チョコレートの包みを手にとった彼が苦笑しながら言った。
「持っていく……って?」
「神崎先生のところだろ? もう遅いから、急いだほうがいいか。渡しそびれたままバレンタインが終わったら格好つかないもんな」
そうか──。
自分あてだって思ってもみないのは、わたしに興味がないから。
このひとは、わたしからのチョコになんて全然関心がないんだ。
Scene 11
やさしい悪魔
バレンタインデーの朝、一喜一憂しているクラスの男子たち。北条くんは予想通り、たくさんのチョコをもらっていた。北条くんは文化祭で映画部の自主制作映画に出演してからというもの、上級生からも人気があるらしい。
色とりどりにラッピングされた綺麗なチョコレートが山になっている。
うーん、昨日は適当に包んじゃったけど、やっぱり悪魔サンにあげるチョコもあんなふうにしたいな。
「絵里は北条くんにあげた?」
お弁当を食べながら訊くと、絵里は顔をふるふると横にふった。小柄な子がやるとかわいくていいなあ。
「なんか、あの中で埋もれちゃうのイヤだし」
たしかに。わたしはタマゴサンドを口にしながら大きくうなずく。
「悠乃はだれかにチョコあげないの?」
「……今年はつくっちゃった」
文字通り目をまるくして、絵里のお箸が止まる。まさか、わたしがつくるとは思ってなかったみたい。
「神崎先生?」
「……まあね」
なんとなく気配を感じて言葉を濁した。顔をあげると、クラスの男子と目が合う。
盗み聞きは趣味悪いよ、地味なひと。えっと……たしか山本くん、だっけ? わたしがちょっとだけ睨むと、彼はそそくさと教室から出ていった。
山本くんが出ていった扉をちらりと見やって、絵里は口をへの字に曲げた。
「いまのはかわいそうだよ、悠乃」
ぽそりと言う。
「えっ? だって、あのひと話聞いてたみたいだし」
「そりゃあ立ち聞きはよくないけどさ。でも、今、チョコあげる話してたじゃない」
「だからイヤなんでしょ」
よく知らない男子に恋バナ聞かれてるなんて気持ち悪い。
「そうだけど……彼の気持ちもわかってあげなよ」
「なに? 彼の気持ちって」
「ニブイ」
ひとこと言って、絵里ははぁーっと息をついた。
「ホント、興味のない相手のことって無関心だよね」
「それって……わたしが冷たいってこと?」
「ううん。一般論。無関心は罪なこともあるよね、って話」
その言葉でなぜか、悪魔サンの顔が浮かんだ。
放課後、駅前のラッピング専門店に寄り道する。
綺麗な虹色のペーパーや、ざっくりしたカントリー風のバッグ、ふわふわシフォンのリボン、ホログラムで箔押しされたカード、花や木の実のかたちの飾り付け用の小物、かわいいイラストのシール──眺めているだけでもラッピングのお店は楽しい。
悪魔サンのイメージなら、やっぱり銀色かな。三百年も生きてるらしいし、あんまり子どもっぽいのは似合わないよね。ちょっと綺麗で大人っぽいほうがわたしも好きだし。
ロール状に巻かれているラッピングペーパーはカラフルなつやつやの光沢紙だったり、花びらを散らした手漉きの和紙だったり、種類がたくさんありすぎて目移りする。 でも、急がなきゃ。
そう思って顔をあげた時、ふいにあたたかな色彩が目に入った。
みかん色。
思わずふき出しそうになった。幻想的な銀色の悪魔サンが、こたつに入って地味にもそもそとみかんを食べている図が浮かぶ。みかん色なら、リボンは金色。笑いそうになるのをなんとかこらえて、お店のひとに話しかけた。
いつも思うんだけど、アルバイトの悪魔が来るだけなのに、なんでこんなにそわそわしなきゃいけないんだろう。
そりゃ、三百歳のくせして若く見えるし、悪魔のくせして礼儀正しくてウソみたいにマジメで純情だし、仮でも一応……恋人だし。
オレンジ色の包みが目に入る。これあげたら、また、真っ赤になったりするんだろうか。……たぶん、もらいなれてるだろうけど、少しは喜んでくれるかな?
「こんばんは、悠乃サン」
ああ、来ちゃった……。わたしは、ただ手に持っていただけのノベルズから顔をあげて、彼を見た。彼はいつものようにベッドのうえにぷかぷか浮いていて、相変わらず天使みたいにキレイで、思わず目を逸らした。
「そこじゃ寒いでしょ」
一度気まずくなって以来、わたしが勧めないとこたつに入ってこないひとなので、あわてて声をかける。だって、悪魔サンの格好って薄物で、翼を出すためか背中もあいてて、ものすごく寒そうなんだもの。彼の低くて甘い声がぼそりと「お邪魔します」と言うのが聞こえる。
早く渡さなきゃ。ああもう、これは義理チョコなんだから、こんなにドキドキしなくていいのに。
「これいい?」
悪魔サンがみかんを指さしたので、黙ってうなずいた。キレイな指がみかんのスジを取るのが見える。あれ、食べてみたいなと思うけど、そんなこと絶対言えない。
ああ、違うってば。現実逃避してちゃダメ。今はこれをあげなきゃ。
「あの……これ」
わたしは、おそるおそるチョコレートをこたつのうえに載せた。
ちらりと上目遣いで貌をのぞき込むと、彼は不思議そうにそれを見つめていた。それから、目を細めてほんの少しだけ眉間に皺を寄せる。
「……わかった。これ、持っていけばいいんだね?」
チョコレートの包みを手にとった彼が苦笑しながら言った。
「持っていく……って?」
どこ、に?
「神崎先生のところだろ? もう遅いから、急いだほうがいいか。渡しそびれたままバレンタインが終わったら格好つかないもんな」
"興味のない相手のことって無関心だよね"
"無関心は罪なこともあるよね、って話"
絵里の声が頭に響く。
そうか──。
自分あてだって思ってもみないのは、わたしに興味がないから。
このひとは、わたしからのチョコになんて全然関心がないんだ。
「出て行って。もう、来なくていいから」
自然に言葉が口をついて出た。自分のものとは思えない低い声が響く。
頭がガンガンして、なにも考えられない。
気がつくと、彼は消えていて、わたしはひとりで泣いていた。
次の日の朝は身体が重かった。
泣きすぎるとこんなに怠くなるなんて知らなかった。
バカみたい。ひとりで空回りして。本当の恋人じゃないから、わたしはマジカノじゃないから、彼には仕事なんだから……わたしのことなんかどうでもいいなんてこと、あたりまえなのに。
たぶん、もう来てくれないだろう。怒って、わたしのチョコなんか捨てちゃったかもしれない。
ううん……それはないよね。あのひとはそんなひとじゃない。たぶん……神崎先生に持って行こうとして気がついたはず。きっと、食べてくれたはず。そう思ったら、また涙が出てきた。
わたしに興味がなくても、あのひとはやさしい──悪魔サンだから。