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アルフィリオンと三人の姫君







 

「見かけ倒しのアルフィリオン」
 十五歳になって間もないころ、父王からそう面罵されたのは、忘れもしないこの競技場だ。春恒例の剣術大会で実兄である王太子アルカラルに完膚なきまでに打ちのめされた直後のことだった。
 幼いころより剣術が苦手だった。他人の骨肉を断つなど想像するだけで気分が悪くなる。王族にとって必要な技術だと覚悟のうえで防御の剣を選んでも、やはり身にはならなかった。つまるところ、剣の才がなかったのだ。
 ならば文官として兄を支えていこうと、実務的な学問に身を入れはじめた矢先の出来事だった。衆目の前で父から面罵されたわたしを、兄はあからさまに軽んじるようになり、周囲の空気もそれにならった。
 だが、舞踏会に招かれれば、今度は父に疎んぜられた貴族たちが『不遇な第二王子』を担ぎ上げようと寄ってくる。父に期待されていないからといって、浅慮な神輿に載るほどの愚か者にはなりたくなかった。
 ゆえに、遊興に耽った。軽んじられてまで、兄の役に立とうと学問に励むほど、わたしはよくできた人間ではない。結局、それが自分のためにならないと理性でわかっていても、感情に負けて安きに流れるほどに稚拙だったのだ。
 目のまえの男──ジェイルの言っていた『女誑しのアルフィリオン』は、そのころのわたしが異様に誇張されて流布した人物像なのだろう。
 あのころのわたしは空虚だった。乾いた砂を踏むように、果敢ない時を過ごしていた。
 本当の意味で、わたしが生きはじめたのは、皮肉なことに人としての生を失ってからだった。

 キン……と、甲高い剣戟の音が競技場に響く。以前なら、尻餅をついているところが、大きく跳び退るだけですんでいる。長い間、蛙の姿で過ごしたせいで、跳んで躱す技術が格段にあがったらしい。左眼が見えないにもかかわらず、腕のたつ剣士から、これだけ長く逃げのびている自分を褒めたいくらいだ。だが、あちこちから笑い声があがっているところをみると、傍目にはさぞかし滑稽な姿なのだろう。
 リディアには見られたくなかったな。
 少しだけ、泣きたくなった。だが、これで百年の恋も醒めるだろう。魔法を手放したわたしには、なんの取り柄もない。深く考えてみるまでもなく、年齢も近く、将来有望なジェイルのほうがリディアにふさわしい。
「気に入らない」
 目のまえの男が低く呟く声に、一瞬ふいを突かれ、強く踏み込まれた。
 ああ、間に合わない。
 思ったその時には、左腕を柄頭で強かに打ち込まれていた。激痛のあまり、両手を地につく。
「勝者、ジェイル・ラグレイン」
 審判をつとめる騎士の声に観衆から声があがった。呆気なく、勝敗は決したのだ。ちらりと視線をあげると、リディアとアルラウネが何か話しているのが目に入った。
 そうか。目が合うはずが、ないな。
 すっかり力の抜けたわたしに、ジェイルが手を差し伸べてくる。
「ああ、痛そうですねぇ。治療師を呼びましょうか?」
 のんびりとした口調に苛立って、つい八つ当たりしてしまう。
「きみが治療してくれれば早いだろうに」
「えっ?」
 ジェイルの怪訝な貌に顳かみがちりちりとざわめいた、その時。西門がゆっくりと開くのが目に入った。
 西門は挑戦者が入場する門だ。わたしを最後に今日は閉ざされたはずの門に人影が見える。わたしの視線に気づいたジェイルが振り返る。
 入って来た男はほっそりとしていた。装飾の少ない革の鎧に兜はなく、顔はあらわになっているが、遠目すぎて顔立ちはわからない。だが、短めに切られたその髪の色は──煉瓦色だった。
「……リディ?」
 ジェイルが呟く。
 思わず貴賓席を見上げたが、アルラウネの隣にはリディアの姿があった。あたたかな煉瓦色の髪の娘。こちらも遠すぎて表情はわからない。
 堂々とした足取りで近づいてくる若者の顔立ちがしだいにはっきりとする。それはたしかに、以前、物語を聴かせてとねだられたころより、少しだけ大人びて青年らしく成長したフレディの顔だった。
 彼はわたしと目が合うと、悪戯に成功した少年のようににっこりと笑った。ふわりと身体が軽くなる。
 観衆のざわめく中、フレディは貴賓席の下でわたしと同じように跪き、アルラウネの言葉を待った。
「そなたの名は?」
「フレデリック・クロアと申し奉ります」
 その名に、一部の観衆がどよめいた。
「では、そなたがかのクロア男爵がその腕を見込んで養子とした者なのですね」
 女王アルラウネは観衆を睥睨して間を置いた。
 辺境のクロア領は国境を護るもっとも重要な防衛線だ。クロア男爵家はそもそも外様であったため家位こそ低いが、名高い武人を輩出した名門であり、現在もその嫡子たる長男が第一騎士団の団長に任ぜられているという。
「ジェイル・ラグレイン。そなたとクロアの息子の試合が見たい」
 観衆がどっと沸く。この場でクロアの息子から試合を願い出たのなら不敬にあたるが、女王の望みならばただの気まぐれですむ。侍従のジェイルが断れるはずもない。
「……御意」
 ジェイルが苦々しくそう返すのを、わたしは複雑な想いで耳にしていた。


 花片が風に舞うようだ──。
 『クロアの息子』が、円舞のように軽やかな足さばきで剣をくり出しふわりと躱す。対するジェイルは風を切り裂き間合いを詰める。
 苦手なはずの剣戟の音が、いっそ耳に心地よい。
 ひらりと背後に回りこんだフレディの剣を、ジェイルが受け止め、飛び退きざまに打ちかかる。それをフレディが肩すれすれに躱しながら、次の太刀をあびせた。
 フレディに当たってしまったらと、気が気でないのに、どこかでたとえ怪我を負っても大丈夫なのだと信じている自分に驚いた。
 もし、怪我を負ったとしても、アルラウネがリディアを癒さぬはずがない──あれは、そういう娘だ──と。
 目にも留まらぬ速さでフレディの剣が閃く。カシン、と高い音が響いて、ジェイルが剣を取り落とした。
「勝者、フレデリック・クロア!」
 審判の声が競技場に響き渡ると、観衆が大きく声をあげ拍手する。フレディとジェイルが健闘を讃え合いながら握手をするようすに、人々はさらに大きな拍手をおくる。鳴り止まぬ拍手の中、片隅の椅子に腰掛けて観戦していたわたしは、そろりと控え室に身を隠そうとした。
 クロアの息子フレデリックはリディア姫を要求するだろう。自分と結婚しなければならないとは、少々微妙な結末だが、リディアは自らの力で自由の身を勝ち取った。役立たずの不様な敗者としては身の置きどころがない。
 だが。
「あっ、蛙が逃げる!」
 幼い少年がこちらを指さして叫んだ。
 ああ、たしかにその通りなのだが。
 わたしがため息とともに空を仰いだ、その時。
「我が主を愚弄する者は、わたくしが許しませぬ」
 凛とした声が少年に向けて放たれた。本日の英雄フレデリック・クロアにいさめられた少年は、たちまち縮こまってうなだれる。
 フレディは少年の言葉に縫い取られたように立ちすくんだままのわたしの足許にひざまずき、こちらを見上げ、またにっこりと笑った。
「リ……フレディ?」
「我が主、アルフィリオン殿下はたしかに魔女の呪いで蛙の姿にされておられました。しかしながら、貴賓席におわす姫君のく……いえ、姫君の、その……あ、愛により、三百年にわたる呪いは解かれたのでございます」
 場内は一瞬静まり返り、そして、騒然となった。顔を赤らめたフレディは、心持ちふらふらと歩いて貴賓席の女王の前で再びひざまずく。
「フレデリック・クロア。勝利者たるそなたの望みを申してみなさい」
 アルラウネの愉しげな声音が耳に響く。
「恐れながら、陛下。我が勝利は主たるアルフィリオン殿下に捧げ申し上げたく、御願い奉ります」
 フレディのかすかに震える声が場内に木霊した。
 わたしに、勝利を捧げる? それは、まさか。


 魔女王アルラウネがさも愉しげにくすくすと笑うのに、背後に控える側近たちが狼狽える。そして、彼らはつづく女王の言葉に驚愕した。
「そなたの勝利を祝って、願いを聞き届けましょう、フレデリック・クロア。我が養い娘リディアを第一王位継承者アルフィリオン・ディアン・ブリューエルの正妃となすことを承認する。この婚姻により、わが国はより盤石な基盤を得ることとなろう。……クロアの息子よ、アルフィリオンの守護はそなたにまかせましょう」


To be continued
2010.12.10
Written by Mai. Shizaka


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