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人喰い地下道 | |||
(7)-(11) | |||
(7) 駅裏側の「出口」周辺は、商店街だった。 真新しい、整備されたばかりのタクシープールには無数の車輌が停まっていたし、目的地は知らないが高速バス乗り場もある。 ロータリーの中央に立つ時計。 時間は、二時三十分を少し過ぎたところ。 マトイが周辺を満足行くまで眺めた頃、傍らに立っていたキッカが急に歩き出す。腕に黒猫のぬいぐるみを抱えたゴスロリ少女は、連れの男など頓着せずにカラー舗装の歩道を突っ切って、地下道の出口に向かった。 防犯のため夜間にはシャッターが下ろされるのだろうそこに、ドアらしいものはない。横幅は五メートルほどで、内部はいきなり急な階段になっていた。 「意外と明るいね」 「意外と明るいね」 やや距離を取った状態のままマトイが簡単な感想を漏らすと、キッカは首だけをギギギと回して男の言葉を復唱した。少女の足取りはしかし、首をマトイの方へ向けているとは思えないほど淀みない。 「落ちるよ、キッカ」 「落ちないよ、マトイ」 言葉通り、キッカは前を一切見ないまますたすたと階段を降り始めた。 階段の内側は全体に白いタイル張りになっていて、左右の手摺に倣うように、クリーム色のラインがモザイクで描かれていた。長方形のシーリングライトは白色。足元もコンクリートではなく白っぽいタイルで、いかにも地下道的な薄暗さはない。 階段から続く筒のような通路に下りても、キッカは歩調を変えなかった。さすがに首をおかしな方に捻じ曲げたままでないだけ、見た目先よりマシだったが。 歩く少女と二メートル程の距離を取ったまま、マトイも歩く。 両手をポケットに突っ込み、あちこちきょろきょろと見回しながら、歩く。 とことこと、キッカの足音がタイルに反響し。 こつこつと、マトイの足音がタイルに反響する。 少し真っ直ぐ進むと、距離は短いのに意外と幅を取った踊り場を持つ階段があり、踊り場部分に脇道が口を開けているのが見える。 「別れ道だね、キッカ」 「別れ道だね、マトイ」 階段の途中、正面からとぼとぼと歩いて来たサラリーマン風の中年男性が、距離を取ったまま会話するキッカとマトイに不審げな視線を送って来た。 それに、愛想よく笑顔を見せる、マトイ。 中年男性が、慌てて二人から視線を逸らす。
「マトイ」
男性が足早に二人の傍らを歩き去ってすぐ、キッカは階段の踊り場で足を停め、全身でマトイに向き直った。
「こっちは女、孕むところ。口から入ったマトイは行っちゃだめ」
キッカは言いながら、手にしていた黒猫の首を掴んでぶら提げ、それを脇道の暗闇に向けた。
(8) 「あらら、そりゃ大変。後でマキに見て来て貰おう」 くわばらくわばら。 マトイは肩を竦めて、小首を傾げた。 「地下道にガキ生ます甲斐性は、まさか俺にもないしねー」 男の軽口など意にも介さず、言いたい事を言って気が済んだらしいキッカが、またも正面を向いてすたすたと歩き出す。 それを追いながら、マトイは顎に細い指を当てた。
−こっち、は、女。という事は、七つの出入口のうち「口」は表の一箇所だけで、うち一つは今入って来た「出口」だから、残りは五つ。その一つが「女」だって言うなら、男もあるのか?−
大した距離もない階段を下り切った途端、地下道の薄暗さが一気に増す。どうやら明るく保たれているのは出入り口付近だけで、蛇のように地下を走る坑道そのものはコンクリート剥き出しの、いかにもな陰鬱さに満ちていた。 とことことキッカが進み。 こつこつとマトイが進む。 それまで直線だった坑道がやや左にラウンドし始めた頃、キッカがまたも足を停めた。
「マトイ」
どこかから若い女性…もしかしたら学生かもしれない…のきゃぁきゃぁした声だけが響いて来る中、キッカはまたもマトイに向き直った。
「あっちは淫売、享楽だけのところ。口から入ったマトイは行っちゃだめ」
キッカは言いながら、手にしていた黒猫の首を掴んでぶら提げ、それをラウンドした地下道のふくらみ辺りに向けた。 だらり。と手足を伸ばした黒猫が、濁った緑の瞳で恨めしげに中空を見つめる。 途端、一際大きな笑声とばたばたした靴音が道内に木霊し、時おかず、平らだと思われた壁面の一部から、数人の女子高生が姿を現した。 「…コメントし辛ぇ…」 下着の見えそうなミニスカートを穿いているのに大股で歩きながら地下道中に反響するような声で笑う少女たちを渋い表情で眺めたマトイが零すなり、キッカが黒猫をぶら提げたまま笑った。
「あはははははははは」
少女たちはその甲高い、抑揚のない声に驚いて口を噤み、びくりと足を止め。 キッカは何が可笑しいのか笑い続け。 マトイはポケットに手を突っ込んだまま呆れて苦笑した。 「いつか警察に通報されて、ミネちゃんに小躍りされそうだなぁ、俺」 リョウに哀しいくらい嫌われていると自覚しているマトイは、言って、自分で少し傷付いた。
(9) 薄気味悪いものでも見るような、不審げな表情で身を寄せ合う少女たちに結婚詐欺師紛いの笑顔を見せつつ、マトイはまたも歩き出したキッカを追って進んだ。 後頭部に突き刺さる変質者扱いっぽい視線に一秒ほど泣き、しかしすぐにそんな憂鬱など忘れて、目前を歩く少女を追いかける。 ラウンドのふくらみに差し掛かってようやく、少女たちが姿を見せた通路の口を確認したマトイは、ふんと鼻を鳴らして息を吐いた。 「にしても、自殺者の幽霊云々とかいう依頼ならまだしもいきなり人食い地下道とは、趣味が渋いな、ミネちゃん」 オカルト紛いの都市伝説といえば、探せば幾らでも出て来る闇金並みの平凡さだと常々マトイは思っている。 事件性のあるなしに係わらずというならば数十は下らず、実害を伴ったものでも常に一つ二つは存在する、「都市の闇」。 その中からこの地下道を選んだのは、果たしてリョウなのか、リョウの上司…課長と呼ばれる男…なのか。 そんなどうでもいい事を考えているうちに、突如視界がひらける。 そこは、一見すると円形の広場になっていた。どこにも直線の見当たらない壁面に囲まれた場所の中央には水場があり、さらさらと音を立てて水が流れている。地上六十センチ程の高さの縁の手前には、等間隔にベンチも置かれていた。 果たしてこの水はどこから来てどこへ消えているのかと内心首を捻る、マトイ。別にどうでもいい事だろうし、地下道の只中に憩いの場があるのも別に珍しくはないのだが、何か、妙に気に掛かる。 その水場の真ん中には緑の茂った植え込みがあり、どう見てもコンクリートで造形された風の岩がごつりとふたつ突き出していて、なぜか、大きい方の上に。 「ゴム製のカメ?」 ソフトビニールらしい素材の、間抜けにデフォルメされたカメが横倒しになって転がっていた。 進むキッカを無視して、マトイが足を停める。 ポケットに両手を突っ込んだまま周囲を見回しても、他に特筆すべき所はない。壁面には青空をイメージしているのだろう水色に白の塊が遊ぶモザイク模様で、北から南に抜ける通路以外に口は見当たらないから、エントランス的に利用されている様子でもない、本当にただの広場だ。 昼の時間帯を選んだせいか、地上に比べて地下道の人通りは少ない。それでも、連続はしないが時折人が現われて、キッカとマトイの脇を通り抜け北側の通路へと消えて行く。
「マトイ」
その広場の意味が判らないなと考えていたマトイを、水場を挟んだ正面に立ち停まったらしいキッカが呼んだ。
「怪獣に触っちゃだめ」
言われて、きょとんとした顔で水場の中央を見てから、マトイは薄い唇を不器用に歪めた。 「子供らしい、ナイス発想だね、キッカ」 そう口の中で呟いて、マトイはまた歩き出した。
(10) リョウには苦手なものがある。 まず、虫。 種類としては平凡だが、彼女にとってそれは重大な問題だった。何せやつらは、いつ何時どこにでも居る。 特にだめなのが順番にムカデとハサミムシとゾウリムシとクモなのだと、気の強い元女刑事が涙目で訴えた時、課長は笑顔でこう言った。
「大丈夫だよ、オオミネ君。アレが姿を見せるのは、あのコの前だけだから」
だから全然問題ナッシング! と美女紛いの白皙に能天気な笑顔を浮かべた上司に、リョウは軽い殺意を抱いた。 「というか、ケムシとかはいいの?」 「だめですけど、アレは幼虫なので我慢できます」 意味不明の理由で除外された幼虫たちに思いを馳せつつ、課長は肘掛椅子を四分の一回転回させて足を組み、重々しく頷いた。 「判った、じゃぁ、拳銃の使用許可を出しましょう。撃ちたい時は好きなだけ撃ちなさい。それで君の精神が正常に保たれるのなら、僕は口煩く言わない」 これまた意味不明の理由で射撃許可を貰ってしまった。 少し得をした気分でリョウは、それから、と言い足した。 「幽霊とか、本当にだめなんです」 「オカルト系都市伝説も?」 「怖いじゃないですか」 「まぁ、怖いよね」 「怖いんです」 少しでも切実に見えるように、聞こえるように細心の注意を払って、リョウは固い表情で何度も何度も頷いた。 鞭打ちになりそうなくらい。 「信じてるの?」 女性的で柔和な笑顔の上司にしては怪訝そうな表情で問われ、リョウは一瞬戸惑ってしまった。 「信じてません」 「幽霊とか、超常現象とか、宇宙人とか」 「怖いんで」 だからない方が自分にとって都合がいい、という意味合いを込めた短い台詞を、課長があははと声を立てて笑う。 笑われてもいいから、頼むから不採用にしてくださいとリョウは切に願う。これでもう手詰まりで配属先が警視庁の掃除係…多分そんなものはない…しか残っていないとしても、こんな部署に係わるくらいなら甘んじて受け入れようと覚悟を決める。 リョウにとってそれは、田舎に帰れと言われるのに比べればずっとずっとマシなのだし。 「オカルトって単語、今じゃ相当広範囲に曖昧な使われ方してると僕は、あくまでも僕はね、そう思う訳なんだけど」 外の騒音が酷く遠く聞こえる、部屋。 所狭しとガラクタのようなものが散乱した、なのに嫌に明るい部屋。 積み上がった書類の山に押し潰されそうになりながら、課長は直立不動のリョウに冷たい白皙を晒し、薄っすらと微笑んだ。 「本来は、「隠されたもの」って意味のラテン語から来ていて、「目で見たり触れて感じたりすることのできない」ものを指すんだよね」 だから、都市伝説にはオカルト紛いのものとそうでないものが存在する。
「君は、自分の目の前で起こったあの「事件」を、自分で「オカルト」だって言うの?」
その質問に答えられなかったのが、オオミネリョウの運の尽きだったのか。 彼女は翌日正式に、金食い虫で役立たずのオカルト集団と警視庁内で噂されている、別名「都市伝説対策課」に配属される。
いわゆる、左遷だった。
(11) 結局、上手い事を言って丸め込まれただけなのではないかと、リョウは今日も上司を軽く怨んだ。彼女があの男を怨まない日は、殆どないのだが。 元より勝気な性格が災いして、配属後の彼女は「金食い虫の役立たず」という庁内の認識を払拭すべく精力的に仕事をこなしている。おかげで、オカルト系都市伝説になる寸前だった、満月の通り魔事件だとか、ホームレス失踪事件…というのも少し妙なのだろうが…だとかの犯人を順調に検挙していた。 どうせ事件性の有無から調べなければならない、訴えも出て居ない事柄を虱潰しに当たる仕事なのだからと、なんとなく、最近中高生の間で話題になっている「人食い地下道」に手を出したのが、つい四日程前の事。 彼女はそれで奇しくも、またも因縁の人物を順繰りに訪ね歩かねばならないという、自分で自分の首を絞めるハメになった。 「…一体、どんな罰ゲームよ」 マトイの事務所を出たリョウは、その足で最寄り駅まで移動し地下鉄に乗った。 昼日中、午後二時少し前という恐ろしく半端な時間だからか、地下鉄は空いている。 相当疲れた気持ちでシートに腰を下ろした彼女は、黒い壁面を映す窓に浮かび上がった自分の顔をぼんやりと見つめた。 常識という幻想で身を固めた世の中は、非常識と言う理解不能の現実を排除しようとしている。 オカルトというカテゴリは都合よく使われ、事実でありながら説明「する事の出来ない」事象を上手く操作する常套手段に成った。 と、あの「事件」の時、あの少女はリョウに言った。
「言っとくけど、別に刑事さんを非難してるワケじゃないから。っていうか、正気でいるには色々否定しといた方いいと思ってるし。 だから、刑事さん。 余計な事、外では言わないでよね」
その時の不愉快さを思い出し、リョウは、高速で流れ去る蛍光灯の滲んだ光を睨んで苦く息を吐いた。
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