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    占者の街    
       
第三章 占者の街……嘘吐きどもの場合(10)

   

 最後の被害者、町の中心部に近いアパートメントの三階に住む独身男性を訪ね終え、ようやく保安官詰め所の建物が見える場所まで帰ってきた時には既に、日もとっぷりと暮れて夜になっていた。深夜、という訳でもないし、露天もまだ店仕舞いしていない程度の頃合いだったからか、通りの人影は絶えていない。

「これで全部訪ね終わりましたよ、…保安官。何か判りましたか?」

 それまで無言で隣を歩いていたネルに声を掛けられて、シュアラスタは少年に目玉だけを向け、ちいさく肩を竦めた。

「収穫なんてのは、全部が出揃ってようやく実入りがあったかどうか判るんだぜ、見習い。うちの相棒はいいとして、筋肉が戻るのは今日の夜遅くだ。それから調べた結果を全部テーブルに並べてみなくちゃ、俺の持ってるモンが本当に収穫なのかどうか判りゃしねぇよ」

「そんなぁ」

「四人で金貨八百も取ってるんだから、一週間で何とかしてくださいよ」と言いそうになって、ネルは慌てて口を噤んだ。抗議しようと顔を上げた保安官見習いの目に、限りなく意地の悪そうなにやにや笑いが飛び込んだのだ。

「ま、とにかく、だ。この窮屈な制服とも今日でおさらばだと思うと、嬉しくて涙が出るな」

 ぶつぶつ言いながらネルの前になって狭い階段を登り、二階の突き当りまで進む、シュアラスタ。本職(になろうとしている)ネルより似合いの制服だというのに、なんて失礼な言い草だろうか。

「それで明日からはどうするつもりなんですか?」

 どうやら本当に機嫌がいいらしいシュアラスタは、ネルのさも文句を言いたそうな顔を見てもからかおうとは思わなかったらしく、どうしようかねぇ、などとふざけた独り言を口の中で呟いただけで、その部屋の主でもあるような気安さを持って地味な色合いの扉を押し開けた。

「………………。お前…、なんでここに来てんだよ……」

 その背中が凍り付き、次には、唸るような呟き。

「…………………」

 室内に先客がいたのだとネルに気付けた理由は、シュアラスタの曇った声が辛うじて聞き取れたからだった。そうでなければ、誰かが居るらしい、という気配さえ感じられない。

「…………………ぶっ!」

 不意に、シュアラスタの背中越しに聞こえた吹き出す声。

「あはははははははははははは!」

 それから、堪え切れなくて弾けた笑い。

「何やってんのよ、あんた。あたしに断りもなく転職した? はーん、なるほどね。だからなの? 頻繁に特定のバスターが揃って出入りすると目立つから、とか言って、保安官詰め所に顔出すのは控えろなんて偉そうにしてたのは」

 口調はかなりぶっきらぼうで飾り気ないものの、その澄んだ冷たい声音には覚えあるネルが、ドアを塞ぐように突っ立ったままのシュアラスタを躱わして室内を覗き込んだ。

 部屋にあるのは書類のぶっ散らかった粗末な机と、扉に背を向ける形で置かれたソファ、それだけのはずだった。しかし今、ソファの背凭れには鮮やかな真紅のコートが引っ掛けられており、その横に、はっとするような美貌と美しいピンクゴールドの長い髪が見えた。

「お前にこんな恥ずかしい姿を見られるなんて、俺様の人生最大の不覚だ」

「ふうん。これで何回目だったかしらね、あんたの人生最大の不覚に遭遇したのは」

「覚えてるか? 何回目だったか」

「忘れたわよ」

 あっそ。といきなり不機嫌そうに吐き捨てながら、シュアラスタはポケットから引っ張り出した紙巻きを箱のまま、にやにやしながら肩越しに振り返っているチェスに向ってぶん投げた。投げた方のコントロールも受け取る方の心構えも完璧なのか、その赤い箱は回転しながら空中にきれいな放物線を描き、軽く突き出しているだけのチェスの手にすとんと収まる。

「で? 何か用か?」

「別に。というか、あんたがいつまでたっても手配書持って来ないから、暇潰しに町ふらついて、ついでに寄っただけよ。そしたら下の保安官が、なに勘違いしたのか、二階でお待ちくださいって」

 説明しつつ肩を竦め、でもやっぱりにやにや笑いながら、チェスは箱から紙巻きを一本取り出した。憮然とソファに歩み寄るシュアラスタの後ろから室内に入り、目が合ってチェスに会釈したネルが手持ち無沙汰そうに雑多な書類を掻き回し始めた頃、彼女は細い指先で紙巻きを逆さまに摘んで、ソファの背凭れ越しに身を屈めたシュアラスタの唇にフィルターを載せた。

「って事は、お前は偶然通されたってのか」

「そう。つまり、不覚の原因はあんたが「誰も通すな」って言わなかったってトコにあんじゃないの?」

「……気付けってんだよ、保安官どもも! てめーらの頭は飾りか、えぇ!」

 ソファの上に丸めてあったシュアラスタのコートやシャツは、座るのに邪魔だったからだろう、チェスが一応たたんで座面の傍らに積んでおいたらしい。

「それにしたって何着せても似合うわね、あんた。そこの坊やよりよっぽど保安官っぽいわよ」

「嬉しかねぇ…」

 面白くなさそうな顔で睨むシュアラスタに華やいだ笑みを向ける、チェス。相棒の薄い唇に乗った似合いの紙巻きに自分の懐から取り出したマッチで火を点すと、彼は不愉快そうな顔をやめないまま、着替えを抱えて部屋を出て行った。

 螺旋に残る紫煙に、チェスが意味不明の微笑を投げかける。

 今日は目の前に女性がいるからだろうが、シュアラスタは、例えばここに残されるのがネルだけだとしても、絶対に人前では着替えようとしなかった。それに何か理由があるのかどうか、見習い保安官には判らないのだけれど。

 取り残されて、薄笑みのチェスと目が合い、ネルが意味もなく微笑んで見せる。ソファに悠然と腰を下ろし、何を言う訳でもない美女と二人きりになる機会が訪れようとは思っても居なかった少年は、困ったようにまた書類の束を掻き回してから、「お茶でもお持ちしましょうか?」と間の抜けた質問をした。

「…。おかしな坊やね。普通ならもっと迷惑そうな顔するもんじゃないの? こういう時って」

 何が可笑しかったのか、チェスはくすくす笑いながらネルを見上げた。

「そう……ですね。じゃぁ、次からは気を付けます」

 含みのある言葉尻と、不意に逸らされた視線。

 チェスは、微かに目を細めた。

 ばたばたと音を立てながら紙束をあちこち移動させるネルの背中に、違和感を感じる。最初の日、最初の時はがちがちに緊張してシュアラスタに追い返されたにも関わらず、同じ日二度目に訪ねて来た時分に食って掛かって来たのといい、この三日あまりの間、偽の保安官を演じ切るシュアラスタに特別不快な顔をして見せなかったのといい、さっきのセリフといい、ネル・アフ・ローというこの見習い保安官は、まるでバスターに慣れているように思えた。

(世の中の半分以上は隠し事で出来てる、か…。ウチの相棒と来たら、本当、嫌になるほどよく見てるモンよね)

 そこに、同じ空間に存在しているのさえ嫌悪されかねない、バスター。悪党。なのにこのあどけない顔の少年は、バスターをバスターらしく扱うのに抵抗でもあるのだろうか。

「ねぇ、あんた歳いくつ?」

 長い足を組み替えたチェスが、急にネルに声をかけた。それにちょっと驚いて振りかえり、でもネルは、小首を傾げながら恥ずかしそうに答える。

「もう二十歳になります。……いや、見えないって、それは判ってるんですけど…」

「本当、見えないわね。ルイと大差ないのかと思ってたわ」

「ルイ…って、あの、バスター・ジュサイアースですか?」

「そう。あの子、いくつに見える?」

「十六歳くらいかな」

 バスターは年齢の公開を義務付けられていない。それこそ、そんなものは関係無い世界の人間なのだ。歳がいくつでも、いくつに見えても、関係無い。彼らを評価する基準は全て、手首に填められた枷だけなのだから。

「…正解。ただし、不正解と言えば不正解ね」

「?」

 これまた意味不明の苦笑いでネルの意見を肯定したチェスが、どさりと背凭れに背中を預けて、にこやかなまま肩を竦める。

「せいぜい十八歳くらいだと思ってたわ。保安官見習いなら、そんなモンでしょ?」

「上等院で勉強してれば、ですよ。ボクは読み書き出来ますけど、せっかく入った中等院にもろくに通えなくて、結局中退してますし」

「上等院に行けるのは余程の金持ちだけだけどね。あたしだって、そんな珍しい人間護衛の仕事以外では見た事もないわよ」

 呆れたように吐き捨てて、チェスはテーブルの上に投げ出した赤い箱に視線を移した。大陸の大抵の人間は、歴史と常識、簡単な読み書き計算だけを教える初等院しか出ていない。その中で、殆ど通っていないにせよ、中等院に在籍経験がある、というのは、なかなか育ちがいいのだろうか?

「なんで保安官になったの?」

 ふとチェスの口を衝いて出た質問に、ネルが一瞬表情をこわばらせた。

「………」

 粗末な机に両手を置いたまま、じっと一点を凝視するネルの横顔。それはひどく複雑な感情を簡単な「上辺」に塗り替えようとしているように見えて、チェスは、微かに苦笑した。

 その顔は、時折シュアラスタが見せるのと同じ。そして、時折チェスがシュアラスタに見せるのとも、同じなのだろう。

 隠し事をしている顔。

「保安官という仕事を、誇りに思いたいからです」

「ふうん」

 ネルがチェスに顔を向け、意を決して呟く。睨んでくる濃茶色の瞳に素っ気無い返事を吐きつけてから、女バスターは視線をネルの頭上に移した。

「だってよ?」

 いつの間に戻っていたのか、音もなく開け放たれたドアの所に、シュアラスタが立っている。いつものロングコートに派手なシャツ、くわえ煙草。さっきまでの好青年然とした顔つきも今は消え失せ、完全に悪党面に戻っていた。

「難儀だねぇ、そいつぁさ」

 チェスの言葉を受け取ってネルに視線を向け、小ばかにしたように鼻で笑い飛ばす。

「カスみてぇな正義感は、寿命縮めるだけだぜ」

 そう吐き捨てたシュアラスタは、抱えていた保安官の制服をソファに投げ出し、机の上に積まれた書類に目を転じた。一応場所を開けた形のネルが焼け付くような瞳で、無関心そうに紙束を掻き回し始めたシュアラスタを睨んでいたが、それは無視する。

「………では、あなたたちに、どんな形であれ悪人からか弱い市民を守るあなた方に、正義感はこれっぽっちもないんですか!」

 血を吐くような忌々しいネルの声を、シュアラスタはきょとんと見下ろした。

「あほか、てめぇ。俺たちにそんなモン必要ねぇよ」

「市民がか弱いなんて思った事ないしね」

 殆ど同時に言い置いて、二人の悪党が呆れたように肩を竦め合う。

「市民てのはね、見習い。覚えときな。汗水たらして働いたんだ、つってさもあり難そうにしながら俺たちに金貨突き付けて、それだけの時間と労力費やして、「殺せ」って命令する、幸せモンだよ」

「…、じ、自分の家族や……!」

 喉を詰まらせて言い募ろうとしたネルのこめかみに、シュアラスタの平手がヒットする。

「何するんですか!」

「やかましい」

 涼しい顔で紙束から必要なものだけを選り分けながら、シュアラスタはネルに顔も向けずに言った。

「確かに、他人の財産や命を盗る悪人は判り易い。だがな、家族や生活を守るために自分は手を汚さず悪党に他人の命を盗らせる普通の奴らの翳す「幸せ」とやらが、悪人のそれとどう違うのか、俺には判らねぇな」

 ネルは、押し黙った。

「残念ながら、俺ぁそのどちらでもない、悪党なんでね」

 二つに分けた書類の片方に指を乗せ、後でバスターズに届けとけ、とぶっきらぼうに言い置き、シュアラスタはさっさと踵を返した。無言で立ち尽くすネルに一瞥もくれず靴音も高らかに部屋を出て行く二人の声が、言いたくて、でも、言ってはいけない言葉を飲み込んだ保安官見習いの耳に、やけに残る。

「誇りだの正義感だの、そんなくだらねぇモンにしがみ付いてて生き残れると思うか?」

「さぁねぇ。悪いけど、よく知らないのよ、それの事」

「お前じゃな」

「……。あんたもね」

 ははは、と乾いた笑いが遠ざかり、いつか消え、ネルはようやく深く息を吐いた。

「判ってるよ…そんなの。判ってるんだ! だから……、父さんも兄さんも、「逃げて」しまったって…」

 ネル・アフ・ローは、バスターが大嫌いだった。

 大好きだった父と兄は……悪党だったけれど。

  

   
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