カウンセリングと仏教 〜教育相談への生かし方〜 |
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学校教育相談の担い手は、教育相談活動も行うと同時に、教科の専門があります。ぼくの場合は日本史です。日本史学の大学院に行き、修士号をとってます。また、国内留学で、臨床心理学の大学院も修了し、文学修士、教育学修士のダブル修士です。現在、大学院の博士課程に在籍し、学術博士(PhD)の取得をめざして臨床心理学の研究をしています。 そして、自分の日本史の専門性と臨床心理学(教育相談)の立場とをどのように融合していくか、ぼくの一生をかけた課題の一つです。
ぼくは日本史については大学院で仏教史を専攻しました。ぼくの日本史の大学院の指導教員は鎌倉新仏教の親鸞の専門家です。
鎌倉新仏教は、教科書ではごく表面的に教えが説明され、開祖たちの本当の意図や教えの意味が伝わってません。 私は、なにも西洋のカウンセリングや心理学の理論に頼らずとも、鎌倉新仏教の各開祖たちの教えを実践することが大きな癒しにつながる。あるいは、教育相談を担う教員が、鎌倉新仏教の教えの本当の意味を理解し、その境地に立てば、よいカウンセリングや生徒支援ができるのではないかと考えます。 以下、法然、親鸞、一遍、日蓮、栄西、道元の教えの本当の意味とカウンセリングや教育相談への活用の仕方を説明します。
@法然 浄土宗の開祖とされています。法然の教えは鎌倉時代においては革新的で平等をめざすものでした。鎌倉時代といえば、朝廷や武家、寺社勢力が荘園制を通じて農民等を支配する不平等な社会でしたので、平等をめざす彼の教えは結局異端とされ、法然自身朝廷により逮捕され還俗され遠流の刑罰を受け、無念のうちに亡くなった人です。 その後、弟子たちは、法然の教えの革新性や反体制性をねじ曲げて宗派としての生き残りを図り、現在でも宗派として存続しています。しかし、現在の浄土宗の教えは、(その宗派の立場からは言えないでしょうが、 )法然自身が説いた教えや意味と大きく離れています。さらに法然自身が弾圧され死んでいったということすらもなかったことにしようとして気がします。 法然と言えば、南無阿弥陀仏の念仏ですが、一般には「念仏をとなえれ極楽往生できる」という教えだと今でも理解されています。しかし、この理解では平安時代からあった浄土信仰と変わらず、法然の革新性やなぜ彼が弾圧されたか、理解できません。彼が本当に言いたかったことは、「この末法の世においては、念仏の中でも称名念仏(つまり南無阿弥陀仏と唱えること)という一番簡単なだれでも平等にできる方法でのみ極楽往生できる。それは阿弥陀仏自らが 称名念仏を選びとったのであって、それ以外の方法は必要ない」というものです。このことは法然の「選択本願念仏集」という著作に書かれています。 鎌倉時代の体制的な仏教の考え方(顕密体制)は様々な行法や寺への寄進、造寺など上流階級にしかできない方法が一番レベルの高い宗教的実践であり、念仏(称名念仏)は一番下等な宗教実践であるという差別的な発想がありました。それを法然は否定し、鎌倉時代という末法の世においては、称名念仏という庶民にでもできる一番簡単な方法こそが一番のレベルの高い宗教実践だと主張したことになります。この結果、庶民は宗教的に救われました。そして、その教えは一挙に広まっていきます。一方、体制側の仏教は怒りました。当然です、自分たちの日頃の宗教実践が否定されたのですから。朝廷に頼って、最終的に法然とその門下を弾圧することになります。
カウンセリングにどう生かすか:南無阿弥陀仏という言葉には、仏への感謝の意味が込められています。仏が宇宙そのものを指していると解釈し、宇宙への感謝の意味を込めて「南無阿弥陀仏」と唱える。その時、宗教的平等をめざした法然の篤い 願いに思いを馳せたらどうでしょうか。さらに宇宙への感謝の気持ちを別の言葉であらわしてもいいかもしれません。 「宇宙の秩序〈=仏〉に対する感謝」等。そして、法然と同様に、人類平等的な地平や意識に立って行うことで、自らも癒されると思います。
A親鸞 浄土真宗の開祖とされますが、法然の教えの革新性をさらに強め徹底し、独自の境地を開いたのが親鸞です。しかし、現在の浄土真宗はその後の弟子たちが親鸞の革新性を骨抜きにしたものとなってます。 親鸞自身が晩年自らのおしえを体制寄りに修正していったともいわれています。 親鸞は「末法の世である現在(当時)においては、すべての人は平等に悪人であって、そのことを自覚し、阿弥陀仏にすがれ」という教えを説きました。そして、「末法の時代には、念仏こそが唯一の仏法であって、阿弥陀仏にすがること以外のことを自力でしていると、浄土の端っこ(方便化土)に生まれるという仏罰をうける」と主張していました。 法然段階では、阿弥陀仏のいる極楽浄土に往生するためには念仏が一番の方法だと言いましたが、親鸞段階では、念仏こそが末法の世における唯一の仏法ということになります。 より革新性が強まるわけですが、親鸞の場合、革新性を強めたのが、弾圧され越後の国に流された後です。法然と別れ独自の境地に至ったということです。ただ、越後や関東にいたため、あまりその教えが当時は注目されなかったので弾圧をまぬがれたともいえます。親鸞は明治のころまで架空の人物であるという説までありましたが、「歎異抄」などの存在によって、実在が確認されます。 「歎異抄」といえば、晩年の親鸞と若き弟子唯円のやりとりを唯円が記録したものですが、そこにあらわれる親鸞の言葉には強烈で心を打たれるものがたくさんあります。 「善人なをもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」もその一つ。 これは、つまり、「善人ですら極楽に往生できるのだから、悪人は必ず極楽往生できる」という、悪人であるということを肯定するような過激が言葉が書かれています。いわゆる悪人正機説(本当は悪人正因説)です。 親鸞の言う悪人とは、末法の世においては上流階級も下層階級もみな平等に悪人であり、悪人としての自覚をもった人ということになります。阿弥陀仏はそうした、悪人としての自覚のある人こそを救うのであって、悪人としての自覚のない善人ぶっている人(当時でいったら公家、顕密僧等)には極楽浄土の中でも低い方便化土にそれでも往生するというとう考えです。 「歎異抄」なかで若き唯円は 「自分は念仏を信仰しており阿弥陀仏に救われているはずで本来なら踊り喜ぶぐらいであるべきなのに、少しもそうした境地にならない」 という悩みを親鸞に吐露します。 すると70歳近く年上の親鸞はこう答えます。 「私も日頃からそのようなことで悩んでいたのだが、唯円おまえもそうだったのか」 唯円にしてみれば、念仏の教えを極め、さぞや踊躍歓喜(安心立命)の境地に達していると思っていた親鸞がそのようなことを言うので、びっくりしたのではないかと思います。親鸞は、そのような境地に達せられないからこそ、我々は悪人であって、阿弥陀仏が救ってくださる対象としてふさわしいのだというようなことを言って、唯円をなぐさめます。 また、親鸞は、念仏については、南無阿弥陀仏という言葉を重視するより、そうした対象を信じ委ねる信仰心そのものを重視し、「南無阿弥陀仏」(六字名号)にこだわらず、信心を表す様々な称名を認めています。たとえば、「帰命尽十方無碍光如来」(十字名号)等です。阿弥陀仏には複数の呼び名がありますが、どのような呼び名でも、その存在に帰依する信心が重要であり、言葉はなんでもよいと考えていたと思います。また、法然段階では、阿弥陀仏の画像や仏像が重視されていますが、親鸞は「南無阿弥陀仏」等の言葉そのものを本尊とするようになってます。ここには像を拝むのではなく、西方浄土にいる本物の阿弥陀仏への信心そのものを大切にしようという意図もみられます。
晩年の親鸞は、自然法爾や如来等同思想を打ち出します。ようするに、念仏の信心に入った瞬間から阿弥陀仏と同じ存在になった(正生衆)と考えるのです。一般にはこれらは親鸞思想の発展ととらえるようですが、我が師匠の平雅行氏は、これは親鸞の教えが体制回帰しており、親鸞の思想の革新性が後退していると指摘しています。当時は、体制側仏教は天台本学思想といって、草木国土悉有仏性の考え方で、すべてのものが仏であるという考え方でした。これは現存の社会体制をそのまま肯定する考え方につながら、保守的な発想です。自然法爾や如来等同思想は、この天台本学思想とほとんど中身が変わらなくなり、悪人正因説段階に比べて、自分の思想の斬新さ、革新性を弱めているということです。親鸞自身が体制を恐れ、自分自身の本来の主張を弱めていった、そして、そのような弱さが親鸞にあったということになります。
カウンセリングにどう生かすか: a親鸞は悪人としての自覚を重視しました。だれしも心の中に持っている悪の気持ちや抑圧している部分を自覚することになり、精神分析の無意識の意識化につながります。抑圧されたものを自我の統制下に置くことで、症状の改善や人格の変容を促すことになります。 実際、自分が悪人であることを素直に自覚すると、逆に、気持ちがほっとするということはないでしょうか。 これは未熟な自分を自覚するということです。仕事でも学業でも、生活面でも自分が完全であろうとすればするほと本人は無理をし、苦しむでしょう。その時、未熟な自分自身をあえて自覚することで、無理をすることがなくなり、緊張から解かれるということがないでしょうか。 私は以前、自分が教員に向いていないと思って悩んでいたことがあります。でも、親鸞の悪人正因説を学ぶことで、教員に向いてない自分をあえて自覚し、そして、教員に向いていると思いこんでいる教員より、教員に向いていないという自覚がある自分の方がまだマシかもしれないと考えるようになり、慰められたことがあります。
b歎異抄における唯円に対する親鸞の接し方は、カウンセラーの態度として、参考になります。はるかに先輩の親鸞は、若き唯円との問答において、決して自分を高い見地に置くのではなく、同等な目線で接します。阿弥陀仏の前では自分も若き唯円も同じように凡夫であるという考え方からです。 我々カウンセラーや教育相談の係、そして、教員は、ともすれば上から目線で生徒と接するのではないでしょうか。「先生、先生」とよばれている自分も、生徒や保護者と同様に凡夫であり対等であるという自覚の下、接することで、より深い人間関係が築けるのではないでしょうか。
B一遍 一遍は時宗の開祖です。時宗というと日本史の教科書的には踊り念仏が有名です。一遍の考え方は、念仏や死後の極楽往生こそが人生で一番大事なことであって、どのような形で念仏してもよい(そのため踊り念仏が発生した)、あるいは、一切を捨てて念仏をせよという主張を貫きます。 彼は捨て聖と呼ばれ、財産を持たず旅を続け念仏の教えを広めました。そのうち家族も捨て、死ぬ間際には自分の著書も焼き捨てます。
カウンセリングにどう生かすか:すべてを「捨てる」という発想は、物事への拘りから発生する悩みを解決することにつながります。人は、物事を捨てたりあきらめたりできないから悩むのです。好きな人を諦められないので恋愛に悩み、名誉や地位に拘るのでそれらについて悩み、家族のことへの拘りから家族について悩むのです。 現代社会においては蓄積すること(財産、資本、貨幣、学問、資格取得などなど)に価値が置かれているので、なかなか捨てることができないのですが、それを捨てることができれば、悩みも半減するのではないでしょうか。
C日蓮 日蓮は鎌倉時代後半に活躍した人です。鎌倉時代には念仏が大流行でした。しかし、念仏をどんなに唱えても社会がよくならない。彼は念仏に批判的でした。そのような中、日蓮は、あらゆる経典の中から妙法蓮華経こそが最高の経典であり、それを広めることに一生を捧げる決意をします。そして、念仏に対抗して「南無妙法蓮華経」といういわゆる題目を唱えることを推奨します。そして、日蓮は、「妙法蓮華経」というこのお経の題名に、このお経の教えそのものが解かれていると主張します。 ・「妙法」という言葉には、すべての人に仏性、すわなち仏になる可能性があるということが含意されている。 ・「蓮華」とは、汚い池に美しく咲くハスの花は、汚れきった現世にとどまって人々を救う菩薩のようであり、菩薩のように衆生を救っていこうということが含意されている。 ・「経」とは釈迦の教えが書かれたものであり、この現世の主である釈迦如来こそ信仰し、念仏のようにあの世や阿弥陀を信仰するのではなく、まず今生きているこの世で幸せになることをめざそうということが含意されている。 と主張しています。
カウンセリングへの生かし方:すべての人に仏性があることを、すなわち善意や可能性があることを信じ、思いやりをもって、この世で幸せになることをめざしていくという願いが、「南無妙法蓮華経」という言葉に集約されています。そのような思いを大切にすることはカウンセリングに通ずると感じます。
D栄西、道元 臨済宗、曹洞宗の日本の開祖です。二人とも中国で座禅を勉強し、日本に移入しました。臨済宗は公案という謎解きを考えながら精神統一を図るのが特徴、一方の曹洞宗は、只管打坐という言葉に表れる通り、ただひたすら座禅のみをする、人生そのものが公案のようなものだから、公案は必要ないと考えるようです。
カウンセリングへの生かし方:第三世代の認知行動療法では、マインドフルネスといって、精神的な安定を目指す呼吸法や瞑想が重視されています。座禅そのものが瞑想であり、座禅中行われる数息観は呼吸法の一つです。さまざまな精神的混乱や疾病への対応として、座禅にみられる呼吸法や座禅そのものが活用されています。 |
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