悠乃サンの瞳からきれいな涙がぽろぽろとこぼれる。
「でも、わたし、気づいちゃった……それがあなたの魔法の力なんだって」
そうして──オレの短い春は終わりを告げた。
Scene 3
誰も、オレを、見ない
「それじゃ……本当に好きな奴が現れたらオレのことを呼んで」
悠乃サンの家のまえで、オレはなるべくさりげなさを装って、そう告げた。この最悪な状況で、よくもこんな台詞がさらりと口から出るもんだと自分で自分に感心する。
「うん……わかった」
あのあと、家までの道すがらずっと黙り込んでいた悠乃サンが、うつむいたままぽつりと応える。ここにくるまで、オレはいくつの言葉を呑み込んだだろう。
魔法なんて悠乃サンの思い過ごしだ、とか。
オレはキミに魔法なんかかけたことない、とか。
でもオレは、そんな自分の言葉が信じられなくて、彼女に背をむけた。
そのまま、人間の姿で繁華街をさまよった。
「あなたひとり? お茶でもどう?」
テレビで見たことのあるキレイなお姉さんが声をかけてきて、オレはびっくりした。
「……ごめんなさい」
あやふやに笑って、オレはその場から逃げ出した。
悠乃サンの言うとおりだ。オレがいるだけで空気がざわめく。そこにいる誰もがオレの存在を感じている。どうしていままで気づかなかったのか不思議なほど、オレの存在は際立って、磁力のように人を惹きつけていた。
「ようやく判ったようじゃの。山本クン」
声のするほうを見上げると、すっかり見慣れたなまずひげの悪魔が、仮面でもはりつけたような笑みを浮かべていた。
「やっぱりおまえか」
あたりを見回すと、すでに結界がはられているらしく、ナーンとオレ以外の人々の時間は停まっていた。
「なんのことかな?」
「しらばっくれるな。オレの魔力とやらを悠乃サンに告げ口したのは、あんただろう?」
ナーンはくつくつと嗤いながら顔を寄せてくる。
「告げ口もなにも、キミが〈魅惑〉の魔法をまとっているのは真実じゃ。魔法と判ったいまでも、あの娘は悪魔サンのことが恋しくてたまらないはずじゃよ。もう一度、押してみればどうじゃ? またあの娘は容易くキミに堕ちるぞ」
耳許にささやくように言って、なぜかオレのあごに触れようとする。その指先をかわすと、奴は少しだけ不満げに目を細めた。
「その、麗しの天使のごとき姿で惑わせばよい。山本陽一以外の姿でなら、キミの〈魅惑〉の魔法は有効じゃ」
「……つまり、オレ本来の姿なら、悠乃サンを惑わす魔力なんかないってことだな?」
ナーンはくつりと嗤う。
「相変わらず行動力はないくせに、頭の回転だけは速いようじゃな、山本クン」
オレがなにか言い返すまえに、ナーンの姿は夕闇に溶けるように消えた。
凍りついていた人々の時間がふたたび動きはじめる。
誰もがオレを見つめているような気がして──誰もオレを見ていないと思った。
昔からそうだった。
誰も、オレを、見ない。
どんなに落ち込んでいても、朝はかならずやってくる。翌日は二年生の始業式だった。
「おはよう、山本。今年も一緒だな!」
やけに明るい声で、北条が声をかけてくる。
「ああ、今年も一年よろしくな」
……すまん、友よ。良心がうずく。
「おーい、山本クン。始業式から、めっさ影がうすいよん。透けるほどうすくて美味しいのはワンタンの皮だけだよん」
ハイな三田村がまた意味不明な口調になっている。
「おまえ……始業式から意味わかんねぇ」
「なら、うすいうすい山本のために、解説するよん。春休みに中華街でミハルちゃんと一緒に食べたワンタン麺が超まいうーだったんだよん」
……オレが突っ込みたかったのはそこじゃねぇ。てか、中華街デートかよ。色ぼけが。うらやましくて泣けてくる。
そう、オレたち三バカトリオは今年も同じクラスだ。ついでに言えば、悠乃サンも一緒だ。
夕べ──指環の魔法を使ったから。
悠乃サンが教室に入ってきた。目が、赤い。
新学年のはじめは出席番号順に座ることになっているから、「や行」のオレの席は一番後ろの列で、一年のときと同じように、「ま行」の悠乃サンの後ろ姿を眺める位置になった。悠乃サンと三田村のあいだの席がひとつ、ぽっかりと空いているのが気になる。あそこに座る幸運な奴は誰なんだろう。
だが、悠乃サンの隣は埋まらないまま、朝のホームルームがはじまった。新しい担任がいつものように颯爽と教壇に立つ。
「二年B組を受け持つことになった神崎だ。授業も遊びも真剣に、が俺のモットー。今年一年、楽しくやって行こう」
女子だけでなく男子からも一斉に拍手が起こる。
ああ、なんかこの人を見るとメゲてくるな、オレ。
「今日は二年生からこの学校に編入してきた仲間を紹介するぞ。美瀬くん、入ってきて」
みせ──悠乃サンの隣。心臓が鳴った。
ドアを開けて入ってきた男子生徒を見るなり、クラスの女子たちが息をのんだ。
「美瀬竜也(りゅうや)です。どうぞよろしく」
美瀬は金色の髪をさらりと揺らして、さわやかに笑った。