「娘から話はうかがっております。私が当一座の座長をつとめさせていただいております、マッスル喜多川でございます」
 丁寧に挨拶の口上を述べると、マッスル喜多川はそのビア樽の様な腕を僕に差し出した。ものすごく太い腕だったが、握手をした感触はマッスルどころかふわふわのマシュマロみたいだった。
 喜多川ユウキに連れられて、喜多川大サーカスの舞台裏へ足を踏み入れた僕は、まずこの一座の長であるマッスル喜多川に引き合わされた。
 頭、胴体、手足、その全てがほとんど球に近い形状のパーツで組み合わされている。『ゴーストバスターズ』のマシュマロマンみたいな男だ。ただしこのマシュマロマンはNYの街を破壊して歩いたりする事はなく、その容貌通りに温厚な男で、にこにこと笑みを絶やさない。
「本日はどうかごゆっくりお楽しみくださいませ」
 そう言ってほっほっほっと笑う。
「本日はどうかごゆっくりお楽しみくださいませ。ほっほっほっ」
 見れば背後でユウキが笑っていた。頬に何かを仕込んでいるらしく、ほっぺたを真ん丸にしている。
「これこれ、お客さまの前でなんて顔をしてるんだい、ほっほっほっ」
「いいじゃない。ねっ、すごいでしょ?パパのお肉っ」
 そう言いながらマッスル喜多川の二の腕の肉をつまんだ。二の腕をつまんだだけなのに、全身の肉が連動してふるふると波打つ。
「はあ〜っ・・柔くて気持ち良いわあ〜・・・、ね、あなたもやってみなさいよ」
 もちろん僕だってふるふるしてみたかったけれど、いくらなんでも初対面の人間の二の腕をつまんだりは出来ない。
「これこれ、やめなさいというのに」
 全身をふるふるさせながら、マシュマロマンが穏やかに諌める。
「こう見えても、私だって若い頃は筋骨隆々のヘラクレスみたいな・・・」
「あら、あたしはそんなの見た事ないわ」
「だから、昔の話だと言って・・・」
「だって、写真の一枚もないじゃない。だいたいヘラクレスの腕がこんな大福みたいになっちゃうなんて信じられないわよ」
 他人の言葉を遮ってみせるのが実に巧い。良く言えば頭の回転が早いと、悪く言えば他人の話を聞いていないとも言えそうだが、自己中心的なのは間違いなさそうだ。
「ま、パパが言ってるんだから、そーいう事にしといてあげるわ!」
 そう言うと今度はマッスル喜多川の背中から首っ玉に飛びついた。するとマッスル喜多川は彼女をその巨大な背にしっかり背負い、その場でくるくると回転しはじめた。
 二人ともころころと笑いながら回転していた。とても楽しそうに回転していた。
 やがてユウキはマッスル喜多川の背から飛び下り、体操選手みたいに両手をピッと上げポーズを決めた。
「10点!」
 一方のマッスル喜多川は、くるくると回転しながら辺りをよろよろとさまよっていたが、やがて柱にぶつかって止まるとその場でのびてしまった。
「さ・パパは放っておいて、あっちに行きましょうよ。そそ、動物達のところ案内してあげる!」

 


 ユウキの説明によれば、喜多川大サーカス団の売りのひとつは猛獣ショーであるらしい。売りとは言ってもこれ位の規模のサーカス小屋の事であるから、そこそこという程度のものだ。しかしユウキは誇らし気に動物達を紹介してくれた。
「あれがクマのマサ吉。自転車に乗るのがとっても上手よ。あっちがサルのモン太。後ろの小っちゃいのが子供のモン一郎とモン二朗。小猿達はまだ芸は出来ないけど、モン太は竹馬もキャッチボールもなんだって出来るわ。ちょっとイタズラ者だけどね。あっちの大きいのが象のエミ−ちゃん。ものすごおく大きいけど、逆立ちなんかもするわよ。踏まれたら死んじゃうからね。あそこにいるのがワシのジョ−。つっ突かれないように気を付けて。それからあっちが・・・」
「ユウキ、お客さまが困ってらっしゃるわよ」
 象舎の陰から艶やかな美女が姿を現した。人形のように整った顔だちと抜群のプロポーションが、年齢の判断をつけずらくしている。
「あ、ママ。この人がこないだ話した・・・」
「分かっていますよ。ようこそいらっしゃいました。私はローズ喜多川です。ごゆっくりなさってくださいな」
 ローズ喜多川は艶然と微笑むと恭しく一礼した。まったく自然な所作であるにもかかわらず、僕の胸はドキドキと高鳴った。ローズ喜多川はそれ程美しい女性だった。
「でも、ユウキ。お客様をこんな所へお連れするものではありませんよ。悪戯をする子もいますからね」
「はーい、わかってまーす、行きましょっ」
 ユウキは元気よく返事をすると、さっさと僕の手をひいて歩き出した。正直いって僕はもう少しローズ喜多川を一緒にいたかったが、ユウキはおとなしく退出していく。どうやらローズ喜多川には頭が上がらないらしい。
「ねっ、ねっ、ママってすっごい美人でしょ? いくつだと思う? 実はね・・・・」
 その時背後でいかにも聞こえよがしなローズ喜多川の声が聞こえた。
「あらあらあら、おしゃべりなネズミちゃんがいるみたいねえ。ハナちゃん、ちょっと獲っていらっしゃい」
 突然ユウキが走り出した。ローズ喜多川の方を振り向いて確認した僕も、あわててユウキの後に続いて逃げ出した。
 ローズ喜多川の足元で、巨大な雌ライオンのハナちゃんが面倒臭そうに欠伸をしていた。





つづく