悪魔はシャイに I Love You
       

志咲摩衣


 

 悠乃サンって、意外にふつうに笑うんだな──オレは思った。
 お嬢様ってウワサだったけど、家は案外ふつうで、六畳くらいの洋室に小さいこたつなんかがあって、とても居心地がいい。いつものくせで、つい、こたつに入ったら、「おこたに悪魔ってヘン」って思いきり笑われてしまった。
 "おこたに悪魔"……か。
 頭に手をやると、まぎれもなく長くねじれた悪魔の角に指が触れる。
 ああ、なんで、オレの頭に角なんか生えちゃってんだよ?
 悠乃サン、オレ、ずっとキミに憧れてたのにさ。


Scene 2 チョコレートの憂鬱



 もうすぐ憂鬱な日がやってくる。
 モテない男にとって一年で一番憂鬱な日──そう、あの忌まわしいバレンタインデーがやってくるのだ。仲のいいモテ男、北条にまた大量のチョコを見せびらかされる日。
 北条にいわせると、オレはモテないというより、単に存在が地味なのだそうだ。オレの見かけはやや痩せ型中背、顔立ちはとにかく地味、のひとことに尽きる。「よく見ると、山本って意外と整ってるのになァ」などと、キラキラした空気をつねにまとっているヤツになぐさめられてもうれしくともなんともない。
 こんなオレには、小学校のころの春の遠足でトイレに行って集合時間にほんのちょっと遅れたら、マジでバスに置いていかれたというトホホな過去まである。あの時は泣いたよ。以来、あの苦い教訓から、オレは団体行動で集合時間に遅れたことがない。でもさ、先生くらい生徒がひとり足りないって気がつくもんだろう、ふつうは。
 学校からの帰り道、そんな暗くマヌケな過去を思い出して、うつむき加減でとぼとぼと歩いていたら、 道の片隅になにか光るものを見つけた。地面で光るものに、つい近寄りたくなってしまうのは、地味な小市民の習性かもしれない。
 光っていたのは──小さな銀の指環だった。
 石なんかついていないシンプルな細工の、男でもつけられるようなデザイン。
 今日はかったるいから明日にでも警察に届けよう。そう思って、オレはその指環をポケットにしまい込んだ。

 うちに帰ってもすぐに着替える気もおきず、オレはベッドのうえにごろりと転がった。両親は共働きだから、八時過ぎまで帰ってこない。腹がへってる時間なのに、なんだかレンジでチンする気もおきない。はぁーっとため息をついて、ごろりと寝返りを打った拍子にポケットからなにかが落ちた──銀の指環だ。オレはなんとなくそれを手にとって眺めた。
 表面は艶のないざらりとした加工がされていて、刺のある植物の意匠が彫られている。内側にはファンタジィ映画で見たことのあるような判読できない文字がびっしりと刻まれていた。なんだか高そうな気がする。これって、もしかして、アンティークというヤツか。
 北条なら、こんなのが似合うのかもしれない。顔はふつうなんだが、あのモテ男はとりまく空気が洒落ているのだ。オレがはめたら、笑っちゃうよな。そう思うと、天の邪鬼な気分がもたげてきて、オレはつい、指環をはめてしまった──左の小指に。
 一瞬、天井がぐるりと回った気がして、オレは意識を手放した。

「山本クン、山本クン?」
 誰かがオレの身体をゆさぶっている。うるせぇよ。背中が痛いんだからほっといてくれ。
 ずきり。
 あれ? なんだかマジで痛い。背筋がよじれてるみたいだ。オレは仕方なく目をあけた。すると、そこに。
「ああ、山本クン」
 オレの目のまえに、なぜかなまずヒゲがいた。
 ……っていうか! 家宅侵入罪だろ、これ。
 オレはがばっと跳ね起きた。
「どっ、ドロボー!」
 オレはなまずヒゲに向かって叫んだ。そして──。
「こ、コスプレ?」
 続けざま、オレがマヌケな声で叫んだのも無理はない。オレの部屋に入ったドロボー──なまずヒゲの格好はふつうじゃなかった。ファンタジィ映画に出てくる悪い魔法使いなんかが着るような、ゆったりとした真っ黒いローブ。まあ、ここまではいいとして、問題はここからだ。背中にはカラスのような真っ黒い翼と、頭からは二本のねじれた長い角。
「あ、悪魔……のコスプレ? おっさんのくせに」
 そう、オレの目のまえにいたのは、悪魔の格好をした、なまずヒゲのおっさんだった。
「失礼な。コスプレなどではないぞ」
「はァ?」
 つい、オレはマヌケな声を出す。
「わしの名はナーン。正真正銘の悪魔じゃよ。山本陽一クン」
 自称悪魔のナーンは呵々と嗤って、なぜかオレのフルネームを呼んだ。
「ありえない」
 オレは呟く。
「ありえない?」
 ナーンが繰り返す。
「だって、そうだろう、悪魔なんてモノがいるわけが……」
 オレがそう言いかけたとき、ナーンがにっこりと笑った。
「ならば、現実をよく見るのじゃな」
 ナーンがそう言ってパチリと指を鳴らすと、オレのまえにさっきまでとは違うヤツが現れた。
 今度のヤツもぞろっとしたヘンな服を着ているが、ナーンよりずいぶん若い。それに、なんというか、ずいぶんと派手な見かけで──ファンタジィ映画やゲームに出てくる男エルフって感じの、いわゆる美形だ。銀色の長い髪、銀色の瞳。こいつは翼も角も銀色で、悪魔なのか天使なのか一瞬迷うが、ねじれた長い角があるのはやはり悪魔のコスプレなんだろう。それにしても、単なるコスプレにしては、翼や角が映画の特殊メイクのようによくできている。
「どうじゃ? その姿は気にいったか?」
 銀色の美形のうしろから、ナーンの声が聴こえる。
「は? 気にいるってなんだ……よ……?」
 なんだ? オレがしゃべると、その通りに目のまえの美形が口を開く。
 これじゃ、まるで……。
 ぺたっ。
 てのひらに冷たい感触──まさか。
「か、鏡? なわけないだろ! ってか、どういう特殊メイクなんだよ、これ? いたたっ?」
 おそるおそる背中に手を伸ばすと、ふわふわとしたモノに触れた。なんで、オレの背中にこんなモノが。ためしにソレを引っ張ってみたら痛い。痛い? 痛いってどういうことだよ?
「これ、オレの背中から生えてるのかよ?」
 自分の身体を見下ろすと、銀色のヤツが着ているのと同じヘンな服が目に入る。
「どうじゃ? 悪魔になった気分は?」
 ぱっと目のまえから鏡が消え失せて、ナーンが笑うのが見えた。
 オレは……悪魔にされてしまったらしい。

「ナーン、いや、ナーン様。お願いですから、オレを元に戻してください」
「なにを言う、山本クン。キミは超ラッキーなんじゃよ。ただいま、魔界アルバイトフェア実施中! いまならもれなく素敵な魔法の指環つき!」
 魔法の指環……って。オレは小指に輝く指環を見た。
「こ、これ? まさか、この指環を火口に投げ込む苦難の旅がオレを待っているとか」
「そんな設定はない」
 ああ、よかった。あんな苦行は絶対無理だ。オレはとりあえず胸をなでおろした。
「キミに頼みたいバイトは、天使の任務代行じゃ。魔界も天界も慢性的な人手不足なのじゃよ。なに、任務さえ果たしてくれれば、すぐに元の姿に戻してあげよう」
「バイト? ってことはバイト代が出るんですか?」
 バイトという言葉の響きに、ついオレが目を輝かせて訊くと、ナーンはうすく笑った。目が笑っていないのが怖い。なまずヒゲでも、さすがは悪魔だ。
「悪魔としての得難い体験、これ以上の報酬がこの世にあるだろうか……いやない。反語じゃよ、山本クン」
 よくわからないが、つまりは無報酬ってことか。
「キミには、ある人物の恋を成就させてもらいたい──天界の日本限定バレンタイン特別企画のキューピッド役じゃ。な? 真の悪魔には依頼するに忍びない、甘く幸福な任務じゃろう?」
 バレンタイン特別企画? 天界にまで、日本のチョコレート屋が仕掛けた戦略が波及してんのかよ? あっぱれ、日本の商人!
「そこで、あの指環をひろったラッキーな人間にバイトを依頼することにしたのじゃ。魔界の人事部長として、わしも苦肉の策なのじゃよ」
 人事部長! 魔界というのは役所かなにかか?
「キミだって、一生に一度くらい人目をひく派手な美形になってみたかったじゃろう? 地味で存在のうすい山本クン」
「うるせぇ、なまず……地味で存在のうすいはよけいだ。角も翼もいらねぇし……」
「ん? なにか言ったかの? 指環をネコババしようとした山本クン?」
 ギクッ。
「ち、ちがうって。これは試しにはめてみただけで」
 オレはあわてて指環をはずそうとした。
 げ、はずれない?
「任務が完了するまで、それははずれぬよ」
 ナーンはニヤリと笑った。そりゃ、罠だよな──こいつはなまずヒゲでも悪魔なんだから。
「それで、キミにキューピッド役を頼みたい相手というのは……キミのクラスメイトじゃな」
 ナーンはどこから取りだしたのか、黒革の……電子手帳をピッピッと操作する。いやだな、IT化の進んだ魔界なんて。
 ん……クラスメイト?
「ふーむ、よろこべ、山本クン。これからキミが会いにゆく女のコはなかなかの美形じゃ」
 う……なんだか、イヤな予感がする。
「そのコの名前は水梨……」
「悠乃サン?」
 みなまで言わせずオレは叫んだ──それが、一時間まえ。

「こんばんは、お嬢さん」
 銀色の悪魔が水梨悠乃サンのまえにあらわれたのは、そんなわけだ。
 オレは、入学式ではじめて悠乃サンを見かけたそのときから、ずっと彼女に憧れていた。悠乃サンはすらりと背の高い、おとなびて品のいい、お嬢様みたいな女のコで──いわゆる一目惚れってヤツだ。同じクラスだとわかったときには天にも昇る心地だったのに、学校で彼女と話した記憶は三学期になった今にいたるまでほとんどない。
 それが──。
「あ……あれ? どうして天使に角があるの?」
「え? だって、オレ……悪魔だから」
 自分から悪魔と名乗るのはかなり抵抗があった、それでも。
 うわ……オレ……悠乃サンと会話してるよ。
「あ、悪魔っ? うそうそっ! 絶対うそっ!」
 学校で、おとなびた美人という印象の悠乃サンは、意外と反応がかわいくて。
「……うそじゃないって」
 顔を見るのも照れくさい。
「だって、銀色の悪魔なんて邪道よ! 悪魔ならたとえどんなに美形でも、肌以外は全身真っ黒なのが王道なのに!」
 ああ、悠乃サン。お願いだから、そんなに悪魔悪魔と連呼しないでください。
 正直、好きなコのまえで、冬なのにこんなずるずるのうすい服で、角だの翼だのついてるのは、かなり恥ずかしい。コスプレもどきのオレの姿に悠乃サンがたいして驚かなかったのにびっくりしたけど、さっきからジロジロ見られてるのは感じる。たしかにヘンだよ、この格好。
 ああ、お願いだから、そんなに見つめないでよ、悠乃サン。
 オレは無意識に長くて鬱陶しい髪をかきあげた。
「オレはまだ研修生のバイト扱いだから、こんなハンパな色なんだって」
「け、研修生? バイト? なによ、その夢のない設定は!」
 悠乃サンがさらさらの長い黒髪を揺らして叫ぶ。なんだか、想像してたよりずっとかわいい。
 うっ、ヤバっ、つい顔がにやけそうになる。 オレの正体はバレちゃマズイんだった。
 なまずヒゲに言われたのだ。
「人手不足とはいえ、"ただの人間"をバイトに雇ったことがバレたりしたら魔界の恥。もしもバレたら彼女も悪魔にする」って。悠乃サンを悪魔になんかさせられない。
 にやけた貌をごまかすために、オレは眉間にしわを寄せてため息をついた。
「オレもそう思うけどね……人事部長が言うんだよ。魔界も天界も慢性的な人手不足で猫の手も借りたい状況だって」
 オレの言葉になぜか悠乃サンの表情がくもった。やっぱり"魔界"は怖かったのか。
「大丈夫、安心して。オレ、水梨さんに悪いことをしに来たわけじゃないから」
 オレは精いっぱい悪魔らしくなく微笑んだ。
 大丈夫。悠乃サン。だって、オレが今日ここへきたのは──。
「でね。水梨悠乃さん。もうすぐ、バレンタインだよね」
 オレはまた微笑って、なにげないふうを装う。
「……オレはキミの恋をかなえるために来たんだ」
 ダメだ。やっぱり声が震える。
「 キミの好きなひとは誰?」

 そして、悠乃サンはこたつに入ったオレを、からかうようにクスクス笑ったあと、恥ずかしそうにぽつりと告げたのだ。
「……神崎先生」


 

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