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    占者の街    
       
第三章 占者の街……嘘吐きどもの場合(2)

   

 朝からひどくやり難い日だ、と保安官見習いネル・アフ・ローは思った。居心地が悪い、というのはこういう事を言うのかな? とやけに冷静に考え、そうに違いない、と納得して、少し安心する。

(そうなんだ、つまり納得するしかないんだ! 無責任な先輩や同僚は、悪党の考える事なんていちいち理解しようとするな、って言ったけれど、まったくその通りなんだ!)

 半ばパニックを起こしかけていたネルの脳が、脳内麻薬を分泌して自身を落ち着かせようとする。しかし、少年臭い保安官見習いの傍らに居る、制服の胸に正規の保安官バッヂを光らせた男の朗らかな声が耳に飛び込んできた途端、なぜか、ネルはその安楽を拒否した。

「何度も同じ話を繰り返させるようで申し訳ないのですが、窃盗被害にあったと思われる前後の事を、もう一度よく思い出してくださいませんか?」

「…はい」

 保安官(ネルでない方の、に決まっている)は落ち着いた耳障りのいい声で向いに座る家人に問いかけ、問われた家人は、なぜか……、膝の上で組み合わせた手をもじもじと動かしながら、上目遣いに保安官(ネルでない方の、である)を見つめてから、ぽっと頬を赤らめ、消え入るような囁きでようやっと答え始める。

(結婚を申し込まれてる訳でもないのに、この反応はなんなんだぁぁぁぁ!)

 怒りすれすれの感情を引きつった笑顔の中に押し込んで、ネルは耐えた。入れ替わり立ち変わり現れる家人(という振れこみ)の女性たちと、あくまでも笑顔を絶やさず好青年然とした振る舞いでその女性たちに対応する男に、彼は耐え続けた。

「なるほど。では、お嬢様がお母様に申し付けられて二階の寝室から宝石箱を持って降りた時分には、その赤色(せきしょく)珊瑚の指輪は確かにあったんですね?」

 確かめるように娘の話を反芻する、保安官。その横顔をちらりと見上げたネルは、本気で泣きたい気持ちになる。

 保安官の制服は、濃紺の詰襟にストレートのスラックス、黒い長靴(ちょうか)。特に目立った飾りはなく、金色の保安官バッヂ、衣装の首周り、袖口、裾に黒い縁取りがあるだけの地味なデザインだった。それに合わせた円筒形で短い鍔のついた帽子も濃紺なのだが、こちらは朱色のモールが縁を飾っている。

 ネルはまだ見習いだったから、保安官だが帯剣を許されていなかった。しかし傍らの保安官は、握り部分に皮を巻いたよく使い込まれている風のサーベルを足元に立てかけていた。

 品のよさそうな穏やかな笑顔に、簡潔で判りやすい、しかも答えやすいタイミングで出される質問。相手が男性でも女性でも変わる事のないその柔らかい印象には無条件で相手の警戒心を和らげる効果でもあるのだろうか、本職の保安官が事情聴取に来た時は捜査の開始が遅いと言って怒ってばかりいた(らしい)商家の主人さえ、まったく同じ内容を事細かに聞き直されているのにも関わらず、にこにこと愛想のいい笑顔で応対したほどだった。

(…見た目で初っ端から勝負になってない事は認めるよ…)

 ついにネルが居たたまれなくなって、保安官(……………偽)から顔を背ける。

 恐ろし過ぎた。ネルの横で絶えず笑顔を振り撒き穏やかな口調で根気よく事情聴取する、淡い金色の髪を後頭部の真中当たりでひとつに括った、灰色がかった緑の瞳の、東部の大きな街から西部に来たばかりらしい垢抜けていてとんでもなく男前の、保安官。

(が本当は悪党だったなんて知れたら、ボクが殺されるかもしれない…)

「なのに、中身を改めてドレスに着替えたお母様が宝石箱を開けた時には、もう指輪はなくなっていた…」

 ふむ、とテーブルの一点に視線を落とし、保安官は下手な町娘よりも綺麗な指先で細い顎を撫でる。

「……………………………。その間に、誰かが家の中に侵入…した………形跡…、は?」

 ふと頬に視線を感じて観じて顔を上げ、さすがの…シュアラスタ…も苦笑いを噛み殺す。

 お嬢様とお母様が二人並んで、目を潤ませてじっとシュアラスタを凝視していたのだ。重ねて、部屋から出て行きかけていたメイドさえも足を止め、ぽーっと保安官を(…ネルの訳はない)見つめている。

 ここまであからさまだとシュアラスタでさえ居心地が悪いのか、(偽)保安官は微かな溜め息と大いなる作り笑いでネルを振り向き、おいとましましょうか、とこちらは本気の爆笑を噛み潰しながら提案した。それには、ネルももちろん二つ返事で同意する。反対する理由は、何一つない。

 お茶をもう一杯、などと必死に引きとめ工作に移る母娘、並びに一致団結したメイド連中を、極上と言うよりは巧妙で尻尾を捕まれたことのない完全犯罪主義の結婚詐欺師みたいな笑顔で躱わし、シュアラスタとネルはその商家を後にした。

 表通りをただ歩くだけでも、保安官姿のシュアラスタは目立った。帽子を目深に被り、ちょっと見では顔の詳しい造作も判らないと言うのに、すれ違った若い女性がきゃぁと歓声を発して、それで周囲の目が集まってしまうのだ。

「……被害届と事情聴取調書なら、詰め所にだってあったじゃないか…」

「人任せにするな、ってのが、俺のあってない信条でね」

 殆ど独り言のようなネルの呟きに、今日何度目かの説明を言い置いたシュアラスタが、ついに面倒そうな溜め息を吐き出す。その苛つき気味の語尾が逆に、保安官見習を安心させた。

 一日かかってやっと三軒、件の窃盗事件の被害者を尋ね歩き、そろそろ夕暮れも近いので保安官詰め所に引き上げようか、と町を東西に貫く目抜き通りから、近道の裏路地に入り込む。その間シュアラスタは無言で真正面を睨み据え、ネルはそのシュアラスタの横を黙々と歩いていた。

 バスターズのマスターから受け取った手紙に、保安官の制服を一式用意しておくように、と細やかなサイズまで書かれていたのを目にした時から多少不安は感じていた。でもまさか、この色男が自分でそれに袖を通し、悪党面など微塵も垣間見せずに被害者の自宅を訪ねて歩く所までは想像出来なかったネルは、今朝彼が保安官詰め所に現れてから以降、ただただ、苛々と諦めと、多少の怒りと大いなる感嘆を繰り返し過ぎて、すっかり疲れ切っていたのだ。

「……三日で十五全部終わらせたいが、どんなモンかな」

「今日の二軒目の時みたいに、あなたが急に「帰る」なんて言い出さなきゃ、どうにかなるんじゃないですか?」

 人通りがまったく絶えた家と家との細い隙間に入ったところで、シュアラスタは呟きつつ懐から紙巻煙草を取出して、唇に乗せ火を点した。朱色の小さな炎に炙られた先端からか細い煙が立ち上がり、微かに甘い、紙巻特有の鋭利な香りが漂ってくる。

「てめー…撃ち殺されたいのか?」

 フィルターを噛み千切ってしまいそうな顔つきで唸ったシュアラスタから慌てて視線を逸らしたネルは、そこでふと、今日一日シュアラスタが人目のある場所で絶対に煙草を吸わなかったというのを思い出した。

「質問をいいですか? 保安官…」

 死んでも人前で「バスター」と呼ぶな、ときつく言い含められ、一日中「保安官」と呼び続けた事に順応してしまったのか、ネルは思わずシュアラスタにそう声を掛けてしまった。受け取って、一瞬前の不機嫌など忘れてしまったようなにやにや笑いで小首を傾げたものの、当の偽保安官はそれをいいとも悪いとも言いはしない。

「煙草…、途中でほら、髭の男性に勧められたじゃないですか。その時、なんで「吸わない」って言ったんです?」

「? それが依頼に関する質問だってんなら答えるが、そうでないなら…」

「興味あるだけです、あなたに」

 じっと見上げて来てきっぱり言い放ったネルの瞳をわざとのようなびっくり眼で覗き込みながら、シュアラスタが吐き出すように笑う。

「少年に言い寄られる趣味はねぇよ」

 その軽口にネルがなんの反応も返さないのが可笑しかったのか、シュアラスタは肩を震わせてげたげた笑ってから、唇に紙巻きを引っ掛け小さく万歳した。

「オーケイオーケイ。サービスに教えてやるよ、見習い保安官。保安官が煙草を吸うのは、当然珍しくない。捜査課の私服保安官なんかは特に高価な葉巻だとか、俺みたいに珍しい紙巻きだとかを愛用してるヤツもいるしな。だからまぁ、あのおっさんも俺に遠慮しないで吸って構わない、と言った訳だし、やましい事がなくても、これから保安官に事情聴取されるって緊張をほぐすために、あのおっさん自身も葉巻に手を伸ばしたい気分だった」

 それは、ネルにも判っていた。…なんとなく。

「変だろ? 例えば俺が東部の都会から来たばかりだといっても、制服保安官ごときが高価な紙巻き煙草を慣れた手つきで懐から出すのは。もしも俺があのおっさんだったら、絶対東部で何かしでかして西部に逃げて来たんじゃないかと疑うぜ、そんな若造の保安官なんか見たらな」

 それは……。

「なんでです?」

 きょと、と間抜けな顔で首を傾げたネルに、シュアラスタは器用にも片眉だけを吊り上げて見せた。

「煙草なんて害にはなるが利にならない嗜好品を肌身離さず持ち歩いてるような人間はね、思いのほか銘柄に詳しい。しかも、大陸で流通してる大抵の煙草は葉巻。紙巻き煙草は全部で四種類しかなくて、俺様愛用のフラウ・クッカー社ってのは、もともと役所専門の製紙会社だって珍しいトコなんだよ。つまり、品物も出所も特定されやすいし、赤箱、って呼ばれるこいつは、一ダース銀貨三枚の最高級品なの」

「さっぱり意味が判りません」

「……これだから、ガキに説明すんのは面倒臭ぇんだよ…」

 これなら物分りいいだけルイの方がマシだな、と溜め息混じりに呟いて、シュアラスタは肩を竦めた。

「紙巻き煙草ってのは、巻いてある紙の質で味の善し悪しが決まるんだよ。だから、美味い紙巻を作ろうと製紙会社が研究に研究を重ねて、紙に対する矜持を示すために売り出した、いわばブランド品なんだ、この「ギムレット」の「赤」ってのはね。そういう煙草を、だ、一介の制服保安官がただ燃やして消費する、ってのは、不自然じゃねぇか?」

 十二箱で銀貨三枚、というのは、ネルの思う限り高過ぎではある。もしネルが銀貨三枚持っていれば、丸二日は豪華な昼食にありつける。それを数日で灰にすると考えると、なりほど、贅沢か無駄に思えてしょうがない。

(…死んでも紙巻なんて吸うもんか)

 と的外れな感想を抱いてから、ネルは急に、あ! と声を上げた。

「そうか。制服保安官ごときがそんな高価な煙草をさも慣れた手つきで扱うって事は継続的にそれを愛用しているって事で、でもそれはやっぱり高価な品物なんだから、もしかしたら、あなたが東部に居た頃何かよくない仕事に手をつ着けてて相当な見返りを貰ってたのかも、って…、疑われるかもしれない。…って事?」

「そう」

「考え過ぎじゃないですか?」

 素っ気無く答えたシュアラスタに、ネルは間髪居れず突っ込んだ。

「たかが煙草一本ですよ」

 そう言われる事を予想していたのか、シュアラスタはなぜか口元に晴れやかな笑みを浮かべたまま、ネルの顔を横目でちらりと窺った。

「そうだな。たが、俺なら煙草一本で相手をとことん疑うぜ。それが保安官なら……尚更さ……」

「そんなに世の中疑ってかかって、疲れませんか?」

  

   
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