教育相談以前の問題が多すぎる

〜学校現場はこれでいいのか〜

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  私は教育相談を十数年来に渡ってやってきています。しかし、学校における教育相談や生徒支援の状況は未だに進歩したり発展したりしていないような気がします。

 それはなぜでしょうか。それは教育相談以前の問題が学校に多いからだと思います。

 そもそも私が教員になったのは不登校等の問題で悩む生徒たちの相談に乗っていきたいからでした。私は元々、日本史学の大学院に行き、研究者をめざしていました。しかし、修士論文が思うようにいっていませんでした。一方、アルバイトで家庭教師をしていましたが、家庭教師先の子どもがたまたま不登校気味の中学3年男子で、私は熱心にその中学生に関わりました。そうしているうちに彼の不登校もよくなり、さらに志望校に合格し、私は親子に感謝されました。そんな体験から、日本史の研究者より、不登校やいじめなどの問題で悩む生徒たちを助ける教職の道を選びました。

 でも、実際の学校現場(高校現場)は、私のイメージしていたものと全然ちがっていました。

 その一つが、教師がとても忙しく、また、本来の教師としての理想とはかけ離れたことをしなければならないという現実がです。

 私は、教師というものがこんなに忙しいものとは知りませんでした。父親も高校教師ですが、それほど忙しそうにみえなかった。ただ、中学教師の母親は忙しそうでした。

 昔の高校教師に比べて現在の高校教師は忙しくなっているような気がします。私が採用された年から初任者研修が始まり、その忙しさに拍車をかけていたような気がします。また私の初任の高校は県下でも進学校だったので、進学のニーズにも応えなければならないということもありました。

最近メディアでは、教員になりたての若い教師が辞めること多いということが問題になり特集の番組が組まれていました。やはり、教員が忙しすぎ、本来理想や夢を抱いて教員になったのに、それが実現できないということが背景にあるようです。

その番組でも教師の生活がいかに忙しいか取材していましたが、ぼくの新採用のころと変わらないなあというのが正直な感想でした。

教員はなぜ忙しいのか。

第1に、授業の準備に大変手間がかかるという問題です。

高校の教員は1週間にだいたい20時間弱の授業のコマ数を持つのですが、その授業の準備が大変時間がかかります。特に初任者の時はそうです。授業というものは、ただ、教科書をそのまま説明していればいいわけではありません。担当クラスごとの生徒の実態に合わせて、自分の言葉でわかりやすく説明するための授業の組み立てを考えますし、ぼくの場合ノートではだめだと思ったので、自主プリントを毎回作成しました。初任者のころは毎日翌日の授業のプリントを夜中まで作る日々でした。そのプリントも、なんとか、おもしろくかつ大学受験にもプラスになるものにしたかったので、簡単には仕上がりません。仕上がって、授業をしても、授業展開に失敗したり、わかりにくくなったり、自分ではおもしろいと思っていても、生徒には受けなかったりと反省の日々で、翌日にはもっとプリント作成に時間がかかるようになります。それでも満足のいく授業など、初任者の頃はまったくできませんでした。

ただ、一度プリントを作成すると、翌年はマイナーチェンジをするだけで、使えるので、年を追ってだんだん授業の準備には時間がかからなくなりましたし、勉強をしたりアイデアが生まれたりと、だんだん日本史の各単元ごと、生徒がおもしろがる逸話やネタ、工夫ができるようになってきました。

また、高校普通科の教員は常に進学指導ということを視野に入れて授業をしなければなりません。これもかなり負担になります。

また、自分の専門の日本史の授業しかないのならまだいいのですが、たいてい、他の社会科(今は地理歴史科、公民科)の科目の授業ももたされます。私は専門は日本史ですが、これまで、世界史、地理、現代社会、政治経済の授業をもち、その都度準備に苦労しました。

 

教員が忙しい第2の要因として、中学、高校の教員に共通することですが、部活指導の問題があります。

若い教員は、たいていその経験があってもなくても運動部の顧問にさせられます。そして、運動部の部活指導というものがまたとても大変なのです。まず、部活指導をきちんとしようとすると、時間外勤務が多くなります。

運動部の部活は平日は放課後から夜7時ぐらいまで行われます。私は忙しいのを承知で、生徒のために部活にも行きました。夕方5時から行っても7時頃まで2時間部活のつきあいます。さらに、土日の練習にも付き合います。土日の練習は午前中だけ、あるいは午後だけで終わります。そして、時には練習試合も組み、公式戦も土日に行われることが多いです。

平日は部活が終わる夜7時ころ、やっと自分の事務仕事ができるようになります。そして、授業の準備は家に持ち帰り、夜中まですることになります。

寝る、風呂、飯以外はほとんど仕事をしているような毎日が続くのです。そして、土日もつぶれます。定期試験1週間前になると部活動中止になるので、その期間になるとホッとしたものでした。

さらに、どの程度部活の中身に関わるかの問題ですが、部員たちは顧問にコーチ役を期待します。私はバスケット経験者であり、コーチも面白そうだと最初は思ったので、やりはじめましたが、大変でした。どんなスポーツもそうですが、コーチや監督をするというのは大変なエネルギーや勉強や研究を必要とします。中途半端なことをしていると生徒から反発されます。特に新採用の頃はそのスポーツの経験者といっても、それほど指導の知識や練習方法のアイデアがあるわけでもなく、上手に指導できるわけではありません。すると生徒は期待はずれだったり、反発したりと顧問に様々な反応を示してきます。そこから逃げずにやっていかなければなりません。

私は新採用の時、女子バスケット部の顧問になりましたが、うまく指導できず、生徒たちから猛反発をくらいました。それで、途中から練習に行かなくなりました。すると生徒はもっと反発し、気まずくなってきます。学校で部員とすれ違うことすら恐れるぐらいノイローゼ気味でした。悔しいので、あらゆるバスケットの指導書を購入し読みまくりました。自分が現役でプレーしていた時の何倍もの知識や練習方法、指導方法をマスターしなければなりませんでした。今では、やっとバスケットのだいたいの理論がわかりある程度は指導できるようになりました。あの頃の女子バスケの生徒たちに感謝しなければなりません。

でも矛盾も感じます。 私は、大学や大学院で、バスケットの指導法やスポーツの指導法を勉強したり、単位をとったりしたわけではありません。なのに、これほど、教師になってから時間とエネルギーを部活指導の割かれるとはよもや思いませんでした。

実は部活にどの程度関わるかは、教師の任意に任されています。教師の中には公式戦の時以外ほとんど顔を出さない教師もいます。しかし、 教師の多忙さを知らない生徒の中には、「あの先生は部活に少しも来てくれない」という者もいます。私はそれがいやで、そして、教育相談の看板を掲げる以上、部活に顔を出さないということはできませんでした。しかし、部活には中途半端に関われない。本当に徹底して、日々練習方法を考え、指導方法を考えました。

授業の準備だけでも死ぬほど忙しいのに、これに部活指導が加わり、過労死してしまうのではないかというほどでした。

そして、教師2年目からはクラス担任になります。そして、一定の年齢になるまで十数年間クラス担任を続けます。クラス担任の仕事もやりがいがあるものですが、重要かつ大変でもあります。クラス担任は生徒が充実した学校生活を送るかどうか大事な役割を担います。生徒の進路指導や学習面での指導、生活面、人間関係面、生徒指導、あらゆる側面に深く関わり、責任を持たされます。そして、どの学校も割とクラス担任請負制のようなところがあり、そのクラスの成績がよいか、悪いか、生徒指導上の問題が少ないか、多いか、進路実現がなされているかどうか、すべてクラス担任の責任にされる傾向にあります。

もう一つ教師の仕事として、校務分掌があります。教務係、進路係、生徒指導係、生徒会係、保健係、環境整備係、図書係、教育相談係など、教師はこうした係もしなければならず、その部分でも創造的に生徒のためを思って仕事をしていかなければなりません。私は、赴任先の高校で、教育相談係という新しい分掌を作るようにいつも管理職に働きかけます。今日、いじめや不登校等が問題になっているので、これまで仕えた管理職の多くが教育相談やそれに関わる分掌の存在の必要性について認識してくださり、新しい分掌として教育相談係を設置を認めてもらってきました。そして、私はそうした教育相談係という新しい分掌を設置する代わりに、自分がその分掌を担当すること、そして、自分はもう一つ別の分掌を兼務してもいいということを校内人事希望票に書きます。そのため、私はいつも教育相談係ともう一つ別の分掌を兼務することが多かったです。

 たとえば、生徒会係と教育相談係とか、生徒指導係と教育相談係とかです。しかし、生徒会係とは学園祭を運営しなければならず、それだけでもたいへん忙しい係です。生徒指導係も生徒の問題行動に対応するなど学校のメインの係の一つです。それらの係の仕事をした上で、教育相談係もする。それも新しい分掌としての教育相談係の創設を担っていくということになります。

 それに、学年の仕事というものが加わりまうす。たとえば私は社会科の教員なので、よく修学旅行担当になりました。高校では修学旅行は2年生の時に行くのですが、その企画運営をするわけです。自分の作った修学旅行の運営マニュアルに沿って旅行が進行します。それはやりがいがあるのですが、大変な仕事です。

 つまり、私は教師として、いくつもの役割をもっていることになります。@日本史を中心とした社会科の先生 Aバスケット部の顧問 Bクラス担任 C生徒会係(ないし生徒指導係)教員 D教育相談係教員  E修学旅行担当

 そして、このどれも手が抜けません。どれも生徒が関わることなので、精一杯全力でします。すると、朝は7時半に学校に出勤し、夜は9時頃家に帰る。家でも明日の授業の準備を12時頃までする。土日も部活や練習試合、そして公式戦という無茶苦茶ハードな日々を送っていました。妻は、私は過労死するのではないかと心配していました。

 一応、教員の世界にはこれらの仕事の優先順位が言われています。まず、授業(授業のしっかりできない教員は他のことが上手でも生徒からも他の教員からも認められません)、次に、クラス担任(次にクラス担任は生徒に与える影響力はものすごくあるからです)、第3に校務分掌、学年の仕事、そして、部活動です。

 私は矛盾を感じながら、教師生活を送ってきました。なぜ、教師はこんなに忙しいのだろうと。そして、生徒のことを考える教師であろうとすればするほど、自分が過労死しそうなぐらい多忙になっていく。多忙になると十分な教育活動ができない。自分は教育相談係でしたが、忙しすぎて相談室に行ってもいつも先生はいないと生徒に苦情を言われたことがあります。はっきりいって現場に教師が少なすぎます。しかし、そのことは一般社会にはあまり理解されていません。「先生は夏休みがあっていいね」とか「授業以外の時間はなにをしているの?」とか、教員以外の人に言われたことがあります。(夏休みは確かに夜中まで働くという状態は軽減されますが、毎日部活動はあり、課外をしたり、あるいは自分の研修をしたりと決して休んでいるわけではありません。)

 そして、自分もいつしか、偏差値に拘る人間、クラスから何人大学に進学したかその数を気にする教師になっていました。これが本当におれがなりたかった教師なのか、苦悶した私は、自分が本当になりたかった教師になれそうな学校に異動希望を出しました。それは当時県下でも不登校の生徒が多く進学すると言われていた、現任校です。現任校は、昼間部(午後1時から授業開始)と夜間部(当時午後6時から授業開始)をもつ定時制独立校で制服もなく、純粋な単位制であり、不登校の生徒たちが進学する場所として有名でした。ただ、定時制に行くということは一方で教員の出世コースとしてはあまりよくない(それも変なことですが)ということがありましたが、気にせず、人事異動で現任校を希望しそれが叶いました。

 今から10年前現任校に新任職員としてはじめて出勤した春3月末、はじめて車から降り立った時、現任校の花壇の花(パンジー)が咲き乱れており、その美しさになぜかホッとしました。この学校で、今度こそ当初の希望通り、不登校のある生徒たちを支援する教師になるんだと夢と希望に満ちて赴任しました。

 

生徒のことを考え、しっかり彼らと向き合う教師でいようとすればするほど、自分自身は過労死しそうなレベルまで多忙になる

そして、そのような多忙さを避けたければ、生徒と向き合うことを最小限にし、レベルの低い授業や仕事をしていくということになります。このことこそ、今の教師や教育をむしばんでいる大きな要因の一つです。

アメリカの高校を見学したことがありますが、アメリカの教師は自分の専門教科を教えるだけで、それ以外の仕事は同僚の他の専門職にまかせます。しかも、自分の部屋や教室をもっており、生徒の方がやってきます。一応HR担任にもなりますが、日本のクラス担任のような機能は、常勤のスクールカウンセラーやスクールサイコロジスト、スクールソーシャルワーカー等が果たしており、分業しています。そして、もしその教師が専門教科を教えることだけに飽き足りずステップアップしたければ、資格試験をうけて、スクールカウンセラー等になれるようです。逆に、スクールカウンセラーには教職経験がないとなれないということになり、これは日本のスクールカウンセラー制度と大きく異なる点です。

日本の教師は同時にいろんな役割を果たさなければならない。そして、それは教師一人の限界を超える仕事量であることは明白です。だから、日本の教師は、結局、いい教師になれない。多忙さの中で質の低い仕事をしていき、生徒に真に向き合う余裕がないのではないでしょうか。

そんな中、教育相談など余計なことになってしまいます。生徒の難しい問題や悩みに関わらず、授業やクラス担任等の仕事を適度にやるだけで、めいいっぱいというのが現状でしょう。

だから、教育相談の輪も広がらない、特別支援教育も現場に浸透していかない。

私自身は、妻から非難されるぐらい、多忙でした。そして、仕事人間とかワーカホリックとか同僚教師にも言われたことがあります。しかし、教育相談の看板を掲げている以上、教師として任されているどの職務も手を抜けませんでした。たとえば、部活動だけは手を抜くという方法があったかもしれません。しかし、部活動での生徒との触れ合いほど、生徒と向き合い教育相談ができる機会はないのです。今ベテランの域に達しバスケットの指導もなんとか人並みにこなせるようになった私を女子バスケット部員は信頼し、様々な相談を私にしてきます。かつて、初任のころ女子バスケット部員に反発された時とは大違いですが。

そして、学校教育相談は、相談室でクライエントを待っている心理臨床とは全く違います。様々な生徒との接する機会をとらえて、能動的に関わり、生徒を支援していくのが学校教育相談だと思います。

構造的な教師の多忙さの中、教育相談や特別支援教育をどうやっていくか、本当に難しいところです。