終章 待つ女
節子を知る者は 皆一様に「他に嫁していたなら あんなに若くして逝くこともなかったろう」と悼んだと言います。
啄木の少年時代の美しい歌の数々は間接的に節子の姿を言葉にしたものとも思われ、彼女無くして啄木の作品を理解することはできないことでしょう。
また、啄木の東京時代の作品も貧しいながらも傍らに節子が居たからこそ作られたとも言えます。
啄木も時には自らの心を一時的に他の女性に映し、それなりの作品をのこしてはいますが、最終的に節子なくして生きることは出来なかったようです。
節子は若き日に夢見た「東京での啄木との生活」をひたすら待ったことでしょう。
しかし、その待ちの生活は二十才の若い女性にはあまりにも苛酷でした。
待ちきれなくなった節子はついに押しかけ同然に上京します。しかし冷たい啄木の仕打ちに裏切られ絶望してしまいます。
しかし、節子こそ啄木の歌人としての素質を認め、愛を信じ、鶴が自らの羽を抜いて美しい布を織るが如く命をかけて尽くしたとも言ましょう。
節子の一生はあまりにも魅力的で人の涙を誘うものです。
啄木と節子は今なお函館郊外の海の見える岬にともに眠っています。
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