ルナティック・ゴールド
       第1部 月下の一群

志咲摩衣


 

16 愛はさだめ、さだめは死
 

 どうしたらいいんだ?
 令は途方に暮れていた。
 黄河との同調からみんなを解放するったって、どうしたらそんなことできるんだろう?
 くくくっ、すぐ目の前にいる黄河が令を見下ろし、尊大に笑った。
「うるせーっ! あんまりオレをバカにすんなよ、黄河っ!」
 令は一気にオーラを放出し、黄金色の光が会場内に満ちあふれた。
 音楽っ!
 令が念ずるとコンピュータ制御の機器が自然に動き出し、イントロダクションを演奏しはじめた。高く差しあげた右手に、マイクが弧 を描いてふわりと落ち、腕に垂らした金の鎖がしゃらんと鳴った。
 そして、令は歌いはじめる──。

誰も知らない
南の孤島で
名前も知らない
あなたと出会った

時さえ忘れて
真夏の海辺
夢だけ記して
気怠く眠る

DANCE 狂おしく
DANCE 黄金色に
DANCE 美しすぎる人

 ──透きとおった甘く切ない声。
 令は会場の人々に語りかけていた。
 ──お願いだ、オレの声を聴いてくれ。
 令は声の限りと歌いあげた。
 ──オレの歌を、聴いてくれ。
 黄金色のオーラが奔流となって場内を駆けめぐる。令の声、リズムにあわせて揺れ動く黄金色の波。
 その人の淡い琥珀色の瞳は、いまや光を映す黄金色。場内のすべてが、狂おしいほどの黄金色に染めあげられていた。
 ただひとり、黄河だけがこの幻想的な光景の観客だった。彼は令の邪魔をしようという素振りもなく、ただ腕組みをして歌う令を眺めていた。
 令のオーラが一気にふうっと舞い上がる。黄金色の波にさらわれるように、人々のオーラが舞い上がった。
 その瞬間──人々の耳に令の歌が届いた。

DANCE 狂おしく
DANCE 黄金色に
DANCE 美しすぎる人

 令は歌っていた。声の限り。
 透きとおった甘く切ない声が人々の耳の岸辺に打ち寄せる。
 呪縛は破られた。場内の人々は夢から醒めたように令の歌に聴きいっていた──。

 審査員たちはみな、困惑していた。
 黄河の歌の途中から記憶が途切れ、気づいた時にはルナが歌っていた──それが正直なところだったのだ。まさか、ここにいた全員がそうだったとは、みな夢にも思わなかった。だから、そのことは誰も口に出さずにいた。
 この不思議なオーディションのことが人々のあいだで噂にのぼるのは、もう少しあとのことになる。
 審査結果は清原貢と鬼島雄三が同じ階の一室に呼び出されて発表されることになっていた。
「じゃ、行ってくるな。幸運を祈っててくれよォ」
 緊張の面もちで席を立った清原の後ろ姿を、令と綾瀬は言葉もなく見送った。なにしろ、令は自分の歌が途中からしか聴かれていないのを充分自覚していた。
「……ダメかもなァ」
 ソファに座ってぐったりとしている綾瀬に黄金色のオーラをそそぎ込みながら、令は弱音を吐いた。
「自分からそんなこと言っちゃだめだよ。ったく、甘ちゃんだなァ」
 高城の口調で綾瀬は軽く言ってから、令の背中をぽんぽんと叩いた。
 そこへ、ふらりと黄河が現れた。ギリッと唇をかんで、綾瀬が身体をもたげる。
「そろそろ控えたほうがいい」
「へっ?」
「オーラだ。そこでぐったりしている奴もわかっているだろう? 黄金のオーラで体質がどう変わっても知らんぞ」
「それは、わざわざ、どうも。──ルナ、ありがとう。もう大丈夫だ」
「なに? 体質が変わるって……」
 令が問いかけた時、黄河がうっすらと目を細めた。
「……決まったようだな」
 そう言って、令の顔を見つめ微笑んだ。そんな黄河の顔を令はきょとんと見つめ返した。
「おめでとう、黄神令」
 黄河は右手を差し出した。
「へっ?」
 黄河はくすりと笑った。
「発表を透視していなかったのか? 今、清原貢に決まったよ」
「……まさか」
「完敗だな」
 小さく笑って、黄河は右手を引ききびすを返した。
 デビューできる……。
「綾瀬ーっ!」
 叫んで令は抱きついた。
「ありがとう。ありがとなっ。オレ、綾瀬がいなかったら……きっと、ダメだった」
 言って、いっそうきつく抱きつく。
「……高城さんだって言ってるでしょうが」
「いいじゃんかよォ。もう決まっちゃったんだし」
 令がぷーっとふくれてから、はっとなる。
「いけねぇ!」
 叫んで、令は走り出した。
「……きれいなオバケ」
 ぱたぱたと走り去る令の後ろ姿を見ながら、綾瀬はぐったりとひとりごちた。
 あれだけ膨大なオーラを放出して、あの元気はなんなんだ?

「黄河ァーっ!」
 令はエレベータに乗る寸前の黄河を捕まえた。と思った瞬間、腕をとられエレベータの中にぐいっと引きずり込まれる。ふたりを呑み込んでドアが閉まった。
「なにか用か?」
 令の腕を離さずに黄河が訊く。リィン、リィン──とオーラが共鳴しはじめる。令はにこっと笑った。
「さっきはごめん。せっかく結果を教えてくれたのに、オレ、ぼーっとしてて。握手シカトしちゃっただろ? だから」
 言って、黄河の右手をぎゅっと握った。
「黄河ってさ、すごく歌うまいんだから、もうあんなことすんなよ。オレってなんかぬ けてるからさ、あんたの歌に聴きいっちゃって。同じ中央本家なのにシンクロか抜けられなくなってやんの。バカだよな、マジで 」
 一息に言って、へへっと令は笑った。
「黄河はオレの一番のライバルだかんな。そのうちジョイントとかしたいし。あ、気が早すぎるかな、オレ」
「慰めているつもりかい?」
 驚くほど優しげに黄河は微笑った。
「そっ、そんなんじゃ……」
「ありがとう」
 囁くように言って、ふいに黄河は令を抱きよせ、口づけた。
 ……!
『からかってるんじゃないよ』
 黄河は優しく令の髪を長い指で梳いた。
『俺が嫌いか?』
『きっ、嫌いじゃねーけど』
 令は居心地悪そうに身をよじった。
『やっぱ、ダメだよ。ごめん。オレ、これでもフツーの男の感覚してっから、男に対してそーゆーの、ない……』
 名残惜しそうに黄河は身体を離し、令の頬を優しく包み込むように手をあてた。
「……友達じゃ、ダメ?」
 令が黄河を見上げた。
「時間をかけて口説くとしよう」
「黄河っ!」
 止まっていたエレベータのドアがすっと開く。
「じゃまた、ルナ」
 黄河はウィンクしてみせた。
「……だっ、ダメだかんなっ! そんなのっ! オレたち、すっげー仲のいいダチになんだかんなっ! 黄河ってばーっ!」
 黄河は振り向いてくすっと笑った。

 その夜は、清原や他のスタッフと派手に祝勝会を行うはずであったが、見るからに体調の悪そうな高城隼人をルナがかなり心配しているのが傍目にもよくわかったので、次の日に延期された。
 かわりに海棠邸で内輪だけのささやかな祝宴が催された。綾瀬は令と青野が飲み食いするのを恨めしげに眺めているだけだったが。
 そこへ、突然、予期せぬ客があらわれた。
「おめでとうっ、高見沢!」
「ましろちゃん?」
 ましろの突然の来訪で、こそこそ身を隠そうとしたのは綾瀬だった。旅行という名目でずっと家に戻っていない綾瀬は、まだ高城隼人の姿のままなのである。
 しかし、そこは見るのが専門の(白)の一族──目敏いましろが綺麗なオーラを見逃すはずもない。
「あの人、誰?」
 言うなり、綾瀬のほうへさっさと走り寄っていく。
「わたし、後白河ましろ。あなたは?」
「オレは……高城隼人」
 言いながら、つい目を逸らし近場の椅子に座り込んでしまう。
 まいったな。今日は厄日か。
「大丈夫? ぐったりしてるよ」
 ましろは小首をかしげて、綾瀬の顔をのぞきこんだ。
「オーラを使いすぎちゃってね。お姫さま」
 頭を掻くポーズで、少しでも表情を隠そうとする。
「やーだ、ヘンなのォ」
 くすくすっと笑って、走り去ってしまった。
 なんだったんだ? 今のの何が変だったんだ? わが妹ながら、女の子はわからん。
 走り去るましろを呆然と見送りながら、頭を抱える兄だった。
「高見沢ーっ、こっち、こっち」
 ましろがベランダから令を呼んだ。青野はプライドにかけて知らんぷりを決め込んでいる。
 令がベランダに出ると、涼しい風が頬を撫でた。見上げると、空には半月が浮かんでいる。
「ホントに歌手になっちゃうんだね」
 そう言ってましろがにこっと笑った。
「うん。ちゃんとやっていけるかどうか、わかんないけど」
「大丈夫だよ。綾瀬たち、ついてるし」
「……? もしかして、気がついてたの?」
「そんなの、見ればわかるでしょ。オレなんて言って、顔隠しちゃったりして、おっかしーの。あんな格好してみたかったからって照れちゃって」
 ましろはくすくす笑った。
「あんな格好してみたかった、って、綾瀬が?」
「そっ。ふだん、かちっとし過ぎてるでしょ。だから、今みたいにちょっとくだけたカンジで、だらーんとした格好して歩いてみたかったんじゃないの? あの人」
 そう言って、またくすくす笑う。
 女のコは怖い──令は自分に妹なんてものがいなくてよかったと、心底思った。
「でもね」
 突然、ましろが真顔になった。
「もうひとつの月には気をつけたほうがいいよ」
「……え?」
「〈夢幻の月〉は闇に喰われた半月だから」

 昼のあいだ中、降り続いていた霧のような雨もやみ、空にはうっすらと雲のかかった半月が出ていた。
「黄河様、面目次第もございません」
 長身の女性のみごとなシルエットが口をひらいた。
「かまわん。今日はただの前哨戦だ」
 男のよく通る低い声が畳敷きの大広間に響き渡る。
「じきに、大老の第三次関門がはじまる。だが、黄神令に勝算はない」
「……とは?」
 赤いオーラの女性の耳元に黄河は低く囁いた。
「それは……! しかし」
「案ずることはない。赤津、そなたはわが傍らにあればよい」
「はい」
 遊人に向かってうっすら微笑んでから、黄河の姿は溶けるように消えた。
「大老のもとへ行かれたか。さて、わたしも新しい魔霊を捕らえにゆくか」
 赤津遊人は黄河を追うように夜闇に消えた。

「おまえか」
 御簾の向こうで床(とこ)からもぞりと起きあがる気配がする。
「はい」
「黄神令はどうだ?」
「〈蛇〉と接触したかと思われます。以前の令であったなら、あれほどのオーラを放出すれば気を失っていたでしょう」
 黄河は額を押さえ小さく呻いた。
「……失礼。今日は少しばかり疲れました」
 言って、黄河は苦しげに息をついた。双の瞳がカッと見開かれ黄金色に光る。
 だが。
 次第にその左目からは光が薄れはじめた。
 黄金色のオーラが、しゅぅっと、か細い糸のように立ち昇る。その糸が立ち消えたころ──黄河を名乗っていた男の左目は完全に黄金の光を失い、黒き闇へと色を変えていた。
 今、男の双眸は黄金と黒のオッド・アイ。光と闇とを抱いていた。
 そして、彼の全身から舞い上がるオーラは──。
「黄金色のオーラをまとうのは身を削られるような感じですね。毎日これで、黄神令はよく身体が保つ」
 くっくっくっ、笑いながら男は黄金色の瞳を長い前髪でさらりと隠した。その髪も、いつのまにか漆黒に変わっている。舞い上がるオーラの色は、今、鮮やかな紫。
「苦しいか?」
「長い間、封印していた瞳ですからね。慣れるまで時間もかかりましょう。お祖父様」
 言いながら微笑んで顔をあげたのは──。
 まさしく、黄神大老の孫にして、〈黒〉の宗家の嫡子、黒川透その人であった。
「わたしは、ずっとこの日がくるのを待っていたのです」
「透」
「数年前、〈至上の黄金〉を見つけたあの日からずっと……」
「わしを、恨むか?」
 透は静かにかぶりを振った。
「もはや、今のわたし以外のわたしなど想像もできません」
「殺すのだ、あれを。おまえの生き残る道はそれしかあり得ぬ」
「……そうですね」
 心ここにあらずといった風情で、透はすっと立ち上がった。そして、障子をあけて回廊に出る。
 空に浮かぶのは半月。
 ──令、わたしは、君を、殺す。
 透はきつく唇を噛んだ。
 君の存在を知った時から、ずっと会いたかった。そして、できることなら、一生会わずにすませたかったよ──。
 君が君でなかったなら、よかったのに。

 見あげると月は雲に隠れていた。
 闇は深く、夜はただ黒川透に冷たかった。

第1部 月下の一群 了




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