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    占者の街    
       
第三章 占者の街……嘘吐きどもの場合(3)

   

 その行程が強行軍だったか? と問われたら、いつもの事さ、と無意味に機嫌のいい笑いで答える自信があった。目的もなく大陸を彷徨うのに比べれば、普通に歩いて二日の距離を往復三日、程度の道行きには、何の苦痛も疲労も感じない。

「ただし、真っ直ぐ歩けば、だがなぁ」

 盛大な溜め息と派手なモヒカンから滴る水滴をドア付近に蒔き散らかしつつ、バスター・ヌッフ・ギガバイトはとある町のバスターズに踏み込んだ。

「いらっしゃい、バスター…。ギガバイト!」

 殆ど悲鳴に近いマスターの出迎えに、ヌッフはちょっと苦笑いした。なまじ西部を活動拠点にしているだけあって、ヌッフ・ルイードコンビは見栄えのするシュアラスタ・チェスコンビよりも、存在自体が大いに目立つのだ。しかも、十年近く悪党生活を続けそこそこ名の売れたヌッフともなると、連れの少年が居ないだけで、バスターズの中ではひと騒動起きる。

「どうしたい、バスター。相棒の坊ちゃんに「逃げ」られちまったのか?」

 昨日から何回遭遇したか判らない興味深々といった風のセリフと表情に、ヌッフは愛想笑いさえ浮かべなかった。

「あのガキ「逃がす」ような相手がいるなら、オレだってここにゃこられねぇぜ、ダンナ」

 憮然と言い捨ててカウンターに着き、ヌッフはバーボンを注文した。

「逃げる」「逃がす」とは、「吊るす」などと同じように悪党どもが好んで使う隠語であり、これも結局、生き死にを表す。

 こっちは馴染みでもなんでもないのに、やたらバスター通なのがマスターのマスターたる所以だ、などと酔っても酔わなくても理屈ばかりこねるシュアラスタはよく言うが、まったくその通りだ、とヌッフはここでも思った。何せ、目の前にいるのは、多分、今まで一度もお目にかかった事のないマスターなのにも関わらず、彼はいかにも神妙な顔つきで、「お前さんらが悪党で在り続けられるのは、バスター・ジュサイアースのおかげらしいからなぁ」ともっともらしく答えたのだから。

 どいつもこいつも薄気味悪ぃ…。とヌッフは内心にやけていた。

 なんでも見透かしているマスター。どこからともなく現れる判定員。それから……。

(ミムサ・ノスを出てから三十時間とちょっとだ、もう。にーさんの指定した周囲の町や村、全部で二十を下らないバスターズの聞き込みもそろそろ佳境に差し掛かろうか、って寸法だな。さて、オレに言わせりゃ最高に薄気味悪ぃあのシュアラスタが何を考えてるのか、そろそろオレ様にも……)

 判んのかね? と雨に濡れてもびくともしないらしい強固なモヒカンを揺らして、ヌッフが首を傾げる。

「じゃぁ、泊まりはナシか? バスター・ギガバイト」

「あぁ。儲からなくて悪いねぇ」

「面白い話のひとつも聴かせてくれりゃ、それで結構だよ」

 はは、と適当な笑いで躱わされて、ヌッフは分厚い唇をますます歪めた。

「面白い話を聞きてぇのは、オレの方なんだが?」

 なんとなく、窓の外に目を向ける。

 夕方から降り出した雨の勢いは、強くもならないが上がりそうにもない。これから夜になって高原は冷え込むだろうに、その月さえない凍えた暗闇にひとりで出て行くのかと思うと、さすがのヌッフでも気が重くなった。

「相当急ぎなのかい? こんな時間に来て、バーボン一杯で飛び出してくなんてさ」

 ジョッキみたいなグラスに注がれたバーボンからは、町の酒場ではなかなかお目にかかれないような高級品の香りがした。悪党どもは刹那的に散財する事を……望んでもいるし、義務として定められてもいる。

「急ぎも急ぎ。三日でこの辺りのバスターズ巡回してミムサ・ノス迄戻らねぇと、気の短い色男に風穴開けられちまわぁ」

 カウンターに頬杖を突いて溜め息混じりに言い置いたヌッフの横顔を、マスターが笑う。

「せめて、濡れた身体をあっためるくらいの時間はあるだろ?」

 革のベストもズボンもモヒカンもそぼ濡れたヌッフの前に折りたたんだタオルを差し出してから、マスターは窓と反対の壁に設えられた暖炉を顎でしゃくった。街道からかなり奥まった場所の、廃れた村。もう少し表に近ければ犯罪も多いだろうから悪党もたむろっているが、こうなってしまうと悪人も寄り付かないのか、バスターズ内は思いのほか閑散としていた。

「話し相手にもなれなくて悪ぃな」

 バーボンを舐めながら、ヌッフはタオルをマスターに押し返した。さっさと用事を足して次の村に向わなければ、シュアラスタの指定した期日までに戻れそうもない。

 雨が、少し恨めしい。

「でなぁ、マスター。最近村で、おかしな窃盗事件は起こってねぇか?」

「窃盗かい? ここは小せぇ村だからなぁ。おかしいもおかしくねぇも……」

 暖かい暖炉からも薄暗い窓からも目を逸らして、マスターに向き直ったヌッフ。お客は彼のほかに二人だけで、同じテーブルに着いていながら声も聞こえない所をみると、常駐のバスターなのだろう。

「窃盗なんて大事件、起こりゃすぐに判るもんだがな」

 頬に大きな刀傷のあるマスターは、小難しい顔で腕組みして、視線をヌッフから逸らさず目を細めた。いつ寝ていつ起きているのか、判らない。いつでもバスターズのカウンターに居る。なのにマスターというヤツは、管轄する地域の情報をやたら詳しく知っている。

 もしも自分が無事年を重ねて引退しても、バスターズのマスターにだけはなれないだろう、とヌッフは思っていた。こういう得体の知れない頭脳明晰振りは、逆立ちしても発揮出来そうにないからだった。

 似合いなのは、あの、皮肉でおしゃべりで顔もいいがそれ以上に頭の切れる色男。

「ミムサ・ノスからこっちに流れてきたバスターから、あの町の噂を聞いたか?」

 ベストのポケットを探って箱入りの葉巻きを取出し、カウンターに放り出してあるマッチを指で引き寄せつつ、上目遣いにマスターの様子を窺う。濃い灰色の瞳が何を探っているのか、本当に見当がつかなかったのか、マスターは首を横に振りながら「いんや」と短く口の中で答えただけだった。

(……また空振りかよ)

 溜め息とともに悪態を吐く、くらい落胆出来れば、何か決定的な手がかりを探して歩き回っている、程度の気休めを思い浮かべられるのではないか、とヌッフは考ええるともなく考えた。バーボンを満たしたグラスの表面を伝い落ちる水滴を目で追いながらも、払拭出来ない疑念がどうにも思考の邪魔をして仕方がない。

(にーさんは「何か重要な手がかりを探せ」なんて言いやしなったよなぁ。ただ、ミムサ・ノス近郊の町や村に、あの窃盗事件に似た事件か被害が出てないか見て来い、なんて偉そうに言ってただけだ)

 ハルパスだ。とシュアラスタはヌッフにも言った。

(……………もしかして…)

 だから、疑念。

(やっぱり、周囲ではあれと同じ事件が「起こっていない」ってのを、確認したかったのか?)

 十七件もの窃盗騒ぎを起こすような悪人が、一箇所に住み着いて継続的に仕事をし続けるか? と問われたら、答えはノーだ。巧くやったつもりでも、結局いつかはボロが出る。そうなる前にさっさとその地域から手を引くか、そうでなければ幾つかの町で不定期に仕事をする。なのに、だ。

(確かにあの事件は、ちょっとおかしいちゃぁおかしいんだが)

 手駒を披露するのはヌッフがミムサ・ノスに戻って、チェスとルイード、シュアラスタがそれそれ調べている駒を持ち寄ってからになっている。それまでは、極力余計な事を考えない方がいいだろう。という結果を出し、ヌッフは氷の溶けはじめたグラスに手を伸ばした。

「おう、マスター」

「なんだい?」

 もくもくとグラスを磨いていたマスターがヌッフの呼びかけに顔を上げた途端、大男が背を向けていたドアが悲鳴を上げるように軋んで開き、次には、本物の黄色い悲鳴が広い背中で弾けた。

「いやーん! ここいっつも暇なのに今日はなんだかお店が狭いわっ。とか思ったら、ヌッフちん居るーっ!」

「……」

 脳に突き刺さった黄色い歓声に、ヌッフがスツールから落っこちそうになる。

「お・み・か・ぎ・りーん」

 そんなヌッフを無視して、恐ろしく素早い動きでヌッフの隣に滑り込んできた小粒な人影が、上機嫌でにこにこしながら、カウンターにこてんと頭を横向きに載せ、えへへへへへ、と薄気味の悪い笑いを振り撒いた。

「シャオリー…。ってこたぁ」

 ヌッフがそう呟いて、恐る恐る振り返る。

「カーライル・ロゥウェン…」

 いや、別にいいんだけどな。とヌッフはなぜか、無言でじっと自分を見つめている若い男に、苦笑いして見せた。

  

   
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