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    落花の壺    
       
其の一 憑き物有りて、其の者を乞う(2)

  

 案内された豪奢な応接室を眺め回し、半兵衛が呆れた口調でぼそりと呟く。

「なんで金持ちってのは、こう有り物ばかり集めたがるんだろうねぇ」

 骨董品好きだという主のコレクションは、半兵衛にとっては…正直、胸が悪くなる程悪趣味で、物騒極まりない類の物ばかりだった。

「曰く付きの品は得てして、その曰く込みで高価になるモンじゃからな」

 その言い方が、だから金のある奴にしか手が出せない、というニュアンスのものなのか、だから金持ちが躍起になって欲しがる、というニュアンスのものなのか計り兼ね、半兵衛は微かな苦笑いを混ぜて武義に応えた。

「俺に迷惑掛けないなら、誰が欲しがっても文句は言わないんだが」

 どこまで行ってもだらしなくソファに埋まった半兵衛が、すでにこの部屋に通されてから三本目になるキャメルに火を点す。

「……ハラ減ったな」

 背もたれに身体を預けて傍らにある中国の文机に視線を据えたまま、彼がぽそりと呟いた。大きくてやや無骨な指が煙草を摘まみ、微かに唇から浮かせる。

「出たら喰うぞ」

 色の濃いサングラスの下で黒い瞳がぎらりと光り、呟いた口元には……。

 獣の、鋭利な牙が覗く。

 ゆらり、と空気が動いた気配に、武義が半兵衛に顔を向けた。

 身動ぎもしないながら、彼の全身からは薄ら寒くなるような気が発散されている。それは別段珍しい事ではなかったが、さすがに、なんの前触れもなくいきなり始められると、知った人間でさえ竦み上がってしまう。

「それはなにか? サービスか?」

「気まぐれ。好奇心の強い小僧がいたずらしようとしたから、ちょっと脅かしただけだ」

 笑いながら灰皿を引き寄せる頃にはすでにあの冷えた気は霧散し、睨まれた文机も沈黙を守っている。

 正体の知れない男。人外のものどもを、ひと睨みで黙らせる。

「…安い古書でもあの机に入れといてやれよ、じいさん。そしたら余計ないたずらしないだろうからな。出来れば、漢時代のものがいいだろう」

 灰皿に灰を落し、どうでもいいように付け足す。

 半兵衛がやる気なく生あくびを噛み殺した直後に応接室のドアが開き、でっぷり太った主が姿を表した。

「いつもいつもすいませんな、五代翁」

 そらぞらしい挨拶を交わす中年と老獪を見つめつつ、半兵衛は無言で立ち上がった。

 と、それまでまったく彼の存在にさえ気付いていなかったかのような驚きの表情で、主が一歩後退る。

「こちら…は?」

 目を真ん丸にして問い掛けられた武義が、好々爺たる笑顔で半兵衛に頷きかけた。

「はじめまして、わたくし、こういう者でして」

 素っ気無く握手を交わし、これまた素っ気無く懐から取り出した名刺を主に押し付ける、半兵衛。その名刺に視線を落とし、はっとして顔を上げた主人が、何かを確かめるように武義に問う。

「……では! こちらが?」

 とそこまではよかったが、主はいきなり、さも胡散臭そうな視線を半兵衛に突き刺す。

 複雑にあいまったその視線を幾度となく経験している半兵衛は、完全にそれを無視して勝手にソファに腰を落ち着け、失礼、と小さく前置きしてまた新しい煙草に火を点けた。

 だからつまり、「有り物」の払いを頼んでくる人間ほど、「憑き物」を信じていないものなのだ。曰く付きの伝説に飾られた高価な骨董を所有するにあたり、形式だけでも大仰に払うふりをしてもらって、お払いしたから大丈夫、と枕を高くして眠り、垂涎する同胞にその「有り物」を自慢したいだけ。そういう人間が望む「憑き物落し」とは大抵、怪しげな衣装を纏って奇声を発したり、大道具を持ち込んで焚き火をしてみたり、訳の判らない紋様の描かれた布切れを一帖分広げたりするのだろうが、残念ながら半兵衛には、そのつもりも必要も無い。しかしこの男、憑き物落しだとか探偵だとか言う肩書きなしにしても、普段から怪しい事この上ない風体をしているのは否めない。

 今時廃れ気味のソフトリーゼントに、夜でも滅多に外さないサングラスは色が濃く、真昼の室内でも視界が悪いのではないだろうかと思われるほど。そうそう涼しい季節でもないのに今日も高価なダークスーツをびしっと着込んだ長身に、サングラスのせいでモンタージュ状にしか見て取れないまでも相当な男前と判断できる顔立ち。ときて、怪しくない訳がない。

 言葉に詰まった主を気にした風もなく、武義は、さっそく仕事に入ろうかと身を乗り出した。

「とにかく、例の品を拝見できますかな? ご主人」

 あぁ。と慌てて応えた主に促されて、二人は応接室の更に奥、十二帖ほどの小部屋に通された。

 飾り立てた応接室に比べて質素なこちらは、白壁を三方に囲まれ東向きの窓が一つあるだけのもので、がらくたまがいの骨董品が並べられているだけだった。が、ドアを開けた主が一歩踏み込み、それに老人が続こうとした途端、半兵衛は武義の肩を後ろから掴んで強引に引き戻した。

「?」

「……壷か?」

 唐突な呟きに、振り返った主がぎょっと目を剥く。

「なぜ!」

「過去の経験上、壷とか筒とかの類には敏感でね」

 武義が応える間もなく半兵衛は、苦笑いを浮かべて室内に足を踏み入れた。

 刹那、鳩尾の深い部分で、なにかがごそりと蠢く。

「…出番じゃないぜ」

 身体の奥から沸き上がってくる猛烈な空腹。半兵衛は首の後ろに手を当てて俯き、ふうっと強く嘆息した。

「ハラ減ったな」

 目の奥がちかちかしだす。サングラスの中で明滅するそれが眩しくて、気を抜いたら狂ってしまいそうだった。

「その壷に、名前はあるか?」

 幾分辛そうに天井を見上げ、再度溜め息。呆然と立ち尽くし、その半兵衛を驚愕の表情で見つめる主に追いすがった武義が、にやりと口元に不敵な笑いを浮かべた。

(…上々の反応じゃな。楽な仕事じゃろう?)

「落花の壷と呼ばれておる」

 さして広くない室内に、作り付けの飾り棚。それには大小様々な壷が並べられており、華を描き込んだ姿の美しいものもいくつかあった。

 落花、というからには花と関わりがあるのだろう。しかし首を巡らせた半兵衛はその飾り棚ではなく、窓辺に無雑作に置かれた大きな花鉢に顔を向けた。

「壷じゃねぇだろ…あれは」

 背が高く手足の長い半兵衛でもひと抱えはありそうなその巨大な鉢をいっとき見つめ、武義と主人に動くなと手で示してから、おぼつかない足取りで窓に向かい始めた。

「失敗した。変な色気出さずに、ジョンローンも連れてくればよかったな」

 三つ、の中で一番無力な自分を恨めしいと思っても、すでに後の祭りである。半兵衛は、何事も無くその壷から因縁が逃げ出してくれるように祈りつつ、鉢の正面に立った。

 柔らかい土色の、直径一メートルはくだらない大鉢。甕に似た湾曲と金魚鉢に似た縁の波形、一面に描かれた、枝をいっぱいに広げた椿の模様が美しい。

「落花…椿か。ぞっとしないな、首切り花だぜ」

 子供の掌ほどもある椿の花は、まるで本物のような質感に、光沢と色彩を持っていた。だから余計に、その花の毒々しさが伝わってくる。

 半兵衛は額に冷や汗を浮べながら、あの真紅の光りを回す黒い瞳でその大鉢を睨み、落とし込んだ声でいきなり脅しつけた。

「おとなしくするならよし。そうでなけりゃ……喰うぞ」

 威嚇するように開かれた口元から、鋭い犬歯が零れる。

 途端!

 気配を殺して虎視耽々と周囲を窺っていた「なにか」が一気に加速をつけて鉢から溢れ出し、ずるずると床を這いずり回る。それと同時に天井付近まで立ち上がった、黒く霞む巨大な影。正体は見えないが「いる」と確信した半兵衛は、忌々しげに舌打ちした。

「失敗した! くそっ」

 東側の窓から射し込んでいる筈の陽光が陰り、急に視界が薄暗く感じられる。が、それはあくまでも半兵衛にだけ起きている現象であり、彼の背後にいる武義と主人は、なにが始まったのかさっぱり判っていなかった。

 歯噛みしつつも一旦後退しようとした半兵衛の腹部に、なんの前触れもなく真正面から強烈な衝撃。ざわつく周囲に気を取られてどれがどう移動しているのか判断しかねていた彼は、不甲斐なくも、見えない何かに痛烈な一撃を叩きつけられ、きょとんとする武義と主の足下に背中から突っ込んだ。

 ようやく、主人が青ざめる。

 とんでもない事態が目の前で繰り広げられている、…実感のない…、現実。

 したたか打った身体の痛みに顔を歪めつつ跳ね起きた半兵衛は、武義と主人を突き飛ばすようにして部屋から追い出し、サングラスが飛んでしまったせいだろうか、眩しそうに目を細めてしきりに瞬きを繰り返していた。

 黒い瞳。真紅の光が回る。

「ぎゃぁぁ!」

 いきなり、主人が叫んで腰を抜かした。

 じろりと一瞥してくる、その瞳。到底人間ではない光をぎらぎらと回す…。

「とりあえず、あの部屋ごと封鎖するしかないか。……俺一人じゃ手に負えそうもない」

 主人の悲鳴を無視してそう吐き捨てた半兵衛は、サイドボードの上に置かれているペーパーナイフを掴むと、例の小部屋前に引き返していった。

「じじい! この仕事、五割り増しだから憶えとけよ」

 はいはい、と暢気に応えた武義を、床に尻餅をついたままの主人が恐ろしそうに見上げる。

「絶対喰ってやる!」

 半兵衛は一声吠えるなり、ペーパーナイフを深々と自分の左掌に突き刺し、思い切りよくかっ捌いた。

 切れ味の悪いペーパーナイフで無理矢理引き裂かれた皮膚を割って、どす黒い体液が吹き出してくる。それを握り込んだままづかづか小部屋に舞い戻り、足首に得体の知れない何かが絡み付いて来るのを蹴飛ばす仕草で追い払って、半兵衛は一直線に窓に向かって突き進んだ。

 指の隙間から流れ出す血液。撒き散らす。

 赤黒いそれがはたりと床に着いた途端、上等な絨毯から微かに白煙が上がった。この男の血液は、一体どうなっているのか。

 半兵衛はさも不愉快そうな顔で手を開き、べたりと窓に押し付ける。そのまま反時計回りに室内を一週して、丁度床から一メートル五十センチほどの高さに、赤黒い血の帯を描き出す。

 飾り棚の骨董品や壁、ドア、窓に至るまでなすりつけられた半兵衛の血が、うっすらと白煙を上げ始める。それに、困惑しているのか、室内の空気が震えた。

 窓まで戻って最初と最後をきっちり繋ぎ、まるでその血の帯に触れるのを厭うようのたうつ気配をを無視して踵を反した半兵衛が部屋から出ていくのを邪魔するように、濃密で湿った空気が果敢にも進路を塞ごうと立ちはだかる。しかし彼は不意に閉じた瞼を一瞬で開き、赤光を放つ黒瞳で虚空を睨み据え……咽の奥で威嚇するように唸った。

 獣が、咆哮の前に放つ低い唸り。強く冷たい風と同じ温度の…。

 瞬間、小部屋の空気が激震。見えない圧力に耐えかねた壁と窓が、びりびりと大音声を轟かせて歪んだ。

 歩みを遅める事無く退室した半兵衛は、後ろ手にその華奢なドアを閉じ、振り向いて、そのど真ん中にまたもべったりと自分の血をなすりつけた。

「準備を整えて明日の夜にもう一度来る。それまで、絶対に誰もこの部屋に…」

 どん! と無人の室内から苛立たしげな衝撃音。それはまるで、巨大な「何」かが藻掻き苦しみ、ドアに体当たりしているもののように聞こえた。

 床に座り込んで腰を抜かしたままの主人が、半べそをかきながらじりりと後退る。

「入れるなよ。……死にたくないならな」

 ドアにくっきりと付いた自分の血糊を睨んだ半兵衛は、懐を探って置き去りにしてしまったサングラスの替わりを取り出すと、吐き捨てるように付け加えた。

「壺とは、シャレにもなりゃぁしねぇ。この俺さまが、たかだか壺にしてやられるなんてぇのはさぁ」

 ……まるで別人のような、飄々とした口調で。

  

   
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