人情紙風船

にんじょうかみふうせん 昭和12(1937)年/PCL・前進座作品/86分

 脚本:三村伸太郎、演出:山中貞雄、撮影:三村明、音楽:太田忠、美術考証:岩田専太郎
 出演:河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、霧立のぼる、市川莚司、市川笑太郎、瀬川菊之丞

 山中貞雄は「森の石松」を最後に自分の生まれ育った京都を去り、東京のPCL(のちの東宝)に入社。その入社第1回作品がこの「人情紙風船」。そしてこの第1回作品が最後の作品になってしまう。「『人情紙風船』が遺作ではちとさびしい」の言葉を残し、中国戦線へ旅立ち、翌年戦病死してしまう。二十八歳だった。

 「人情紙風船」は極めて暗いお話です。「百万両の壺」は心温まる人情喜劇、暖かい人間の心は百万両では買えないというテーマを奇抜なストーリー展開で楽しませます。「河内山宗俊」は悲しい結末ですが河内山と金子市が命懸けでお浪さん(原節子)を守る姿に心打たれた方も多いでしょう。でも「人情紙風船」には笑いも涙もありません。前二作のような面白さを期待した方は間違いなく期待外れな思いをするでしょう。冒頭と終わり以外に音楽が全くありませんし、「百万両の壺」「河内山宗俊」の様なテンポもありません。登場人物にもろくな奴がいません。蒸し暑い梅雨の話なのに見終わった後心の中が寒くなるような内容です。こう書いていくと現存する山中作品の中で一番落ちる作品の様ですが、ところがどっこい、「人情紙風船」は三本の中で最高、いや、私の独断と偏見からすると、世界一美しい映画の一つです。山中の世界観を(宇宙観?)見事に捉えた三村明のキャメラが素晴らしい。一度見たら忘れられない映像がいくつもいくつもあります。この物語の主人公、長家の愚かな住人達を演じた前進座の面々の素晴らしさ。既成の時代劇俳優ではこんな映画にはなっていなかったでしょう。そしてこのなんの喜びもないこの映画を見終わったあと、また「百万両の壺」「河内山宗俊」を見直して下さい。そして「人情紙風船」をまた見て下さい。出来れば何度も何度も。心に残る詩を何度も読み返すように。好きな歌を何度も繰り返して聴くように。映画は詩なのですから。詩の断片的な言葉の意味を探るように、映画を何度も見て下さい。

 ビデオ:キネマ倶楽部(廃盤)
 LD:東宝ビデオ(廃盤)