Afternoon Tea
(2000年、「DEAR SNOWY」時代のエッセイです。)
毎日、日記を書くのは、少々つらい。だから気の向くまま、
お茶でも飲みながら気楽に気軽に楽しみながら、
過ぎてゆく日々のことなどエッセイ風に。
そんなスノーマンのつれづれなるコーナー、
みなさんお茶をご一緒に。
<energy flow>
私の人生、何が楽しみかって、
そりゃ、食べること、眠ること、それのみにつきる。
まったくもって、基本に忠実な人間だ。
なにしろ他の楽しみって言ったて、
時間もお金もないものだから、
我が恋人とも言えるヨーロッパには行けない。
犬と一緒に旅行なども、
ここ3年ほどは行っていない。
なにしろ運転ベタの私である。
高速道路など走ろうものなら、
犬は緊張のあまり、後部座席で固まったまま、
ずっと動かない。
山道をクネクネ走ったら、後ろでゲボッとやっていた。
ペンションに泊まれば、いつもと違う寝床にとまどい、
ガサゴソと、一晩中移動してくれて、
一睡も出来ない始末。
楽しいはずの旅行は、人間・犬とも睡眠不足に陥って、
家にたどり着く頃には、身も心もクタクタ、
そんなシビレた旅となるのがオチである。
それならば、うちで寝ている方が全然マシだ。
なにしろ、スノーウィ、ポレとも、
一応店では、接客を自分の仕事とわきまえている。
特にスノーウィは、商売を心得ていて、
毎回店に来て、一生懸命なぜてくれる人でも、
商品を買わなかったら、知らんぷり。
買ってくれた人には、「帰るな」とうるさいぐらいに吠える。
(吠えない時もあるが・・・。)
多分、私の顔色、表情を見ながらの判断なのだと思うが、
それは見事である。
したがって一日お仕事をすると、彼は彼なりに結構疲れるらしい。
おまけに年齢的にも中年の域に入ってきて、
アリナミンEXでも飲ませてやりたいぐらい、
疲労した表情をする時もある。
そんな働き過ぎのお父さんを、
休日までひっぱり回すのは、酷というものだ。
だから定休日は、人間と犬で眠る。
そして食う。
なんかこう書くと、私の人生、
原始人以下のような気がしてきた・・・。
うーん、誰かお金を下さい。
そうすれば、現代人の遊びが出来ます。
でもね、なんやかんや言いながら、
結局、出不精の私にとって、
食う、眠るは、なによりのごちそうなの。
だって毎朝6時半には起きて、
夜9時過ぎに帰宅する毎日だもの。
それで納得させる、今日このごろ・・・。
ああ、さびしい。
<ホラーの山でこんにちは>
はっきり言って、自分のネタを思いつかないから、
またしても、ますみさんの話。
ますみさんは、いろいろな体験をしている。
その中でも、恐怖体験はすごい。
子供の頃から、よく幽霊を見ているそうだ。
お父上が亡くなった時も、
愛犬シャドウが部屋の一点をずっと見ていたので、
「写真撮ったら、パパが写っているかもね。」と
冗談半分でレンズを向けたら、
本当に写っていた。
それも空中でビール飲んでいる姿が・・・。
さすが、ますみさんの父上だ。
幽霊となっても、ユーモアがある。
ちなみにますみさんは、父上のお通夜の晩に、
「パパの遺髪を切りたいのだけれど、
もしパパがそれを望まないのなら、このまま静かにしていて。
もし、切ることをOKならば、私にわかるように教えて。」と
父上の亡骸に言ったそうだ。
そしてその途端、家の中じゅうがガタガタと激しく揺れ、
ますみさんは亡くなった父上の承諾を得て、
遺髪を切ることが出来た。
以上の話は、幽霊とは言っても実の父親であり、
さほどの怖さはない。
むしろ父親と娘の暖かい交流さえ感じられる。
もっと怖い話はこれからだ。
以前に、ダンナさんのポールさんと、愛犬シャドウと共に
某山にキャンプに出かけた時のこと。
テントを張って、夜を過ごした。
その晩、眠りについたますみさんは、夜中に特別起きることもなく、
朝までぐっすりと眠れたそうだ。
しかし起きた途端、身体に激痛が走った。
身体の真ん中に、何か鋭利なものが刺さったような
痛みだったらしい。
また、目覚めたポールさんが、
「いやな夢を見た。空の上で宇宙船のようなものが壊れて、
その銀色の破片やら、たくさんの人が降ってきた。
そして、その銀色の破片が自分の身体にも刺さり、
目が覚めた今でも痛い。」と話した。
それを聞いたますみさんは、なんとなくいやな予感が走り、
朝のうちにテントをたたみ、さっさと東京に帰ろうとした。
しかし、山道を車で下っている途中、なぜか次から次へと、
反対車線を登っていく車に出会う。
また、TV局の車にもすれ違う。それも1台ではなく、何台も・・・。
何が起こっているのか、どうしたのか、不安な気持ちのまま、
東京にたどり着き、TVのスイッチをつけた。
その時丁度、1985年に起きた日航ジャンボ機墜落の7回忌法要の
ニュース画面が映ったのだ。
そう、ますみさんがキャンプした山は、あの御巣鷹山。
それも墜落した8/12の前夜から7年後に、この山に泊まってしまったのだ。
実は、日航ジャンボ機墜落した1985年は、ますみさんはカナダに住んでいた。
またポールさんは、そんな事件があったことすら覚えていない。
だから二人は、御巣鷹山と聞いても、
飛行機が落ちて、たくさんの乗客が亡くなったことなど、
記憶の中に止まっていなかったそうだ。
それなのに、ポールさんは、
「空から宇宙船のようなものが壊れて、銀色の破片と
人がたくさん落ちてきた夢」を見てしまった。
おまけに夢の中で、落ちてきた破片が身体に刺さり、
目が覚めてからも、身体の痛みを感じてしまったこと。
ますみさんも、夢こそ見なかったものの、
朝起きた途端に、鋭利なものが身体にささったような痛みを味わった。
うーん、偶然とは思えない・・・。
この話、まだ後日談がある。
それから数年後、秋に友人たちとキャンプへ出かけた。
今度も御巣鷹山方面であったが、8/12ではなく秋であったため、
大丈夫だろうと、そちら方面を選んだのだが、
それでも例の場所は、避けた。
しかし、なぜか道に迷ってしまい、目的の場所になかなか着かない。
このまま車を走られせていても、
夜になればテントを張ることさえ出来なくなってしまうだろう。
それならば、良く知っている場所はあそこだ。
しかし、前回の恐ろしい記憶がある。
やはり、あの場所は極力避けて、かなり離れた川べりに
テントを張ることにした。
この時、ますみさんとその友人以外に、キャンプしている人はいなかった。
まあその時、そのことはそれほど気にも止まらず、
楽しい夜の宴会も終わり、
それぞれのテントに戻って、静かな眠りについた頃、
ますみさんは、とてもトイレに行きたくなってしまった。
しかし、外にトイレはない。
みんながそれぞれ、自然に帰れの状態で用を済ませている。
だから他の人たちが外に出ていないか確かめてから、
トイレに出ようと思った。
ちなみにますみさんちのテントの先に、他のテントはない。
それなのになぜか、ますみさんちのテントの先から、
人の足音が近づいてくる。
そして、ますみさんのテントの前で止まるのだ。
それからテントの前を何度も行ったり来たり。
「変だ」。
そう思った瞬間、身体中に寒気が走った。
自分の尿意など、もう何も感じないほどの恐怖感。
目をぎゅっとつぶり、外の足音が聞こえないよう、
気にしないように必死だった。
そして、その足音は聞こえなくなった。
「ああ、よかった。」
とほっとしたのもつかの間、
ますみさんちのテントの先から、
ダダダダダダターッと全速力で走ってくる足音が聞こえてきた。
「ああっ、」と全身が強ばった瞬間、
ますみさんのテントに、その足音の張本人が、顔と手をグーッと押しつけてきた。
テントの布が手と顔の形となって、
ガガガガーッとますみさんに近づいてきた。
ますみさんは目をぎゅっとつぶっていたものの、
なぜか、その姿がありありと見えたのだ。
それは、眼鏡をかけた30代半ばぐらいの
洋服も下着も何一つ身に付けていない、全裸の男性。
そして、あっ、と思った瞬間、ますみさんのテントは、
その全裸の眼鏡男に持ち上げられ、横倒しにされた。
そして、ますみさん、ポールさん、愛犬のシャドウごと下に転げ落ちたのだ。
それでポールさんと犬が目を覚ました。
その時すでに、テントごと持ち上げた全裸の眼鏡男の姿はどこにもなく、
ただ倒されたテントの中に、転がった自分達がいたのだ。
ますみさんは、あまりの恐怖のため、
ポールさんに、この出来事を話せなかった。
また、一緒に行った友人たちにも、
1年間、このことを話せなかったのだ。
自分の中で、この恐怖へのほとぼりが醒めた頃、
一人の友人にこの話をした。
その友人が、ますみさんの見た全裸の眼鏡男に興味を持ち、
色々なことを調べ上げたのだ。
実は、ますみさん達がキャンプを張った場所は、
日航ジャンポが墜落して、犠牲となった乗客たちの遺留品が
随分と流されてきた川だったらしい。
そして、亡くなられた乗客のうち、1名だけの遺体が
まだ発見されていないことが分かった。
それが30代半ばの男性なのである・・・・。
もちろん、ますみさんの見た全裸の男が
幽霊かどうかはわからない。
しかし、ますみさん達以外その場所でテントを張っていないのだ。
おまけに、まわりに家などない山奥である。
こんな場所で、眼鏡をかけて全裸で過ごす人間などいるのだろうか。
そして、重量があるテントと、
その中にいる人間2人とハスキー1匹の含めて、
軽々と持ち上げ、倒してしまったのだ。
もし、この男性が幽霊であるのならば、
きっと、霊感の強いますみさんに、
なにかを訴えたかったのかもしれない。
自分は、この山奥の川べりにいる、と・・・。
そして、それを誰かに伝えてくれ、と・・・。
しかし、一度ならずとも、二度も御巣鷹山にキャンプに行き、
そのたびに恐ろしい目に遭うますみさんって、一体・・・。
合掌。
<ドラッグ・ドッグ>
3/25、26は、「FCIアジアインターナショナルドッグショー」が
東京ビッグサイトにて行われた。
うちの店も毎年出店しているのだが、
私は吉祥寺の店を開けるので、
一緒に出店している「フェアリーテイル」のますみさん達に
アジアの方はお任せした為、直接会場には出向いていない。
出店当日の朝、ますみさんはダンナさんに車を運転してもらい、
愛犬のハスキー、シャドウとジャスパー父子も乗せ、
会場内に愛犬たちを連れていった。
まだ朝早かったので、ショーを見るギャラリーたちはおらず、
ハンドラー、トリマーの方々が、
出陳犬のグルーミングに余念がないという状態だったらしい。
ますみさんちのシャドウは、アメリカの有名ハスキー犬舎「イニスフリー」の出身。
父犬も母犬も、アメリカ、カナダCHである。
したがって見た目は素晴らしい。(もちろん性格もよいが。)
まだ2か月の子犬だった時分、裏に住んでいたJKC名誉理事のジイさんが、
ますみさんのシャドウを見に来ては、、
「この犬は素晴らしいから、ショーに出せ。」
と熱心に誘ってきたそうだ。それも毎日。
首をタテに振らないますみさんに、業を煮やしたジイさんは、
外人ジャッジは連れてくるわ、ハスキーのハンドラーは連れてくるわ、
しまいには、そのハンドラーから、
「これは本当にいい犬だから、300万出す。売ってくれ。」
とぶったまげたことまで言われらしい。
1年間言い続けられても、うなずかないますみさんに
さすがのジイさんもあきらめて、それきりとなったとか。
ずいぶん前置きが長くなってしまったが、子犬時に300万もの値が付いたシャドウである。
このビッグサイトで、パドックの回りを歩いた時、
「ああっ、いい犬だね」と言う声が、何度となく聞こえてきた。
それはきちんとシャドウの耳にも届き、
まるでどこかの国のVIPのついたお偉いさんのように、
威厳を保ちながら、ゆっくりとかっこよく歩いたらしい。
シャドウはそれでよかった。
しかし、問題は息子のジャスパーである。
「こいつの隠れていた性格がよーくわかった。」とますみさん。
話を聞いてみると、
「ほら、オリの中にいるサル、あれよ、あれ。
他の動物がオリの外に来たりすると、
興奮して、オリの中の柵から柵へキーキー言いながら、
渡り歩くサル。ジャスパーはあれ。」
「でもね、おこってキーキー言うんじゃなくて、
物珍しくて、うれしくて、なんだかわからない状態。
例えれば、危ない注射打ちゃって、
訳分からなくなりながら、ツイストを激しく踊ってるって感じ。
まったく、これが人間だったら救急車呼ばれるね、絶対。」
と言いながら、そのツイスト踊るヤク中毒患者・ジャスパーのマネをするのだ。
そしてツイストを踊りながら、突然止まる。
「そう、突然止まるの。なにかを発見して。
そうして、首をながーく伸ばして、
ベロを少し出したまま、目をむいて固まるの。
そしてしばらく動かない。
あきらかにジャスパーは、自分の目が、
今までにみたこともない、聞いたこともない、
そんなすばらいものを発見している、って感じなの。
だから私は、目のその先にあるものが
なんなのかオソロシくて確認できないのよ。」
とますみさんもベロを出したまま、目をむく。
「まわりの人達もね、一生懸命笑いをこらえているの。
それでね、会場にアメリカからイニフニーズ犬舎の
娘さん(といってもオバさん)がいらしていたのよ。
だからポール(ご主人)と二人で挨拶に行き、
このシャドウは、イニスフリー直の出身です。
って言ったら、そのオバさん、
ああ、これはいい犬ね、と誉めてくれたの。
でもね、ヤク中毒のジャスパーのことを
これもイニスフリーの血が入っていますって
説明したら、すんごくイヤーな顔してたわ・・・。」
「確かに今までこいつのことは、パーだと思っていたわ。
でもね、今回のことでよくわかったの。
こいつはね、ただのパーじゃなかった。
そう、
くるくる・ぱー
だったのよ。」
それからこの犬が、
「ジャスぱー」
と呼ばれる日々を送っていることは、
言うまでもない。
愛すべき「ドラッグ・ドッグ、ジャスパー」。
<不思議の国のますみさん>
友達の犬具メーカー・フェアリーテイルが「wan」4月号に出た。
「X’mas! X’mas!」の「おまけ」コーナーにご出演していただいた友人たちだ。
思えば出会いは3年前、このフェアリーテイル代表・ますみさんが、
うちの店に商品を売り込みに来たことから始まった。
すごく気さくな人なので、すぐに仲良くなった。
翌年のドッグショーにも一緒に出店した。
公私共々応援してくれて、いつも助けられてばかりいる。
さて、このますみさんと言う人は、非常に面白い。
ついこの間も店に来て、初めてご来店されたお客さまを
30分もの間、ずっと笑わせていた。
今はフェアリーテイルの運営(本人たちは、クラブ活動と言っている。)と、
主婦の2足のワラジを履いているが、
その昔は、カナダ航空のスチュワーデスを10年間していた。
ちなみにご主人は、イギリス人である。
当然英語はペラペラなのだが、その覚え方が普通ではない。
スクールバスで登校していた中学生時分、
そのバスに同乗していたのは、自分以外すべて帰国子女たちだった。
その帰国子女たちは、常に英語で会話をしていたそうだ。
最初の頃、ますみさんはまるで逆外国滞在状態に置かれていたらしい。
がっ、気がつくと、数ヶ月後には自分も英語で会話に加わっていたとか。
「それも自然に覚えちゃったのよねぇ。」と・・・・・。
さらに高校生となったますみさんは、またもや帰国子女の世話をさせられ、
大学生時には、「はとバス外人向けツアー」のガイドをこなすほどになっていた。
外国へ一歩も出ずとも、ましてや学習らしい学習もせずに、
ここまでしゃべれるようになれるとは、やはり才能か?
私など、英語の教材に一体どのくらい投資したか・・・・・。
それだって、まともにゃしゃべれない悲しい現実。
ただ単語を並べておしまいだ。
その後、ますみさんは外資会社を経て、カナダへ渡り、
スチュワーデスとなった。
そのスチュワーデス時代の話が、これまた面白い。
中南米のあたりを飛ぶと、重ね着の民族衣装をつけたお客さんが
たくさん乗ってくる。
その重ね着客のお世話をしていた時、
その客が着ていた民族衣装の上着をいきなりパアッと広げた。
その瞬間、目に飛び込んで来たものは、
大ネズミ。
それも1匹ではなく、10匹ぐらいの・・・・。
「親戚のうちに、みやげさ持っていくべ」
と言うことで、上着の内側に縫いつけていたらしい。
(大ネズミは食用で、大事なタンパク源だって。)
その他にも、この重ね着客らは、
機内に持ち込んできたニワトリの首を締めたり、
コンロで煮炊きを始めるなど、
ほかの客たちが、「ウヘーッ」となるようことを
乗るたびに平気でしてくれたらしい。
面白い話はまだある。
カナダから成田までのフライト中、
大雪で北海道の千歳空港に、一時着陸した時のこと。
当時、カナダ航空と千歳空港は契約の関係上、
着陸するのはいいが、空港内に乗客は入れなかった。
雪は降り続き、結局飛行機の中で一晩過ごすことになったらしい。
そのためカンヅメとなった乗客から、ものすごいブーイングが起こった。
この場をどう乗り切るか、ますみさんは考えた。
「その時ね、私に輪をかけたもっとバカなスチュワーデスがいたの。」
そして二人は、どうしたか。
・・・・・・・・・・・・・。
スッチー漫才を始めたのだ。
その当時流行っていた、タモリの5カ国語マージャンやら、
ものまねやらを次から次ぎへと披露し、
かっこいい制服を着た、きれいなスチュワーデスのおねえさん方の
そのあまりの落差に乗客たちはバカウケ。
しまいには機内すべてをディスコに解放し、、
乗客たちと乗務員たちは、みんなで一緒に踊り狂ったのだ。
あれだけ怒っていた客たちも、いつの間にかその楽しさに引き込まれて、
気がついたら夜が明けていたとか。
フライトが終わった後、お客さんからのお礼の電話や手紙や、
「次も同じスチュワーデスと乗りたい」というリクエストが相次ぎ、
ますみさん達は、会社からフランス旅行をプレゼントされた。
まだまだ面白い話は山のようにある。
とにかく、姉御肌で、明るくて、楽しくて、気さくで、
そんな人だから、次から次へと人が慕ってくる。
ポレが死にかけた時も、ずいぶんとお世話になった。
うちの犬たちも、ますみさんといると、とても楽しそうである。
(犬になりきって一緒に遊ぶんだよ、この人は。)
その他にも、ますみさんが語る「世にも恐ろしい話」など
たくさんあるから、それはまたこの次に。
<ヨーロッパに恋して>
初めてヨーロッパに行ったのは、もう何年前のことなのだろう。
いや、何年なんてもんじゃない。すでに十数年は経っている。
一番最初の会社をやめて、次の仕事を探すその間に、
なにかクッションが欲しかった。
それに拘束されない時間があるのも、こんな時ぐらいだ。
そこで、唐突に「ヨーロッパへ行こう!」と思いついた。
ずっとヨーロッパにあこがれていた、とか行きたかったとか、ではない。
それがいかにも私らしいが。
とりあえず初めての海外旅行なので、
ドイツ、スイス、パリ、ロンドンのお決まり周遊コースを選んだ。
当時、ドイツのロマンチック街道というのが、
「メルヒェン」ぽく流行っていたので、そこには是非行きたいと思い、
あとは値段でテキトーに選んだのである。
今でも忘れない、真冬の1月終わり、旅立ちの朝・・・。
あまりの眠さに起きられず、「行くのやめようかな」って思ったこと。
胸ときめかせて寝られなかったとか、
そんな浮き足だった気持ちなどまったくなく、
初めての海外旅行ツアーに、一人で参加する不安さで、
旅立つことへのゆううつな気持ちが倍増していた。
真冬という季節も、なんとなく気持ちの沈みに拍車をかけていたようだ。
まるで心のなかでお経を唱えているような、そんな心境のまま、
私はヨーロッパへと旅立った。
しかし、旅とは不思議なもの。
飛行機に乗って、他の一人参加の若い女性たちと出会ったら、
あらら不思議、不安な気持ちなど、どこに行ってしまった事やら。
暗い女から、いきなりハイテンションな女へと様変わりし、
旅の間中、騒ぐこと、騒ぐこと。
まわりの人達は、さぞや迷惑に思っていたことだろう。
そしてこの時知り合った女性とは、いまだに仲良くさせてもらっている。
そんな出会いもさることながら、
初めて降り立ったドイツの地を踏んで、
私はすっかりヨーロッパに恋してしまったのだ。
見るものすべてが美しく、懐かしかった。
わたしの心の故郷が「ここだっ、ここだっ」と叫んでいる。
多分、前世というものがあれば、
私は絶対、ヨーロッパに住んでいたに違いない。
それからの10日間の滞在期間中は、まるで夢のようだった。
東京に帰ってからも、しばらくボーッとして、
仕事探しどころではない。
残った有り金はたいて、もう一度ヨーロッパに行こうかとさえ考えたが、
お金がないと仕事も探せないので、
それは泣く泣くあきらめた。
しかし、それから事情が許す限り、私はヨーロッパへと出かけた。
ひどい時は、1年に3回も行った。
留学しようかとも真剣に考えた。
しかし、この通り計画性ゼロの性格である。
留学する前に、犬を飼った。
そして犬のために店を開いた。
そして店を開いて、ビンボーになり、
今ではヨーロッパはおろか、日本国内の旅行にも行けなくなった。
長期に休みをとると、収入がゼロになる日銭稼ぎの身としては、
ヨーロッパに1週間滞在するのだって、夢のまた夢。
悲しいかな、今まで行ったその思い出を牛のように
何度も何度も反芻しては、頭の中の引き出しに仕舞い込む。
でもね、よく当たるという評判の占い師さんに見て貰ったら、
10年後の私は、巨万の富を手にしているらしい。
そうしたら、イタリアに家を買ってやる!
ドイツでお城も買ってやる!
フフフフフ・・・・。
見てらっしゃいよ、10年後を。
<1993年の出会い>
1993年1月のある日、
真っ白い天使のような子犬を抱きかかえている人に出会った。
その子犬の、この世のものとは思えないほどの「かわいさ」に
何度も何度も振り返って、見入ってしまったあの日が、
私の運命を変えた。
それから私の「あの白い犬は何?」探しが始まってしまったのだ。
子供の頃から、シェパードだとか、コリーだとか飼っていた家に
育ったものの、犬種のことは皆目わからない。
そして、たまたまTVの「ムツゴロウのゆかいな仲間たち」を見たのが、
さらなる運のつき。
母犬のおっぱいを吸っている白い子犬の姿に、目が釘付けとなり、
「おおっ! これだっ! この犬だっ! 私の探していたものはっ!」と
字幕の「サモエド」という文字を急いで書き写し、翌日本屋へ。
たまたま1冊だけ売れ残っていた愛犬雑誌を手に取り、
パラパラとめくったら、「サモエド」の4文字が目に飛び込んできた。
その雑誌を買って自宅に戻り、即「サモエド」ブリーダーに電話を入れ、
翌日、特急に乗って買いに行ってしまったのだよ、サモエドを。
犬が来る用意なんて、なんにもしていないのに。
実際、ブリーダーから「ハスキーぐらいの大きさになる」と言われても、
「ふーん、ハスキーね」程度の認識で、それ以上のことは何も考えなかった。
とにかく、「あの白い犬、あの白い犬」しか頭になかったんだよ、あの時は。
あれから7年・・・・・・・。
犬のために店を開き、おまけに今じゃ2匹の生活。
人生なにがあるかわかりまへん。
あの時、道ばたで「白い子犬」を抱いた人を見なければ、・・・・・・ね。
(実はあの抱かれていた白い犬は、 サモエドではなく、ピレニーズ、
そう、ピレだったんだよぉぉぉ。 ホント運命ってわかりまへん。)
<苦きかうひい>
ほっとしたい時、私はコーヒーを飲む。
豆の種類は、何でもいい。
缶コーヒーでも、インスタントでも、モンカフェでも、
とにかくコーヒー味のものなら、何でもいい。
いわゆるカフェイン中毒?
昔、まだ中学生だった頃、生意気ざかりの私は、
理解力もないくせに、北原白秋や堀口大学などの詩集を
学校の図書館から借りて、よく休み時間に読んでいた。
「苦きかうひいの・・・」なんてフレーズが出てこようものなら、
それだけでもう、「明治時代の芥川龍之介みたいな
線の細いハンサムな文学青年が、苦きかうひいを飲みながら
苦悩している。イヒヒ・・・。」なんて、うっとり。
だいたいその程度の頭だったので、それらの本は、
その後に人生においてなんの影響力も持たなかったが、
「苦きかうひい」だけは苦悩する時どころか、毎日の朝食に、昼御飯の後に、
三時のお茶に、夕食後にと、大いなる影響をもたらした。
いつでも、どこでもコーヒーを飲んでいる私だが、
コーヒーの香りが印象に残っている場所がある。
それは、ヨーロッパ旅行をするたびに泊まったホテルのレストラン。
朝食はポットになみなみと入った濃いコーヒー。
ポットからつがれるたびに、コーヒーが香る。
決して入れ立てではないが、
遠慮なく2杯も、3杯もお変わりできる安心感や、
同じようにポットに入った暖かいミルクをたっぷり入れて、
カフェオレでも楽しめる上、
発酵タイプのバターや、甘いジャムをつけたパンにも、
スクランブルエッグやハムやソーセージにもよく合って、
大好きだった。
好きな音楽を聴きながら、おいしいコーヒーを飲むのも、
もちろん大好き。
お客さんがいない時間、お店でいれて飲むコーヒーなんて最高。
でも、今日は土曜日。2時間ほど前に入れたコーヒーは、
次から次へと入ってくるお客さんのため、
すっかり冷めきって、うれしいやらちょっと悲しいやら・・・。
さて、もう一度コーヒータイムにするか。
<コラムニスト・スノーマン>
はっきり言って文章を書くのは、あまり得意ではない。
でもなんで、こんなコーナー作ったかって?
そりゃ、このまま写真多用したHPで突っ走ったら、
あっという間に、限度いっぱいになってしまうから、
なるべく長ーくHPをもたせたいがため、ただそれだけ。
なんか更新しないのもね、せっかく店でヒマな時間があるんだから、
もったいない気がして。
公衆の面前にヘタな文章さらすのも少々こっぱずかしいが、
まあみなさん、なまぬるく見守ってやって。
でもね、世の中には大胆なことを、ヘーキで頼んでくる人がいる。
私の文章など、一文たりとも読んだことのない出版社から、
コラム出筆の依頼がきた。今から2年前・・・・・・。
「犬と一緒に暮らしたい!」という本を作るので、
ぜひ私の経験を書いてくれ、と言うのだ。
有名人でも、タレントでもない私ごときに頼むくらいなんだから、
当然直しが入ると踏んだ。
お店の広告にもなるし、直しが入るんだったら別にいいっか、と勝手に思い込み、
二つ返事で引き受けて、1000字ぐらい書いてみた。
書き終わった原稿をFAXで編集部まで送ったら、翌日電話が入った。
「いやあ、おもしろかったです。思いっきり笑ってしまいました。
どうもありがとうございます。」
それで終わり。
そして本が出来上がって送られてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
一字一句直しが入っていない。おまけに変な言い回しまでそのまま・・・・。
なんかこれ、編集部の人、手抜いてない?
自分で言うのもなんなのだが、やっぱり文章はヘタだ。
そのせいか(?)ギャラはなし・・・・。
でも、出版社から頼まれて「コラムを書いた」という事実、
私の人生で、これ1回こっきりの名誉かも。
そう思えば、とっても尊い出来事・・・・。
世界広しといえど、もう2度とそんな大胆なこと頼んでくる人・・・。
いるわけない、よね。