下総の国「谷貝町(ヤガイマチ)
県道結城・三和・境・野田線は、かつて、日光東街道【別名・関宿通多功(タコウ)道・・水戸街道の小金宿から、日光街道の雀宮宿】と呼ばれ、境宿(境町)・谷貝宿(三和町)・仁連宿(同)・諸川宿(同)・武井宿(結城市)・多功宿(栃木県上三川町)を通り雀宮宿(宇都宮市)に達する日光社参の脇街道として発達したと言われている。【1950年代までは街道沿いに「松並木」もあった。】各宿場には問屋と呼ばれる中継基地がおかれ、その一つが「谷貝の宿」、「谷貝町」の問屋である。それぞれの問屋は人馬をそろえ次の宿場までの荷物の運搬等を業とし、大名などが日光社参の折りの宿泊所としての機能も果たしていた。
谷貝町は周辺各村々からの人々の衆参により、当時の町場を形成した地域であった。現在なを、職人的な職業が多く残っている事もこれを裏付けるものであるといえる。
谷貝(ヤガイ)・夏の踊り
     2002・8/16〜17(遍照寺(ヘンジョウジ)境内にて)
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みんなで「盆様送り」 屋台の立並ぶ風景 お水をあげて・・
送り盆風景と毎年恒例、谷貝の「観音町」
茨城県古河市谷貝  BGM; 古河の子守唄
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