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    月に吼える    
       
(1)完全世界儀

       

 ワタシは、全てを観察する者。この世界の全てを見つめるだけの者。

 物語を編む者ではないワタシが、なぜ、こうしてここに居るのか。それはこの世界の理(ことわり)を正確に伝えるため。

 それがワタシの役目。

 ワタシの観察する世界はいつの頃からか混沌(カオス)に飲まれ、勢力の二分したホロスコープ、その一方によって、慈しむべきヴァルハラは消し去られようとしていた。

 しかし、ヴァルハラに滲出(にじみだ)しついにはホロスコープにまで侵攻しようとするゲヘナはそれを阻止せんと数多の眷属をヴァルハラに送り出し、ゲヘナの侵攻を阻止すべく、ホロスコープを支配するに至った「南宮(なんぐう)」は数々の軍勢をヴァルハラに放つ。

 現在(いま)、ホロスコープとゲヘナに翻弄されるヴァルハラは、戦場。光と闇とが鬩(せめ)ぎ合い、本来ヴァルハラにおいて自由な信仰と堕落を選び、安寧に、低調に栄えるはずのか弱き者どもは、絶対的な絶望に晒されて、滅び行くのを待っている。

 いいや。待つはずだった。

 ヴァルハラにおける力の均衡が破られたのは、いつなのか。ワタシは全てを観察する者だったが、ワタシを観察し記憶する事は出来なかったから、知らない。

 ワタシは。

 ホロスコープにおいて全てを観察する者とし永劫に存在するワタシは、ある時ホロスコープ最奥(さいおう)の水迷宮(すいめいぐう)暗室から連れ出された。

 ワタシを連れ出した歴史書は、言う。

 予言書の予言通り、処女宮(しょじょぐう)最後の正当な女神がホロスコープからヴァルハラに下(くだ)り、混沌の夜から生まれた無軌道の彗星(ほうきぼし)と出会った。と。

 世界の全てが混沌(カオス)に冒された瞬間も、ワタシは見ていた。

 深く濃く、美しい紅色に弱々しく輝く女神がホロスコープからゆっくりと離れたのも、透明な平板に現されるヴァルハラと、暗黒に囂囂と紅蓮の劫火燃え盛り、固く小さく凝縮された砂礫(されき)の堆(うずたか)く聳(そび)えるゲヘナの狭間で生まれた、長く真白い尾を引く漆黒の彗星(ほうきぼし)が、微かに触れ合いながらすれ違ったのも、ワタシは、ただ見ていた。

 歴史書は尚も言う。

 予言書も自分も、混沌(カオス)の只中では意味を成さない。お前だけが頼りなのだと。

 本意なきホロスコープを棄ててヴァルハラに下(くだ)ったワタシたちは、「その時」が来るのを、本質を隠し転生を繰り返しながら、待った。

 待った。

 彗星と女神がもう一度関わり合うのを。

 そして。

 ゲヘナとヴァルハラの狭間で生まれた彗星によって、ホロスコープ最後の正当な女神が「堕天」するに至るのを。

         

「げちぇわよ!」

「覗き見はよくありませんー」

「お前ら、そんな及び腰でヴァルハラを解放出来ると思ってんのかい? 甘ちゃんどもめ」

        

……。なんにせよ、ワタシたちの思惑は一致している。最後の最後で何があろうとも、ヴァルハラを人の手に委ねる。それがワタシと、予言書と、歴史書と………、ホロスコープの身勝手なやり方に抗議してヴァルハラに降りた女神の目的でもあった。

       

「でも問題は…、あの強ぢょーな「無軌道の彗ぼち」にゃ」

「今度覗き見してるのが判ったら撃鉄を上げます、って笑顔で言ってました」

「………ああ、そういえば…そうだったな」

       

 結局相手が神でも人でも悪魔でも、「こころ」という複雑怪奇な要素が絡んで来ると、予想も予言も今日まで積み重ねて来た過去の成果さえも、役には立たないという事か。

 だから物語は面白い。

 そして、結末はまだ先の事だろう。

 それまでワタシは観察し続ける。

 そして予言書は語る。

 女神は、堕天するだろう…と。

 予言ではなく。

              

「水と油。光と影。でも、男と女」

         

 そういう事か…。

  

   
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