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    人喰い地下道    
       
(43)-(44)

   

(43)

友達の友達から聞いたんだけど。

         

地下通路の天井に張り付いた蛍光灯が、ぱぱ、と短く、点滅した。

固く閉じていた瞼を上げる。

「何したいって、そりゃぁミネちゃん、俺はキミの言う通り地下道の口を塞ぐだけでしょ」

階段を背にして佇むリョウの数メートル先、件の「鰐」に喰われる直前と同じように、マトイはポケットに手を突っ込んで立っていた。

先と違う所といえば、二人の間、足元で奇妙な生き物がのた打ち回っている事くらいか。リョウはいっとき男を睨み、それから、地面に視線を落とした。

それは、やはり鰐に似ていた。大きな口に硬い鱗、胴体と尾が少々長く見えるが、短い手足の先端に黒光りする鋭い爪もある。

「…これが地下道の「口」ですか」

「現代風に言うならそうかな。元々は「竜」だけどね」

また眉唾な名前が出て来たと不快そうに眉根を寄せたリョウを、マトイがくすくすと笑う。

「今回もまたミネちゃんは「アタリ」を引いちゃったねぇ。ご愁傷様」

マトイの誠意のない声を聞きながらも、リョウはコンクリートを転げ回って苦しむ鰐を見ていた。何があったのか。「悪いもの」でも喰ったのだろうそれは、ぱくぱくと苦しげに開閉を繰り返す口から黒血を吐き、撒き散らしながら、長い身体を捻って悶えている。

ついに白っぽい腹を天井に向けてひっくり返った鰐が、短い手足を激しく痙攣させて血色の泡を吐きぐねぐねと弱々しく身体をくねらす。その腹の真ん中は紫に変色していた。

「人喰い地下道」の死ぬ瞬間。

伝説も、都市伝説も、死ぬ。

がくん、と一度大きく背を逸らせた鰐が沈黙し、リョウは知らずに詰めていた息をそっと吐いた。地面と言わず壁と言わず散らかった赤黒い体液がしゅうしゅうと白煙を上げ、周囲に酷い、腐った生ゴミのような匂いが立ち込める。

報告書も何もいらない事件の顛末。

「人喰い地下道」と表記された資料だけが、施錠されたロッカーに積み上げられて終わるだけだ。

しかし、噂は残り。

三軒街駅の地下道は、ずっと「人喰い地下道」と呼ばれるだろう。

そのうち、弛緩した鰐の手足、尻尾、細長い鼻の先がぶすぶすと紫色に泡立ち始め、その泡が徐々に全身を覆って行く。弾ける水泡は先より強烈な腐臭を立ち上らせて、リョウの機嫌をますます損ねた。

「ここにはむかーし「竜ケ滝」って沼があったんだよねぇ」

その、リョウのしかめっ面をにやにやと眺めていたマトイが冷たく清浄な声で呟くなり、二人の周囲を水の匂いが走り過ぎた。床から天井まで、地下道いっぱいに満たされた「清流」の気配に、リョウは足元に落としていた視線を正面の男に戻す。

「近くに集落が出来た頃から水が悪くなって、元々棲んでた「竜」までいつの間にか汚染されてさ、餌にしてた小魚や水棲の生き物が少なくなったのも手伝って、いつからか、人間を襲うようになった」

「なら、「竜」は被害者じゃないんですか」

いっときも留まらずに背後から前方へと流れる、冷たい水。リョウは寒そうに腕をさすりながら、凍えた声でマトイに言い返す。

「確かにそうなんだけど、「竜」は大きくて強く、人間はか弱い。だから、原因どうこうじゃなくって、人間は「自分たちが被害者」だと主張したんだね」

人間の事情にも竜の事情にも無関心に、マトイが淡々と言う。リョウはそれを、まるで現代における様々な人間の暴挙を咎められているような気分で聞いていた。

        

「因果応報。自ら撒いた種が実を結ぶれば、善悪に関わらず落ちた実は我に戻らむと予見者は申された」

       

「…被害妄想で身を固めた人間が悪いと?」

少々退け腰に問うたリョウの緊張した声に、マトイがやけに気に触る笑いを返す。

「地下道の口を「縫い付けてでも閉じろ」って俺に言ったのは、ミネちゃん、キミだよ」

言われてリョウは、笑うマトイを呆然と見つめたまま、背筋を凍らせた。

         

(44)

翌日、わざわざ遠回りして普段は通らない「三軒街駅地下道南口」を使って登校して来たヤハギシノは、少しつまらなそうに言った。

「なんか、すっかり掃除されてて地下道内水浸しだったけど、何もなかった」

何もなかったって、一体シノは何を期待していたのだろうと内心苦笑しつつも、ユライがへぇと答える。

「んじゃぁ、今度は夕方に南口から飛び込んでみればいいんじゃない? ヤハギ」

「いーやー! ハクオウくんてばもしかして、アタシが地下道に喰われちゃえばいいとか思ってるの!? サイテー」

握り拳でばんばん机を叩きながらきーきー騒ぐシノからうんざり顔を背けたユライと、溜め息を吐きながら肩を竦めたケンナリが頷き合う。放っておこう。OK。

「やだなぁ、ヤハギ。もしかして、「人喰い地下道」の話、本当に信じちゃってるの?」

愛用の電子手帳に何かを書き込んでいたハクオウが、少女のような顔に胡散臭い笑みを浮かべて小首を傾げる。

「ハクオウくん、信じてないの?」

噂好き、怖いもの好きのシノにとってはいい「仲間」のはずのハクオウに否定的な事を言われて、少女が勢いを無くし小さくなる。

「野球部の三年生も食われてるのにー」

「一人消えたくらいじゃぁねぇ。それに、神隠し的蒸発事件てのは意外にも色んなところで突発的に起こってるんだよ? ヤハギ、知らなかったでしょう」

「え、嘘!」

本当だよ。などと話題が脱線するのをぼんやり眺めるユライのポケットで、携帯電話が震える。断続的に三回の振動はメールの受信を報せるものだった。

取り出した、赤い携帯電話。

「あ、リョウさんからだ」

思わず口に出し、シノとハクオウにきらきらした目で見つめられつつメールを開くと、そこには短くこう記してあった。

         

「「人喰い地下道」、資料室に移動。協力に感謝。

今度、パフェでもおごる。お友達も一緒に」

        

「って事は、あれ、ただの「噂」だったんだ」

ぱたん、と携帯を閉じたユライが微かに笑いを含んだ声でいいつつ、シノを見遣る。

「資料室に移動って、調査終了のお知らせだから」

「んー。そう考えると、都市伝説対策課って夢のない仕事だね。だって、結局のところ、それはただの噂だよ、って解明しちゃったんだもの」

何かを書き込み終えた電子手帳を閉じて制服のポケットに突っ込む、ハクオウ。その平素と同じ表情を、シノが苦笑して見ていた。

「それを言ったらお終いだよー」

確かに、もう少し「不思議」を残して欲しい気持ちもあるけど。と付け足した少女を、ユライとハクオウが少しだけ笑った。

真相はいかに。

消えた男子学生と、粘着質の沼の水。

それらを放置してリョウが資料を片付けたという事は。だ。

「ま、都市伝説ってそれだけじゃないから、リョウさんも、噂にばっかり構ってられないんでしょうよ」

ユライは、何も知らないふりをして、そう、言った。

          

2008/11/14(2009/01/31) sampo

       

   
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