あ……またやっちまった。
幕間
銀の翼の春の夜
「また落としちゃったの、悪魔サン」
不機嫌そうな悠乃サンの声がオレを責める。オレの背中から生えている無駄に大きな銀の翼が、悠乃サンの部屋にあったクマのぬいぐるみを棚からたたき落としてしまったのだ。
「かわいそうに。痛かったでしょ?」などと丸いクマのあたまをなでながら、悠乃サンはオレを半眼で見おろす。その目はまちがいなく「このトロくさい不器用者め」とオレを罵っている。
オレの今現在の姿である"悪魔サン"は、ファンタジィ映画に出てくる白エルフのような銀髪に、鳥に似た銀の翼の──いわゆる美形のはずなんだが、しょせん中身はオレ。悠乃サンにとってはただの奇天烈な格好をしたトホホな野郎に成り下がっているにちがいない。
「ガラス細工とかは一応片づけたけど、照明器具とかあるし、やっぱ危ないよね」
言いながら、悠乃サンは自分の部屋をぐるりと見渡した。棚にはクマのほかにも猫だのうさぎだのペンギンだのアライグマだの、なんだかよくわからんキャラクター物もあわせて、たくさんのぬいぐるみが並べられていた。ざっと数えて三十個以上。
「なんでこんなにあるんだ?」
なんとなく訊いてみる。
「なに? うちのコたちに文句があるって言うの?」
悠乃サンがクマのぬいぐるみをぎゅっと抱いてオレを睨む。
こうしてつきあうまでは、もっとおとなっぽいお嬢さま風美人なイメージを持ってたんだけど、悠乃さんは意外にもふわふわとかふかふかが好きな女の子らしい──可愛いからいいけど。
「文句なんてないって。もし、なにか壊してもちゃんと魔法で直すから」
オレはぼそぼそ言い訳した。
「でも……痛いじゃない」
「いくらなんでもぬいぐるみは痛がらないぞ?」
オレが言うと、悠乃サンはムッとした貌になった。
「バカ。ぬいぐるみじゃないってば」
一瞬、間があった。
「もしかして……オレ? だって、オレは人間じゃないし」
「もしかしてって……人間じゃなくても、痛いでしょ。悪魔サンがよくても、わたしがイヤなの。あなたが怪我するのなんて見たくない」
あ……ちょっとうれしい。
「ああもう! どうしてそこで、ほにゃらけた貌になるのよ」
「ほにゃらけ……」
「その、ほにゃっとしてニヤケた貌のこと!」
「へえ、うまいこと言うなあ」
「もうっ! そこで感心するんじゃない、ほにゃらけ悪魔! あっ、そうだ!」
悠乃サンは頭の回転が速いので、すぐ話がぽんぽん飛ぶ。そういうとこ好きなんだよね。
「ここにいる時は魔法で翼を小さくすればいいのよ」
「なら、ついでに人間に化けようか」
アルバイト契約の長期化が決定して以降、オレはナーンに待遇の改善を求めてなんとか成功した。仕事の効率をはかるためという前向きな改善案が認められ、夜も人間に化けられるようになったのだ。
「ダメ」
即却下かよ。
「なんで?」
「人間に化けるのは、どうしても化けなくちゃいけない時だけにして。ふだんは、本当の悪魔サンと一緒にいたい」
本当の悪魔サン──。
「ちょっと……なんでそこで、ほにゃらけないの?」
悠乃サンがすこし心配そうにオレの顔をのぞきこんだ。……ゴメンな、悠乃サン。
「翼だけ小さくなっても、笑うなよ?」
「えっ?」
悠乃サンがオレの言葉の意味を考えているすきに、邪魔なだけのでかい翼を魔法で小さく縮めた。しかし、これってもしかして──。
「かわいいっ!」
やっぱり。
「やーん、かわいいっ。ふわふわのちっちゃい羽が生えてるーっ!」
悠乃サンが目をキラキラさせて、オレの背中を見つめているのが肩越しに見える。おーい、悠乃サン。あんまり見つめないでくれ。悪魔の服は背中がひらひら開いていて、かなり恥ずかしいのだ。
「ねっねっ、ちっちゃいのに触ってもいい?」
うれしそうな悠乃サンはめちゃめちゃ可愛い。オレにそんな彼女のお願いを断れるはずがあろうか。いや、ない。
「すこしだけな」
悠乃さんが翼の根元の小さな羽に触れた。
ぞくっ。
「うわっ、やめやめ! くすぐってぇ」
「そういえば、悪魔サンって、そこ弱い?」
悠乃サンがニヤリと悪魔っぽい笑みを浮かべてオレを見た。
「悠乃サン。悪魔はオレだぞ」
「やーん、ちっちゃいのがふるふる震えてるっ! かわいいーっ!」
悠乃サンはオレの背中の小さな羽にごろごろ懐いている。
こっちはドキドキしっぱなしなのに、男と意識されてないのかよ。
「……オレはぬいぐるみか」
ぼそっと言う。
「まさか」
背中から悠乃サンの声が聞こえる。
「ぬいぐるみに見つめられても恥ずかしくないもの」
オレは振り返ろうとする。
「ダメ。このままでいて」
そう言って、悠乃サンはたぶん……オレの小さな羽にキスをした。
「悪魔サンの、ほにゃらけ貌……好き」
恥ずかしそうな、つぶやくような声。あたたかな吐息が素肌にあたって、悠乃サンの心臓もドキドキ鳴っているのがわかった。
「そ、そっか」
オレたちはしばらくそのままでいた。
へんてこな翼が生えてるのも、たまにはいいかも知れないと思った──そんな春の夜。