ロジャーズは誤解されている 〜もう一度ロジャーズから確認しよう〜
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@「受容」「共感」より「純粋性」が一番大切

教育相談の発展の大きな影響を与えたのは、ロジャーズのクライエント中心の理論です。ロジャーズは、セラピストがクライエントに接する時の態度として、純粋性、受容、共感の三つを指摘し、これらは、教育現場における教師の態度としても重要なことだということを指摘しました。ロジャーズは、三つの態度のうち、純粋性を一番強調しています。しかし、学校現場では、教育相談といえば、受容や共感のみで生徒に接するものと誤解され、今日でもその誤解はとけていません。
 集団を相手に規範的指導も行っていかなければならない学校現場においては、受容や共感よりも、まず生徒と本音で人間対人間の関係で接することを基本とする純粋性が一番大事なことだと考えます。
 なのに、日本では教育相談といえば、なんでも共感するものと誤解されてきた。それが、今日にいたっても、学校において、教育相談が十分活用されてない原因の一つと考えられます。
 ともすれば、生徒との本音の交流から逃げるための口実として受容や共感という言葉が使われているような気がしてなりません。これは教育相談とはまったく逆のあり方です。

 以下に、『全国学校教育相談研究会研究紀要Convictus No.36』( 2002年4月)に掲載された私の論文『純粋性』に基づいた生徒指導」 を置きます。ここでは、「叱る」などの規範的指導においてもロジャーズの純粋性の理論が有効であることを主張しています。なお、プライバシー保護のため事例の内容に関しては省略しています。

 

A「純粋性」の応用

私は、ロジャーズの理論に触発されて、実際に生徒の相談に乗る場面で、いろんなことを試してい ます。その中で、生徒相談の時の教師の態度としてうまくいっている考え方や姿勢を紹介します。

a生徒の話を聴きながら、教師自身に生じる気持ちを大切にする

 生徒の話を聴いていると、自分の心や感情、感覚にいろんなものが生じます。辛い生徒の話を聴いて、いっしょに辛がっている自分。なんとかこの生徒を助けてやりたいという思い。自然とわいてくる受容や共感の感情等プラスの感情。反面、こういう時もあります。同じ生徒が何度も相談にきてうんざりしている自分の気持ち。忙しい最中に相談に来られてイライラしている自分。自分自身がちょっとしたアクシデントを抱えて生徒の話をうまく聴けない雰囲気。生徒の発想の貧弱さに呆れかえっている気持ちなど、相談に乗る上でのマイナスの気持ちや感情も起こってきます。ロジャーズの純粋性の態度条件を重視すれば、そうしたプラスマイナスどちらの感情も意識化し相談において利用していくべきだと考えます。つまり「カウンセラーの体験過程への照合作業を行い必要に応じて言語化する」という作業は、マイナスの体験過程についてもなされるべきでしょう。ロジャーズ自身がその気持ちが真に生じているならマイナスの言動を表明することの方が偽りの表明をしているよりマシだというようなことを言っています。

b相談に乗る上での教師に生じるマイナスの感情も大切にして利用する

具体的に相談に乗っている時のマイナスの感情にはどういう効果があるか。そこには以外と真実があったり、逆に生徒を立ち直らせるきっかけが潜んでいると思います。例えば、一日に何度も相談に来る生徒にうんざりした感情がある場合、それを、時にはその生徒に率直に伝えます。「 君は、さっきも来たし、ちょっと来すぎじゃないの」。一見きついですが、それで彼は現実原則を学びます。そして、自分でなんとかしなきゃと思い、返ってそれが立ち直るきっかけになるという経験もしました。さらに、相談に乗りながら忙しくてイライラしている時は、その感情を大切にして、話を短めにするよう生徒に要望します。これも生徒が現実原則を学ぶ機会だし、短時間の相談が却ってプラスに働く場合もあります。

c生徒の話を聴いていて疑問が生じたらきちんと質問してたずねていく

最近心理臨床のある本(認知行動療法)を読んでいて、ロジャーズ派のカウンセラーの中には、未だに質問をすることをいけないことだとか躊躇する人がいるという挿話が書いてあり、 そんな人がいるのかとびっくりしました。ロジャーズは質問してはいけないなどと少しもいってないし、むしろ純粋性に立てば疑問を感じたら率直に質問すべきたと私は考え てきたからです。

生徒の悩みや相談を聴いていると、最初は、その悩みの仕組みや成り立ちがよくわからない。なんでそんなことで悩むのだろうか、と共感できない時間がしばらく続く。そこで、いろんな質問をしてみる。質問の中身は生徒の悩みの話の流れで率直に感じる疑問である。すると、その質問に生徒自身も考え、生徒自身も洞察を深め、聴いてる私も理解を深める。それを繰り返していくうちに、生徒の悩みの仕組みや構造について、納得のいく地点がやってくる。「なるほど、そういうことならこの生徒のように悩むだろうな」と感じる地点で す。つまりその段階になって生徒の内的照合枠を理解でき、自然と共感に至ってます。共感とは「するもの」ではなく、「至るもの」だと思います。

私は、逆に、質問をしていかなければ共感に至れないと思ってます。純粋性に立って、話の中で疑問に感じたことを質問していき、共感に至るのです。質問しないで共感に至ることができるとすれば それは、よほど感が鋭いか、「偽りの共感」をしているかのどちらかではない でしょうか。

事例

 あるまじめで優秀な生徒がいて、「親は私によくしてくれるのに、自分は親の期待に答えられなくて、勉強さぼってばかりいる(本当は 生徒の話はもっと長かった)」と悩みを話 しはじめた。この話ですでに私にはいくつか疑問がうかぶ。「親はどんな風にこの生徒によくしてくれているのだろうか?」「勉強さぼっているって、どの程度勉強しているのだろうか?」などである。そこでそれらを質問した。すると本人の語る内容は、一般的にいってそれほどよくしていくれている親とは思えない内容だった。なのに本人は「よくしてくれていると思いこんでいるのかな」と感じた。さらに、勉強の様子は、それなりにやっており、自分の目標よりも短いかもしれないが、他の生徒より十分勉強ができていることを知った。こうして時々質問を挟むことで、結局、「本人は、本当は親に反発していること、それが本人にはまだ自覚できてないこと」を私は感じた。だが、その生徒の場合、3年生で受験勉強の大切な時期だったので、 今はこの問題を意識化させ動揺させない方がよいと考え、そこまで明確化せず、100%目標達成は無理なこと、本人は十分がんばっているから今が50%の目標達成率ならそれを60%ぐらいにすることを目標にしてがんばれ等々、教師として常識的に励まして終わった。

d教師の感情以外、その場の雰囲気、その場の状況、自分とその生徒の立場など、相談している場全体の雰囲気(環境)を感じとり、利用する。

生徒の相談に乗っている時、カウンセラーとクライエントという関係性で相談に乗っているのではなく、あくまで教師と生徒、さらに、生徒との関係性がもっと具体的に存在します。例えば、ある生徒は授業で教えている生徒だったり、顧問する部活動の部員だったり、 廊下ですれちがう関係だったり、他の生徒からうわさを聞いていたり、担任している生徒だったり等々です。それらが、相談の場に影響を当然与えます。部活動で関係がある生徒だったら、部活の話に触れながら、本人の問題をいっしょに考えたり、部活動で日頃見ている生徒だから理解しやすかったり。つまり、純粋な非日常的なカウンセラー−クライエント関係には良い意味でも悪い意味でもなれず、その生徒との日常的な関係性に直接影響されます。そのことは、教員が相談に乗る場合、プラスの方に活用していくことが有効でしょう。

さらには、相談室の部屋の様子、その日の天気、ゴミの落ちている様子、相談室へのノック、相談中のアクシデントなどすべてを相談に利用するつもりで、相談の乗るという姿勢がいいのではないでしょうか。相談内容が緊迫しているところへアクシデントが起きたことで緊張がほぐれるなど の経験があります。

e人間対人間の関係性が生徒を変える

学校における相談の場合、病院や個人カウンセリングルームなどと違って、相談者が一方的に来なくなるということはありません。相談に来なくなっても、学校には来ているし、教師−生徒関係は続いていく。カウンセリングの訓練で逐語記録をチェックしていく方法があり、それはそれで意味があると思いますが、学校での相談の場合、なにをしゃべったかより、結局その相談に乗っている教師が、どのような生き方を 学校でしているか、どのような価値観で生徒に接しているか、どのような授業、部活指導をしているかが大きく影響します。それらが、その教師の日常の振る舞いが、相談に来ようとしている生徒に影響するし、相談を継続している生徒の場合、相談そのものの効果に影響がでます。

従って、学校での相談は、結局、生徒の相談に対して、教師がなにをしゃべったかではなく、人間としてどう対応したかが重要でしょう。そして、相談にのる教師は、人間としての自分を利用して相談にのる姿勢が必要でしょう。なにをしゃべるか、どんな応答をするかではなく、人間として教師としてその生徒とどう向き合うかが一番大事な問題です。 そして、生徒とよい関係ができたり、その教師がモデル機能を果たすようになったときによい変化が生じるのではないでしょうか。

 

f「繰り返し」や「感情の反射」などの技法にこだわりすぎない

従って、カウンセリングで普通は強調される「繰り返し」や「感情の反射」などの技法にあえてこだわらず、「純粋性」に基づき、自分の感情や感覚にしたがって、わからないところは質問し、おかしいと感じたら率直にそれを告げ、共感できていたら共感するというような教師としての自然体で接していっていいのではないでしょうか。純粋なカウンセラー−クライエント関係では、一つ一つの言葉が大切です。一つの言葉や感情の反射の失敗で、もしかしたら、もうクライエントは来談しなくなるかもしれません。そのクライエントとはもう会えなくなるかもしれません。でも学校では、たとえその生徒が相談に来なくなっても、日常的な接触や教師−生徒関係は継続されるので、教師としてまだその生徒に働きかけることができるし、もう一度相談関係に持ち込むこともできます。一字一句の言葉より、その生徒との人間対人間の関係こそが大事なので、技法より関係性の方にこそ気を配りること。そして、生徒とよい関係をつくっていくため、よい教育実践をしていくことが一番大事なことです。

g「教師」として相談に乗ること

 同じ事の繰り返しになるかもしれませんが、教師はカウンセラーではありません。それほど高度な技法を有しているわけではありません。 ただ、教師としての常識や生徒との人間関係形成、教科指導や生徒指導には人並み以上の経験や技術があるはずです。そうした、教師としての力量や範疇の範囲で精一杯相談にのればいいのではないでしょうか。生徒が相談してくれば、当然時間を割いて真摯に話を聴く。助言できることがあれば、教師の経験や知識を生かして助言をする(従って、指示的でもいいと思います)。困っていてれば教師の常識の範囲内で助ける。心の問題だけにこだわらず、生徒の環境調整、家庭への対応もする。カウンセラーにはできない「教師」独自の相談の乗り方、対応の仕方があると思います。

だから、なにも特別に教育相談の力量を高めたり研修を積む必要はないし(研修をつんだ方がよりよりが)、学校の教育相談係は教師としての普通の常識的な人ならだれでもできると思います。それは、他の生徒会係、生徒指導係、教務係、進路係などをどの教師でもできるしやらなければならないのと同じです。

h常識的な楽しい健康的な会話をめざす

 従って、教師として、そのように生徒に接していると、当然助言をしたり、アドバイスしたり、双方向的な会話になっていくと思います。そして、常識的な会話の関係に近づいていくと思いますし、それでいいと思います。相手の話が興味深かったら関心し、疑問があったら質問し、 教師が質問されたらそれに応える、という相補的双方向的会話が普通の健康的な会話だと思います。やはり認知行動療法の本に書いてありましたが、俗流ロジャーズ派のカウンセラーの中には質問もしないし、ただ、一方的に傾聴 したり繰り返しをされたりで、それを不自然に感じたクライエントが、そのカウンセラーのところを離れ、認知行動療法の著者のところに来て、普通の双方向的なカウンセリングをされてかえってほっとするというようなことが書いてありました。

教員の生徒相談もそうした双方向的な会話で十分だと思います。 悩みの相談なので、決して最初は明るい雰囲気ではないでしょうが、そうした双方向的常識的な会話の展開の中で、最後の方では楽しく健康的な会話 になっていくことが理想でしょう。そして、そのような展開なら、悩みの解決の方向性(解決像)もみえてくるのではないでしょうか。

I相談者のどんな話に反応すべきか

 それでは教員の行う双方向的な相談をよりよくしていくためにはなにか方法があるでしょうか。一つだけ技法的なことを言わせてもらうと、相談者の話を教員が聴いていて、それは興味深い、おもしろい、なんでだろう、って思ったところ に話を突っ込んでいくというようなことでしょうか。そうすれば話が盛り上がり、深まり、最終的には楽しく健康的な会話になっていくと思います。そして、2人の関係も深まっていくと思います。生徒の話を聴いていて、その ような「興味深い」、「おもしろい」、「疑問に思う」、「関心をいだかせる」部分を聞き逃したり流したりしてはだめです。 そこを会話の中で拾い上げて行かなくてはダメです。

例えば、例

生徒「今年の夏おじいちゃんの家に行ってきた。でもおじいちゃんの家はあまり好きじゃない。 行くのに時間がかかるし、おじいちゃんのことを好きじゃないし。」

と生徒がしゃべったとき、「行くのに時間がかかる」の部分と「おじいちゃんが好きじゃない」のどちらかを話題をしぼるとすれば、後者の方が絶対に相談は深まるでしょう。

さらに、

生徒「私は冬が好き、なぜかというと寒い方がいいし、雪だるまがつくれるから」

と生徒がしゃべったとき。「雪だるまがつくれるから冬が好き」という理由が独特でおもしろいはずです。だから、そこに話をしぼって質問していくとかです。

 

J教師との相談は健康的な雑談から入ることが多い

教師に相談する時、生徒はいきなり「相談があります」という形で来ることは稀です。たいていは相談室に来てなんとなく日常的健康的な雑談から、段々本題に入っていくという形になります。その最初の健康的な雑談をしっかり教師と生徒が楽しい雰囲気で有意義にやるということが、実は肝心です。そこで、会話が弾まなかったり、いい会話ができないと、結局相談せずに終わることもあるでしょう。

教師「おお久しぶり、どうだい、元気にやっている?」

生徒「ええ、まあ。先生はどう?」

教師「そうだなあ、教師は教師でいろあるんだよ。最近ちょっと疲れているかな(自己開示)」

生徒「なにに疲れているの?、私が相談にのってあげようか」

教師「ええ、○○(生徒の名前)がおれのカウンセラーになってくれるの、ありがたい。実は、家に子どものためのいろんなペットがいて最初世話すると言ってた子どもも最近世話しなくなって全部おれが世話してるんだけど、たいへんなんだ。この間インコが死んじゃったし。そんなこんなで疲れているかな」

生徒「そうなんだ。私の家にも猫がいるよ。でも最近、家に帰っても、猫だけしか話し相手がいないみたいな感じ」

教師「猫だけが話し相手?、どうしてそんなことになっているの?」→こうして生徒の相談に入っていく

 

H日常的な生徒への声かけが命

生徒との関係づくりのため、また、いざとなったら相談に来てもらうために大事なことは、生徒とできるだけ多く接すること。だから、顧問となっている部活動には行く、委員会はきちんと活動する。それ以外にすれ違う生徒や気になる生徒に廊下など校内でどんどん声をかけていくことが大切です。声かけは「おはよう」などの挨拶から、気になる生徒に「なんかあったの?」という声かけまで様々です。そうして構築された生徒との最初の関係性が、やがて、本当の生徒が困ったときに相談に来るきっかけになります。

 

以上 、まとまりもなく、思いつくままに書いてきましたが、私が、ロジャーズの3つの態度条件のうち、「純粋性」を突き詰めていくと上記のような対応や相談の乗り方、話の聴き方になるのかなと感じたものをまとめてみました。