Family

 いつもの朝、いつもの時間。田舎の駅の待ち合い室には、いつもの顔が並んでいた。眠た気な背広男が3人。お互いの指をくねくねと絡ませ合う高校生のカップル。そのカップルを努めて無視するように参考書をめくる予備校生。キオスクのおばんと、犬の散歩の途中でここに立ち寄りコーヒー牛乳を飲みながら話し込む老人。いつも競馬新聞を傍らに置いている駅員。だいたいこのメンバーだ。
 いつもの景色の中に、この日はひとつの異物が混じっていた。
 髪の毛をくりくりのお団子にした黄色のチャイナ服は、片田舎の駅の待ち合い室には到底馴染まない。大きな瞳の中学生くらいの女の子。
 彼女は室内に姿を見せた時からすでに注目の的だったが、本人はまったくのおかまいなしだ。ピッと背筋を伸ばした美しい姿勢で室内を横切り、片隅の掲示板の前で立ち止まり大きなバッグをおろすと、当たり前の様になにやらポスターをはり付けはじめた。
「ちょっと、お客さん」
 さすがに見とがめた駅員が窓口から声をかける。こんな田舎の駅に現れた闖入者にちょっと緊張しているらしく、いつもより少しだけ声が高いが無理もない。僕だって内心ドキドキしていた。
「そういうの、勝手に貼られちゃ困るんだよねえ」
 しかし少女は駅員の声が聞こえないかのようにテキパキと作業を続けている。こんな小さな駅で声が届かないはずがない。駅員はムッとした態度で窓口を出て、少女の肩に手を置いた。
「すいません、お客さん」
 すると少女はいきなり掲示板をバンバンと叩きまくしたてた。
「い〜いじゃないの! こんなにイッパイ空いてるんだから!!」
 目の前で怒鳴り散らされた駅員はもちろんの事、好奇の目で成り行きを見守っていた客達もびくっと背筋をのばした。しばらく呆けた様に口をあけていた駅員だったが、なんとかおずおずと言葉を続けた。
「・・・いえ、こちらには正式な申し込みをいただいたものですとか、公共機関からの依頼のものですとか・・・」
「だから、誰がそんな申し込みしてくんのよ? こ〜んなにイッパイ空いてるじゃないの。ね、隅っこの方でいいからさ。あ、あの爆弾魔の写真の隣でいいや。そこそこ、そこでいいじゃない」
 完全に少女のペースだ。しかも言葉を吐きながらも、テキパキと動く手の方はちっとも休む気配がない。ずいぶんと慣れているみたいだ。
 電車がホームに滑り込んできた。客達はほっとしたような、名残惜しそうな様子で、そそくさと電車に乗り込んでいく。
 僕ももう少し様子を見ていたかったけれど、いくらなんでもこんな事で遅刻する訳にもいかない。
 電車の中に入ると、客達は今度は無遠慮にあちらの様子をうかがいはじめた。高校生のカップルなどはガラスに額をくっつけて覗いている。
 しばらくは押し問答が続いていたが、どうやら駅員がギリギリのところで頑張ったらしい。少女はポスターを剥がしはじめても、尚キーキーとなにやら抗議していたが、ようやく諦めたらしくポスターをバッグに戻し出口へと歩きだした。
 駅員はその背中にしっしっと手を振っていたが、少女が急に振り向くとまたもびくっと体を震わせた。完全に気押されている。
 少女はツカツカと駅員の方へ歩を進めると、目の前に立ち止まって彼の顔を睨み付けた。
「な、何度言ってもダメなものはダ・・・」
「ケチ!!!」
 電車の中にまでハッキリと聞こえる大声で怒鳴りつけると、少女は今度こそ本当に駅を出ていった。
 乗客のどこかから、思わずため息がもれた。駅員はバツが悪そうにわざとらしいせき払いをすると、すごすごと窓口に引っ込んだ。
 電車が逃げ出すようにして動き出した。
 少女がなにかのポスターを貼ろうとしていた掲示板を見ていた僕は、そこに面白いものを見つけ思わず吹き出した。
 いかにも凶悪な顔をした爆弾魔の指名手配写真の鼻の穴の部分に、二つの画鋲が突き刺してあったのだ。

 再び少女の姿を見かけたのは、その週の日曜日の事だった。この町で唯一の大型ス−パーの駐車場で、今度はビラ配りをしていた。服装も髪型もあの朝と同じものだったが、満面の笑みを浮かべたその表情はまるで別人のものだった。
「よろしくお願いしまーす! 喜多川大サーカスでーす! よろしくお願いしまーす!!」
 なるほど、サーカスの一座の娘だったのだ。そうと知れればあの派手な装いも、駅での手慣れた所作も分からないでもない。聞いた事のない名前だから、小さな一座なのだろう。各地を転々とする間に、大人を手玉にとる強かさも、あの営業用の笑顔も自然と身に付いたのだ。
「皆様ふるっておこしくださーい! 喜多川大サーカスでーす!」
 一瞬少女と視線がぶつかったが、彼女の完璧な笑顔には何の変化もなかった。こちらはよく憶えていたが、彼女が僕を憶えているはずもない。ま・当然だ。
「よろしくお願いしまーす!」
 僕の手にチラシが手渡された。『迫力の猛獣ショー! 決死の空中ブランコ! 喜多川大サーカス団』 ピエロやらライオンやらがごちゃごちゃと描かれてはいるものの、サーカスのチラシとしては質素な部類だろう。
「遊びにいらっしゃいよね」
 背後で聞こえた小さな声に驚いて振り向くと、そこに少女の顔はなかった。クスクスという笑い声が足元から聞こえてくる。
「こっちよ、こっち」
 少女は上体を大きくのけ反らせて自分の足の間から顔を出した状態で、僕にニッコリと笑ってみせた。さっきまでの営業用とは少し違うみたいだった。
 僕は苦笑してみせるしかなかったが、少女はすぐに上体をおこすと何事もなかったかの様にまたチラシ配りをはじめた。
「よろしくお願いしまーす!!」

つづく