中には、少しだけふぞろいなカップ型のチョコレート。
これ……悠乃サンの手づくりだ。
そうだよな、"つくっちゃった"って言ってたもんな。
「いただきます」をしてから口に入れる。ちょうどいい感じに甘くて──苦い。
「ゴメン……悠乃サン」
オレはぽそっと呟いた。
Scene 12
堕天使のキス
これからどうしようか。
時計を見ると、いつのまにか夜中の十二時をまわっている。とてもじゃないけど、悠乃サンに謝りに行けるような時間じゃない。
ああ、"二度と来ないで"って言ってたんだよな。オレの──悪魔の顔なんかもう見たくもないか。
……でも。
悠乃サンがくれたチョコレートの箱に目がいく。
チョコは五つ入っていて、もったいないからひとつだけ残してある。だってさ、悠乃サンがオレのためにつくってくれたんだもんな。自然と頬がゆるむ。
添えられていたカードには『このまえ、慰めてくれたお礼です。食べてね』と書かれていた。微妙だ。義理チョコかもしれない。でも、箱をあけてすぐに感じたのは、"悪魔サン"に向けた悠乃サンの、なんともいえない甘い気持ちだった。
哀しいんだか、うれしいんだか、ヘコんでるんだか。なんだかよくわからないまま、まんじりともせずに夜が明けた。
その日、悠乃サンは休みだった。
悠乃サンのいない教室は、気の抜けた炭酸飲料みたいで味気ない。
「山本ォ、おまえ、いつにもまして影うすいぞ」
北条がオレの頬を軽くぺちぺち叩きながら言う。
「そんなに好きなら、コクっちまえばいいのに」
「……なんのことだ」
「おまえってさ、バレバレ」
言いながら、北条は悪戯っぽい笑みを浮かべる。相変わらずキラキラしたヤツだ。思わずオレはずるずると机に懐いた。
「オレに玉砕しろってか」
「慰めてやっから」
「考えとく」
その夜、悠乃サンがくれたチョコの最後のひとつを食べ終えて、気がつくと悪魔の姿に変わっていた。ねじれて長い銀の角、光を帯びた銀の翼。たぶん、この姿は堕天使のイメージなんだろう。唯一神に背いて闇に堕ちた天使、それが悪魔なのだとどこかで読んだことがある。
オレにとって一番トクなのは、言うまでもなく、人間のオレ、山本陽一を悠乃サンに好きにさせること──だ。もしも彼女が"悪魔サン"を好きになってしまったら、オレはこのまま悪魔として悠乃サンとつきあわなけりゃならない。人間には戻れなくなる。
小指に光る銀色の指環に目をやった。魔法の指環は、いとも簡単にオレの恋をかなえるだろう。悠乃サンは人間のオレに「陽一くん」なんて笑いかけてくれるのかも知れない。
窓硝子に映ったオレの姿は闇に溶けて、漆黒の髪と翼をもった本物の悪魔に見えた。
「こんばんは、悠乃サン」
いつものようにオレが声をかけても、悠乃サンは持っている文庫から顔をあげてくれない。
「本、逆さま」
オレがそう突っこむと、悠乃サンがあわてて顔をあげて、やっと目が合った。第一段階はなんとか成功。
「え、あれ?」
「今のはウソ。でも、読んでなかっただろ?」
「う、ウソって……」
悠乃サンの顔がみるみるうちに真っ赤になる。
「ちゃんと顔見て話したかったから」
精一杯笑ってオレが言ったとたん、悠乃サンが上目遣いで睨んだ。あ……やっぱ玉砕かも。
「あのさ……チョコレート、うまかった」
ああ、いきなり段取りがちがうぞ、オレ。最初は謝る予定だったのに。
「……食べたの?」
悠乃サンがオレを下からのぞき込む。うう、可愛い。
「甘過ぎなくてちょうどよかった。えっと、ゆうべは、その……ゴメン」
うわ、こっちが目を逸らしてどうするよ。オレの意気地なし。
「あとさ、まえに悠乃サンに言ったの、本気だから」
ああ、今度はいろいろ飛ばしすぎ。これじゃなに言ってんだか、わかんねーよ。
「まえに言ったの、って?」
ほのかな気配に顔をあげると、悠乃サンの顔がすぐそばにあってのけぞった。オレ、いつのまに、こたつに入ってんだよ? ダメだ、理性が飛んでる。
「こ、これいい?」
オレはとりあえずみかんに逃げようとした。軟弱者め。
「ダメ」
即答かよ。
「えーと……だから、まえに言っただろ?」
「魔界にナマズヒゲの人事部長がいるって話?」
「……わざとだな?」
「さっきのお返し」
言ってクスクス笑う。あ……ちょっといつもの悠乃サンだ。つられてオレも笑うと、悠乃サンの顔がほんのり赤くなる。
少しの間があった。もし悠乃サンが"悪魔サン"を好きだとしたら──オレは。
覚悟を決めて、悠乃サンの目をじっと見つめた。
「オレ……悠乃サンのこと、本気だから」
「本……気?」
悠乃サンがまた怪訝そうな貌になる。
「だから、その……」
オレはそうっと悠乃サンの頬に指をのばした。悠乃サンの頬がぴくりと動く。払いのけられたらすぐに引こう、ぼんやりと思いながら、悠乃サンの小さな顔を両手で壊れ物のように包み込んだ。
本当は悪魔のオレなんか拒まれれたほうがいい。でも、どんな姿でいても、オレはオレだから──いま、悠乃サンに触れているのはオレだから、たとえ名前のない悪魔でも、キミへの気持ちは偽りたくない。
悠乃サンは恥ずかしそうに睫毛をふせる。
だから──キミを引き寄せてくちびるを重ねた。
悠乃サンの指がちょうど翼の生え際に触れてぞくりとする。
触れるだけにしようと思っていたのに、はじめてのキスはいつしか深いものに変わっていた。
「……好きだよ」
オレの肩に小さな顔を載せて、悠乃サンが囁くように言った。
「キミはとことん愚か者じゃな」
真夜中近くになって部屋に帰り着くと、さっそくアイツがやってきた。
「契約はやぶっていない」
オレは邪魔な翼のせいでうつ伏せに寝転がったまま、ナーンを睨んだ。当然、ナーンはオレの視線など意にも介さぬ風情で、さも愉しげに告げた。
「キミはもう、人間に戻れぬよ、山本クン」