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人喰い地下道 | |||
(1)-(6) | |||
(1) ねぇねぇ知ってる? 一女の友達から聞いたんだけどさ、どっかの駅から駅裏の商店街に抜ける地下道でね、その友達の友達の先輩が行方不明になったらしいの。 そこ、「人食い地下道」って呼ばれてるんだって。 夕方そこに駆け込むと、地下道に食われちゃうって話だよ? 怖いよね。 他にも居るらしいよ、食われた人。 アスカちゃんの友達の先輩も、食われた人知ってるって言ってたらしいよ? 怖いよね。 食われちゃたら怖いから。
みんなに教えてあげよう?
(2) 警視庁都市生活安全対策課勤務の警察官、大嶺嶺−オオミネ リョウ−は、ややこしい自分の名前の次にその場所が嫌いだった。 「なんだ、ミネか。所長ならそこ」 秋から冬に移り変わろうとする晴天の日、カラー舗装の歩道に注ぐ陽光は柔らかで、通り過ぎる風は少し冷たい、リョウの好きな季節の狭間。しかしこの場所はいつでも陰気で空々しく、薄ら寒い。 およそ来客を想定しているとは思えない間取り。 入口から続く平べったい階段を十三段下り、錆びの浮いた鉄扉を空けるとまたも平べったい階段を十三段上り、結局地上じゃないかと今日も悪態混じりに思う。 コンクリート剥き出しの階段を上りつめると、なぜかいつもその女がKOOLを咥えて暇そうに突っ立っている。年齢不詳の小柄な女の名前は、牧菜則−マキ ナノリ−。変な名前だと思う。少し、自分の名前が好きになる。 派手目の顔立ちにショートカット。いつも紫系の開襟シャツに黒い細身のパンツを身につけ、先端が凶器みたいなハイヒールを穿いている。 ナノリが立っているのは階段の真正面で、背後には身を屈めなければ入れないだろう小さなドアが埋め込まれた、コンクリートの壁。やたら天井が高く、しかし全体が四畳半くらいしかない正方形の中央に、彼女は「いつも立っている」。 彼女には挨拶せずに、リョウは百円ライターの尻で指された左方向に顔を向けた。間取りというか構造そのものが妙な室内。ナノリの右、リョウから見て左の正方形の角は細く切り取られていて、その向こうにもっと広い、閑散とした空間が見える。 見るまでもなくその空間に配置された物が想像出来て、リョウは顔を顰めた。革靴を擦った跡だらけの床に置かれた、黒いソファとアンティークな肘掛け椅子。テーブルはなく、サイドボードもテレビもステレオもなく、つまりはたったそれだけの空間には、「いつも」男が一人と女が一人と、少女が一人居る。 その空間を百円ライターの尻で指したまま微動だにしないナノリの気味悪さに圧されて、リョウはわざと溜め息を吐きながら左に爪先を向けた。 毎回、二度とここには来るまいと思うのに成功した試しがないのを、彼女は今日も怨んだ。 自分をか。 課長をか。 都市伝説。 都会の暗闇なんかクソ食らえと彼女は胸の内で吐き棄てた。
(3) パンプスの踵を鳴らして、通路というべき細い隙間を擦り抜けると、まず、女が振り返る。 彼女もいつも、ナノリと同じように立っている。 胸元の大きく開いた、ノースリーブのワンピース。歩いたら太腿が半分は剥き出しになるだろうスリットの入った、やたら身体にフィットした黒いそれ以外の衣装を彼女が着ているのを、リョウは見た事がない。 「来た来た、フキゲンヅラのミネ」 ふふ、と官能的な声で囁くように笑ったのは、金髪碧眼の女、リィリィ・ルゥ。明らかに偽名。不法滞在が不法就労でいつか検挙されればいいのにとリョウは今日も思う。無理だけれど。 彼女には日本人の夫が居る。地位も身分も申し分ない、立派な紳士が。 「オオミネ、リョウです」 リョウ、の部分に力を入れて言い直してやったら、ルゥはハハハと声を立てて笑った。 「オオミネ、でしょう? にっくねーむ、OK?」 OKじゃないわよ。と内心言い返すも、リョウは大袈裟に肩を竦めたルゥから目を逸らした。付き合っていられない。早く帰りたい。 その間も停滞なく突き進んだリョウの視線は、彼女に背を向ける格好で置かれている肘掛け椅子に移っていた。飴色の作るラウンドが美しいそれには、あの少女が座っている。 「いつも」と同じに。 菊花−キッカ−という名のおかっぱ頭のその少女は、かわいらしいドレスを纏い、腕に小さな黒猫のぬいぐるみを抱えていた。 今日は黒い髪に映える白いレースに濃い紫のビロードを合わせたヘッドドレスと、同じ色のゴスロリ系ワンピースに、白いニーハイソックス、エナメルの靴を履いている。 キッカの横まで進んで足を停めたリョウはそこで、始めて薄い笑みを見せた。椅子の背凭れに手を置いて身を屈め、無表情に正面だけを見ている少女の顔を覗き込む。 「こんにちは、菊花ちゃん」 ギギギ、と音のしそうな硬さで、少女の首が動いた。 首だけが。 見えざる手に頭を掴まれて、無理矢理捻じ曲げられるかのように。 横を向き、それから上空を見上げ。 ビー玉みたいに澄んだ黒い瞳がリョウを見る。 「こんにちは、ミネ」 にこ。とキッカは微笑んだ。無表情な少女の顔が笑みに変わり、またすぐ無表情に戻る。 か細く愛らしい声は子供らしく明るい。しかし、行動が全くと言っていい程ともなっていない奇妙さに、リョウは今日も怖気を感じた。 そしてその全てを。 リョウのこれまでの行動の全てを。 男は、壁を背にしたソファにだらしなく座って、ずっと見ていた。
(4) リョウは屈めていた身を起こし、意を決して正面に向き直った。 ラスボス健在。目的のためには居て貰わないと困るが、リョウの精神衛生上消えててくれたら有り難い。それもやっぱり、無理だろうけれど。 「伊佐間探偵」 必要以上に警戒を込めたリョウの声に、伊佐間纏−イサマ マトイ−は軽薄そうな印象の顔をますます軽薄に崩してへらりと笑った。 「はいはい、なんでしょーか、ミネちゃん」 これだ。 外見は、悔しいけれど悪くない。 モード系のダークスーツに上物らしい革靴をぴしりと着こなす、細面の優男。金色のメッシュを入れた飴色の髪は毛先が自然に遊び、やや目尻の下がった甘いマスクと合間って、探偵ではなく人気No.1ホストと言われた方が信用出来そうだった。 だったら騙されても文句は言えない。 そうじゃないから、警戒心剥き出しになるのだが。 「協力を、お願いに来ました」 「そりゃ苦痛だね。俺は仕事が嫌いなんだよー」 わたしはお前が嫌いだ。とリョウは心の中で言い返す。実際声に出した所でなんら問題はなかったが、どうせ適当な返事で流されて不機嫌になるのだからと、無駄な労力を惜しんでみる。 「課長からの依頼です。目を通して頂けますか」 確認するというよりは押し付ける口調で言い捨てたリョウは、スーツの懐から取り出した封筒をマトイに向かって投げつけた。彼女は、こうするためにわざわざ封筒底にクリップを貼り付けてから職場を出ている。意外にマメな性格なのか…。 ソファからはみ出した持て余し気味の膝に見事封筒が着地するとすぐ、マトイは額に手を当ててげたげた笑った。 「ミネちゃん最っ高」 お前と一緒に外を歩くくらいなら断わってくれた方がいい。という、しっかり準備されたあからさまな行動を笑われて、リョウは結局不機嫌になった。
(5) 「あー。うんうん、あの地下道か」 散々笑ってから封筒を開いたマトイは、広げたA4サイズの依頼書を片手で顔の前に翳し、さっと目を通しながら頷いた。 「なになに。地下道の「口」が通行人を食う? 口があって腹が減ってりゃ食うでしょー」 「生き物ならです」 「地下道は食っちゃいけないと?」 「良い訳がありません。地下道は生き物じゃない」 「はいはい、ごもっともですよ」 「常識の話をしています」 茶化すな、バカ男。 リョウは辛抱強く、苛々を腹の底に飲み込んだ。 軽薄な物言いも、適度に人目を引く二枚目面も、悪くないネクタイのセンスも、マトイの何もかもがなぜかリョウの気に障る。だから彼女は男を「嫌い」なのだと思った。もしかしたら極端に苦手なのか。
正体の判らないものに対する畏怖と、生理的に抱かねばならない嫌悪。
なのかもしれないが。 「常識ね、素晴らしい幻想」 不快と苛立ちを飲み下して渋い顔をしたリョウにではなく、独り言みたいにマトイが呟く。 「この世はその素晴らしい幻想で正気を保っています」 「だからそれを俺に取り戻せと」 「………」 顔は書類に向けたまま、ちらりと目だけで下から窺われ、リョウは思わず表情を強張らせた。 色の薄い、灰色の冷たい瞳。 「無茶苦茶いいねぇ、ハレルヤ。ミネちゃん、オウチに戻ってボスに泣き付く準備はオーケー?」 手にしていた書類をぱっと宙に放り出して相好を崩したマトイが、組んでいた細長い足をこれ見よがしに解く。 「お仕事大好きやる気十分。と、仕事は頼むが顔を出さないかちょーさんに伝言よろしくぅ」 酷く緩慢な仕草で腰を上げたダークスーツの男が、ポケットに手を突っ込んで近付いて来るのを、リョウはじっと見ていた。 爪先がぶつかるほど傍に寄り。 「俺は、君が、大好きなんだ」 ポケットから取り出された、異様に冷たい指先が頬に触れて、にやにや笑いの消えない唇がリョウの固く結んだ唇に触れて。 離れ。 リョウはキッとマトイを睨み上げると、すぐさま踵を返して、荒々しい足取りで部屋を出た。
背後で、ルゥがけらけらと笑っていた。
(6) 地下道の入口は、何の変哲もない駅の片隅に、いかにも普通に口を開けていた。 朝晩の通勤時はいわずもがな、日中でも比較的通行量のある市街地の一画にその駅はあり、利用客は多い。 ショッピングモール併設の駅は全体が開放的で明るく、中央改札は地上二階部分。ぺデストリアンデッキを蓄えた駅から縦横に続く線路の群れを越え、いわゆる駅裏に出るために作られた地下道は拡張工事を繰り返し、今では駅周辺に七つの出入り口を持つ巨大構造物になっていた。 ひっきりなしに流れる人、人、人。 歩調を崩さず駅舎から改札に向かうサラリーマン。 休みなく出入りを繰り返す列車から吐き出されて来る数多の人間。 動き、動くものの只中で地べたに座り込み、くだらない話題に盛り上がる若者たち。 忙しい日常を遠巻きに眺めながら、ルゥは小さな丸テーブルに頬杖を突いて、平和って滑稽だわ、と微笑ましくも思う。 行き過ぎる大抵の人から驚きの視線を貰っている彼女が居るのは、ガラス張りの駅舎が良く見える、ペデストリアンデッキを庇代わりにしたオープンカフェの片隅だった。 さすがにノースリーブのままではなく薄いジャケットを羽織ってはいるが、大きく開いた胸元から零れる谷間を隠そうともせず、白い太腿を惜し気もなく晒しているものだから、道行く男性はアホ面を下げて彼女を凝視し、女性たちは羨望と嫉妬の眼差しを遠慮なく向けてくる。 そういう視線をどうでもいいもののように無視するルゥが見つめているのは、駅舎と、地下道の入口。 地下道の入口とはいえ、そこは殆ど駅構内と変わりない明るさを保った場所だった。 床から天井まで総ガラス張り。一枚ごとに嵌め殺しと片開きのドアとになっていて、今、ドアは常に開放されている。季節が変わって冬にでもなれば、事故防止も含めて閉じる事もあるのだろう。 都合四箇所あるドアの他にも駅舎から繋がる通路が横に設けられていて、ゆるゆると人が流れているのが見て取れた。 なんの異様さもない、都市にありがちな光景。 ルゥは退屈そうに息を吐き、白い手首に回した高級そうな金色の腕時計に視線を落とした。 時間は、午後二時四十分。 駅裏から地下道に入ったマトイとキッカが、何もなければ、そろそろ出て来る頃合いか。 リョウが出て行ってすぐ、マトイが早速下見に行こうと言い出した。
「いきなり直接対決? マトイも食われるわね」 「まさかそれ希望? イレーネは残酷だ」
よよとソファに泣き崩れる振りをしたマトイに意味不明の笑みを向けてから、ルゥ…イレーネはちらりとキッカの様子を窺った。 少女は、黒猫のぬいぐるみを抱いて無表情を保っている。
「今日はタカアキと食事の約束してるのよ。夕方までに帰りたいわ」 「ああ、大丈夫大丈夫。だって、まさか人食い地下道でもさ、ケツから栄養摂取しないでしょー?」
ソファに座り直したマトイが笑顔で言うなり。
「あははははははははは」
キッカが、まるで字で書いたように抑揚なく、声を立てて笑った。
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