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    占者の街    
       
第三章 占者の街……嘘吐きどもの場合(5)

   

「口止めしてたろ、お前ら」

 テーブルに身を乗り出しちょっと意地の悪い笑みを満面、ヌッフが声を低くしてシャオリーに詰め寄る。と、グラスの底に残ったいちごジュースをぶくぶく吹いていたシャオリーが、「いいじゃん」と悪びれた風なく言い捨てて、じろりとヌッフを睨み返した。

「カシラ吊るしたんだもん、おまけのその他大勢もついでに吊るす権利しゅちょーしたって、文句言われる筋合いないよーんだ」

 けけけ、とわざとらしい笑いを宙に放ったシャオリーの横顔が、微かに曇る。

「? それはいいとしてよぉ、フロッグのヤロウ吊るして、そいつを「口止め」出来たって事ぁ、その場に偶然判定員がいたって事だろ? つまり。だったら運が向いてたんじゃねぇのか?」

 手配書に載った悪人については、基本的に、見つけて吊るした者勝ち、というのが悪党どもの決まりである。例えばその悪人が徒党を組んでいるとして、その団体の中に他の手配者がいたとして、でも「取り零した」場合は、先に吊るした悪人の手下だろうがなんだろうが、結局他の手配者と同様、見つけて吊るした者に懸賞金が下りる。ただしその場合、偶然か必然で近くに判定員がいれば、先に吊るされた悪人の手配抹消手続きを遅らせることで有効な情報を隠匿し、「取り零し」…逃げられた…他の手配者を優先的に追いかける権利を認めて貰える、という事なのだ。

 悪党同様、悪人にも「名うて」というのがいる。カシラを張るような大悪人が率いている団体さんはそれなりの秩序を持っているので、悪党どもは、雑魚など見向きもせずそのカシラを追いかける事で、おまけもまとめて吊るそうとするのだ。「口止め」とはつまり、その、既に他界させられたカシラがまだ生きていると思わせて、追跡を鈍らせる事を指す。

「ところがねぇ、違うの、それが。認定受けたのがオルソン・バリー判定員だったんだけどさぁ、こっちが判定員を探してたんじゃなくて……」

 シャオリーが、口篭もった。

「バリーが、おれを探して来た」

 相変わらず無表情ながら、微かに苦笑いを含んだような声でカーライルが呟く。

 それに、ヌッフはきょとんを目を見開いた。

「なんで?」

 それが傑作なのよ、ヌッフちん! と殊更大きく笑って、シャオリーがテーブルをばんばん叩き始めた。

「まずはねー。カエルだんちょーたら、オンナに手下根こそぎ掻っ攫われて、しかも自分は捨てられちゃって、じぼーじき? でさぁ、街道あたりで荒稼ぎなんかしちゃってたのぉ。それでアシが着いてシャオたちに見つけられちゃったワケなんだけど、おまけが見当たらないからねぇ、色気出して、生け捕りとかしちゃおっかなー、って…それが良くなかったのよねぇ」

 ふーーーーーーー、と力強く嘆息してから、シャオリーは改めて背筋を伸ばし、こほん、と咳払いした。

「へーんなニュー手下付きで、思いきり抵抗されちゃって、シャオ死にかけちゃった」

 てへへ。

 ちいさくなって肩を寄せ、さも照れた顔で舌を出す、シャオリー。ヌッフは静かに、その、まるで少女のような女性から、傍らに座っている無表情な男に目を向けた。

 カーライルは、やはり無言だった。ただ微かに俯き、ゆっくり過ぎるくらいゆっくりと瞬きし、すぐ、濃紺の瞳を虚空に向ける。何も考えていない、のではなく、あまりにも深過ぎて判らない内情を探るには、カーライルの瞳は暗すぎる。

「カーくんがね」

 別になんの感慨もなさそうに、シャオリーがヌッフから視線を逸らして呟く。

「保安官のトコに連行したカエルだんちょー以下三人から、残りの手配者の足取りを掴む情報聞き出す前に、斬っちゃったのよぉ」

 だからなんだと言うほどの訳でもない、良くある事だった。頼るものも、護るものも、信じるものもないと嘯く悪党どもが唯一頼るのは、護るのは、信じているのは相棒だけなのだ。もしもヌッフがカーライルのような状況に陥れば後先考えず相手を斬り捨てるだろうし、これがシュアラスタとチェスなら、尚悪い。

 ただし、囲いの外でなら。

「保安詰め所でか…」

「そぉ。だから慌てて判定員がすっ飛んで来たんだけどぉ、ヤツらそのとき保安官も何人か巻き添えにしてて、結局、カーくんはおとがめナシぃ、ってすんぽー」

 肩を竦めてシャオリーが万歳した刹那、カーライルがふとヌッフに濃紺の瞳を据えて、口の端を微かに歪めた。

「…………………ま、何よりだな」

 少々的外れな返答と溜め息でその視線をやり過ごしたヌッフが、やれやれと首を左右に振る。その様子では、真相は永遠に判りそうもないが……。

 もしかしたら、リングマスター・フロッグは抵抗「させられて」斬られたのかもしれない。何人かの保安官も、巻き添えに「なるように」動かされたのかもしれない。

 悪党は、金貨で悪人を狩り立てる必要悪は、絶対にお綺麗な善人ではないのだ。

「でー、ついでだから「口止め」して貰って、それからこっち…、あ! シャオの怪我がそこそこ良くなってからだけどね、細かい仕事やっつけながらおまけ探しに明け暮れてるんだけどぉ、ぜーんぜん見つからないのぉ、ヌッフちーん。ねー、なんか知らないぃ?」

 テーブルに突っ伏して顔だけをヌッフに向けたシャオリーが、伸ばした足をバタバタさせながら唇を尖らせる。まるで駄々をこねる子供だ、と冷や汗を掻きつつ大男は「知らねぇよ」と冷たく言って、ぬるくなり始めたバーボンを持ち上げた。

「………………って事ぁ、フロッグんトコにいたほかの職人連中は、いまだに逃げてるってワケになんのか?」

「うん。ばらばらに小金なんか稼がれたら、結構厄介だよねぇ。だってほら」

 ぴょんと上体を起こしたシャオリーに難しい顔を向け、ヌッフも頷いた。

「あの軽業小屋の奴らと来たら、サルみてぇに身軽だったり、にーさん以上に射撃が上手かったり、手品みてぇに跡形もなく消え失せたりしやがるからなぁ」

 リングマスター・フロッグが率いていたのは、フロッグ旅団という名の軽業一座だったのだが、どうにも客足が悪く生活に困って、巡業しながらついでに強盗を働く、という具合になってしまったのだ。それがいつの間にか軌道に乗り、いつの間にか、カモフラージュのために軽業も見せるが本業は強盗、などという逆転現象を経て、手配される原因となった銀行強盗と保安官刺殺事件を起こす。

「でもさ、ばらばらの可能性は低そうなのよねー」

 頬杖を突いて天井を見上げ、シャオリーが誰にともなく言った。

「さっきも言ったでしょー、オンナ…、なんつったっけ? あの派手な化粧の愛人ね。それが団員引き連れて逃げた、って」

「オンナねぇ。ヘッドハンティングてのは聞いた事ぁあるが、ヘッドだけ置き去り、ってのは、なんつうんだろうなぁ」」

 薄暗いバスターズを見回し、相変わらずカウンターの中でグラスを磨いているマスターと、常駐らしい愛想のない二人の男と、溜め息をついて椅子の背凭れに背中をぶつけたシャオリーと、無言で見つめて来るカーライルを経由して、ヌッフは手の中のグラスに視線を戻した。

「? なぁ、それでお前ら、まだそのおまけ追ってんだろ?」

「うん、いちおー」

「それがなんで、こんなトコにいんだよ」

「うん、シャオも知りたい、それ」

 真顔で訳の判らない返事をして来たシャオリーからカーライルに顔を向、ヌッフが小首を傾げる。

「こらぁ! 派手モヒカン! シャオの言葉が信用出来ないのかー。せっかくいろいろお話してあげてんのに、いちいちカーくんに確認するその態度が気に食わなぁい!」

 またも瞬くような速さで椅子の座面に飛び乗ってテーブルに片足を乗せたシャオリーが、ヌッフに人差し指を突きつけて絶叫する。

「フロー判定員に呼ばれた」

 カーライルは短くそう言い置いて、シャオリーのスカートを引っ張ろうと手を伸ばした。

「ハルパス? ……ここでもあいつかよ。それとシャオリー、パンツ丸見えだぞ」

「いやぁぁぁぁぁ!」

 言われた途端真っ赤になってテーブルから転がり落ちたシャオリー。それを目端で確認しながら、ヌッフは咄嗟に椅子から飛び出して隣のテーブルまで床を転がり、転がりながら椅子を一客引っつかんで、停まると同時にカーライルめがけてぶん投げた。

 バァン!! と木の砕ける耳障りな音が、静かなバスターズにこだまする。

「……………………」

 マスターと常駐の二人組は、唖然としてヌッフたちを見つめていた。

「ばかやろぉ! 黙って堪能しなかっただけでも上等だと思え! この◎○コン!」

 完全に粉砕された椅子の破片を全身に浴びながら、ヌッフが怒声を張り上げる。一度目は飲み込むのに成功したが二度目は失敗する辺り、この大男が事あるごとにシュアラスタに「お節介」と言われるのも、大いに頷ける。

 床に座り込んでひくひくしゃくり上げているシャオリーを庇うように、カーライルがゆっくり立ち上がった。その右腕には、いつ取り出して装着したのか、鋭利な鋼の刃を光らせた篭手が填められていた。…しかもこの刃、全長が五十センチ以上で三本もある。

「シャオ子供じゃないもーん。ヌッフちんのばかぁっ!」

「子供じゃねぇならパンツ見られたくれぇでぴーぴー泣くんじゃぁねぇ! つうか、停めろ! こっちのバカをっ!」

 その巨体に見合わぬ素早さでテーブルの下から飛び出したヌッフが次のテーブルに転がり込んだ刹那、さっきまで尻のあった辺りにざっくりと三本の亀裂が入り、救い上げる銀光が身を隠したテーブルの縁を抉り取った。

 無表情でありながら、完全に座った濃紺の双眸。恐ろしいのは、こういう顔をして、なおかつ…。

 不意に、カーライルの唇が弧を描いた。

「笑ったよ、おい…。シャオリーーーーーーーっ!」

 殆ど床を転がるような勢いで逃げ惑うヌッフを、あくまでも歩く速さで追いかけるカーライル。身の危険を感じた常駐の二人組はいち早くカウンターの中に逃げ込み、マスターと並んでカーライルの笑顔を恐々目で追っていた。

「……いやぁ、なんか、珍しいモン見せて貰った、って気がしなくもねぇが…」

 降り回される刃を、器用にもすんでで躱わし続けるヌッフ。あの筋肉の塊が、と溜め息が漏れるほど無駄のない体捌きにマスターも、さすがはSA、と感心していた。

「屋内だからねぇ、ここ。ヌッフちん相手によくやってるわー、カーくん」

 うきうきしたシャオリーの声に、マスターと残りの二人はぎょっとして、自分たちの前にいつの間にか移動して来ていた黄色いツインテールを見下ろした。

 大粒の琥珀が瞬きもせず、二人の男を見つめる。

「やっぱ、イマイチ動きが雑なのよね、カーくんて。強いには強いんだけど、決定的な強さじゃないのー」

 ね? と見上げられて、マスターは思わず口篭もった。

「まぁ、そこがカーくんのカワイイとこだし、そんなカーくんだから、一人残して逃げ出すワケにも行かないんだけどぉ」

 えへへ、とのろけた笑いのシャオリーから、テーブルをひっくり返して楯にし、一息ついているヌッフに視線を戻して、マスターは訊いた。

「これが屋外だったら?」

 問われたシャオリーが、カウンターの上に置かれているグラスを左右の手に取り中を覗き込んでから、ふっと微笑を……ここだけ妙齢の大人の女性らしい微笑を……口元に載せ、二つを同時に、ヌッフとカーライルに向って投げ付けた。

「カーくん、始まってすぐ地面に転がされてるかもね。ヌッフちんが本気出してくれれば、だけど」

 シャオリーのどこか含みのある声と、ガシャァン! と鋼に弾かれたガラスの砕ける音が被さる。真横に伸ばされたカーライルの狂気の爪は無愛想なグラスをきらきらと美しい破片に変えていたが、ヌッフの背中に襲い掛かっていたはずのグラスは、

「あぶねぇなぁ、まったく」

 床に向う放物線の通過点を遮るよう突き出された大きな掌に、静かに横たわった。

「あんだけ余裕が違うんだもん、勝てっこないって」

 でしょお? とシャオリーは、不思議に複雑な表情で、ヌッフに微笑んで見せた。

  

   
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