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    バンビーナ狂詩曲    
       
2)

   

 この名も無い大陸は、幼児が下手に描き殴ったひし形と似た形状をしていた。ひし形を南北に貫く中央山脈に隔てられた西部と東部。中央山脈の先端から更に枝分かれする霊峰に囲まれた、北部。南部にはこの大陸唯一の国家「レキサル帝国」が存在するが、それは、深く広大な森と点在する湖、火山の爆発によって隆起した岩山の向こうにあり、実質、北部、東部、西部とは一線を画している。

 舞台は、西部西北、アキューズ領主区。

 前述の通り、レキサル帝国以外に明確な「国」という政治単位を持たないこの大陸では、領主の統治する「領主区」がその代わりを担っている。

 それは、小さな国であるが、国ではない。独自の自治法に基づいて統治されているようで、そうではない。

 大陸には「大陸統合政府」という厳しい名前の組織があった。役には立っていない。ただ、細かな領主区間の政治的不和を解決するために、そういう名前をつけた「管理者」を置いているに過ぎない。

 重ねて言う。

 この政府は、本当に役立たずだ。

 ついでに言うなら、この政府に任命されている保安官も、役立たずだ。

 だから、どこに行っても治安は悪い。金貨を十枚持って囲いの外に出たら十分で命ごと取られる。とまで言われるほどに。

 だがしかし、その治安の悪さに我慢し悪人に怯えて一般市民が暮らしているか、というと、それもまた違う。悪条件は新たな救済策…または逃げ道? を生み出すものだ。

 街は。町や村でもいい。全てが頑強な「囲い」と呼ばれる「街壁(がいへき)」に囲まれている。大抵のそれは朝と晩にしか開かれず、通行する全ての荷や人間をチェックする関所が置かれていて、犯罪行為に関わった人間、もっとはっきり言うなら「悪人」を水際で食い止めようというハラだ。

 ところが、世の中いつの時代にも悪い奴らは居るもので、保安官に袖の下を掴ませたり弱みを握ったりしてこの壁を擦り抜け、街に入り込んで来る。厄介である。

 そしてもうひとつ厄介なものといったら、これまたいつの時代にも居る商魂たくましい守銭奴どもと、冒険者か。

 囲いの中で完全自給自足が成立している場所は、皆無に等しい。しかも、それぞれの領主区は外貨を稼ぎ自らの街を潤すのに余念が無いのだし。そうなると、中には危険を犯し夜っぴて馬車を走らせる運送屋だとか、二十四時間入場許可を出している街や村もある。

 他人の嫌う危険に自ら飛び込む勇気のあるものには、成功と高額な報酬が約束されている、といったところか。

 と?

 楽して他人の財産を奪い命を脅かす悪人どもも、なんとかやっていける訳だ。

 だからやっぱり、治安は回復しない。

 堂々巡りである。

 さて。

 そんなこの大陸には、大きく分けて三種類の人間が住んでいる、と言われる。

 ひとつめは、普通に生きて平凡に暮らし穏やかに天寿を全うする、一般市民。大多数がこれに当たる。

 ふたつめがいわゆる、悪人。他人の財産を奪い、命を奪い、市民の生活を脅かし、何食わぬ顔で街に住んでいたり、街道で強盗を働いたりしている。これも、治安の悪さか、意外に多い。

 そして問題が、みっつめ。悪党、などと呼ばれる特定の職業集団。「バスター」というのが正式名称なのだが、大抵の人間は彼らを「悪党」と呼ぶ。

 大陸全土で適用される法律というもののない中にあって、「バスター規約」という独自の法律だけを守り金銭を受け取っては悪人を狩り立てる賞金稼ぎ。などと聞くと正義の味方みたいで随分聞こえがいいが、その実彼ら悪党は、一般市民からも盛大に嫌われているのだ。

 なぜなら、そのやり方は悪人よりも悪どい。

 バスター規約に抵触しさえしなければ、何でもやる。

 そう。

 例えば、殺しさえも…。

 だからといって、バスター規約が殺しを容認している訳ではない。彼らはそれを「吊るす」というスラングで表すが、その、悪人を吊るすのには厳しい条件があり、尚且つ、悪党であれば誰でもが簡単に悪人を吊るしていい訳でもない。

 その基準は、悪党しか知らない。そして彼らは、どんなに罵られても蔑まれても、その条件を漏らすことは無い。

 他人の命さえ金貨で換算出来る。と口汚く言い捨てられる時、悪党どもは決まってこう言い返した。

        

「自分の命だって金貨で数えられるぜ?」

       

 笑って。

 嘲笑って。

 自分と。

 金貨で自らの平穏を買い取る市民を。

 悪党は、罪人(つみびと)なのだという。

          

        

「学術都市だなんて言うからどんな場所なのかと思ったら、別に普通の、ちょっと大きめの街なのね、ここ」

「? ああ。もしかして嬢ちゃん、アキューズ領主区アイル・ノアは始めてかね」

「……ええ」

 ここは、アキューズ領主区アイル・ノアの街壁から街道に出、東に十分ばかり進んだ場所にある一軒家。「バスターズ」と呼ばれる、悪党ども専門の宿泊施設。

 必要悪としてその存在を認められている悪党ではあるが、平穏な日常生活を営むべき街壁の中に人殺しどもを招き入れてなるものかという理由なのか、彼らは街の中で休息を取る事を許されてはいなかった。

 だから、街道筋や街の近くにはこういった、バスター専門のサポート施設が点在している。

 木造総三階建て。一階部分は全てワンフロアになっており、いわゆる食堂みたいなものか。雑多で薄ら寒い雰囲気の室内には丸テーブルや肱掛椅子、ベンチ、暖炉、手配写真を張り出した掲示板があり、店の最奥、入り口もよく見えるが入り口からもよく見える所には、バスターズのオーナー「マスター」がいつ何時でも陣取っているカウンターがある。

「ところで、嬢ちゃんの相棒はどこに行ったんじゃ? 朝から姿が見えんが」

 さて。

 平穏に歳を取りバスターズのマスターに収まれば儲けもの。とまで言われるほど苛烈な生活を(…当の悪党どもを見ているとそうは思えないのだが)くぐり抜けなければならない悪党にあって、ここ、バスターズ・オブ・モルグのオーナーは見事を通り越し最早立派な化け物呼ばわりされている老獪、モルグ・アンノーだった。思いのほか小柄な老人で、白いシャツに黒い蝶ネクタイ、枯葉色のベストがトレードマークの毒舌じじぃ…などと旧知の悪党どもは言うが、陰では誰もが彼を「グランパ・モルグ」と親しみを込めて呼んでいる。

 悪党であってこう順当に歳を取るのは、並大抵の事ではない。

「…なんでもいいけど、その「嬢ちゃん」ってのやめてくれない? パパ・モルグ。それ聞くたびウチの相棒が笑うのよ…」

 涼しげな抗議の声を受け取ったモルグが、カウンターの中で剥げ頭をテカらせ一重の細い目をますます眇めにやにやと笑う。細っこい鼻筋にこけた頬に広い額の三角顔、とくるとなんだか街道に時折出る追い剥ぎみたいな容姿に思えるが、この食えない笑いはなんとも人懐こい。

「ワシから見りゃぁあの男もクソガキじゃよ、チェス嬢ちゃん」

 からかうように言い置いたモルグが、カウンターに頬杖を突き困ったように苦笑いしている女バスターを見つめた。

 バスター・チェス・ピッケル・ヘルガスター。

 馴染みの若い男が彼女を連れて現れた時、モルグは年甲斐もなく本気で胸をときめかせ、次には…安堵の溜め息を吐いたものだった。

 あんたみたいに長生きしたくない。と本気で言った男。

 でも生き残ってしまったのだから無闇に死ぬ事も出来ない。と本気で落胆した男。

 だから俺は無様でどうしようもない。と…天より高いプライドを自ら踏みにじった男。

 疲れ切って、幽鬼のように、死すべき時死すために大陸を彷徨った挙句、大陸一の美女を掴まされて死神に地獄から追い返された、男。

 そう、彼女は、大陸一の美女、という形容詞に恥じない。

 見つめるモルグの目の中、濡れたようなラズベリーレッドの唇から薄笑みが消える。口角の引き締まったそれはまるで嘘のように形よく、通った鼻筋、それに繋がる細く弧を描いた眉と相俟って、本当に、彼女をマネキンか何かのようにも思わせた。

 しかし、彼女は人形でもなければ作り物でもない。

 深紅のハーフコート、漆黒のビロードに透明な宝石を嵌め込んだチョーカー、染みも皺もない新雪より木目細やかな白い肌、真夏の夕暮れ、太陽が一番美しく輝く時でさえいっときしか見せてくれない深く切ない茜色を纏った豪華なピンクゴールドの、腰まで長く大きく波打った金髪。そのどれもが幻のように作り物じみていながら、しかし、つんと毛先の跳ね上がった長い睫に縁取られるグランブルーの瞳を得て、彼女は俄かに生気を漲らせた「チェス・ピッケル・ヘルガスター」になる。

「ガキね…。そうかもしれないわ、パパ・モルグ。

 あたしに言わせれば、男なんてどれもガキだけど」

 スローモーションで唇に戻る、甘やかな笑み。それが誰に向けられているのか知っていて、モルグはわざと「ワシもかね」とおどけて見せた。

「…………相当干上がっちゃいるがな」

 と。

「あら、遅かったじゃない? ボウヤ」

「お待たせしましたねぇ、チェス嬢ちゃん」

 いつの間に戻っていたのか、件の相棒が涼しい顔で紙巻き煙草をくゆらせながら、チェスの細い肩に腕を預け後ろからしなだれかかって来たではないか。

 チェス曰く、流し目で街中を狂乱させる劇場の二枚目役者より二枚目。な、ガキ。

「待ってた覚えないわ」

「あらそ」

 自分の頬を掠った淡いブラウンの髪を手の甲で払いながら、チェスがくすくすと笑う。どこで何をして来たのか、この相棒がこういう具合にやたらべた付いて来るのは日常茶飯事以上の当たり前でしかなかったから、チェスは相棒の行動に注意を向ける事さえしなかった。

 相棒。バスター・シュアラスタ・ジェイフォード。

「いいのぉ、若いモンは。人前でべたべたしても清々しい」

「羨ましいだろ、じじぃ。しかも俺の相棒は、口は悪いが見た目だけなら文句無し大陸一の美人だぞ」

 ふふん、と得意げな顔をカウンターの中でにやついているモルグに向ける、シュアラスタ。その逸らさない灰色がかった緑の瞳に追い遣られて、モルグは肩を竦めさっさとふたりの前から離れた。

「手配書は?」

「前の町で貰ったのと同じだったから、突っ返して来た」

 モルグが消えて、シュアラスタがやっとチェスから離れ彼女の左側に腰を下ろす。同時に彼はいつもと同じにやる気なく、面倒そうに、懐から取り出した紙巻きの箱を三つもカウンターに転がして乱れた髪を撫でつけ、ふん、と小さく溜め息を吐いた。

「いわゆる無駄足ってヤツだな。腹いせに統治庁舎の展望室に寄ったら…」

「? 統治庁舎?」

「街の北側にあんだろ? 丸い塔くっつけた屋敷。

 ここにゃ領主館に置いてる統治支所がない代わり、街の管理をその統治庁舎でやってんだよ。…なんでだか判る? チェス嬢ちゃん」

「…それ、いい加減やめなさいよ、バカ」

 カウンターに頬杖を突いたままのチェスが、顔も向けずにいきなりシュアラスタの脛を蹴っ飛ばした。

「いっ! ……ま、嬢ちゃんって歳でもねぇしな」

「あんたはガキだけどね」

 一瞬浮かんだ痛そうな顔を気合で引っ込めにやにやするシュアラスタに、殊更晴れやかな笑みを向けるチェス。なのに口調は見事なまでにぞんざいで、相変わらず器用な女だとシュアラスタは思う。

「普通の領主館ならちいさい統治支所を別棟に置くわよね? ここの母屋は領主様のお住まいだけ?」

「適当に小さい町で、適当に小ぶりな仕事しかしねぇものぐさ領主ならそれでもいいんじゃないのか? というか、その「適当」な領主の方が西部にゃ多いから、そっちの方が当たり前か」

「? 西部なら? じゃぁ、…東部は違うの?」

「お前、東部に行った事ないんだっけ?」

 ありきたりの会話だった。

 別に世間知らずな訳でもないくせに、チェスは時々シュアラスタでも驚くような「物を知らない」発言をする。

「あるわ。……領主館なんてなかった頃にならね」

 そして。

 理由を話したがらないくせに、こういう…含みのある物言いまで吹っかけるのだ。

 低くて硬い背凭れに身体を預けたシュアラスタが、無言でチェスの横顔を見つめる。訊いても話す気がないならそういう言い方なんぞやめろよ、と言いたそうな顔つきながら、この男、見た目ばかり派手で格好のいい二枚目ではなかったから、それ以上余計な事は言わない。

 チェスがシュアラスタに「気付いて欲しい」のは、一体なんなのか。

 でもそれが判らないから、シュアラスタはチェスに何も訊いたりしなかった。

「…つまり街の規模だよ。東部ってのは、領主区の面積自体は西部より狭いが、人口密度が高い。いわゆる、こっちより都会的って事」

「はーん。となると、領主の目の届かない場所が増えて犯罪は頻発するのに、保安官はどこに行っても使えない。で、子飼いの役人を増やして治安の維持と外貨の獲得、領主区内の問題解決なんか細々した仕事を捌くのに、専門の建物が一つ要るようになる訳ね」

 何もなかったかのように元の話に戻り、お互い視線を合わせるでもなく淡々と会話を続ける。その間シュアラスタは紙巻きを唇に載せただけで火を点けず、チェスは目の前に置かれたきりで冷めてしまった珈琲に手を伸ばそうともしなかった。

 考える。悪党として。この街に足を踏み入れてしまったのだから。

 ふたりは、何が起こってどんな依頼が来ても、したり顔して「なんでも判っている」と言わなければならない、悪党だったから。

「………………じゃ、この街、都会なのね」

 溜め息みたいなチェスの囁きに、シュアラスタはゆっくり薄い唇を歪めた。

「学術都市ですよ、相棒。頭でっかちの天才が大通りを闊歩し、林立したアカデミーが数多くの優秀な人材を吐き出し、新しい税制度が施行されて金持ちほど高い税金払わせられて将来有望な苦学生を養う、リソウテキなね」

「いいわね。何よりだわ」

 皮肉交じりに言ったシュアラスタに、チェスがようやく顔だけを向けた。

「領主様はよっぽどワンマンなの? それとも、熱血?」

「どっちにしても俺たちゃ用なしだな。小金稼ぐにしても手配書は古臭ぇし、街道辻が近い訳でもないから強盗の類も出ない。となったら今回は、死に損ないのじじぃでもからかいながらニ・三日休む程度でしょ」

「…平和ねー」

 あはは。と珍しく明るい声で笑ってから、チェスはモルグに赤ワインとグラスを二つ頼んだ。

 その、揺らめくピンクゴールドの髪をなんとなく眺めつつ、シュアラスタが、唇に載せた紙巻きに火を点しカウンターに頬杖を突く。

「平和ね…。確かに、平和かもな」

 紫煙の向こうに浮かぶ、苦笑い。

(…飛び降り騒ぎを起こしたどこぞのお嬢さんにあれだけの保安官がくっついて来んだ、平和でない訳ねぇだろ…)

「平和はいいねぇ。馴染み薄いから落ち着かないけどな」

 どうでもいいように呟いて、シュアラスタは呆れたように笑った。

  

   
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