すのものの「聖書の誤植」

誤植と断言できないもの、 翻訳や組版に関連するものも含まれています。

聖書の誤植についてはすのものの「いろいろ」 にも書いていましたが、 それらは全てここに (一部は文章を変えて)再録したつもりです。 2001-03-15 (4) 以前のものが再録です。

使用した聖書の版についてはすのものの「聖書の略号」 を参照してください。 そこにも、目次などの誤植に関する情報があります。

文語訳からの引用には、 旧字を新字に改めたものとそうでないものとが混在しています。

かなづかい、特に文語訳の歴史的かなづかい、字音かなづかいについては、 手元の辞書を基準としました。


このページ内の目次

文語訳のうち複数の版に渡るものは 「全般」の箇所に載っていることもあるので注意されたい。


【文語訳】全般

文語訳 詩の引用部分の字下げ

新約聖書における詩の引用部分において、 1982 年版、1984 年版では字下げを行なっているが 1980 年版は行なっていない。 新しく版を組むときに何らかの“解釈”が付加されたことになると思うが、 それが訳者の意に沿うものであったかどうかはわからない。

2001-09-08 (6) 23:59:25 +0900

文語訳 「中」の字音かなづかいを「ちう」としている

「ちゅう」が普通のようである。

2004-03-06 (6) 15:05:42 +0900

濁って「ぢう」となっていることもある。 これも「ぢゅう」が普通である。

2005-01-21 (5) 00:17:40 +0900

文語訳 旧約は「ヱサイ」、新約は「エツサイ」

マタイ 1.5, 1.6, ルカ 3.32, 使徒 13.22, ロマ 15.12 では「エツサイ」だが、 ルツ 4.22, サムエル前 16. 3 などでは「ヱサイ」である。 新約だけ改訳であるためだろうか。

2003-03-03 (1) 20:45:36 +0900

文語訳 旧約は「ヱレミヤ」、新約は「エレミヤ」

マタイ 2.17, 27.9 では「エレミヤ」だが、 旧約では「ヱレミヤ」である。

なお、欽定訳では旧約が Jeremiah, 新約が Jeremy となっている。

2003-03-03 (1) 20:59:10 +0900

文語訳 新約は「祝」の字音かなづかいを「しく」とする

「しゅく」が正しい。

「祝し」の実例はマタイ 14.19, 26.26, マルコ 6.41, 8.7, 10.16, 14.22, ルカ 24.30 にある。 サムエル前書 9.13 は「しゅく」であり、 ロマ 15.29 の「祝福」は 1982 年版では「しゅくふく」であるが 1984 年版は「しくふく」のままである。

(massangeana 氏からマタイ 26.26 について教えていただいて気がついた。 同氏に感謝する。)

2003-03-30 (0) 01:39:53 +0900

私はこの「しく」を字音かなづかいの間違いだと思ったのだが、 「しく」という字音はないようである。 massangeana 氏のご教示によると、 俗な発音としてヘボンの辞書にも出ているらしい。 訳者あるいはふりがなを振った人が「祝」の発音を「しく」と間違って覚えていた、 というだけかも知れない。

2003-03-30 (0) 20:33:51 +0900

文語訳 「稜威」のふりがなが 1980 年版、1982 年版、2000 年版は「みいづ」、1984 年版は「みいつ」

「稜威」のふりがなが、1980 年版、1982 年版、2000 年版は「みいづ」、 1984 年版は「みいつ」。 詩篇 93.1, 96.6, 132.8 に見られる。 広辞苑第六版、岩波古語辞典によると、「みいつ」が正しいようである。 (132.8 については前に書いた。その項目は削らないことにした。)

2009-12-02 (3) 00:06:43 +0900

文語訳 ヨシュア 11.3

「エブス人」は「ヱブス人」の誤りではないかと思われる。

2001-04-07 (6) 01:05:38 +0900

文語訳 ヨシュア 19.51

ほかはほとんど「ヌンの子(こ)ヨシュア」と読ませるがここは 「ヌンの子(し)ヨシュア」となっている。

2001-04-07 (6) 01:08:40 +0900

文語訳 士師記 2.8

「ヱホバの僕ヌンの子ヨシユア百十歳で死(ね)り」 の「百十歳」のふりがなだが、 1980 年版は「十歳」のみに「じっさい」と振る。 1982 年版は全体に「ひやくじっさい」と振る。 ヨシュア記 24.29 にも同じ内容の文章があるがそこではどちらの版も 「歳」に「さい」と振るのみ。

上の引用を「死(ね)り」としたのは 1980 年版は「死り」、1982 年版は「死ねり」だからだが、 このような送りがなの違いはたくさんあるのでいちいち取り上げない。

2001-04-08 (0) 14:02:02 +0900

文語訳 士師記 7.12

「東方」のふりがなが、 1980 年版は「とうばう」、1982 年版は「とうはう」。

2004-03-11 (4) 23:56:40 +0900

文語訳 サムエル前 9.27

「……僕に命じて我等の先にゆかしめよ(僕先にゆく)しかして汝暫くとゞまれ……」 とやや不自然にカッコが使われている。 欽定訳 「... Bid the servant pass on before us, (and he passed on,) but stand thou still a while, ...」 に対応しているのであろう。

ちなみに「僕」はここでは「わかもの」と読む。

2003-02-19 (3) 20:22:43 +0900

文語訳 サムエル前 16.2

「汝一犢」の箇所。 なぜ「一」がはいっているのかよくわからない。

1980 年版は「汝」に「なんぢ」、 「一犢」に「こうし」とふりがなを振っているように見える。 1982 年版は全体に「なんぢこうし」と振ってあるようである。

2003-02-21 (5) 02:04:30 +0900

文語訳 サムエル前 17.7

「槍の鋒刃の鐵は」の部分。 1980 年版も 1982 年版も、 「鋒」に「ほ」とふりがなを振り、「刃」にはなにも振っていない。 なお、「刃」の字は実際は三画めが「刀」に重なっておらず、左にある。

2003-02-21 (5) 02:10:15 +0900

文語訳 サムエル前 18.21

「サウルいひけるは我ミカルをかれにあたへて彼を謀る手段(てだて) となしペリシテ人の手にてかれを殺さんといひてサウル、 ダビデにいひけるは汝今日ふたゝびわが婿となるべし」 の「サウルいひけるは」と「といひてサウル」はダブっていないだろうか?

2003-02-21 (5) 02:15:52 +0900

文語訳 サムエル前 22.9

1980 年版は「エドミ人ドエグ」としているが、 1982 年版は「エドム人ドエグ」である。 21.7 ではどちらの版も「ドエグといふエドム人」であるから、 1980 年版は単純な誤植であろう。

2003-02-19 (3) 20:14:19 +0900

文語訳 サムエル後 5.8

「ダビデ其[その]日いひけるは誰[たれ] にても水道にいたりてヱブス人を撃ちまたダビデの心の悪 [にく]める跛者[あしなへ]と盲者[めくら]を撃つ者は (首[かしら]となし長[ちやう]となさん) と是[これ]によりて人々盲者と跛者は家に入[い]るべからずといひなせり」 の小カッコの使い方が理解できない。 (上の引用ではふりがなは大カッコで示した。)

欽定訳の 「And David said on that day, Whosoever getteth up to the gutter, and smiteth the Jebusites, and the lame and the blind, that are hated of David's soul, he shall be chief and captain. Wherefore they said, The blind and the lame shall not come into the house.」 のイタリック体の使い分けと関係あるか。 これは Oxford University Press の Crown Text Bible からのもの。

(この欽定訳聖書におけるイタリック体の使い分けはよくわからない。 詩篇 37 の表題を「A psalm of David.」としているが、 原文は(子音字だけ示せば)ldwd となっており、 ここから推測すれば、原文にない語を補った部分がイタリック体、 と考えられる。 新約のうちのわかりそうな部分から推測しても同様である。 この箇所そのものの原文は今の私には全く読めない。)

2003-02-28 (5) 23:39:46 +0900

文語訳 サムエル後 10.16

1980 年版は「將(ひき)ゐ出(いだ)して」、 1982 年版は「將出(ひきゐいだ)して」。 1982 年版のほうが送りがなが多く、読みやすいことが多いが、ここは逆である。 「將出」という漢語がありかつ「ひきいだして」の誤植か? かと思ってしまった。

2003-03-01 (6) 00:15:32 +0900

文語訳 サムエル後 17.19

「蓋」を「おひ」と読ませている。 岩波古語辞典によれば「おひ」という動詞はあるけれど、 名詞として使われるかどうかは不明である。

2003-03-01 (6) 00:22:25 +0900

文語訳 サムエル後 22.31

「純粹(まじり)なし」とあるが、 「純粹」が「まじりなし」なのであって、 「純粹」が「まじり」なのではあるまい。

2003-03-01 (6) 00:28:05 +0900

文語訳 サムエル後 22.43

「ふみにぢる」とあるが、「ふみにじる」が正しい。

2003-03-01 (6) 00:24:09 +0900

文語訳 サムエル後 23.11

「ハラリ人」の「人」のふりがなが「びと」でなく「ひと」となっている。

2003-02-27 (4) 23:24:14 +0900

文語訳 列王紀略上 2.14

「言(まう)されよ」とあるが、 同じ節の中で前には「言(まを)さん」としているし、 16 節でも「言(まを)されよ」としている。 この使い分けは意図的なものだろうか?

2003-02-28 (5) 20:26:17 +0900

文語訳 列王紀略上 10.26

ここは「一万」でなく「壹万」としている。なぜだろう?

2003-03-13 (4) 00:40:05 +0900

文語訳 列王紀略上 17.18

ここは「エリヤ」でなく「エリア」となっている。

2003-03-13 (4) 22:57:38 +0900

文語訳 列王紀略上 18.5

「國中」に「こくちう」とふりがなを振っているが、 「こくちゅう」ではないのだろうか。

2003-03-13 (4) 23:00:23 +0900

文語訳 列王紀略上 22.34

「軍中」に「ぐんちう」とふりがなを振っているが、 「ぐんちゅう」ではないのだろうか。

2003-03-14 (5) 22:40:16 +0900

文語訳 列王紀略下 2.25

ここや 4.25 では「カルメル山」を「〜やま」と読ませているが、 王上 18.19, 20 は「〜ざん」である。

2003-03-14 (5) 22:40:16 +0900

文語訳 列王紀略下 16.15

「国中」は「くにぢう」でなく「くにぢゆう」?

2003-03-18 (2) 22:55:40 +0900

文語訳 列王紀略下 17.5

「國中」に「こくちう」とふりがなを振っているが、 「こくちゅう」ではないのだろうか。

2003-03-18 (2) 22:59:15 +0900

文語訳 列王紀略下 23.31

24.18 の「ヱレミヤ」と同一人物ではないかと思われるが、 「ヱレミヤ」でなく「エレミヤ」となっている。 なぜだろう。

2003-03-21 (5) 02:13:25 +0900

文語訳 列王紀略下 24.19

「ヱホヤキム」でなく「エホヤキム」となっているが、いいのだろうか。

2003-03-21 (5) 02:18:28 +0900

文語訳 歴代志略上 2.12, 13

1980 年版では「ヱツサイ」、 1982 年版では「エサイ」となっているが、ルツ記の最後に合わせるなら 「ヱサイ」である。

2003-03-21 (5) 02:23:39 +0900

文語訳 歴代志略上 10.11

「ヤベシギレアデ中」の「中」に「ぢう」とふりがなを振っている。

2003-03-21 (5) 02:26:30 +0900

文語訳 歴代志略上 10.14

1980 年版では「ヱツサイ」、 1982 年版では「エサイ」となっているが、ルツ記の最後に合わせるなら 「ヱサイ」である。

2003-03-21 (5) 02:28:05 +0900

文語訳 歴代志略上 12.3

「アズマウラ」は「アズマウテ」の誤りではあるまいか。 「アズマウテ」という人名は 11.33 やサムエル後書 23.31 に出てくる。 「ラ」と「テ」は形が似ている。

もしそうだとすれば、1980 年版を組んだ際 --- おそらくずっと昔 --- に間違えて、 1982 年版もその誤りを受け継いだものと思われる。

2001-12-17 (1) 23:16:06 +0900

文語訳 歴代志略上 12.18

1980 年版は「ヱツサイ」、1982 年版は「エサイ」であるが、 ルツ記の最後ではどちらも「ヱサイ」である。

2003-03-21 (5) 19:37:31 +0900

文語訳 歴代志略下 2.8

「白檀」のふりがなは「ぴゃくだん」となっているが、 これで正しいのだろうか?

2004-01-10 (6) 00:28:39 +0900

文語訳 歴代志略下 36.22

「國中」に「こくちう」とふりがなを振っているが、 「こくちゅう」ではないのだろうか。 マルコ 2.3 などの「中風」は「ちゆうぶ」である。

2003-02-28 (5) 23:09:35 +0900

文語訳 エステル 2.12

「薫物」に「かほりもの」とふりがながあるが、 歴史的かなづかいは「かをり」である。

2005-01-21 (5) 00:14:15 +0900

文語訳 ヨブ 29.25

「軍中」に「ぐんちう」とふりがなを振っているが、 「ぐんちゅう」ではないのだろうか。 マルコ 2.3 などの「中風」は「ちゆうぶ」である。

2003-02-28 (5) 23:07:21 +0900

文語訳 詩篇 18.12, 13

1980 年版と 1984 年版は「雹」に「へう」とふりがなを振っているが 1982 年版は「ひよう」としている。 かなづかいとしては「ひょう」が正しいようだ。

2001-03-31 (6) 02:09:48 +0900

文語訳 詩篇 23.2

1980 年版、1982 年版で 「水濱」に「みぎ+は」とふりがなが振ってあるが、 「みぎは」と均等に振るべきだと思う。

2001-04-02 (1) 22:41:10 +0900

文語訳 詩篇 29.10

「洪水」のふりがなは 1980 年版と 1984 年版は「こうずゐ」、 1982 年版は「こうづい」。 (広辞苑第五版によれば「こうずい」。)

2001-04-03 (2) 22:29:30 +0900

文語訳 詩篇 31.11

「甚(はなは)だし」で文章が切れると考えられる。 1980 年版と 1982 年版は句読点はつけずに適宜空白を置いているのだが、 それがここにはない。 1984 年版は句読点をほどこしており、ここには読点がある。

2001-04-03 (2) 22:36:54 +0900

文語訳 詩篇 51 の前書き

「ダビデがバテセバにかよひしのち」とあるが、 サムエル後書 11.3, 12.24, 列王紀略上 1.15 などでは「バテシバ」である。 (これは誤植ではなく、翻訳の際の不統一であろう。)

2007-12-08 (6) 23:19:05 +0900

文語訳 詩篇 53 篇の前書き

1980 年版は 《マハラツ(楽器の名、あるひはいふ調べの名)にあはせて……》。 カッコの中は二行に分けた割り書きだ。

1982 年版は《マハラツ(楽器の名、あるいはいふ調べの名)にあはせて……》。 「あるいは」のかなづかいが“正されて”おり、 割り書きではなく一行になっている。

1984 年版は 《マハラツ(楽器の名、あるひはいふ調の名)にあはせて……》。 かなづかいは元に戻り、「調べ」が「調」になっている。 割り書きのためかここだけふりがながないので、 「ちょう」と読ませるのだと思っていた。

そういえば 1980 年以前版も割り書き部分にはふりがながない。

2000-09-07 (4) 18:49:32 +0900

文語訳 詩篇 72.20

1980 年版は「ヱッサイ」、1982 年版は「エサイ」であるが、 ルツ記の最後ではどちらも「ヱサイ」である。

2003-03-21 (5) 19:32:33 +0900

文語訳 詩篇 78.48

1982 年版、2000 年版は 「その家畜(けだもの)をへうにわたし」 の「へう」が意味不明である。 前節には「雹(ひよう)」とあるので、 普通の読者はまさかこれのこととは思うまい。

1980 年版は前節が「雹(へう)」となっている。 1984 年版は両節とも「雹(へう)」としている。 どちらも、意味をとるうえでは問題がない。 (「雹」の歴史的かなづかいは「へう」ではなく「ひょう」らしいが。)

想像だが、1982 年版のために“改訂”を行なった人が、 「雹(へう)」のふりがなは「ひょう」と改めたものの、 ひらがなで「へう」と書かれた「雹」は見落としたのではあるまいか。

2001-07-16 (1) 01:18:15 +0900

文語訳 詩篇 83.9

1982 年版は「キシヨン」、 1980 年版、1984 年版は「キション」だ。 文語訳は原則として小書きを使わないようなのでちょっと不思議。

2000-10-22 (0) 00:22:22 +0900

文語訳 詩篇 90.10

「あるいは」の歴史的かなづかいは広辞苑第五版によれば 「あるいは」で、 「あるひは」と書くのは「後世の慣用」だそうだ。

2000-09-07 (4) 19:12:55 +0900

文語訳 詩篇 119

「アレフ」「ベテ」「ギメル」 などのヘブル文字の名前が途中に小見出しのように含まれるので、 組版が特殊になる詩篇である。

1980 年版は、 「アレフ」だけは「ダビデのうた」(詩篇 110) のような前書きと同じ大きさの文字で組み、 「ベテ」「ギメル」以下は本文と同じ大きさの文字で組み、上に「○」をつけて 「○ ベテ」「○ ギメル」のようにしている(ようである)。

1982 年版は、 「アレフ」も「○ アレフ」とし、 すべて前書きと同じ大きさの文字で組んでいる(ようである)。 ただし、「○ ベテ」以下は行頭を少し空けているのに対し、 「○ アレフ」は空けていない。

1984 年版は 1982 年版と似たスタイルをとっている。

2003-02-19 (3) 23:27:42 +0900

文語訳 詩篇 132.8

「稜威」のふりがなだが、 1980 年版と 1982 年版は「みいづ」、 1984 年版は「みいつ」。

2001-03-31 (6) 01:58:42 +0900

文語訳 イザヤ 11.1

1980 年版は「ヱツサイ」、 1982 年版は「ヱサイ」である。 ルツ記の最後ではどちらも「ヱサイ」なので、統一したかと思われる。

2003-02-19 (3) 02:21:39 +0900

文語訳 イザヤ 11.8

「乳児(ちのみご)は毒蛇(どくじや)のほらに」の次の語。 1980 年版は「たはふれ」、 1982 年版は「たはむれ」。

2007-12-08 (6) 23:55:18 +0900

文語訳 イザヤ 11.10

1980 年版は「ヱツサイ」、 1982 年版は「エサイ」である。 ルツ記の最後ではどちらも「ヱサイ」なので、統一しようとしたかと思われるが、 「エ」は「ヱ」の誤りであろう。

2003-02-19 (3) 02:23:56 +0900

文語訳 イザヤ 11.11

1982 年版は「ハマテ」の次に読点があるが、 1980 年版にはない。 文語訳の読点はカタカナ書きの固有名詞が並ぶときにそれらを区切るもので、 ここはつぎに「および」がくるので、入れないのが妥当だと思う。

2007-12-08 (6) 23:57:12 +0900

文語訳 イザヤ 13.20

1980 年版は「アラビヤ人」、 1982 年版は「アラビア人」。

2007-12-09 (0) 00:04:48 +0900

文語訳 ヱレミヤ 12.5

「騎馬者」のふりがなが、 1980 年版は「うまにのれるもの」、 1982 年版は「むまにのれるもの」。 漢字の当て方や送りがなの違いはときどきあるが、 こういう違いは珍しいように思う。

2001-03-15 (4) 18:02:00 +0900

22.4 はどちらも「むま」である。

2001-03-19 (1) 01:45:30 +0900

文語訳 ミカ 5.2

1980 年版ではここで段落が変わるが、 1982 年版では変わらない。

2003-03-01 (6) 01:26:59 +0900

文語訳 ミカ 6.5

1980 年版、1982 年版とも、 《およびべオルの子バラムが》とあるが、 「べ」がひらがななのはカタカナの誤りであろう。 《およびベオルの子バラムが》が正しいと思われる。

2004-03-06 (6) 20:08:18 +0900

文語訳 ハバクク 3.19

同書最後の句 「伶長(うたのかみ)これを我(わが)琴(こと)にあはすべし」について。 1980 年版では前の句のあとに4文字ほどの空白をあけて行の最下部に置いている。 この行はこのページの最後から2行目であり、 最後の行は「ハバクク書 をはり」である。 このページで同書を終わらせるため、無理に同一行に押し込んだとも考えられる。 1982 年版ではこの手前で改行し、1字だけ字下げしている。 同版の改行の字下げは2字分である。

2001-04-03 (2) 22:16:15 +0900

文語訳 マタイ 23.14 の訳注

ここはは節全体が欠けており、 訳注で 「異本にマルコ傳一二章一四、ルカ傳二〇章四七とほぼ同じ句あり」 と説明しているのだが、 前者は「マルコ傳一二章四〇」の誤りである。 この誤りはずいぶん昔からのもののようだ。 「舊新約聖書 引照附」 (私の手元のは 1980 年のものだが版そのものはもっと古いはず) からずっとそうなっているが、 つい最近でた 2000 年版では改められている。

2000-04-29 (6) 17:02:53 +0900

文語訳 マタイ 23.15

これは、注のつけかたの方針に疑問がある箇所である。

「ゲヘナの子」に「譯して「地獄の子」とす」と注があるが、 ゲヘナなる語はすでに 5.22, 5.29, 5.30 に登場している。 そこには注はない。

2009-09-19 (6) 00:56:14 +0900

文語訳 マルコ 5.21

《大(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)みもとに集(あつま)る、 イエス海辺に在(いま)せり》 の読点は句点の誤りではないのだろうか?

2000-09-07 (4) 21:54:15 +0900

上の引用で 「群衆」を「群集」と誤っていたのを訂正した。 指摘してくださった massangeana 氏に感謝する。 ちなみに「群集」は「ぐんしふ」である。

2001-04-10 (2) 19:44:23 +0900

文語訳 マルコ 9.44, 9.46 の訳注

《異本 四四および四六の二節に、 この書の四八とおなじ句あり》 とあるが、 「この章の四八」ではないかと思う。 9.48 は 「彼處(かしこ)にては、その蛆つきず、火も消えぬなり」 だ。 イザヤ書の最後の句の引用。

2000-04-29 (6) 17:30:28 +0900

文語訳 ルカ 1.56

「三月(みつき)」とあるが、 使徒 19.8, 20.3 は「三个月(さんかげつ)」である。 (これは誤植ではなく訳語の選び方の問題である。)

2003-01-13 (1) 22:39:28 +0900

文語訳 ルカ 6.41

これは、並行箇所であるのに注のつけかたの方針が違っている箇所である。

「塵(ちり)」に「或は「木屑」と譯す」と注がついている。 「塵」は 6.42 に二度使われているが、それらについては注はない。

並行箇所であるマタイ 7.3 の注では 「或は「木屑」と譯す。四、五節なるも同じ」としている。

原語はすべて同じである。

2009-09-19 (6) 00:41:59 +0900

文語訳 ルカ 8.43, 45 の訳注

本文と文字づかいが違っている。 1980 年以前版、1982 年版は同じように違っている。 1984 年版は前者のみ違っている。

2000-10-02 (1) 02:10:00 +0900

文語訳 ルカ 13.21

「三斗」のふりがなは「さんど」で正しいのだろうか?

2003-01-13 (1) 22:30:19 +0900

文語訳 ルカ 14.2

「水腫」と書いて「すゐき」と読ませるのは 「水気(すゐき)」に「水腫」の意味があるからだが、 ふりがなは「水」に「すゐ」、 「腫」に「き」と振るのでなく、 「水腫」全体に均等に「すゐき」と振るべきではなかろうか。

2003-01-13 (1) 22:20:59 +0900

文語訳 ルカ 23.56

節の途中で段落が変わる、めずらしいところである。 1982 年版、1984 年版、2000 年版ともに、 新しい段落の字下げが、 節番号のあるときと同じだけとってある。 1980 年版では、少し少なくとっている。

2010-01-19 (2) 00:51:00 +0900

文語 ヨハネ 18.38 参照。そこの説明のほうがわかりやすいかも。

2010-02-08 (1) 23:40:08 +0900

文語訳 ルカ 24.40

カッコ内の文章末に句点がない。 24.12 も同じ。

2002-03-14 (4) 23:06:20 +0900

文語 ヨハネ 18.38

文語訳 ルカ 23.56 と同様、 節の途中で段落が変わる、めずらしいところである。

1982 年版、1984 年版、2000 年版は、 通常の段落がえでは、新しい段落は一文字分だけ下げて始める。 そこには節番号があることが多いため、 字下げの一文字分に加えて、節番号のために一文字分下げたところから、 文章が始まっている。 この箇所の段落がえでは、節番号がついていないにもかかわらず、 新しい段落の字下げが二文字分である。

1980 年版は、通常の段落がえは二文字下げている。そこに節番号があると、 合わせて三文字である。 ところが、この箇所は、二文字分だけ下げている。

2010-02-08 (1) 23:23:53 +0900

文語訳 使徒 7.43

1982 年版、1984 年版の「ロンバ」は「ロンパ」が正しい。 2000 年版は「パ」が少し右に寄っている。訂正の跡であろう。

2003-03-03 (1) 20:32:48 +0900

文語訳 使徒 7.45

ここは「ヨシユア」だがヘブル 4.8 は「ヨシュア」である。

2003-03-03 (1) 22:00:31 +0900

文語訳 使徒行伝 24.6-7

1982 年版を 次の第 8 節の初めまで引用すれば

6宮をさへ涜(けが)さんとしたれば、之(これ)を捕へたり。 N〔六節の後半及び七節なし〕 8汝この人に就きて訊さば、
とあるのだが、 〔……〕の中の「六節の後半及び七節なし」は本文と一緒に読むと意味が通じない。 本文と同じ大きさの活字で組んであり、 ヨハネ伝 7.53-8.11 の 「姦淫の女」のエピソードを包むカッコと同じカッコで包まれてはいるが、 これは注なのである。 (なお、ヨハネ伝 7.53 は
53Q斯くておのおの己が家に帰れり。
としている。 開きカッコと注の存在を示すラテン字母との順序が違うことに注意。)

1980 年以前版および 1984 年版はこれを“正しく”割注としている。 (ただし後者は「節」と「半」を新字に組んでいる。 本文は旧字を使っているのに。 「節」の字は使徒行伝 2.1 の「五旬節の日となり」に、 「半」の字は黙示録 8.1 の「凡そ半時のあひだ天静かなりき」 に現れているのと比べてみよ。)

1982 年版に割注の大きさで組んだところがないわけではない。 例えば使徒行伝 28.29 の「29 なし」など。

では、ここを“正しく”処理するにはどうしたらよかったか、だが、 ほかと同じスタイルで「7 なし」とし、 そこに注をつけて第 6 節後半も欠けていることを言えばよかったのではあるまいか。

なお、1980 年版は欄外に節番号が表示されているが、 この第 24 章の「7」は、 実はその番号は振られていないのに欄外にはあるという、 おかしなことになっている。

2001-02-03 (6) 13:35:40 +0900

文語訳 ガラテヤ 1.15

節末の読点が、 1980 年版にはあるが 1982 年版、1984 年版、2000 年版にはない。

2001-03-19 (1) 02:58:58 +0900

文語訳 テモテ後書 3.2

節末は 1980 年版は読点、 1984 年版は中黒。 1982 年版も中黒だがそのあとに一文字分の余分なスペースがある。

この節と同様に中黒で区切って言葉を並べた次節の節末はどの版でも読点なので、 ここも読点が適当なような気がする。

2001-03-31 (6) 23:14:01 +0900

文語訳 ヘブル 2.13

「…」は 1980 年版では三つ(すなわち点は全部で九つ)、 それ以外では二つ(すなわち点は全部で六つ)である。

2003-03-30 (0) 02:03:31 +0900

文語訳 ヤコブ 1.13

1980 年版、1982 年版は《『神われを誘ひたまふ』と言ふな》、 1984 年版は《『神われを誘ひたまふと』言ふな》。

2001-03-31 (6) 02:18:00 +0900

文語訳 ペテロ後書 2.5

節末の句点は読点の誤り。 2000 年版ではなおっている。 「来らせ」の「らせ」から少し右に寄っているのが修正の跡であろう。

2000-10-21 (6) 22:16:40 +0900

文語訳 黙示録 17.3

1980 年版はここで改行せず。 1982 年版、1984 年版は改行するが字下げせず。 前節が「』」で終わっているからとも考えられるが他と不統一である。

2001-04-01 (0) 01:51:25 +0900

文語訳 黙示録 17.16

「荒涼ばしめ」の「涼」のへんは 1980 年版では「にすい」である。 18.19 も同様。

2003-01-13 (1) 23:08:30 +0900

文語訳 黙示録 22.9

1982 年版、1984 年版、2000 年版では「なんじ神を拝せよ」とあるが、 「なんじ」は「なんぢ」が正しい。

2003-12-23 (2) 22:17:40 +0900

【文語訳】舊新約聖書 引照附(1980 年)

文語訳(1980 年) 凡例

改譯新約聖書本文中の右側に稀に附しある符號※印は改譯者の覺書のある箇所にして、 その覺書は新約各書の末尾に一括して掲げたり」とあるが、 ヨハネ 21.15-17 には「△」印も使われている。 (論理的に間違っているわけではないが、「△」印の説明がないことになる。)

2004-02-20 (5) 20:05:45 +0900

文語訳(1980 年) 申命記 34.3

「ゾアル」の「ル」は手で書いたようである。

2001-04-05 (4) 01:35:48 +0900

文語訳(1980 年) サムエル前書 6.4

「鼠」に「ねづみ」とふりがながあるのは「ねずみ」の誤り。

2004-03-12 (5) 00:08:46 +0900

文語訳(1980 年) サムエル前書 18.2 引照

「此日サウル、ダビデをかゝへて父の家にかへらしめず」 の「父」のあたりに印があり、 サムエル後書 17.15 を見るようにとなっているが、 サムエル前書の 17.15 ではないかと思われる。 (口語訳、新共同訳の引照つきはここには印をつけていない。)

2007-02-08 (4) 02:37:05 +0900

文語訳(1980 年) 列王紀略下 1.5, 1.7, 1.11

「アハジア」とあるが、1.2 には「アハジヤ」とある。 1982 年版は「アハジヤ」で統一している。

2007-12-09 (0) 00:13:04 +0900

文語訳(1980 年) 列王紀略下 21-25

19.31 では「エルサレム」だが、 第 21 章から第 25 章では「ヱルサレム」と書かれている。

2003-03-21 (5) 02:04:11 +0900

文語訳(1980 年) 歴代志略上 11.4

二度とも「ヱルサレム」となっている。

2003-03-21 (5) 02:32:07 +0900

文語訳(1980 年) 歴代志略上 11.45

「デジ人」は「テジ人」の誤植。

2003-03-21 (5) 02:36:21 +0900

文語訳(1980 年) 歴代志略上 14.3, 4

「ヱルサレム」となっている。

2003-03-21 (5) 19:48:10 +0900

文語訳(1980 年) 歴代志略上 14.5, 6

「エルパレテ」「エリパレテ」は「エルペレテ」「エリペレテ」の誤りと思われる。

2003-03-21 (5) 20:26:12 +0900

文語訳(1980 年) 歴代志略下 1.3

「全会衆」のふりがなは「ぜんくわいしう」だが、 「衆」の字音かなづかいは「しゅう」である。

2004-01-10 (6) 00:24:49 +0900

文語訳(1980 年) 伝道之書 1

第一章1 ダビデの子 ヱルサレムの王 伝道者の言
2 伝道者言く 空の空 空の空なる哉 都て空なり ……

上のようになっているが、1982 年版では第 1 節が二行にわたり、 第 2 節は字下げして始まっているため、ここで段落が変わることが明らかである。 1980 年版が章番号の下で段落を変える場合に字下げをしないかというと、 そうではない。 ネヘミヤ記の冒頭は次のようになっている。

第一章1 ハカリヤの子ネヘミヤの言詞
      第二十年キスレウの月我シユシヤンの都にありける時 ……

ヨエル書、ナホム書、ハバクク書も同様。 どうして伝道之書だけ下がっていないのかはわからない。

なお、ここでは各書の冒頭だけを調べたが、 組版において第一章だけが特別扱いではないので、 各章の冒頭を調べたらもっと何かわかるかもしれない。

2003-03-01 (6) 01:11:21 +0900

文語訳(1980 年) イザヤ 13.2

ここで段落が変わるが、字下げをしていない。 一行だけからなる第 1 節が一つの段落をなしているのは、 ほかにイザヤ書第 2 章もそうだが、 そこでは正しく字下げしている。 (1982 年版は正しく字下げしているが、 その版では第 1 節が二行にわたっている。)

2007-12-08 (6) 23:34:30 +0900

文語訳(1980 年) ホセア 8.7

「生長る」に「おえたてる」とかなを振っているが、 「おへたてる」ではないかと思われる。

2004-03-06 (6) 15:23:34 +0900

文語訳(1980 年) マタイ 5.39

「汝の右の頬」の「頬」に「ほう」とふりがなが振ってある。 並行箇所のルカ 6.29 は「ほヽ」に見えるが、実際は「ほゝ」ではと思われる。 (「ヽ」はカタカナの、「ゝ」はひらがなのくり返し記号である。)

1982 年版、2000 年版ではいずれも「ほほ」となっている。

2009-09-19 (6) 00:21:06 +0900

文語訳(1980 年) マタイ 最後

タイトルは「マタイ伝福音書」だったが、ここには 「マタイ伝・福音書 をはり」と書かれている。 マルコ伝も同様。ルカ・ヨハネはそうではない。

2003-03-01 (6) 00:52:13 +0900

文語訳(1980 年) マルコ 14.68

ここには注があるのだが、注があることを示す印が、本文についていない。

2008-10-27 (1) 23:41:36 +0900

文語訳(1980 年) マルコ 16.9

ここには注があるのだが、注があることを示す印が、本文についていない。

2008-10-27 (1) 23:42:25 +0900

文語訳(1980 年) マルコ 最後

マタイ伝の最後と同様。

2003-03-01 (6) 00:54:06 +0900

文語訳(1980 年) ヨハネ 2.9

《饗宴長(ふるまひがしら)、 葡萄酒(ぶだうしゆ)になりたる水(みづ)を嘗(な)めて。 その何処(いづこ)より来(きた)りしかを知らざれば》 の「。」は「、」の誤り。

2000-06-04 (0) 00:37:55 +0900

文語訳(1980 年) ヨハネ 2.21

「宮」の訳注が落ちている。 「*」印はつけてあるが訳注がない。 2.19, 20 と同じく、「宮」は「聖所」とも訳せる、というだけだが。

2000-06-14 (3) 00:31:31 +0900

文語訳(1980 年)使徒行伝 8

第八章1 サウロは彼の殺さるるを可しとせり。
      その日エルサレムに在る教会に対ひて大なる迫害おこり ……

二行目の字下げがミカ 5, ゼカリヤ 12 と比べて少ない。

2003-03-01 (6) 01:18:40 +0900

文語訳(1980 年) ロマ 6-7

例外的に、第 6 章の最後の行が「第七章」という文字の下にはいっている。
第七章くる永遠の生命なり。
兄弟よ、なんぢら知らぬか……
といった感じ。 この次でページが変わるためであろう。

2002-07-06 (6) 00:46:12 +0900

文語訳(1980 年) ロマ 最後

「ロマ人への書 をはり」の「書」に「しよ」とふりがなが振ってあるが、 ほかにならうなら「ふみ」とすべきところである。

2004-03-23 (2) 02:48:25 +0900

文語訳(1980 年) ピリピ 4.2

「主」に「し」とふりがなが振ってある。

2008-04-15 (2) 00:21:08 +0900

文語訳(1980 年) 黙示録 14.13

《書き記せ》の「記」のつくりが「己」ではなく「已」になっている。

2003-01-13 (1) 22:51:02 +0900

【文語訳】舊新約聖書(1982 年)・新約聖書 詩篇附 文語訳(2000 年)

詩篇と新約は同じ版を使っていると思われる。

文語訳(1982 年) 創世記 14.5

レバイム人》は「レパイム人」の誤り。 15.20 は正しく《レパイム人》としている。

2004-03-06 (6) 22:51:49 +0900

文語訳(1982 年) 創世記 23.9

「マタペラの洞穴(ほらあな)」は「マクペラの〜」の誤り。 アブラハムがサラを葬った洞穴である。

1999-09-08 (3) 01:42:28 +0900

文語訳(1982 年) 創世記 28.8

「エサウまたはカナンの女の其(その)父イサクの心にかなはぬを見たり」 の「または」は「また」の誤り。

1999-09-08 (3) 01:42:28 +0900

文語訳(1982 年) 創世記 32.2

「マハイナム」は「マハナイム」の誤り。

1999-09-08 (3) 01:42:28 +0900

文語訳(1982 年) レビ 2.4

「無酵煎餅(たねいれぬせんべい)」だけやや字が細い。 訂正の跡か?

2003-02-28 (5) 23:15:25 +0900

文語訳(1982 年) 民數記略 3.27

「へブロン」は正しくは「ヘブロン」。 たとえば 1 節の「給へり」、 33 節の「マヘリ人」と字体を比べてみれば、 この「へ」がひらがなであることがわかる。

2000-04-27 (4) 02:00:10 +0900

文語訳(1982 年) 民数紀略 22.30

「バラムにこたへて否と言ふ」は 「バラムこたへて否と言ふ」。

2000-10-22 (0) 03:49:08 +0900

文語訳(1982 年) 民数紀略 26.6

「へヅロン人」の「へ」はカタカナが正しい。

2001-04-03 (2) 00:35:40 +0900

文語訳(1982 年) 民数紀略 28.5

「エバ」は「エパ」が正しいようである。 手元の 1980 年版のこの箇所は活字がつぶれて 「゛」か「゜」か不明だが、 「ヱホバ」の「バ」と 5.15 の「エパ」の「パ」を比べると第一画の角度が違うようで、 そこから判断すると「パ」であるように思われる。

2001-04-03 (2) 00:52:21 +0900

文語訳(1982 年) 申命記 8.1

「行(おこな)うべし」は「行(おこな)ふべし」。

2001-03-19 (1) 02:21:32 +0900

文語訳(1982 年) 申命記 21.18

「人にも放肆にして」は「人にもし〜」。

2001-04-01 (0) 02:27:45 +0900

文語訳(1982 年) 申命記 23.11

「陣営」のふりがなは「じんえい」ではなく「ぢんえい」。

2001-04-01 (0) 02:19:10 +0900

文語訳(1982 年) 申命記 23.12

「陣営」のふりがなは「じんえい」ではなく「ぢんえい」。

2001-04-01 (0) 02:19:30 +0900

文語訳(1982 年) 申命記 33.5

「エシユルン」は「ヱシユルン」。 33.26 は正しく「ヱシユルン」としている。

2001-04-01 (0) 02:02:32 +0900

文語訳(1982 年) ヨシュア 7.9

「汝」のふりがなは「なんじ」ではなく「なんぢ」。

2001-04-03 (2) 22:21:38 +0900

文語訳(1982 年) サムエル前 22.19

二つめの「刃(やいば)」は漢字もふりがなも字体が異なる。 修正の跡であろうか。

(このあたりの「刃」は全て字体が普通と異なり、 三画目は「刀」に全くふれていない。)

2003-03-01 (6) 00:34:59 +0900

文語訳(1982 年) サムエル前 30.12

「乾無花果」に均等に「ほしいちじく」とふりがなを振っているが、 「乾」が「ほし」、「無花果」が「いちじく」ではあるまいか。

2003-03-01 (6) 00:38:51 +0900

文語訳(1982 年) サムエル前 31.9

其(その)鎧甲(よろひ)をはぎりとり》 の「はぎりとり」は「はぎとり」であろう。 1980 年版はそうなっている。

2004-03-06 (6) 14:44:56 +0900

文語訳(1982 年) サムエル後 1.2, 1.3

「陣営」のふりがな「じんえい」は「ぢんえい」の誤り。

2003-02-28 (5) 23:19:37 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略上 2.30, 31

「べナヤ」は「ベナヤ」の誤りであろう。「べ」がひらがなになっている。

2003-02-28 (5) 20:18:34 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略上 8.16

節末の読点は余分。

2003-03-03 (1) 20:16:31 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略上 10.11

ここと次の節に「白檀木」が現れる。 次節では「木」の縦棒を上に伸ばすと 「檀」の「日」の左の縦線に重なるが、 ここはずれているので訂正されているとわかる。

2003-03-13 (4) 00:35:34 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略上 15.18

「スリヤの王へジヨン」の「へ」がひらがなになっているが、 カタカナで「スリヤの王ヘジヨン」が正しいと思われる。

2003-03-13 (4) 22:33:07 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 3.17

二つめの「汝等」に「なんじら」とふりがながあるのは「なんぢら」の誤り。

2003-03-14 (5) 22:51:45 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 5.22

「衣二襲」のふりがなが「ころもふたがさね」となっている。 次節は「ころもふたかさね」。 1980 年版はどちらも「ふたかさね」である。

2003-03-18 (2) 02:26:58 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 6.13

「我人」に「われびと」とふりがなを振っているが、1980 年版は「われひと」。 「我」と「人」は意味の上で切れるので濁点はないのが正しいと思う。

2003-03-18 (2) 02:31:08 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 6.31

「シャパテ」は「シヤパテ」が正しい。 列王紀略上 19.19 ではそうなっている。

2003-03-18 (2) 02:36:28 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 7.5

二つめの「陣営」のふりがなが「じんえい」となっているが「ぢんえい」が正しい。

2003-03-18 (2) 02:41:48 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 7.10

「陣営」のふりがなが「じんえい」となっているが「ぢんえい」が正しい。

2003-03-18 (2) 02:42:55 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 9.19

「汝」のふりがなが「なんじ」となっているが「なんぢ」が正しい。

2003-03-18 (2) 02:49:48 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 10.5

「乃ち家宰邑宰長老」だけ活字が違う。

2003-03-18 (2) 19:32:14 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 13.6

「像」のふりがな「ぞう」は「ざう」が正しい。

2003-03-18 (2) 22:47:09 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 14.25

「ガテへペル」は「ガテヘペル」が正しい。 (まん中の「へ」がひらがなになっているのが誤り。)

2003-03-18 (2) 22:46:12 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 23.9

ここだけ「ヱルサレム」である。 1980 年版は第 21 章以降は(たぶん)全て「ヱルサレム」なので、 ここ以外は直したものと思われる。

2003-03-21 (5) 02:05:41 +0900

文語訳(1982 年) 列王紀略下 23.14

「アシラ像」の「像」は字体が異なる。修正の跡か。

2003-03-21 (5) 02:09:30 +0900

文語訳(1982 年) ネヘミヤ 9.8

「カナン人へテ人アモリ人」の「へ」がひらがなになっている。 正しくは「カナン人ヘテ人アモリ人」。

2005-01-21 (5) 00:03:32 +0900

文語訳(1982 年) ネヘミヤ 9.22

「へシボンの王」の「へ」がひらがなになっている。 正しくは「ヘシボンの王」。

2005-01-21 (5) 00:07:07 +0900

文語訳(1982 年) ヨブ 3.20

「艱難」に「なみや」とふりがなを振っているが「なやみ」の誤り。

2003-06-19 (4) 01:37:02 +0900

文語訳(1982 年) ヨブ 38.5

「準縄」に「はかりなわ」とふりがなを振っているが「はかりなは」の誤り。

2003-02-28 (5) 20:32:46 +0900

文語訳(1982 年) ヨブ 42.8

「牡羊」に「おひつじ」とふりがなを振っているが「をひつじ」の誤り。

2003-02-28 (5) 20:29:54 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 詩篇 1.4

「粃糖」で「もみがら」と読ませているが、「粃糠」の誤り。

2004-05-03 (1) 02:24:45 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 詩篇 3.6

「千萬」に「ちよろず」とふりがなを振っているが「ちよろづ」の誤り。

2004-05-03 (1) 02:26:33 +0900

文語訳(2000 年) 詩篇 5.3

「そなへして」の「て」に混入したと思われる丸印が重なっている。

2001-03-31 (6) 02:03:22 +0900

文語訳(1982 年) 詩篇 6.2

「エホバ」は「ヱホバ」の誤り。

2004-05-03 (1) 02:42:59 +0900

文語訳(2000 年) 詩篇 33.8

「みちびき」の「き」に混入した丸印が重なっている。

2001-04-05 (4) 00:49:27 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 詩篇 34.1

前書きが二行にわたるので第 1 節が三行目冒頭から始まっているが、 段落がえを表わす字下げを行なっていない。 ほかに前書きが二行以上になるのは 第 5, 6, 7, 8, 9, 12, 18, 22, 45, 46, 51, 52, 53, 54, 55, 56, 57, 58, 59, 60, 61, 62, 67, 68, 69, 75, 76, 77, 80, 81, 84, 88, 102, 142 篇。 みな字下げしている。

2004-05-04 (2) 12:01:52 +0900

文語訳(2000 年) 詩篇 42.5

「なほ」と「わが神」の間に丸印が混入している。

2001-04-01 (0) 00:27:00 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 詩篇 52

“前書き”が三行に印刷されているが、行間が不ぞろいである。 三行めが右に寄っているか。

2004-02-11 (3) 19:53:52 +0900

文語訳(2000 年) 詩篇 119.131

「したふ」の左上(上段と下段の間)に丸印が混入している。

2001-03-31 (6) 02:01:43 +0900

文語訳(2000 年) 詩篇 140.6

「こゑを」の「を」に混入したと思われる丸が重なっている。

2001-10-23 (2) 01:23:41 +0900

文語訳(1982 年) イザヤ 66.20

わが聖(きよき)山(やま)エルサレム》から行が変わっているが、 その行頭が少し下がっている。 1980 年版では行は変わらないが、少しスペースを空けている。

それをそのまま生かしたのだとしても、行頭では空けないのが普通ではあるまいか。 また、この空白も本文のうちだと考えるなら、 引用時にも空白をいれねばなるまい。 このあたりはまた考えてみよう。

2004-02-11 (3) 19:49:29 +0900

文語訳(1982 年) ヱレミヤ 34.6

「エレミヤ」は「ヱレミヤ」が正しい。

2003-02-19 (3) 02:12:05 +0900

文語訳(1982 年) ヱレミヤ 39.15

「禁錮(とじこ)められをる」は「とぢこめられをる」が正しい。

2003-02-19 (3) 02:07:59 +0900

文語訳(1982 年) 哀歌 最後のページ

欄外の章・節番号は 「そのページに含まれる節番号に基く」という方針のようであるが、 哀歌の最後のページは「ゐ給ふや」だけなので 「5.」と章番号だけが書かれている。 厳密に言えばあげるべき章・ 節が存在しないのだから何も書かずにおくべきかも知れない。

普通の本では、 最後のページの分量があまりに少なくならないよう、 少し前から活字の詰め方を変えて調節するのが普通のようである。

最後のページに節が一つだけの書はルツ記、ハガイ書、ガラテヤ書。

2001-09-09 (0) 00:16:20 +0900

文語訳(1982 年) エゼキエル 48,1

「ヘテロン」とあるべきが「へテロン」となっている。 すなわち,「へ」がひらがなになっている。

2014-09-17 (3) 23:52:36 +0900

文語訳(1982 年) オバデヤ 4

最後に句点がある。 旧約は句読点なしが原則なので、何かの間違いであろう。

2003-02-20 (4) 21:56:25 +0900

文語訳(1982 年) ハバクク書 最後のページ

欄外の章・節番号が「3.19」となっているが、 3.19 はその前のページから続いているので、 統一をはかるならここは哀歌の最後のページにならうべきである。

2001-09-09 (0) 00:32:35 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) マルコ 6.20

《それはへロデ、ヨハネの義にして聖なる人たるを知りて》は 「へ」がひらがなになっている。 「ヘロデ」という人名なのだから、 ここはカタカナたるべきところである。

2000-08-03 (4) 22:13:35 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) ルカ 1.72

一行目全体を、切り貼りで直したようである。 ここだけ活字が違う。

2001-09-09 (0) 00:42:46 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) ルカ 17.37 の訳注

文末に句点がない。 《或は「……」と訳す》のタイプの注には最後に句点をつける方針のようだが、 ここは落ちている。

2000-10-02 (1) 02:05:00 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) ルカ 21.10

段落がえの字下げが足りない。 この版では二字下げることになっているが、一字しか下がっていない。

2000-10-02 (1) 02:03:00 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 使徒 12.1

「へロデ」の「へ」がひらがなになっている。

2003-03-03 (1) 20:29:41 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 使徒 12.20

「へロデ」の「へ」がひらがなになっている。

2003-03-03 (1) 20:30:11 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) ロマ書 6.3

「バプテマス」は「バプテスマ」が正しい。

2003-12-21 (0) 18:47:32 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) ロマ書 16.11

「わが同族へロデオンに問へ」は「へ」がひらがなになっているが 正しくはカタカナで「わが同族ヘロデオンに問へ」であろう。

2001-02-07 (3) 02:07:32 +0900

文語訳(1982 年・2000 年)ガラテヤ 3.16

「裔(すえ)に」は「裔(すゑ)に」。

2001-03-19 (1) 02:53:45 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) ヨハネ二 欄外見出し

「ヨハネの第二の書」と節番号の間が開きすぎている。 この書は一章しかないので章番号は不要だが、 それを入れるスペースをとってしまった、という感じである。

2003-03-01 (6) 00:45:55 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) ヨハネ三 欄外見出し

「ヨハネの第二の書」の欄外見出しと同様。

2003-03-01 (6) 00:47:21 +0900

文語訳(1982 年・2000 年)ユダ 1

最初の字下げがなされていない。 また、1982 年版の欄外見出しは章番号を含んでおり、 一章しかないほかの文書と統一がとれていない。

2001-03-31 (6) 19:35:26 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 黙示録 3.8

《これを閉じ得る者なし》は《閉ぢ得る者》。

2001-04-01 (0) 01:30:12 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 黙示録 4.4

「座位」のふりがなを「くら+ゐ」としている。 「位」の字は旧かなでは「ゐ」だが 「くらゐ」の語源は「座居」らしいので均等に振るのが適当だと思う。 使徒行伝 7.49 はそうしている。 1980 年版や 1984 年版も均等に振っている。

2001-03-31 (6) 01:53:08 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 黙示録 7.8

これは誤植ではなく、活字の組み方の不統一とでも言うべきものであろうが、 記しておくことにする。

「ベニヤミンの族の中にて一萬二千印せられたり」 は一行はいりきるのに途中で改行されている。 前後を見ると、 黙示録では (広い意味での)引用部分は 「行頭を二字下げ、行末は二字空ける」 という方針にしているようである。 こんな感じである。

地の文地の文地の文地の文地の文地の文
地の文地の文地の文地の文地の文地の文
  引用引用引用引用引用引用引用
  引用引用引用引用引用引用引用
地の文地の文地の文地の文地の文地の文
地の文地の文地の文地の文地の文地の文
これは、黙示録だけのようである。 ルカ 1.68-79, 使徒 2.25-28 などは、 行頭は二字下げているものの、 行末は地の文と変わらない。

2001-09-08 (6) 13:11:35 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 黙示録 7.10

これは誤植ではないが、ここの《羔羊》だけふりがなの活字が違う。

2001-04-01 (0) 01:39:10 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 黙示録 14.4

《何處》のふりがな「いずこ」は「いづこ」が正しい。

2001-04-01 (0) 01:43:05 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 黙示録 14.13

《『書き記せ》のふりがな「か」が《『》と《書》の間あたりにきている。

2003-01-13 (1) 22:49:11 +0900

文語訳(1982 年・2000 年) 黙示録 16.21

ここでは「雹」に「へう」と旧式のかなづかいでふりがなを振っている。 詩篇 78.47 参照。

2003-01-13 (1) 23:13:37 +0900

文語訳(1982 年) 地図 1 ページ

拡大図の中の「紅海」は「死海」の誤りである。

2003-02-12 (3) 20:19:43 +0900

文語訳(1982 年,2000 年)「パウロの第一次旅行」の地図

ルカオニアはルカオニヤの誤り。使徒行伝 14,6 に見える。

ちなみに,口語訳もルカオニヤ。新共同訳ではリカオニアである。

2015-12-18 (5) 18:52:57 +0900

文語訳(1982 年) 地図 5 ページ・文語訳(2000 年) 地図 1 ページ

「ゴルゴダ」とする根拠がわからない。 文語訳だけでなく、口語訳、新共同訳でも「ゴルゴタ」である。 マタイ 27.33, マルコ 15.22, ヨハネ 19.17 参照。

2003-02-12 (3) 20:27:05 +0900

「ゲッセマネ」は本文(マタイ 26.36, マルコ 14.32)では 「ゲツセマネ」である。

2003-02-12 (3) 20:36:11 +0900

文語訳(1982 年) 地図 9 ページ・文語訳(2000 年) 地図 5 ページ

「黙示録2、3章に書かれている教会」に印がついているが、 「フィラデルフィヤ」は本文では「ヒラデルヒヤ」である。

2003-02-12 (3) 20:29:40 +0900

【文語訳】「新約聖書 詩篇附」(1984 年)

文語訳(1984 年) マタイ 24.28 の訳注

ここだけ、注と本文を区切る縦棒が抜けている。

2000-04-29 (6) 17:21:35 +0900

文語訳(1984 年) ヨハネ 21.17

復活後のイエスとシモン・ペテロとの問答に七回現れる「愛する」の最後の箇所。 この版ではここだけページが異なるので別に注をつけている。 それが問題なのである。

1980 年版注 「*と△と原語を異にす」、 1982 年版注 「DFとEGHIJとは原語を異にす」 は、本文と合わせて読めば 「一つめと三つめは原語が同じであり、 二つめ・四つめ・五つめ・六つめ・七つめは原語が同じ、 しかしそれらの間では原語は異なる」 という意味以外にはとれないだろう。

しかし、この版では七つめのところに(1)の印をつけ 「(1)と前頁二一七頁下段(2)(4)とは原語を異にす」としている。 これでは 「七つめの原語が二つめ・四つめ・五つめ・六つめのそれと同じであるかどうか」 はわからない。

私案:前頁の注「(2)(4)と(3)(5)(6)(7)とは原語を異にす」を 「(2)(4)と(3)(5)(6)(7)(8)(次頁)とは原語を異にす」と改める。 ここの注は「(8)前頁注を参照」とする。

版によってこれだけ大きな違いが現れていることからも、 注は本文よりも低い扱いをされているような気がする。

2004-02-20 (5) 20:33:38 +0900

文語訳(1984 年) 黙示録 7.8

これは誤植ではなく、活字の組み方の不統一とでも言うべきものであろうが、 記しておくことにする。

「ベニヤミンの族の中にて一萬二千印せられたり」の途中で、 行末に二字分を残して改行がなされている。 前後を見ると、 黙示録では (広い意味での)引用部分は 「行頭を二字下げ、行末は二字空ける」 という方針にしているようである。 こんな感じである。

地の文地の文地の文地の文地の文地の文
地の文地の文地の文地の文地の文地の文
  引用引用引用引用引用引用引用
  引用引用引用引用引用引用引用
地の文地の文地の文地の文地の文地の文
地の文地の文地の文地の文地の文地の文
これは、黙示録だけのようである。 ルカ 1.68-79, 使徒 2.25-28 などは、 行頭は二字下げているものの、 行末は地の文と変わらない。

2001-09-08 (6) 13:21:03 +0900

文語訳(1984 年) 詩篇 136.20

「パシャンの王」の「パ」は「バ」。 半濁音ではなく濁音が正しい

2000-10-22 (0) 00:52:36 +0900

文語訳(1984 年) 詩篇 137.3

「そわ」は「そは」。

2000-10-22 (0) 01:55:31 +0900

【口語訳】

口語訳 出エジプト記 最後のページ

各文書の最終ページは行数を等分して二段に組む。 行数が奇数であれば上段が下段よりも一行だけ多くなるようにする。 これが原則のようであるが、 ここだけは上段をぎりぎりまで組み、下段には二行の余白がある。

サムエル上、箴言の最終ページには同じく二行の余白があるが、 それらは原則通りに組んでいる。

2004-03-06 (6) 23:04:48 +0900

口語訳 列王紀下 11.14

「ラツパ」は「ラッパ」。

2001-12-01 (6) 01:58:16 +0900

口語訳 歴代志上 5.18, 21

18 節。 「……出て戦いうる者四万四千七百六十人あり、皆(みな)勇士で……」 はあまり口語らしくない。 文語訳は 「……出(い)でて戦ふべき者四萬四千七百六十人あり皆(みな)勇士にして……」。 口語訳は文語訳の「改訳」だが、 ここはもっと改訳すべきであろう。

21 節の 「らくだ五万、羊二十五万、ろば二千あり、また人は十万人あった」 も同様。 文語訳は 「駱駝(らくだ)五萬 羊二十五萬 驢馬(ろば)二千あり人十萬ありき」。

2001-12-17 (1) 01:15:21 +0900

口語訳 歴代志上 7.21

「エゼルとエレアデはガテの土人に殺された」は 文語訳「エゼルとエレアデはガテの土人等(ら)これを殺せり」 の直訳であろう。 「土人」は元々は土着の人の意味だったらしいが、 意味が変わってきているので別の訳語を工夫すべきではないかと思う。

2001-12-20 (4) 02:08:57 +0900

口語訳 歴代志下 31.19

「名ざし選んで」は日本語として不自然に思う。 文語訳「名指し選び」の直訳か。

2002-06-29 (6) 02:25:27 +0900

口語訳 歴代志下 32.7, 8

「共にいる」が一回、「共におる」が四回出てくる。 後者は口語としてはあまり使わないのではないか。 なお、文語訳は「ともなる」「ともになる」である。

2002-06-29 (6) 02:29:50 +0900

口語訳 歴代志下 32.18

「彼らは町を取るためである」は日本語としておかしい。文語訳の 「是(こ)は邑(まち)を取(と)らんとてなり」の間違った直訳だろうか。 欽定訳は「that they might take the city」。

2002-03-17 (0) 20:51:34 +0900

口語訳 イザヤ 22.3

彼らは遠く逃げて行ったが、 あなたのうちの見つかった者はみな捕えられた」 とはどういう意味だろうか。 「あなたがたのうちの」ならわかるのだが。 あるいは「あなたの家の」だろうか。

2003-03-13 (4) 00:22:31 +0900

口語訳 エレミヤ 35.4

「室」を「しつ」と読ませるところが四箇所ある。 「校長室」「調理室」などと使う字なので意味はわかるが、 やや古風な言い方かもしれない。

文語訳は「房」と書いて「ま」、 新共同訳は「部屋」。

2003-06-16 (1) 20:38:40 +0900

口語訳 エゼキエル 5.2, 12

2 節に「私はつるぎを抜いて、彼らのあとを追う」とあるが、 この「彼ら」が何を指すか不明である。 12 節には「わたしはつるぎを抜いてそのあとを追う」とあるが、 この「その」が何を指すかも不明である。

逆にすれば意味が通る。 関根正雄訳(岩波文庫)の注によれば、 この箇所は込み入った構造をしているようである。

2003-12-23 (2) 23:01:16 +0900

口語訳 エゼキエル 6.4

「あらされ」を「荒され」としているが、 マルコ 13.14 は「荒らす憎むべきもの」。 送りがなが不統一となっている。

2003-12-23 (2) 23:03:21 +0900

口語訳 マルコ 3.19

「イスカリオテ」の部分は字間がほかよりも空いている。 次の「イエス」が二行にわたるのを防ぐため?

2001-09-12 (3) 22:03:37 +0900

口語訳 ヨハネ 2.10

最後の行は妙に字間が空いている。 次行の先頭から次節が始まるが、 その冒頭の「イエス」が二行に分かれるのを防ぐためか?

2001-09-13 (4) 23:04:38 +0900

口語訳 ヨハネ 11.46

「そのうちの数人が」の行は妙に字間があいている。 次の「イエス」が二行に割れるのを防ぐためだろうか。

2001-09-21 (5) 22:58:02 +0900

口語訳 ヨハネ 12.6

「ていて、その中味を」の行は妙に字間があいている。 次の「イエス」が二行に割れるのを防ぐためだろうか。

2001-09-21 (5) 23:04:04 +0900

口語訳 ヨハネ 12.40-41

「とがないためである」の行は妙に字間があいている。 次の「イエス」が二行に割れるのを防ぐためだろうか。

2001-09-24 (1) 00:08:14 +0900

口語訳 ヨハネ 19.1-2

「ちで打たせた」の行は妙に字間があいている。 次の「イエス」が二行に割れるのを防ぐためだろうか。

2001-09-24 (1) 00:10:38 +0900

口語訳 ヨハネ 19.3

「それから」に修正のあとがある。

2001-09-24 (1) 00:12:02 +0900

口語訳 コリント第二 11.25

「ローマ人」の「人」に「じん」とふりがなが振ってある。 文書名「ローマ人への手紙」は「ろーまびと」と読むのに。

本文中の「〜人」はすべて「〜じん」かというとそうではなく、 テトスへの手紙 1.12 の「クレテ人」は「びと」である。

2004-01-28 (3) 19:33:27 +0900

【新共同訳】

新共同訳(1988 年版) サムエル下 23

 ダビデの最後の言葉
 ※※ 1以下はダビデの最後の言葉である。
 ※※ エッサイの子ダビデの語ったこと。
 高く上げられた者
(「※」が四つ並んだ部分には大きな文字で章番号の「23」が書かれている。)

小見出しが章番号の前にあるので、 一行目は散文であると思われる。 その行末が空いているのは次の行からが韻文であるためであろうか。 あるいは段落が変わることを示すのみで、 韻文はさらに次の行からであろうか。

2001-09-10 (1) 01:40:53 +0900

新共同訳 ヨブ 2.9

 9 彼の妻は、
「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ
方がましでしょう。」と言ったが、
ヨブの妻の言葉だが、 始めでは改行されているのに終わりでは改行されていない。 両方とも改行するか、両方ともしないのが普通であろう。

ほかに 1.7, 2.1 のサタンの言葉も同じ。

2002-02-13 (3) 22:52:23 +0900

新共同訳 詩編 7.10

「神は正しくいます」とあるが、 前後は“ですます体”であるから 「神は正しくいまします」が正しいのではないだろうか?

18 節の「正しくいます主にわたしは感謝をささげ」 はこのままでもいいかもしれない。

2002-10-28 (1) 20:28:28 +0900

新共同訳 詩編 112.4

まっすぐな人には闇の中にも光が昇る
憐れみに富み、情け深く、正しい光が。

「昇る」の次には句点が必要ではあるまいか。

2004-01-12 (1) 02:46:02 +0900

……と思ったが、改行の直前には置かないこともある、 という方針のようだ。

2004-02-03 (2) 19:26:19 +0900

新共同訳 エレミヤ 38.8

改行しているが、一字分しか字下げしていない。 段落を変えたのなら、ほかにならって二字下げるべきである。

2001-09-24 (1) 00:16:00 +0900

新共同訳 ダニエル書 9.7

「主よ、あなたは正しくいます」とあるが、 前後は“ですます体”であるから 「正しくいまします」が正しいのではないだろうか?

2001-12-01 (6) 01:54:22 +0900

新共同訳(1988 年版) ハバクク 最後のページ

欄外の章・節番号は「そのページに含まれる節番号に基く」 という方針のようであるが、 ハバクク書の最後のページはハバクク書最後の 3.19 の後半がおさめられているのみである。 よって、このページの欄外に「3.19」とあるのはおかしい。

2001-09-09 (0) 01:32:16 +0900

新共同訳(1988 年版) ゼファニヤ 最後のページ

「ハバクク 最後のページ」と同様。

2001-09-09 (0) 01:34:58 +0900

新共同訳(1988 年版) ハガイ 2

前の章の終わりの部分からこの章の冒頭にかけてを引用すると、 次のようになっている。

てる作業に取りかかった。15それは六月二十四日のこ
とであった。

 新しい神殿の栄光と祝福
※※ダレイオス王の第二年、1七月二十一日に、主
※※の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。2「ユ
ダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨ
(実際には「※」を四つ書いた部分には大きめの文字で 章の番号「2」が書かれている。)

これを見ると「ダレイオス王の第二年」 は第2章の冒頭部分のように思える。 しかし、節の番号「1」よりも前にあるから、 これは第1章の最後の節の一部なのである。

一つの文章の途中で章が変わる珍しい例なのでしかたがないのかも知れないが、 聖書研究で「ハガイ書第1章」あるいは「ハガイ書第2章」 をとりあげて最初に「では一人一節ずつ読みましょう」 という際に間違える可能性が大きいのではあるまいか。

ちなみに、文語訳、 欽定訳(英訳)はこの部分を前の章の最後の文章の一部として訳している。 口語訳は第2章に含めてしまっている。 岩波版はきちんと扱っている。 それにヒントを得て、新共同訳の使徒 8 の冒頭部分にならうなら、 次のように組むべきだったのではあるまいか。

てる作業に取りかかった。15それは六月二十四日のこ
とであった。

 新しい神殿の栄光と祝福
ダレイオス王の第二年、2 1七月二十一日に、主
の言葉が、預言者ハガイを通して臨んだ。2「ユ
ダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨ
(使徒 8 の章番号は、 ほかの章番号のほとんどが二行に渡るのに一行におさめている珍しい例である。 使徒 22, 23 も。)

2001-09-09 (0) 01:19:05 +0900

ちょっと苦しいかもしれないが、次のような組み方もありえるのではないか。 なお、ここでは <pre> ... </pre> ではなく <table> ... </table> を使い、 節番号も <sup> ... </sup> から <small> ... </small> に変えてある。

てる作業に取りかかった。15それは六月二十四日のこ
とであった。
 
      新しい神殿の栄光と祝福
ダレイオス王    1七月二十一日に、主の言葉が、預
の第二年、 言者ハガイを通して臨んだ。2「ユ
ダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨ

2003-02-09 (0) 01:01:43 +0900

新共同訳(1988 年版) ハガイ 最後のページ

「ハバクク 最後のページ」と同様。

2001-09-09 (0) 01:34:20 +0900

新共同訳(1988 年版) マラキ 最後のページ

「ハバクク 最後のページ」と同様。

2001-09-09 (0) 01:33:15 +0900

新共同訳 ヨハネ 16

1987 年版では

いたのだから、証しをするのである。
※※ 1 これらのことを話したのは、あなたがたをつ
※※ まずかせないためである。2 人々はあなたがた
を会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺
となっている。※のところには章番号の 16 が大きめの活字で書いてある。 前の行の後半が空白であることを考えると、 ここで段落が変わっていると考えるべきなのだろうか。

のちの版ではちょうどここでページが変わるので、 段落が変わったという印象はより強まる。

2003-03-13 (4) 01:09:22 +0900

新共同訳 黙示録 2.1

※※ 1エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。
※※『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台
(※の部分には大きめの活字で章番号「2」が書かれている。)

2.8 の「スミルナにある教会の天使に……」以降、 同じ文型があと六回繰り返されるところでは「こう書き送れ」 のあとで段落がかわっている。 おそらく、ここも段落がかわっているのであるが、 一行目はいっぱいまで活字が組まれているので、 二行目で段落がかわっていることが読み取れない。

章番号の回りの活字の組み方の決め方に見落としがあった、 と考えるべきであろう。

2001-10-01 (1) 00:56:34 +0900

新約聖書ギリシア語原文

エフェソ 6,17

United Bible Societies の The Greek New Testament の Third Edition(1975 年) には peneumatos という語が見えるが、 Nestle-Aland の Novum Testamentum Graece(1990 年)は pneumatos としている。 pneuma の変化したものだから、後者が正しいと思う。

2011-09-18 (0) 23:46:38 +0900


すのもの Sunomono