だから、ほかのなにかに夢中になりたかった。
地味なあの人の気持ちなんか、全然気づいていなかった。
Scene 8
デジャヴとジミーとヒロインと
「えっ、この地味な人が?」
わたしは思わず口にだしてしまった。だって、主人公がこの人って、失礼だけどありえない。
「ジミーって名前? その人」
美瀬くんがくすくす笑いながら、わたしに訊ねる。
「やだ、美瀬くん。ジミーじゃなくて、地味よ。……あ、ごめんなさい」
言ってから、地味な人に向かって謝った。わたしったら、いくらなんでも失礼だ。
「あ、いや、別に」
地味な人はうつむいたままぼそぼそと返した。
あれ? なんだろ、このデジャヴ。
「んじゃ、水梨さん。二、三日中に返事くれる?」
北条くんが人なつこい笑みを浮かべて小首をかしげた。この人はとりたてて美形ではないのだけれど、仕草のひとつひとつが妙に目を引く。彼を見ていると、やっぱり撮るより撮られるほうが合ってるんじゃないかと思う。事実、去年は映画部の一年だった彼が主役に抜擢されて、いまでは学校のアイドル的存在だ。
「うん。ちょっと考えさせて」
わたしが応えると、北条くんはひらひらと手を振って席に戻っていった。三田村くんはもう美瀬くんの隣の自分の席に戻っている。正直いって、北条くんのあとにつづく地味な人は彼の付き人みたいに見えた。
わたしがヒロインで、地味な人が主役ってことは──もしかして、恋人役? なんだかおかしくてふき出してしまう。
「悠乃サン、映画出るの?」
美瀬くんが訊ねてくる。
「どうしようかな」
「映画、出ようよ楽しいよ」
ふいに、美瀬くんの後ろから声がした。
「三田村くん」
オタクの三田村くんは、女装が似合うというウワサのちょっと可愛い顔で女の子みたいに笑った。
「三田村くんが出たほうがいいんじゃないの?」
わたしが本音半分に言うと、彼はいきなり真顔になった。
「ダメだよ。この映画は山本じゃないとダメなんだ」
「どうして?」
どうして、地味な人──山本くんじゃないとダメなんだろう。
「ジミーくん、いい奴だよ。つきあってみれば、水梨さんにもわかるって」
三田村くんはまた、女の子みたいに笑った。
「悠乃、北条くんの映画に出るの?」
新学期の二日目なので授業も半日で終わり、わたしは絵里と学校近くの喫茶店にいた。美瀬くんも一緒に帰りたそうにしてくれていたのだけれど、「田中さんが相手じゃ仕方ないよね」と、いつもの王子様スマイルを浮かべて、あっさり帰っていった。鮮やかすぎるほどスマートな人だ。
「うーん。どうしようかな」
「断る気なんかないくせに」
絵里は言って、カルボナーラを口に運んだ。
「……だって、相手役が山田くんでしょ」
三田村くんはいい奴だというけれど。
「山田じゃなくて、山本くんだよ」
「あ、ごめん」
どうしてこう、彼の名前を覚えられないんだろう。
「悠乃って、山本くんのこと嫌いなの?」
「別に、嫌いでもなんでもないけど」
不思議なくらい印象に残らない人なのだ。
「悠乃って典型的なメンクイだもんね」
絵里ははーっと大げさなため息をつく。
「それは否定しないけど、そんなため息までつかなくてもいいじゃない」
わたしは厚焼きトーストを口に入れた。さくさくして美味しい。
「美瀬くんとつきあうの?」
「……わかんない」
絵里はわたしの顔をじっと見つめて、アイスティーを口にする。
「あのさ、悠乃、ほかに好きな人いるんでしょ?」
困った。絵里には悪魔サンのことは話していない。どこまで話せばいいかわからないから。天使みたいにやさしくて、なぜか不器用な悪魔が恋人なんて言えなかったから。
でも、それはもう──。
「いたけど。終わっちゃった」
「ホントに?」
やさしい悪魔はわたしに魔法をかける──恋の魔法を。だから、わたしは自分の気持ちが信じられなくて。彼のことも信じられなくて。
「悠乃?」
ああもう、なんで涙なんか出ちゃうの。悪魔サンのことなんか、忘れたいのに。
「ごめん。ごめんね、悠乃」
絵里の声が遠くに聴こえた。
翌朝、わたしはすぐ北条くんに声をかけた。
「昨日の話なんだけど、ちょっと確認してもいい?」
「なんなりとどうぞ」
北条くんのさらりとしたあしらいは、美瀬くんのスマートさに通ずるものがある。
「映画ってどういうストーリー?」
「ジミーくんの、とことんジミーな日常」
北条くんの言葉に、近くにいたジミーじゃなくて、山田じゃなくて……山本くんががっくりと肩を落とした。
「あの……その、ラブシーンとか、ないよね?」
それが一番気になった。そんなの、プロでもないのに撮られたくない。
「大丈夫。水梨さんは寅さんでいうマドンナ。主人公の憧れの人。でも、ジミーくんはキミを見てるだけで、告白もできないダメ男だから」
「北条っ!」
山本くんがなぜか顔を真っ赤にして叫んだ。わたしと目が合うと、ついと視線をそらしてうつむく。
──なんだろう、このデジャヴは。
「わかった。それなら、わたしも映画の仲間に入れてくれる?」
「オッケー、決まりだ。よろしく、ヒロイン」
北条くんが、いかにもふふんといった感じの笑みを浮かべた。そのうしろで、山本くんが大きく目を見開いて、わたしを見つめていた。