと終わらないでいてくれたらいいのにって、思う。

でも、次のたのしい事のためには、一度終わらないといけないのも、判ってるよ?

だから、来年の学園祭はもっとずっと楽しいといいなと思います!

マキ』

     

     

先の「似非公開実技」が利いたのか、バックルームからフロアに戻ったマキたちは、格段に周囲から声を掛けられる回数が増えた。元より可愛さで目立っていた二人のメイドさんに加えて、大人びたギャルソンたちの見事な立ち回りが「かっこいい」ものに憧れる少年たちの心を捉えたのは、致し方あるまい。

写真撮影は不可とカフェの入り口に書いてあったが、名前を尋ねていけないとは、残念ながら書いていない。おかげでカナメはフロアを一周する間に自分とマキの学年と名前を百回くらい言うハメになり、途中ですれ違ったラドルフもうんざり顔で同じような事を言っていた。

バックルーム手前に二基のワゴンを並べて置きオーダーされた品が揃うのを待ちながら、綺麗に撫で付けた黒髪を掻き毟りたい衝動と戦いつつ、カナメが溜め息を吐く。その視線の先ではマキとラルゴが、お互いのヘッドドレスを直し合っていた。

何故そんな行動になったのか不明だが、いつの間にか自分のポニーテールのお終いを摘んだラルゴがその先端でマキの額を擽り、擽られたちびっ子が首を竦めてくすくすと笑っている。楽しそうというか仲が良さそうというか……微妙に眼福、と、常のカナメならば有り得ない腐った思考に、青年は酷く衝撃を受けて眉間に皺を寄せた。

「去年と違って今年はなんだか得した気分じゃないか? カナメ」

「何が」

自己嫌悪で地面にめり込んでしまいそうなカナメを知ってか知らずか…というか、多分知っているのだろう。何せ、声が少し笑っている…ラドルフが軽く腕組みしたままマキとラルゴに視線を当てて呟く。

それに返ったぶっきらぼうな不貞腐れ声がおかしかったのだろう、女王杯二連覇の王者は、爽やかな甘いマスクを正真正銘の笑顔で飾り、ようやく級友に視線を移した。

「マキくんもだけど、ラルゴもさ」

言われて、カナメが無言のまま肩を竦める。

本当の所は内に篭って窺い知れず、外にはわざとらしい媚に包んだ棘だけを見せていたラルゴの気配が、昨日を境にすっかりと変わっていた。良い傾向だと、ラドルフもカナメも思う。他人の美醜をとやかく言う方ではないし、周りがそう言うからという訳でもないが、自然体で少々毒舌で、でも、ああやってマキとふざけているラルゴは、正直、きれいだ。

その外見の良さが青年の足を引っ張っているのだとしたら、口に出すべきではないのかもしれないが。

「僕は、好きだな」

「………」

と、自分の顔から離れたラドルフの視線がじゃれあうマキとラルゴの頭上に戻るのと同じ速さで、カナメは傍らの友人を振り向いてしまった。

ラドルフ・エルマというのは、人の前に立つ事を厭わず無邪気で博愛。豪腕でありながらそれをひけらかすでもないから生徒の人気も高く、だからなのか、不用意に他人についての好き嫌いを口にするような青年ではない。

嫌いを嫌いと言わずにいる事は、いいだろう。良い心がけだ。しかしカナメは、中等部一年で出会ってから今までの短くない間で、ラドルフが誰かを「好き」だと言っているのを、初めて聞いた。

それは果たして、ラブか、ライクか。

しかも。

「どっちだ」

なんとなく声を潜めて問うたカナメを、ラドルフがちらりと見遣って薄く笑う。これは答える気ねぇなと相手の発する柔らかい拒絶の空気を読み取って、黒髪の青年は大仰に息を吐いた。

一瞬逸らした視線をまたマキたちに戻したラドルフが、組んでいた腕を解く。

「賭けようか、カナメ」

「…何を」

「告白する権利」

「は…?」

余りにも唐突な話に虚を衝かれたカナメが、彼らしからぬ間の抜けた声を上げると、ラドルフはしてやったりと言わんばかりのにんまり顔で、友人を振り返った。

「今年の女王杯で優勝したら僕は好きだと告白する。それを阻止したいなら、カナメ、最後まで本気でやれよ」

伸ばした指先でカナメの胸をトンと突いたラドルフが、颯爽と歩き出す。支度を終えたワゴンを指差しながら未だマキとふざけているラルゴを仕事だと呼び寄せる背中を見たまま、カナメは呆然とするしかなかった。

どういう意味だ?

なんの事だ?

どうして。

「―――俺に、どうしろってんだ」

マキなのか。

ラルゴなのか。

それから。

勝手にしろと咄嗟に言えなかったのは、なぜ、なのか。

バイバイとラルゴに手を振ったマキが小走りに向かって来るのを感じながら、カナメは眉間に深い皺を刻んだ。

     

     

ランチを挟んで暫しの間フロアに出ていたメイドさんたち四人が解放されたのは、ジェイが控え室に置かれて一時間も過ぎた頃だった。ここで普通ならば見知らぬ場所に一人残された友人を心配すべきがマキの役割なのかもしれないが、少年はそこのところに全く不安を持っていない。

まず、ジェイは人見知りなどしない。しかも、未だに六中…以前マキの通っていた中学…での出来事を今の友人たちに話した事がないから、話題にも事欠かないだろう。

ようやく仕事から解放されてちょっと疲れた溜め息を吐きつつ、もしかしたら、マキを含むスレイサー家の話もジェイがしているかもしれないとマキは一瞬思った。が、すぐに思い直す。

多分、ジェイはその話を「自分がしてもいい」と言っただろう。しかし、ジンとリックは。

断ったっぽいかな…。

確証があった訳ではないが自然にそう思って、マキは愛らしい唇に小さい笑みを載せた。

先にワゴンを片付けたラルゴに急かされて慌てた少年が、慣れない厚底ブーツの爪先を敷石の段差に引っ掛けて転びそうになったのを、傍らのカナメが腕を伸ばして支える。細い二の腕を掴んだ大きな手にほっとしつつ柔らかな金髪をぱっと散らして振り返れば、なぜなのか、いつもより二割り増しで不機嫌そうな上級生に「どん臭ぇ」と言われてしまったが。

視線も合わせず呟かれた失礼な台詞にむっと眉を寄せたマキを、駆け寄って来たラルゴがカナメから奪い取り、綺麗な顔を自然に崩してべーっと舌を出す。

「カナメってば優しくなーい」

「うるせぇよ」

最早何が自分の不機嫌の理由なのか判らないカナメは抗議するラルゴにも冷たく言い放って、硬く閉じていた控え室のドアを開けさっさと室内に消えた。

それを、ラドルフが笑っている。

カナメの晒した背中に、ラルゴがきゃんきゃんと文句を言っている。

自然に繋がれた手を、マキは嬉しいと思った。

だから。

話さなくちゃ。

今日ではないかもしれないし、すぐ明日かもしれないが、マキは自分と家族の本当をいつかきちんと皆に話さなくてはいけないと思う。

それが、マキの考えた周囲に対する誠実さだった。

言葉は、怖い。いらぬ期待を抱かせて、失望させて、誤解させる。幼い頃からずっとそう思い続けていたからこそ、マキはその恐怖から逃げるように口を閉ざした。しかし、少年は日々成長し、いつしか判る。

言葉は、怖い。でも、言葉は優しく、柔らかく、誠実にあろうとすれば怖いだけのものではない。

ラルゴに手を引かれてバックルームに戻ると、部屋の中央に置かれた長机にお茶とお菓子が広げられ、ジンとリックとジェレミーが何か話していたようだった。三人からはつい一時間前に知り合ったとは思えないような気安さが感じられて、マキは知らず小さく微笑んでいた。

「おー、お疲れ様でーす」

全体的に黒を基調とした四人が近付くと、最初に振り向いたのはドアに背を向けていたジェレミーで、声を発したのはリックだった。

「良い子で留守番してた?」

飴色の毛先を揺らして小首を傾げたラルゴがわざとのように言うと、大きく表情を動かすでもないがやや砕けた口調で、ジンが「はい」と答える。

「最後の出番まで一時間くらいしかないから、校内全部は案内出来ないよ? シュルツ君」

きちんと返答してくれたジンに綺麗な笑顔を見せたラルゴがジェレミーに視線を移して言うと、少年は慌てて首を横に振った。

「いいですよ、別に。皆さんお疲れでしょうし」

実際、ジェレミーの目的はマキの顔を見る事だけだったので、オープンカフェ以外の催事場所さえ確かめていない。だから逆に、どこかに行きたいかなどと訊かれてしまったら困る。

「あ、そういえば、シュルツ君?」

「ジェイでいいです」

などと、適当な位置に置いた椅子に腰を下ろして休憩するラドルフとカナメを尻目に、長机に軽く腰を下ろしたラルゴがジェレミーに「結局、君、何しに来たの?」とか、今更ながら酷い質問をする。それを背中に感じつつマキは、競技科の厨房担当者から売り物の焼き菓子を一つ貰ってにっこりと微笑み、周囲を幸せムードで包んでいた。

そんなほのぼの感一杯の室内を、ラドルフが薄く微笑んだまま見回している。

いつの間にかジェレミーの横の椅子に腰を下ろしたラルゴが、きゃらきゃらと笑いながら何か毒を吐いていた。その屈託のない笑顔が眩しい。中等部の有名人二人は、身振り手振りを交えて面白おかしく六中時代のマキの話しを披露するお客に相槌を打つようにしつつも、競技科の生徒に囲まれたふわふわの少年を気にしている。

その少年は。

清楚な白と黒を身に纏い、可愛らしく小首を傾げていて、どこからどう見ても「守ってあげなくちゃ!」という容姿をしているにも関わらず、だ。

必要とあらば一瞬でその気配を硬く険しいものに塗り替え、誰にも屈せず、誰にも気圧されず、その小さな身体からは想像もつかないような気迫と圧倒的な支配力を持って、全てを捻じ伏せようとする、拳士。

微笑ましいというよりもびしりと背筋の伸びるような気分になってマキを見つめていたラドルフは、ふと、あの少年はハリケーンみたいだと思った。

吹き荒れて全てを浚って行く。

否応もなく掻っ攫って行く。

ラルゴの屈託も。

カナメの怠慢も。

ラドルフの、鬱憤も。

全てを全てあっという間に一緒くたに掬い上げて掻き混ぜて、バアンとどこかに吹き飛ばしてしまう。

天災だなと、そう思った。

ハリケーンの後には何か来るのだっただろうかと一人表情を引き締めたラドルフを含む室内の気を引いたのは、唐突に開けられたバックルーム出入り口の立てるやかましい音。

「マキー!」

飛び込んで来たのは、柔らかなプラチナブロンドを散らした、カナンだった。

「おー。おかえりー、委員長」

「あれ? カナンちゃんどこ行ってたの?」

「委員長、試合はどうだったんだい」

「? ああ、委員長って…カナンくんだっけ? マキのクラスメイトな」

リック、ラルゴ、ジン、ジェレミーがそれぞれ口にする中、カナンは肩に掛けていたドラムバックを床に投げ捨てるようにして置くと、競技科の生徒に囲まれていたマキに飛び付いた。

「もちろん勝ちましたー! っていっても、僅差の辛勝だけど」

マキと手を握りあってぴょんぴょん跳ねていたカナンが、長机に顔を向けて肩を竦め、てへ。と笑う。いやいや。例え実業団チームが二軍でも、勝てば上出来ではないか。

おめでとうとかやったねとかそれ誰?とか幼馴染の同級生とか。忙しく交わされる弾んだ声の真ん中で、酷く嬉しそうに頬を赤くして笑っているマキにしがみついたカナン。

それを見て。

「…ちび嵐二号…」

ついラドルフがぼそりと呟いて、それをうっかり拾い聞いたカナメは、飲みかけの紅茶を吹き出しそうになった。

     

   
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