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    占者の街    
       
第一章 保安官・ネル・アフ・ローの場合(1)

   

 ここは西部、子供が乱暴に書き殴ったひし形に似た大陸の中心を真っ直ぐ北から南に貫く中央山脈の、そのまた真ん中あたり。毛細血管のように派生した小ぶりな山々が、いつしかなだらかな荒野に取って代わろうか、という汀(みぎわ)、険しい山道に連なる街道、緩やかな坂道が一月以上も続く迂回路、近隣の領主区へ向かう街道枝線などがごっちゃに入り交じった、なかなか、賑やかな場所。しかし、この近辺最大のゴルドン・オーソン領主区に含まれる、そういった街道や迂回路筋に点在する小さな町や村は十数集落に及び、成り行き、領主の目の届かない場所では小粒なのから重大なのまで、様々な犯罪が横行する、治安の悪い場所でもあった。

 治安が悪い。となれば、やる気ない治安維持と大いなる金儲けに余念ない悪党ども、バスター連中にとっては、路銀稼ぎの格好のスポットである。

 悪党ども。明確な「国」という統治単位の存在しないこの大陸において、唯一全土を通じて適用される「バスター規約」なる独自の法律だけを重んじる、特殊職業集団。大陸統一を謳う自治区代表が、治安回復という建前で寄せ集めた「大陸保安部」から発行される「指名手配書」に乗っ取って「賞金首」を狩り立てる賞金稼ぎども、などというと多少は聞こえがいいかもしれないが、その実、バスターという彼ら悪党のやり方は悪人に勝るとも劣らない凶悪さと乱暴さを極め、しかし一般市民に危害を加えないところから、彼らは親しみと嫌悪を目いっぱいに込めて、「悪党」と呼ばれた。

 通常、大陸の常識として町や村、もっと大きな領主館のある街に至っても、それらは全て「城壁」に囲まれている。理由は、「金貨を十枚持って暗闇を歩いたら一分で命ごと取られる」という極めて治安の悪い現状によるものなのだが、バスターは、その悪人どもに立ち向う事を義務付けられ自らの命を金貨で切り売りする悪党どもは、城壁の中で安寧を貪る事を許されていない。

 悪党は人を殺す。当たり前のように。そんな非道な連中を穏やかな生活を営むべき囲いの中に招き入れるものか、と口汚なく罵った輩に、どこかの悪党は言った。

「…金貨一枚指で弾いて、その手で隣人を指差し「そいつを殺せ」と平気で言うお前らがどれだけお綺麗なのか、機会があったら教えてくれよ。同じ口で我が子にキスをくれておやすみを言うお前らの口が、どれだけ清らかなのかもな」

 悪党は、殺せと命令されて殺す必要悪は、それを「表がありゃ、裏もあるもんさ」と……笑う。

 例外がいくつかあるとはいえ、囲いの中で休む事を許されていないバスターには、城壁の外側に専門の宿泊施設が支度されていた。そこでは体を休める事の外、仕事の請け負いや情報交換、必要装備の入手から簡単な治療まで、たった一件の宿「バスターズ」で何でも出来た。わざわざ方々足を運ぶ手間がなくて便利だ、と利用者たちは言うが、裏を返せば、彼らはバスターズに辿り着けなければ延々と野宿を繰り返さなければならず、必要な品物も、最大の武器になりうる情報も手に入れられない、という事にならないだろうか。

 別にバスターだからといって、普通の商店で買い物が出来ない訳ではない。街道で食料を補充する事や装備を新しくする事も、当然、彼らは旅の途中でするのだし。

 しかしその時、悪党にどこかで護って貰っているはずの善良な市民は、不承不承市価の倍以上、という法外な値段でしか品物を譲らない。

「所詮、誰かの命と引き換えに手に入れたあぶく銭なんだろ?」

 口には出さないまでも(何せ悪党ときたら、市民に手は出さないがその風貌だけで子供が逃げ出すような恐面、と相場が決まっている)冷たい視線に晒されて、しかし彼らは、腹を立てても言い値で品物を譲って貰うしかない。

 悪党で生きようとするならば絶対に守らなければならない、規約。それは、下手な自治法よりも明確に、ありとあらゆる禁止事項を儲けていた。

 バスターは、罪人だという。生きても死んでも構わない、幽霊のようなものだと。悪人を「吊るす」代わりにまだ生き続ける事を許された、残された命に恵まれているだけの、屍。

 彼らは、悪党について多くを語らない。

 彼らは、自らについて多くを語らない。

 忌み嫌われ蔑まれても、絶対に……………隠された真実を、語らない。

 悪党は、罪人。悪人にならず屍になった、罪人(つみびと)。

 その罪は、透明過ぎて正体も判らないという。

 その、悪党どものたむろするバスターズでいかにもひ弱そうな保安官がひとり、緊張に頬を引き歪ませて小さくなっていた。

 場所は、先に述べたゴルドン・オーソン領主区南端に近い、ミムサ・ノスという…、ちょっと変わった村の側である。

「別に取って食おうってんじゃないんだから、いい加減その青い顔やめてくれない?」

 汚れた窓を背にして全身をがちがちに緊張させた若い保安官の正面から、いかにも面倒そうな女の声。口調のぞんさいさを差し引いてもその声は、冷え切った湖面を通り過ぎる風のように耳に冷たく軽やかで、目を転じれば声の主は、心臓が鼓動を忘れてしまいそうになるほどの完璧な美貌を湛えていた。

 バスターズには不似合いな、真紅のハーフコートの美女。大きく波打つ腰まで長い髪は、真夏の夕暮れ、太陽が一番美しく輝く中でもいっときしか見せてくれない茜色を纏った、豪華なピンクゴールド。すらりと長い手足。ややふくよかさには欠けるが十分に魅力的な胸元を晒し、黒いビロードに透明な宝石を嵌め込んだチョーカーで首筋を飾っている。

 そしてその、美貌。新雪よりも木目細やかで真白い肌に、薄っすら濡れたラズベリー色の唇。小作りな鼻を伝った先には、細く吊り上った形の良い眉。その、もしかしたら人形のようにさえ見える無機質な美しさはしかし、毛先のつんと跳ね上がった長い睫に彩られる強烈な印象のグランブルーの瞳を得て、「彼女」を女神さえ羨む大陸一の美女に仕立てていた。

 彼女、バスター・チェス・ピッケル・ヘルガスター…。

「こんな顔しときゃねーちゃんに取って食って貰えるってんなら、オレが今すぐこの若いの放り出してそこに据わるって手もあるな」

 いひひ、と意味不明の笑いを漏らしたのは、うんざり顔のチェスの右手、保安官から見ると左側の床に座り込んだ大男だった。笑う動きに合わせてテーブルの縁(へり)から突き出したマッドブロンドのモヒカンが揺れ、背中に数本流した三つ網と、それを飾る大粒ビーズが触れ合ってかちゃかちゃと音を立てる。

「あんたじゃ肉が固そうだもの、こっちから願い下げよ」

 浅黒い肌に大造りな、厳めしい顔つき。左の小鼻と眉に金色のピアスを光らせ、それと同じくらい物騒な光を湛えた灰色の瞳で保安官を見上げてから、筋肉隆々の肩を器用に竦めて見せる、大男。

 バスター・ヌッフ・ギガバイト。保安官を囲む四人の悪党の中で、ある意味最もバスターらしい風貌。やけにスパイクの利いた編み上げブーツに、なぜか太股の外側に縫い込みを取って強化した深緑色のズボン。見事に鍛えた筋肉を飾るのは、袖を引き千切りっぱなしの黒革のべストと、色とりどりの大粒ビーズを繋ぎ合わせた十本を下らないネックレス。これまた奇妙な、人差し指と中指を切り落とし掌の数箇所を補強した革の手袋と、背中の筒状鉄管から覗く大鋏に似た握りは、何か関係あるのだろうか。

「それに、ヌッフの緊張した顔なんて見ても楽しくないじゃないですか。どうせなら、僕くらい可愛い方が…」

 言って、自分で「てへ」と笑ったのは、床に座り込んだヌッフに背を向ける形でカウンターに向かいせっせとチョコレートパフェを口に運んでいた、まさに、少年だった。

 チェスがバスターズに不似合いな理由は、その美貌である。女バスターがいないとは言わないし、実際よく見かけもするのだが、これほど上等な美女にお目にかかるのは至難の技だろう。

 だとすれば、この少年は存在自体が大いにバスターから突出してはいないだろうか?

 殆ど白と見紛う薄い灰色の髪を耳のラインできっちり切り揃えた、紅顔の美少年。年の頃ならせいぜい十五・六歳だろう。しかも、振り返ってにっこり微笑んだ顔は下手な少女よりも可憐で清楚で、眇めた瞳は薄墨色、桜色のふくよかな唇から滑り出しすのは、はっとするほど澄み切ったボーイソプラノ。灰色で縫い取りした真白い詰め襟の長上着をぴったり着込み、くるぶしの見える丈を強固にキープしたやや細身のスラックスに、底の薄い灰色のシューズ。

 と来たら、どこからどう見ても、バスターズでパフェをつついているより、街の学校に通っているか金持ちの家でメイドに世話を焼かれている方が似合いそうだ。

「ガキは守備範囲外よ」

 ふん。といつもの調子で適当にあしらわれ、ガキ…バスター・ルイード・ジュサイアースは、泣きまねしながらスツールを回転させてカウンターに向き直ろうとした。

 その、ルイードの視野の隅。

 暇そうに欠伸を噛み殺した、ヌッフの視界の片隅。

 緊張した面持ちでこの奇妙な四人組を見回した、保安官の真正面。

 面白くなさそうにテーブルに頬杖を突いているチェスの手首に、白くてキレイな、でも骨張った大きな手が絡み付いた。

「あほだな、お前ら。こいつは「食う」モンであって、食われるモンじゃないでしょ」

 声は、やる気のない掠れたハイバリトン。完璧に自然な仕草で内側から手首を回り込んだ指先がチェスの掌を這い登っていつの間にかそれを頬から剥がし、引き寄せて、滑らかな手の甲に唇を押し付ける…男。

 保安官は取り憑かれたように惚けた顔で、その…、今まで居る事さえ忘れそうになっていた最後のひとりを見つめた。

 バスター・シュアラスタ・ジェイフォード。

 キャメル色のロングコートに、似合わない者が着たのならば滑稽にしか見えないだろう、ボタン周りに銀糸の刺繍を施した濃紺の悪趣味なシャツを素肌に直に着ている。肩を滑り降り背中の中ほどまで長い髪は、淡い金色の光を纏う柔らかなブラウン。少々猫背気味の全身は痩せているくらいだろうが、だからといってひ弱な印象は全くない。

 唖然とするうら若い保安官に面白そうな光を宿して向けられているのは、灰色ががった緑の、切れ長で涼しげな目元の、物騒な双眸。バスター然としたヌッフとは、バスターズには不似合いな少年のルイードとは、絶世の美女とも思えるチェスとはまた違った、異質な男…。

 流し目で街中を狂乱させる劇場の二枚目役者よりも端正な面に、皮肉な笑みを浮かべる薄い唇。通った鼻筋、吊り上がった凛々しい眉、適当に撫で付けられたのから逃れて額に落ちかかってくる細かな髪さえ計算し尽くされた、男でも見とれてしまうような、出来過ぎた二枚目。

………血統書付きの野良猛獣。いつだったかシュアラスタという男に出会った人は、そう彼を称した。

 シュアラスタが目を眇め、途端、チェスが乱暴にシュアラスタの手を振り払って、「ばーか」と喉の奥でくすくす笑い、囁く。

 払い退けられて空いた自分の手に視線を移してから、シュアラスタは誰にともなく肩を竦めて見せ、すぐ、テーブルに投げ出されていた紙巻き煙草の赤い箱にその手を伸ばした。流麗な動作で摘み出され唇に乗った細い紙巻きは、流通の実に九割が質の善し悪しに関わらず加工の簡単な葉巻である、という大陸の現状を考えれば高価で珍しいものといえたが、よくよく思い出してみればこの男、保安官がこのテーブルに案内されてからのそう長くはない時間で、既に数本の紙巻きをただの灰に戻して灰皿に押し付けていたはずだ。

 とんでもないヘビースモーカー。保安官の呆れた視線を気配で探ったチェスが、静かに微笑む。

「…こういうのはね、チェーンスモーカーっていうのよ、保安官」

 豪華なピンクゴールドの髪を掻き揚げながら呟いて、チェスはさっさとそっぽを向いた。彼女の意味ない呟きに答えるべきかどうか戸惑う保安官を件の瞳で無感情に見つめていたシュアラスタが、不意に腕を組み、盛大に椅子を軋ませて背凭れに身体をぶつける。

 時間いっぱい。悪党どもは、気が短い。

「わざわざ緊張しに来たんなら、他当ってくれないか? 保安官。俺たちだってそう暇じゃねぇ。それに、あんたの肝試しに付き合ってやる義理もねぇしな」

 はっ、と吐き出すようにシュアラスタが笑い、それを合図に他の三人がそれぞれ立ち上がった。

「知ってる? 俺たちゃ、普通に飯食ってても命削っても、同じに「働け」って言われるんでね」

 言い置いて、テーブルの上の赤い箱をコートのポケットに捻じ込みつつ、背を向けた三人を追いかけるようにシュアラスタも立ち上がる。

「あの!」

 保安詰め所に配属されてまだ十日足らずの自分がなぜ悪党に囲まれるような任務に就かなければならないのか、と内心泣きそうになりながら、それでも保安官は椅子を蹴飛ばしてテーブル両腕を突き、今まさに立ち去ろうとする四人の…、バスターズのマスターが「そういう仕事ならうってつけの奴らが滞在してますよ」とかなり性悪な笑いで紹介してくれた奇妙な四人組を、睨んだ。

 気持ちで負ける訳には行かない、というささやかな意思表示。しかしその全身は完全に萎縮し、声も上ずっている。

「ま…待ってください。仕事を、依頼に来たんです。…その、保安詰め所からの…ですけど」

 ルイードと並んでも大差ないかもしれない小柄な保安官を見下ろして、シュアラスタだけがもう一度彼に問い掛けた。

「………もういっぺんどうぞ、保安官」

 それから察して「四人組」のボスはこの色男なのだろう、と保安官は、少年に毛の生えたような顔を真っ直ぐシュアラスタに向け、もう一度はっきり、言い放った。

「ですから、当地区保安部からの独自依頼を、持って来ました」

「………俺たち四人に?」

「? はい」

 やけに不思議そうな顔のシュアラスタに、保安官が力いっぱい頷いて見せる。

「張り込んでるねぇ」

 肩越しに振り返っておどけたように小首を傾げるシュアラスタに、なぜか、背後の三人も奇妙な笑顔だけで答えた。ようだった。

  

   
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