下総の国・谷貝 『(ささ) (やま)』 

             306-0113   茨城県古河市谷貝857-2

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Sasayama  homepage へ ようこそ お越しいただき、ありがとうございます。このページは、笹山グループ(株式会社笹山・有限会社笹山肥料)を経営するに当り、「基本理念、経営方針」「社名の由来」などを、お客様にご理解をいただくために設定させて頂いたものです。どうぞご一読いただき、今後ともより一層のご支援をいただきますようお願い申し上げます。

話は古くなりますが、大正の末期に祖父「初見啓次郎」が農業の傍ら魚粉、菜種粕等々の販売を開始したのが創業となります。その後父「初見敬一郎」(次男であった父は当時の東京青年師範学校を終え教育家としての道を歩まんとした頃)が、長男の戦死により家督を相続する事になり帰郷、笹山肥料店 を引き継ぐ事となった。 

食糧不足の時代であり、当地、猿島郡八俣村(猿島郡三和町〜現・古河市)のみならず、国民すべてが貧困の時代であったおり、当時の肥料商は食糧増産の国策に沿うべく、また自己の貧困からの脱出を計るべく朝から晩まで働きづめであったと 聞いておりますし、先代もまた例に違わず頑張っていたことは私自身目の当たりに見ているので覚えております。 肥料の商いは常に農家と一心同体、農家の収入減は即影響を被り売掛増につながるわけで、期末の売掛金の回収は困難を極める事となるのは現在の比ではなかったと思います。

そうした中で優良な得意先農家の育成が必須との思いに至り、米、麦主体の作付けから、食生活の変化にあった、野菜への変換を促し農家の現金収入の増加を期待し営業活動を続けていったのであります。 その後しばらくは順調に推移した農業情勢「農家経済」も、日本列島改造の波が首都東京に近い、我が三和町(都心まで車で1、2時間)にも押し寄せ 少しづつ変化が出始めたのであります。  ( 農地の宅地化と食生活の変化による米余り現象とその後に続く野菜価格の低迷は農業経営を圧迫し農家の生産意欲を減退させ、希望を失わせるようなこととなりつつあった時期でもありました。 しかし以前の農家とは格段の違いが出てきた(野菜の生産により収入はかなり増加)と思われます。 )        豊な消費生活を夢見て頑張った地方の片隅にもその現実が到来したのであります。そんな時期 有限会社ドライブインドライブイン・レストランとして昭和43年(1968年)9月OPEN)、 (後に改組 株式会社 笹山 (昭和45年、1970416日 設立)  地域の皆様のコミュニケーションの場として20年近く御利用いただきましたが、昭和58年723日より併設しておりましたセブンイレブンのフランチャイジーとしての  セブンイレブン茨城三和南店に一本化することとなり 発展的に解消(昭和6312月)することとなり、まもなく セブンイレブン境中央店平成29月開店、その後、閉鎖移転)、引き続き平成5年(1993年)85日  セブンイレブン三和4号バイパス店」を開店(平成29224日 閉店 長い間ありがとうございました。)、そして平成10(1998)108日、境中央店を移転し  セブンイレブン三和東山田店 として開店、続いて平成14(2002)329日  セブンイレブン総和稲宮店開店、また平成24(2012)224日  セブンイレブン古河三和中学校前店 開店、株式会社笹山 管理下にて、時代のニーズに対応した商いを続けさせていただいております。  また、()笹山肥料 では「安心、安全で新鮮な作物」を生産し続ける実直な力強い得意先農家「古河市内(旧三和町、旧総和町)、境町、坂東市、他」のご支援を頂きながら 地域に根ざした仕事をさせていただいている次第です。平成17年(2006年)猿島町は岩井市と合併し坂東市に、また、三和町、総和町、古河市が合併し古河市となりました。また平成295月より 初見敬之に代わり 初見一敬が代表取締役社長に 就任いたしました。今後ともより一層のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

「敬天愛人」・「至誠一貫」  商いを通じて 「地域社会に笑顔で貢献しよう」 「立場が変わったとき、貴方ならどうして欲しいのか? 相手の立場を理解しながらの商いをする事」 が私共の考え方であります。古くからの商いの中に得られたものを新しい商いに生かし、これからも地道に続けていきたいと考えております。また、共に働くスタッフ一同、より良き人格者として地域に奉仕できるよう、仕事に自己形成に邁進していきたいと考えております。どうぞよろしくお引き立てお願い申し上げます。

                                            初見敬之 

古河の子守唄   宵待草  ノクターン

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22 笹山」 の 由来

 

「その昔 五萬参千石 関宿城主 久世大和守 下総の主たりし頃、世にも稀なる竹林の疫病下総一帯に発生し 竹林といふ竹林は絶えてなくなった。その頃  城主  日光裏街道を北へ急ぎ、谷貝町 にさしかかりし折り 竹勢すさまじく山をなす繁茂ぶりの竹林を発見、“おお、いともすばらしき笹山じゃ!”と眺望 かつ 怪訝がることしばし、“吾が城下にも笹山は絶えじ !”  と ひどく喜ばれ城下の吉兆だ と持主に “絶えざる芽出度き”、“笹山を号せよ”と、言われたとか 今日なを 世人称して笹山といふ有難き由緒なるかな。」   

前出の「久世大和の守」様より拝領されたと言われる「久世家ご家紋入り」の 【裃】 が残っております。千葉県立関宿博物館に寄託』。 また、「現在も 竹林は 屋敷内に繁茂しております。」 節には 竹の子 も出ます。よろしかったらどうぞ。     このページの背景は 鈴木由太郎画伯の美人画です。

 

 

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