すのものの「いろいろ」(その9)

レンズつきガラスの腕時計はやはり針が見にくい

セイコーの自動巻き腕時計 SCVF007 を愛用しているが、 買うとき、 ダイバーズウォッチ SCVF001 にしようかと少しだけ迷い、 レンズつきガラスがレトロっぽい雰囲気を高めているな、 と思って前者にしたのだった。

でも、使ってみると、 分針がレンズのある3時位置付近にあるときに正確な時刻がすぐに読めない、 という欠点があるのに気づいた。 13分と17分の目盛りが見えていないのだ。 やはりレンズはないほうがいいな。

ちなみに、 当時はダイバーズウォッチにはレンズつきガラスは使えないのだと思っていたが、 そうではない。

2000-05-17 (3) 02:42:00 +0900

文語訳聖書の百卒長の言葉 ---「げに」と「じつに」の訳し分け

文語訳聖書をルカ伝の受難記事まで読み進み、 イエスの死を見届けた百卒長の言葉がマタイ 27:54 では 「實(げ)に彼は神の子なりき」、 マルコ 15.39 では「實(げ)にこの人は神の子なりき」 なのにルカ 23.47 では「實(じつ)にこの人は義人なりき」 となっていて、 「實に」の読ませ方が違うのに気がついた。 (ヨハネ伝にはこの言葉は記録されていない。)

原文にあたってみたら、 マタイとマルコが ale:tho:s, ルカは onto:s と別の語なのであった。

onto:s って、 日本語の「本当」と語源的に関係あったりしないよね?

2000-05-17 (3) 01:37:26 +0900

機種依存文字「~」を使っていたので「神」に直した。

2004-01-22 (4) 02:14:10 +0900

2000-05-16 (2) の日記

金沢駅百番街のマクドナルド裏のトイレにはいった。 洗面所の鏡を見ながら髪をまとめなおしていたら、 人がはいってきてすぐ出ていったのがちらっと写った。 スリか何かじゃないかしら、 と気になって荷物を確かめながら後を追うように私もトイレから出たら、 その男は私の顔を見て、壁の男子用・女子用の表示を確かめて、 改めてトイレにはいりなおしていた。 どうやら、髪を直している私の後ろ姿をみて、 女子用にはいってしまったのではと思ってあわてて飛び出したらしい。 そういえば、私もこのトイレにはいるとき、 表示がわかりにくいと思ったのだった。 男子用と女子用の表示の位置が近いと、 見比べるのでどっちがどっちだか間違えることはほとんどない。 しかし、ここのトイレは両者の表示が数メートルはなれてついている。 一方だけを見ると、なかなかすぐには、また確実には認識できないものだ。 ここのはピクトグラムだけで文字が添えてないのもよろしくない。

最初のページに 《××××と同一人物であると主張していたこともありますが、 現在は本名を公開しておりません》 とあったのを削除。 ××××はここに移すにあたって伏せ字にしたもの。

Star Wars の Episode IV の LD, 最終面をかけてみる。 ちょっと前に見ようとしたら、 しばらく使わなかったせいか LD プレーヤーの調子が悪くて途中までしかかからなかったのだが、 きょうは最後まで OK だった。 毎日のように Episode I を見ているせいで直ったのか?

これを書きながら、 中島みゆきのアルバム「パラダイス・カフェ」を聞いている。 歌詞の書かれた冊子の表紙および裏表紙の中島みゆきの写真は異常なまでに美しい。 中島みゆきがレトロなカフェにいる、 という設定らしいが、 「もしもこんな美しい人がカフェに一人でいるところに出会ったらどうするか?」 と考えて、 「きっと待っている人がいるんだろうから声はかけずにあきらめる」 という結論に達した私は小心者である(苦笑)。

注) 上の伏せ字部分、リンク先はもちろんダミーに変えてある。

2000-05-17 (3) 01:22:08 +0900

2000-05-15 (1) の日記

3限(昼食後の1コマ目)の授業を済ませたあと、 生協食堂で食事をし、図書館へ。 きょうは岩波文庫の「楽園喪失」「失楽園」をながめた。 藤井武の訳による「楽園喪失」は初めて見たと思う。 「失楽園」はもっているはずだ。

考えごとに飽きてくるとあたりを見回したりするのだが、 私が座るまえからずっと勉強し続けている学生さんも多い。 そんな女子学生の一人を「えらいもんだなあ」と見つめていたら、 彼女はふと顔を上げてこっちを見た。 へんなおじさんと思われたかもしれない。

おしゃべりをしている学生はなぜか女子ばかりだ。 男子学生そのものが少ないせいもあるな、図書館では。

うちに帰り、 まさに夕飯を食べようとしたとき、 思いがけない訪問者が。 お客さんが突然やってくることを予期しない住みかたをしているので、 どこにお通ししようかとえらくあせった。 結局のところ訪問の理由はわからずじまい。

注) いま手元の矢内原忠雄「土曜学校講義」(みすず書房) を確かめたところ、 「楽園喪失」の講義は藤井の訳をテキストとして包含している。

2000-05-17 (3) 00:08:47 +0900

2000-05-13 (6) の日記

午後、絵ハガキを買いに町中へ。 兼六園下の交差点で、 モルモン教の宣教師と思われる、 自転車に乗った二人組の白人男性とすれ違う。 そういえば、 先日研究室を整理していたら斉藤由貴を起用した88のカタログが出てきた。 かわいい。昔はよかった。

かなり遅めの昼食に天丼を食べたら、眠くなってきてしまった。 うちへ帰って寝ようか。 それじゃ出かけてきた意味がないし、 まだうちには帰りたくない。 レコード屋でしばらく座り、 かかっている試聴盤を聞きながら元気回復。

バスを待つ間、 いつものように口語訳聖書を読む。 ヨハネ福音書のいわゆる「大祭司の祈り」のあたりだ。 ここはよく勉強しないと、ただ読むだけではわからない。

職場に着いたものの仕事は手につかず、 ただ日が暮れるまで時間をつぶして歩いて帰ってきた。

頭がぼんやりする。

絵ハガキを書く。間違って80円切手を貼ってしまい、 あわててはがして50円切手と取りかえた。

シャワーを浴びて、洗髪。 もしかしたら、 先日のめまいの原因は鼻に水がはいったことではなかったか、 と思い始める。 髪を長くしているのシャワーの湯をかけるだけでは容易には全体を濡らせない。 そこで桶に湯をいれて頭をつっこむのだが、 この際に鼻に水がはいることがあるのだ。

髪が乾くあいだに卒業生に手紙を書こうと思っていたが、 郵政省メールはついつい後回しになってしまう。 うちには古いプリンタしかなく、 私はその使い方を知らないから手書きしかないのだ。 あした以降にしよっと。 このページ見てたらごめんね。

2000-05-14 (0) 02:15:24 +0900

2000-05-10 (3) の日記 --- 風呂敷の色が落ちたわけ

それは汗でぬれたから。 まだそんな季節じゃないと思っていたのに。

これを書くのを忘れていた。

2000-05-13 (6) 19:56:53 +0900

2000-05-12 (5) の日記 --- 愛機 XL2 が廃棄処分になったらしい

職場の計算機室に行ってみたら、 私の愛機だった NEC PC-98 XL2 が廃棄処分にされたようだ。 見当たらない。 キーボードの叩き心地が最高で、 私の赴任とほぼ同じころに購入されたといういきさつもあり、 一番の友だちのように思っていたのだが。 私の研究室から出されてしまえばもう誰も見向きはしないだろう。 私がもっとしっかりしていれば君を出さずに済んだのに。 ごめんなさい。さようなら。私の sophie ...。

(sophie というのは端末名としてつけていた名前である。 ノヴァーリス「青い花」の登場人物にちなんでいる。 「ゾフィーこそ永遠に心の祭司」 --- だったと記憶しているが、 文庫本はダンボール36箱のどこかに埋もれている……。)

(手元のメモには N5924 という型番も書かれているが、 これはディスプレイだったろうか? ディスプレイは一年ほど前に壊れてしまい、 別のをつないでいた。)

私自身もそのうち廃棄処分になりそうだ。

2000-05-13 (6) 19:54:05 +0900

「こち亀」の最初に出る「テ、テ、テレビを/見るときはぁ」の「はぁ」

テレビアニメ「こち亀」の最初には 「テ、テ、テレビを/見るときはぁ/部屋を明るくして/はなれて見てね!」 というのがはいる。 登場人物たちが歌って子供たちに“正しい”テレビの見かたを教えるわけだが、 画面に字幕も出る。 (スラッシュは一画面分ずつの区切り。)

この 「見るときはぁ」 に、私はちょっと違和感を覚えてしまう。 助詞の「は」を延ばしたものだから「は」に「ぁ」を添えたのだろうが、 どうも ha を延ばした音に見えてしまうのだ。

実は麻里愛ちゃんの大ファンだったりする私。

2000-05-13 (6) 02:58:22 +0900

自然音のCDはサンプラーが欲しい

滝の音、水の流れなどの自然音のCDは、 買ってみるまでどんなものかわからないことが多い。 自然音だけを録音したものなのか、 自然音+音楽なのかも、よくジャケットを読まないと間違えそうだ。

出しているメーカーは数枚出していることが多いので、 少しずつ収録したサンプラーを作ってくれたら買うときの参考になると思うのだが、 数分でも“本物”がはいっていると 「これをリピートして聞けばいいや」 と本物が売れなくなる恐れもある。 だったら、上にナレーションをかぶせたらどうかな。

2000-05-13 (6) 02:53:38 +0900

心臓の音のCDはないものか

滝や水の流れなどの自然音のCDも好きで数枚もっているのだが、 心臓の音のCDはないものだろうか? ドックン、ドックン、というあの音。 結構気持ちが落ち着くような気がするのだが。

2000-05-13 (6) 02:50:28 +0900

2000-05-10 (3) の日記 --- 風呂敷について/他

暑い。 生協書籍部によったら定期購読している「世界」がきていた。 かばんをもっていなかったのでウェストポーチから風呂敷を出して包んで出た。 (そうでないと万引きと間違われる可能性があるので。)

研究室に戻って風呂敷から出してみたら表紙が赤くなっている。 実はこの風呂敷は何年か前の新年互礼会の折詰めが包まれていたもので、 紙のように薄くて軽いので重宝していたのだが、 長く使うものではなかったのか。 ワイシャツにも色がついてしまった。 よく見るとA化成の素材で、 ナイロン 100 % と書いてある。 色落ちの原因は素材じゃなくて印刷にあるのだろうが、 友人が勤めているメーカーなので意外なところでひとにあったような気がした。

夜はふとした事情で某らーめん屋で外食。 ラーメンとギョーザとライスのセット、それにビール。 私は見かけよりも大食いである。 少し食べ過ぎたか、眠くなって早めに寝てしまった。

別の日。 家にある布の風呂敷は重い。 軽いのを探さねば。

2000-05-13 (6) 02:41:08 +0900

「意外」を「以外」と間違っていたので直した。

2004-01-22 (4) 02:16:57 +0900

2000-05-12 (5) の日記 --- 大学の図書館について

おとといに続いて、 大学の図書館に行った。

岩波文庫の棚のわきを通ったら 「取りて読め、取りて読め」という声を聞いたような気がして、 聖アウグスティヌス「告白」をながめ始めてしまった。 もっているはずなのだが、 36箱のダンボールの中のどこかに埋もれている。

机は広いし、 若い学生さんたちの真剣な雰囲気もいいし、 いまの季節はすいているし、 よいことずくめだが、 17時になったら道路をへだてた向かいのサークル棟から金管楽器の音がしてきた。 オーケストラか吹奏楽団か。 旋律的短音階の練習をしているな。

結構広いので、遠くの席や壁はマット絵のように見える。 先日入手したスターウォーズエピソードIのLDの見すぎか。

2000-05-13 (6) 02:28:25 +0900

新明解国語辞典第五版の「失恋」の語釈は不正確

「思う恋が遂げられないこと」 と説明してあるが、 これだと、 双方に気持はありながら離れ離れになって 「思う恋が遂げられない」場合を含んでしまう。 広辞苑や岩波国語辞典のほうが正確だ。

2000-05-12 (5) 00:48:21 +0900

I LOVE YOU ウイルスと間違われて捨てられた本物のラブレターはないのかな

普通の新聞しか読んでないのでくわしいことはわからないのだが、 I LOVE YOU ウイルスってのは Subject にそう書かれているのだろうか?

それはともかく、 せっかく送ったラブレターがウイルスと間違われて捨てられ、 もしも相手が読んでいたら一発逆転、 二人は結ばれたかもしれないのに、 相手はもう取り返しのつかない決断 (別の人と結ばれるとか遠くへいってしまうとか) をしてしまった、 ってケースはないのかな。

2000-05-12 (5) 00:39:51 +0900

2000-05-09 (2) の日記

通勤途中に読むための「新約聖書」(文語訳と口語訳の二冊)に、 蔵書印代わりの認め印を押した。 カバンから取り出しやすいところに入れて本屋さんにはいったりもするので、 万引きと間違われたときの対策だが、 考えすぎか?

きょうは PC-9801 VX + MS-DOS 3.30 + VZ 1.53 + 自作 FEP でこの 「いろいろ」を書いている。 文体が違うだろうか?

さっき Fortmason Tea を飲んだので目が冴えている。 でももうそろそろ寝なくては。

2000-05-10 (3) 03:05:08 +0900

「アフリカのイブ」について

「アフリカのイブ」という話を聞いたことがある。 いま生きている任意の女性からスタートして、その母親、そのまた母親、 ……と母系の先祖をたどってゆくと、 誰からスタートしても同じ人物にたどりつく、 というものだ。 その人物がアフリカにいたと思われることから「アフリカのイブ」というらしい。

以下は、この話が本当だったとしての話である。 女性しか関係してこないので、 「先祖」といったら「母親、その母親、そのまた母親……」のみを、 「子孫」といったら「娘、その娘、そのまた娘……」のみを考えることにする。

さて、 「アフリカのイブ」の母親もまた「アフリカのイブ」たる性質をもっているので、 「アフリカのイブ」というのは特定の女性を指すわけではない。 さて、 いま生きている女性から任意に一人を選び、 彼女の先祖の中で最も“若い”「アフリカのイブ」を考えよう。 (ここで「自然数からなる空でない集合には最小数が存在する」を使った。)

この「最も“若い”アフリカのイブ」は、 最初に選んだ女性には依存しない。 このことは、例えば次のようにしてわかる。 「アフリカのイブ」の存在を仮定していることから、 任意の二人の女性から祖先をたどる系列はどこかで一つになる。 「アフリカのイブ」 たる性質をもつ女性が現われるのは二つの系列が一つになったあとに限る、 以下省略。

この、「最も“若い”アフリカのイブ」は、 時間の経過によってもっと“若い”女性に代がわりする可能性がある。 というのは、 彼女に二人以上の女の子がいたとして、 そのうちの一人の子孫を除いて全ての子孫が滅びてしまうことがあるからだ。

やがて人類が滅びる日がくるとして、 最後に一人の女性だけが生き残ったとすれば、 その瞬間にはその女性が「最も“若い”アフリカのイブ」となるわけだ……。

(この話、いつか書いたような記憶があるけどデジャヴュかも。)

2000-05-10 (3) 03:03:15 +0900

何代ぐらいさかのぼったら同一人物が先祖にいるか?

自分の親は2人。 その親にそれぞれ親がいて2×2=4人。 その親は4×2=8人。 こうやって計算してみると、 ちょっとさかのぼれば膨大な数の祖先がいることになる、 という話はよく聞くけど、 その中には必ず同一人物がいるはずだ。 そうでなければ、何代かさかのぼったところで、 いままで生まれて死んできた人間の総数を越えてしまうだろう。

そこで考えてみるのだが、 こうやって考えた祖先全体の樹形図の中に複数回登場する人物のうち、 自分に最も近い人は何代さかのぼったところに出現するのだろう?

私の場合、 聞かされている範囲ではそのような人の具体的な存在すら知らないが、 いとこ婚で生まれた人は3代さかのぼればそのような祖先に出会うわけだ。

2000-05-10 (3) 02:30:03 +0900

蔵書印は認め印で代用するのが合理的?

わざわざ蔵書印を買わなくても、 必要なら認め印で代用すればいいのではないか。 認め印は、日本で暮らしてゆくにはどうしても必要だ。 それを代用すればムダがない。

私自身、ゴム製の蔵書印を買ってもっているが、 あまり使っていない。

2000-05-10 (3) 02:22:18 +0900

タイトルが《蔵書印は認め印で代用する合理的?》となっていたのを直した。

2004-01-22 (4) 02:18:58 +0900

昔の、左手で字を書く練習の帳面を捨てた

大学生のころから、左手で字を書けるようになりたい、と思っていた。 猛烈なスピードで黒板に書く先生がいて右手が疲れるので思いついたのかも知れない。

部屋を整理していたら、 「左手のためのれんしゅうちょう」が出ていた。 ただの帳面に、左手で字を書く練習をしたものである。 あいうえおアイウエオやいろは歌、 アルファベットに数字を毎日少しずつ書いていたようだが、 こんなものをとっておいてもしかたがないので破棄することにした。

ただし、白紙の部分は捨てないで残し、落書き用紙にする。 その後の私の経験では、 たいくつな会議などの際に算用数字を書き散らすのが効果的なようだ。 算用数字は字種が少ない割に、 いろいろな形のストローク(直線・曲線など)を含んでいるように思う。

2000-05-09 (2) 23:36:00 +0900

飛行機内でもらった Toothpick & Dental Floss を試してみたがいまいち

机の回りを整理していたら、 もう十年以上も前に Cathay Pacific に乗ったときもらった Toothpick & Dental Floss が出てきたので、 試してみた。

プラスティックの枠の、 弓状になった部分に2センチ弱の長さのフロスが張ってある。 普通のデンタルフロスを指に巻いて使う場合、 もし万が一、歯の間から抜けなくなったら、 フロスを片方の指からほどき、 その端を歯の間を通して抜くことができる。 しかし、これだとその方法が使えないのでなんだか不安だ。

枠には握りがついていて、その反対側の端がとがっており、 これが Toothpick であることには、きょうやっと気がついた。

2000-05-09 (2) 23:11:00 +0900

KDD は「ケイディディ株式会社」、KDDI は「株式会社ディーディーアイ」

……だそうだ。 「ディ」と「ディー」の違いが面白い。 ところで、 10 月に DDI と KDD と IDO が合併して KDDI になるらしい。

2000-05-08 (1) 22:14:25 +0900

昔のゲーセンではセカンドプレーヤー側レバー・ボタンにヘタリが少なかった

その昔、 大学周辺のゲーセンでゼビウスとかをやっていたころ、 セカンドプレーヤー側の席が使われるのは二人プレイのときのみだったので、 そちらのほうがレバーやボタンがヘタっていなくてやりやすかった。 うまい人と行ったときはそちらを譲るのがエチケット。

いまの格闘ゲームとかは、 一人プレイでもセカンドプレーヤー側にコインを入れればそっちでできるんだったっけ?

2000-05-07 (0) 14:40:48 +0900

ゲーセンで見かけた、二人プレイのゲームに関する注意書き

インベーダータイプのシューティングゲームを、 金沢駅のゲーセンで見た。 キャプチャーされている味方機を救出すると味方にできるやつ。 昔さんざんやったけど名前忘れた。 それにくりそつ。 お店の人が貼ったと思われる注意書きがあって、 「二人プレイのときは一人がやられてからもう一人の番になります、 同時プレイではありません」 というようなことが書いてあった。 いまの若い人は格闘ゲームの要領で対戦や連携プレイができるかと思っちゃうかもね。

2000-05-07 (0) 14:36:31 +0900

続・マーラーの第9をスコアを見ながら聞いているが、きちんと聞けているか

「どこで読んだか忘れたのだが、 この曲は対位法的手法が駆使されているので、 ぼんやりと主たるメロディーだけを聞いているのと、 スコアを見て対旋律まで聞き取るのとでは理解の深さがまるで違ってくるそうだ」 と書いたのは、 どうやら柴田南雄「グスタフ・マーラー」(岩波新書 黄 280)のことらしい。 165 ページ。 ただし、読み返してみると、 ここで言われているのは第一楽章のみだった。

2000-05-07 (0) 13:39:20 +0900

ワルターの 1938 年盤「マーラー9番」のCD解説に Gramophone とある

先日、 雑誌「グラモフォン Japan」の 「グラモフォン」の綴りが Gramophone だと書いたが、 ブルーノ・ワルター/ウィーンフィルのマーラー「交響曲第9番」 (1938 年 1 月 16 日)のCD (EMI から発売、CDH 7 63029 2) の解説書 4 ページには The Gramophone Company とある。

2000-05-07 (0) 13:28:45 +0900

旧約聖書「列王記上」によれば円周率は3

学習指導要領が変わり、 円周率を3として計算させるとか言われているが、 これは旧約の時代に帰るようなものだ。 旧約聖書「列王記上」7.23 に円周率を3としている箇所があるからだ。

《彼は鋳物の「海」を造った。 その縁(へり)から縁まで十アンマ。 円形で、その高さは五アンマ、 周囲は縄で測ると三十アンマ》 (岩波版、訳者は池田裕)

もしも聖書を全く誤謬のないものと考えたいなら、 いろいろな理屈をつけることが考えられる。 例えば、 「周囲」というのは胴の部分の周囲であり、 「縁」は口の部分で少し大きくなっているとか。

あるいは、 この「海」をとてつもなく大きなものと考えることもできる。 平面上の円については円周率(円周と直径の比)πは3より大きい。 地球の表面上に書かれた円は、 実際には球面の上に書かれているので、 「円周率」はπに等しいとは限らない。 たとえば、 北半球そのものを巨大な円板と考えると、 直径(地球の表面に沿って測るものとする)は地球の大円の半分であり、 円周は大円だから、 「円周率」は2である。 「円周率」は十分に半径が小さければ3より大、 十分に半径が大きければ3より小であり、 半径を連続的に変化させれば円周の長さも半径の長さも連続的に変化するから 「円周率」も連続的に変化する。 よって、ある半径で「円周率」はちょうど3になる。

数量的に求めたければ、 この円の半径を地球の中心から見た角度をΘとし、 「2πsinΘ = 2Θ×3」を解けばよい。 0とπ/2の間に解が存在することはすでにわかっているから、 両辺のグラフを考えれば解がただ一つであることは明らかで、 それはπ/6、すなわち30°である。 すると地球一周が60アンマとなり、 1アンマは20000キロメートル/60で333キロメートルとなってしまう。 (実際には1アンマは約45センチメートルとされている。)

まてよ、地球が丸いことは聖書に書いてあったっけ?

2000-05-06 (6) 20:03:34 +0900

2000-05-05 (5) の日記

夕方、浅野川に沿って散歩。 小立野へ上がりかけたが、 車が結構とおる道なのに歩道が途中までだったので引き返してきた。

帰って、 トマトジュースとミルクのカクテルを作る。 ちょっと前に思いついて試したくてたまらなかったやつ。 まあまあいける。 わざとかき混ぜないでおくとしましまの模様がおもしろい。

前に中断していた、 『自作 FEP 「てふてふ」全角文字一覧入力の図』 を完成。

ほかにやることがあるだろ?>自分

2000-05-06 (6) 02:24:48 +0900

2000-05-04 (4) の日記

駅近くの本屋さんでファーバーカステルの鉛筆削りを発見。 普通の鉛筆用と太目の鉛筆用の二穴あいていて、 削りくずがたまるプラスティックのケースつき。 ツートンカラーで3種類あったが、 黄色と黒のコンビのが欲しくなった。 すごく欲しくなった。 欲しい。 200 円。 「買え」「買いなさい」「買えば楽になる」 との悪魔の囁きにかろうじてうちかって店を出た。

駅の建物にある、 アイヌ語起源の名前をもつ某ビールメーカー系のビアレストランで夕食。 長い串カツとやらを注文したら、 ひょっとしてパラコンパクト性を満たしていないんじゃないか(注) と思うほど長かった。 僕らの世代なら4〜5人分だ。 あとはビアホールサラダをとって、 私はいつもの黒ビールの中ジョッキ。 幸せ……そうな人たちが多かった、 あたりを見回すと。

注) パラコンパクトでない連結な一次元多様体「長い直線」にかけたしゃれ。

2000-05-06 (6) 02:21:04 +0900

聖書の五十音順目次は厳密には五十音順ではない?

聖書に、五十音順目次がついていることがある。 手元の新しく出た「文語訳 新約聖書 詩篇附」にもついているが、 「コリント人への前の書」「コリント人への後の書」の順ということは、 「前」「後」を「まえ」「あと」と読むのではない、ということだ。 「さき」「のち」とでも読むのだろうか? と思ったが、 「ヨハネの第一の書」「ヨハネの第二の書」「ヨハネの第三の書」 の順ということは、 厳密な意味での五十音順ではないということか。 「に」より「さん」のほうが前のはずだから。

だいたい、 「ヘブル人への書」が「ペテロの前の書」より前なのはへんではないか。 調べてみたら、 この逆転は 1982 年の「舊新約聖書」以来のようだ。 旧約のほうも見てみると、 「ヱレミヤ……」が「エ」 のところにはいっているのはオトで並べているのだと理解するとしても、 「ヱレミヤの哀歌」「ヱレミヤ記」の順はへんだ。 「ヨブ記」「ヨナ書」の順もへん。 (関係ないけど、「ヨシユア記」の「シ」が小さい活字になっているのもへん。)

2000-05-04 (4) 23:51:16 +0900

1980 年以前の文語訳新約聖書の訳注の凡例から“はずれた”部分

凡例には「……稀に附しある符號*印は改譯者の覺書のある箇所にして……」 とあるがヨハネ傳 21.15-17 には△印も登場する。

ここはイエスが agapao で尋ねているのにペテロが phileo で答えてしまうところだ。 「*と△と原語を異にす」 というのは、つけてはいけないたぐいの訳注だと思う。 原語が違うことをわかってほしいのなら訳文だけでわかるようにしないと。 岩波版(訳者は小林稔) は phileo を「ほれこんでいる」としている。 しかし、巻末の補注によると単なる言い換えというのが通説のようである。 口語訳・新共同訳はいずれも「愛する」とし、 訳しわけていない。

2000-05-04 (4) 21:22:52 +0900

文語訳新約聖書の訳注のつけかたは版ごとに違う

1980 年以前の版では本文の該当箇所に「*」をつけ、 各文書の最後にまとめて注がある。

1982 年版では本文の該当箇所に A, B, C, ... などと文書ごとの通し“番号”を振り --- ただし Z までいったら A からくり返し ---、 その章末(章に分かれていない文書では文書末)に 「A二」などとして注をつけている。 この「二」は「注 A は二節にある」の意味である。 2000 年に出たのはこれと同じ版。

1984 年版では本文の該当箇所にページごとの通し番号をつけ、 上段は上段の、下段は下段の、綴じに近い部分に注が記されている。

こんなに体裁を変える理由はなんなんだろう? 変えることで誤りがはいり込むこともあるだろうに。

2000-05-04 (4) 21:09:14 +0900

憲法のかなづかいはなぜ旧かなづかいのまま?

現代かなづかいがこれだけ定着したのだから、 憲法も現代かなづかいに改めるほうがいいと思うのだが。 あるいは、現代かなづかいを提案した時点で、 提案した側が憲法全文を書き換えてみせるべきだったんじゃないだろうか?

綴り字改革を行なったほかの国(ドイツなど)では、 法律の書き換えは自動的には行なわれていないのだろうか?

2000-05-04 (4) 20:45:08 +0900

日本国憲法第9条には新旧かなづかいでつづりが違う語は含まれていない

日本国憲法は(いわゆる)歴史的かなづかいで書かれているが、 第9条は現代かなづかいに改めても全く書き換える必要がない。

2000-05-04 (4) 20:40:05 +0900

5月4日に日の丸を揚げている家・交番があったけど

毎日揚げることにしています、というのならそれで結構だが、 国民の祝日とかん違いしていないだろうか? 5月4日は単なる「休日」に過ぎない。

2000-05-04 (4) 20:36:12 +0900

バプテスマのヨハネの母親の名はエリザベツじゃなくてエリサベツだった

「おや、文語訳はエリザベツと濁らずにエリサベツだったのか」 と驚いたが、 口語訳も新共同訳もエリサベツあるいはエリサベトと濁らないのだった。

30年ほどの間、ずっと間違って読んでいたことになる。

岩波文庫の塚本虎二訳もエリサベツ。 ただし岩波版(ルカ福音書の訳者は佐藤研)はエリザベト。 原語は「’Ελισαβετ」だから濁らないのが正しいのか?

2000-05-04 (4) 20:29:12 +0900

口語訳聖書の「嗣業(しぎょう)」、文語訳の「役者(えきしゃ)」って何?

前者はヨシュア 14.1, 後者はルカ 1.1 に見られるが、 広辞苑第5版、新字源には載っていない。

新共同訳でも「嗣業」は使われているが、 巻末で説明されている。

2000-05-04 (4) 03:01:02 +0900

雑誌「グラモフォン Japan」はレコード会社のグラモフォンとは関係ない?

「グラモフォン Japan」という雑誌がある。 たとえば4月26日づけ朝日新聞大阪本社版第一面に広告が出ている。 グラモフォンの綴り字は Gramophone だ。 最初はレコード会社のグラモフォンと関係あるのかと思っていたが、 そちらの綴りは Grammophon だ。

2000-05-04 (4) 02:49:28 +0900

補・今の私のインターネットメールの読み書きのしかた

今の私のインターネットメールの読み書きのしかた 2000-01-12 (3) 02:37:30 +0900」で、 5 インチフロッピーに一時的にファイルを置いているように書いたが、 いまは RAM ディスクに置くようにしている。 RAM ディスクドライバは職場の先輩の自作。

2000-05-04 (4) 02:45:06 +0900

上のリンクはいまはった。 元は a href がなかったのだ。

2004-04-28 (3) 21:09:35 +0900

本を読んでいるとき、きちんと読めたか不安になる

通勤途中に新しい本を読まない理由だが、 「こんな環境できちんと読めているだろうか?」 と不安なのもその一つだ。 「家に帰ってから、落ち着いて読み直したほうがいいんじゃないか?」 と思って結局また読み直すことになる。

一度読んだ本なら「前に読めたのだから」と少し安心だ。

2000-05-03 (3) 14:17:09 +0900

マーラーの第9をスコアを見ながら聞いているが、きちんと聞けているか不安

最近、またマーラーの交響曲第9番を聞いている。 どこで読んだか忘れたのだが、 この曲は対位法的手法が駆使されているので、 ぼんやりと主たるメロディーだけを聞いているのと、 スコアを見て対旋律まで聞き取るのとでは理解の深さがまるで違ってくるそうだ。 しかし、スコアを見ていても、 「本当に自分はマーラーの書きたかった音をすべて聞いているのか? 聞き落としはないのか?」 と気になって落ち着かない。

2000-05-03 (3) 14:13:58 +0900

Wizardry の不確定名「やつれた姿」ってデルフズミニオンだけだったのか…

ウィザードリィはさんざんやりこんだが、 モンスターの不確定名までは覚えていなかった。 最近、 私自身がちょっとやつれているので 「不確定名 やつれた姿」というペンネームを使おうかと思って攻略本を見たら、 「やつれた姿 Gaunt Figure」を不確定名にもつのは 「デルフズミニオン Delf's Minion」 だけなのね。 こいつらは「デルフ Delf」に挑み失敗した連中のなれの果てだったのか。 デルフの不確定名は「生ける伝説 Living Legend」。

そうか、私のやつれの原因は生ける伝説だったのか。(いみふめ)

2000-05-03 (3) 14:07:58 +0900

「強羅」は go round の転訛?

広辞苑(第2版、第4版、第5版で確認済み)はその説をとっている。 もしそうなら、 「ゴーラ」ではなく「ゴウラ」と発音していた私は正しかったことになる。

参考: 「強羅」を「ご+うら」 だと思っていた話 1998-05-23 (6) 01:03:20 +0900

2000-05-03 (3) 13:41:59 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグがなかったのだ。

2004-04-28 (3) 21:02:10 +0900

デスマスクをとっている最中に蘇生したらそれはライフマスクになるのか?

本文ナシ。

2000-05-03 (3) 13:27:18 +0900

ライフマスクをとっている最中に窒息死したらそれはデスマスクになるのか?

本文ナシ。

2000-05-03 (3) 01:23:09 +0900

2000-05-02 (2) の日記

菜摘ひかるの著書2冊を読む。 「恋は肉色」(光文社文庫)と 「風俗嬢菜摘ひかるの×性的冒険」(洋泉社)。 そうかあ、彼女の言ってることを自分にあてはめてみるなら、 いい数学教師になるには自分が本当に数学を好きでなきゃだめだよな、 それには……などと考えたが、 しかし、教師ってのは学生さんが一人ついてくれたからいくら収入が、 ってもんじゃないしな、とも思ったりもした。

めまいがするのは床の中であお向けで本を読むのがいけないのかもしれない。

2000-05-03 (3) 01:12:37 +0900

著書名に伏せ字を設けました。 元は零以上の文字からなる文字列です。

2004-04-28 (3) 20:58:41 +0900

2000-05-01 (1) の日記

きょうはすっかりよくなったと思っていためまいが、 授業中、教壇の上で発生。 教卓においたテキストをみようと下を向いたり、 黒板の上のほうに書こうとして上を向いたりすると起こるみたいだ。 ひっくり返るほどではなかったが、 さりげなく教卓の端につかまったりしてしのいだ。

ところで、 この建物の教室は黒板が高いのか教卓が低いのか、 (自称)身長173センチ、体重5?キロ、 バーチャファイターのサラ・ブライアントと全く同じ体型の私 (ただし座高はだんぜん私が勝ってる) が手を伸ばしても黒板の一番上まで手が届かない。 どういう設計なんだ。

授業の終わったあと、 なんだかものすごくおなかがすいているような気がしたので、 生協食堂で普段はあまり食べないハンバーグを注文した。 みそ汁も、いつもより10円高い赤だしみそ汁にしてみた。 リッチ。

学生係によって、 返却を頼んでおいた先学期のテストの答案の残りを引き取って帰る。 けっこう残っているな。 せっかく書いたコメントが読まれなかったのかと思うとちょっとさびしい。 裁断機にかけて処分した。

夕方。天気がいいので歩いて帰る。 帰りの時間帯なので自動車が多い。 こんなに多かったか。 八重桜がすこしだけ咲き残っていた。 「あわれてふことをあまたにやらじとや春におくれてひとりさくらん」 (紀としさだ、古今和歌集 136)

浅野川にでて川べりの道を歩く。 サクラの並木はもうすっかり青葉に包まれている。初夏の夕ぐれ。 若松橋を渡ろうとしたら、 近くの某美大からいつものタイコの音が聞こえてくる。 こんなところまで聞こえるのか。 この音は、最初はどこから聞こえてくるのかわからなかったのだが、 とにかく、うちにいて夕方になるとどこからともなく聞こえてくる。 ズンチャッ、ズンチャッ、ズンチャッ、ズンチャッ、ズンチャッと、 いつ果てるともなく、数時間続く。 日が暮れてもやまないときもある。 あるとき、 この某美大の大学祭の宣伝パレードだかなんだかと道で出会った。 そこで彼らの一人が叩いていたドラムのリズムがこれだったので、 彼らのしわざだとわかったのだ。 そう思って聞くと、たしかにこの音はその某美大の方角から聞こえてくる。 知り合いの知り合いに、 この某美大に勤務する先生がいるのだが、 「あれが唯一のストレスの発散方法みたいですから大目に見てやってください」 とか話していたそうだ。 この先生は大学では勉強をしないことにしているな、 と私は理解した。 私はあの音が聞こえる中ではとても数学はできない。 もしも子供がいたらとっくにここからは引っ越していただろう。 現代の「孟母三遷」は学校の近く「から」引っ越すのである。

2000-05-03 (3) 01:08:18 +0900

カタカナがき名簿が見にくいのは「カタカナだから」ではない

コンピュータ処理した名簿はカタカナ書き、という時代があった。 「カタカナで書かれた名簿は記号の列で、 見ても全く顔が浮かんでこない、やはり漢字に限る」 というようなことを言っていた人がいたが、それはどうか。

私の教えた学生さんの一人に、 ちょっと変わったカタカナ名前の人がいた。 漢字で書くかひらがなで書くかすればよくある名前なのだが、 カタカナであるところが変わっているのだ。 いわゆるかな漢字変換式の入力で彼女の名前を打ち込もうとすると、 普通名詞でもあるので、まずは漢字ででてしまう。 漢字で書かれたのを見ても、 とても彼女のイメージは浮かばない。

だから、 カタカナがき名簿が見にくいのは 「普段と違う文字で書かれているから」ということなのだろう。

注) いま goo で検索したら、 そのカタカナ名前は結構はやっているみたいだ。 何千というオーダーでヒットした。

2000-05-03 (3) 00:53:00 +0900

「LUCi ルーシィ」という名前の雑誌

の広告が1999年6月26日づけ朝日新聞大阪本社版国際面に出ている。 出版元は扶桑社。 「シィ」が「シー」とは違う音を表わすのかどうか興味深い。 アルファベットのつづりで最後の I だけが小文字なのは カナの最後の「ィ」が小さいのと関連させている?

2000-05-02 (2) 00:35:02 +0900

「リン ウェイ ツゥ」という朝日新聞「ひと」のふりがな

1999年6月7日づけ朝日新聞大阪本社版総合面の「ひと」 に林威助さんが出ているが、 ふりがなが「リン ウェイ ツゥ」だ。 この小書きの「ゥ」を「ツ」に添えた「ツゥ」 が日本語としてはどういう音を表わすのかはっきりしない。 本人が書いているのか、記者がこう書いたのか。

2000-05-02 (2) 00:27:28 +0900

ロマ人という言い方が普及すると「ロマ人への書」が誤解されるかも

1999年10月11日づけ朝日新聞大阪本社版国際面に 「ロマ人隔てる 差別の壁」 という記事がでている。 《ジプシーと差別的に呼ばれることもあるロマ人》 の「ロマ人」だが、 口語訳での「ローマ人への手紙」 を文語訳聖書では「ロマ人への書」と訳し、 「ロマ書」と略記してきた。 誤解が生じるかもしれない。

2000-05-02 (2) 00:09:03 +0900

「ぺニシリン」という朝日新聞の誤植

1999年10月3日づけ朝日新聞大阪本社版家庭面の 「明日も夕焼け」(著者は猪瀬直樹氏)に 「ぺニシリン」という誤植がある。 「ぺ」はひらがななのだ。 これもOCRの読み取りミスか?

2000-05-01 (1) 23:55:25 +0900

朝日新聞コラム「キュー」の誤植「女牲」

1999年8月20日づけ朝日新聞大阪本社版ラジオ面のコラム 「キュー」の誤植は「女牲」。 正しくはもちろん「女性」。

ずっと前に傍線だけ引いてコメントをつけずにおいたら、 どこが間違いだかわからなくなってちょっと時間がかかった。

2000-05-01 (1) 23:49:38 +0900

通勤時に本を読むと、虫がはさまって本が汚れることもある

本文ナシ。

2000-05-01 (1) 23:34:05 +0900

「無彩色」は広辞苑第5版でやっとはいった

第4版には載っていないし、 平凡社の「世界大百科事典」(CD−ROM版) にも見出しとしては出ていなかったので記憶の間違いかと思っていろいろ調べてしまった。

2000-05-01 (1) 23:31:00 +0900

新しい「新約聖書詩篇附 文語訳」は無彩色のカバーなので会葬御礼にも

使えるかもしれない。

2000-05-01 (1) 22:45:07 +0900

新しい「新約聖書詩篇附 文語訳」を本屋でよく見かけるようになった

出てすぐにはなかったのに。

2000-05-01 (1) 22:43:15 +0900

《生命と闘っている小渕さん》という森喜朗氏の発言

4月5日づけ朝日新聞大阪本社版社会面に、 森喜朗・自民党幹事長が 《「生命と闘っている小渕さんのことを考えていただきたい」 と小渕氏を思いやった》 とあるのだが、 生命と闘っている場合、 勝利したら死んでしまうのではないか?

2000-05-01 (1) 02:55:10 +0900

大阪方言の「もてへんかった」がわからなかった

4月13日づけ朝日新聞大阪本社版第2石川面に 「三枝の笑ウインドウ」が載っているが、 そのなかの 《小遣いが一週間しかもてへんかったんや》 の意味がわからなかった。 「もてなかった」の意味かと思ったのだがそれでは意味がとおらない。 「もたなかった」なのだった。

2000-05-01 (1) 02:51:14 +0900

英語の will に「ヴィル」とふりがなが

4月12日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面に 「平成の伊能忠敬 ニッポンを歩こう」 という記事が出ている。 その写真の一枚に 《カナダ人英語教師のパトリシアさんは、 出発式で英語でげきを飛ばして参加者を励ました》 とあるのだが、 写真にうつっている紙には 「We will go to Susaki」という英文に 「ウイ ヴィル ゴー ツー 須崎」とふりがなが振ってある。 will は「ウィル」が普通だと思うのだが。

「この人はドイツ語なまりがある」 「普段は『ウィル』と発音しているのだが『ヴィル』が正式だと思っている」 「この紙は英語をよく知らない他の人が書いた」 など、 いろいろ考えてしまった。

2000-05-01 (0) 02:46:58 +0900

長谷川眞理子の「フェルマーの最終定理」の書評

3月26日づけ朝日新聞大阪本社版の読書のページで、 長谷川眞理子氏がサイモン・シン著 青木薫訳「フェルマーの最終定理」(新潮社) を紹介している。

《フェルマーの最終定理とは、 Xn+Yn=Zn の式には、 n が 3 以上のときに整数解は存在しないというものだ》 の「整数解」は「自然数解」の誤り。 そうでないと Y=0 という自明な解が出てきてしまう。

その次には 《n が 2 のとき、 この式は 「直角三角形の斜辺の二乗は、 他の二辺の二乗の和に等しい」 というピタゴラスの定理である》 とあるが、 「ピタゴラスの定理」は命題であって「式」ではないので、 この表現はおかしい。

2000-05-01 (1) 02:39:03 +0900

朝日新聞の論壇で「LD」に「エル・ディー」でなく「エル・ディ」と読みが

4月15日づけ朝日新聞大阪本社版論壇 「LD児に理解と配慮を」 に 《「LD(エル・ディ)」》 とふりがなが振られたところが出てくる。 「ディー」ではなく「ディ」だ。 これでは、 その前の《LD児》は「エルディジ」になってしまうではないか?

2000-05-01 (1) 02:24:54 +0900

3D迷路ゲームに、上を見上げると床が回るワナを置いたら?

昔、ウィザードリィなどの3D迷路RPGに夢中だったころ、 真の3D迷路を作ってみたいと思ったことがある。 今ではたいていのゲームは3Dであり、 実際の町や建物の中を歩いているような感じを味わえるが、 そのころ作ろうと思ったのはそれほどだいそれたものではない。

ウィザードリィなどは3D迷路といっても、 実は平面を数メートル四方のマスに分けて 「ここは壁、ここは部屋、ここは石」 などと決めて作った地図を冒険者の視点から表示しているにすぎない。 地下1階から地下2階に降りても、 別のマップにワープするだけで、 地下1階と地下2階の地図は別物だ。

私が考えていた3D迷路は、 空間を数メートル四方×数十センチメートルの直方体に分ける。 多くの部分は石が詰まっているが、 空間になっている部分もあるとする。 たとえば幅がこの直方体1つ分、 高さが4つ分の空間が手前から奥につながっていればそこは道とみなせる。 少し進んだところで“床”と“天井”が一マス分あがっていれば、 そこで段をのぼったと考える。 “床”だけあがって“天井”がそのままなら天井が低くなったわけだ。 だらだらと坂をのぼりながらくねくねと曲がり、 いつの間にかさっき通った空間の上を歩いている、 なども表現できる。 キャラクタに上を見上げさせることも可能だ。

上を見上げると床が回るワナ、 ってのは二三日前に考えた。 体調が悪くて上を見上げるとめまいがするから。

2000-04-30 (0) 23:54:09 +0900

職場あてのメールの読み方の変更に関するメモ

※ このやり方は重大な不都合を引き起こすことがわかりましたので、 絶対にお勧めしません。 くわしくは「補」をお読みください。

2000-03-29 以降、 職場のマシンあてのメールはマシン内に残し、 必要なものだけを個人アカウントに uuencode して送るようにした。 (それまではバッチファイルを使ってなるべく早くフロッピーに移すようにしていた。)

.forward に

\sunomono, "| /usr/ucb/mail -s\[Fwd\] sunomono◎muf.biglobe.ne.jp"
と書いて一通ずつ自動転送することも考えたが、 行頭にティルダをもつ行がメール本文にあると Mail に解釈されてしまうのでまずい。 sed をにわか勉強して
\sunomono, "| sed -e s/^~/~~/ | /usr/ucb/mail -s\[Fwd\] sunomono◎muf.biglobe.ne.jp"
としてみたが本文が空のメールがくるだけ。よくわからない。 いったんはあきらめかかったがよくわからないのは .forward の仕様のような気がして .forward を
\sunomono, "| /export/home/member/sunomono/.forward.script"
とし、.forward.script を
sed -e s/\^~/~~/ | /usr/ucb/mail -s\[Fwd\] sunomono◎muf.biglobe.ne.jp
としてみたらうまくいった。

注) 上の例のアドレス等は、 私の実名が出ないよう適宜置き換えてある。

2000-04-30 (0) 22:53:24 +0900

補: もしも転送先アカウント側に事故が起き、 メールを受け取れなくなって MAILER-DAEMON から発信人にあててエラー通知のメールが送られる事態が起きたとする。 スクリプトで処理されたメールの発信人は自分の転送元アカウントとなるので、 それに対してのエラー通知は自分の転送元アカウントに送られる。 すると、それがまたスクリプトで処理されて新しいメールが発信される。 これをくりかえすことでメールが“無限増殖”するのである。 よって、このやり方は絶対にお勧めしない。

2001-09-03 (1) 02:15:10 +0900

メールアドレス内の「@」を「◎」で置き換えた。

2005-01-30 (0) 20:07:13 +0900

Tコードの練習はフォースの修行でかな漢字変換はフォースのダークサイド?

私は、Tコードが使える 98 用 FEP を自作するまで、 (いわゆる)日本語はパソコン上では使っていなかった。 必要ならローマ字で書いていたのだ。 よって、日本語を打とうとすればTコードを使うしかない。 そうやっているうちに(ある程度)Tコードを覚えたわけだ。

その後 MS-DOS 以外のマシンも利用するようになり、 やむなくかな漢字変換も使い始めたが、 かな漢字変換とTコードは私の頭の中では両立しており、 滅多なことでは互いに干渉しない。

ところで、もしも最初にかな漢字変換を覚え、 それでパソ通をがんがんやっていたとして、 それからTコードに乗り換えたとしたら、 かなり大変だったのではないか。 というのは、 Tコードに乗り換えたとたん、 コードを知っている文字しか打てなくなるからだ。 書きたいことはいっぱいあるのにコードを知らないから打つことができない。 完全に練習が終了してからTコードに乗り換えればよいのだが、 練習の途中で「やっぱりかな漢字変換でいいや」と思ってしまうかもしれない。

そう思うと、 Tコードの練習はフォースの修行で、 かな漢字変換ははいるのが容易な、フォースのダークサイドなのかもしれない。

かつて学生の一人にTコードを教えたことがある。 いわば私の“パダ・ワン”だが、入門の段階で(大学を)卒業してしまった。 その後はダークサイドに“落ちて”しまったらしい。 今度ひさしぶりにあったら首を刎ねられたりして。

2000-04-30 (0) 22:36:24 +0900

イエスが弟子の足を洗う記事(ヨハネ伝)の「足」は文字どおり足?

ヨハネ伝 13 章にイエスが弟子の足を洗う記事があるが、 この「足」は婉曲表現ではないのだろうな。 (「足」が婉曲表現である例は旧約にあり。)

2000-04-30 (0) 22:14:00 +0900

オビ・ワンはアナキンについて When I first knew him と言っているようだ

「スターウォーズ ジェダイの復讐」の中で。 この know は婉曲表現ではないのだろうな。

2000-04-30 (0) 22:11:53 +0900

「お絵描き」の意味は普通の国語辞典でわかるか?

パソコンなどで絵を描くためのソフトを 「お絵描きソフト」と呼ぶことがあるが、 この「お絵描き」は広辞苑には出ていない。 「絵描き」をひくと“絵を描く人” のほかに“絵を描くこと”という意味がでているので、 これに「お」が付いたものと理解すべきだろうが、 この意味は小型の辞書には出ていない。 よって、絵を描く人、の意味の「絵描き」に「お」をつけて丁寧にした語、 と解釈されても不思議はない。

ただし、職業名に「お」がつく例は思いつかない。 「お女中」だと意味が変わってしまうし。

2000-04-29 (6) 18:52:00 +0900

2000-04-29 (6) の日記

昼ごろ起きる。

天気がいいのでふとんを干すことにした。 ふとんをあげるのはたぶん学会から帰って以来だからちょうど1カ月ぶりか。 数日前から続いているめまいは相変わらず。 でもベランダの手すりではなくベランダ内に干すので私が転落する心配はまずない。 裏表と、どちら側を日に当てるかを変えるので、 最初の1回もこめて全部で4回、 干しなおすことになる。

その間、 ずっと読みかけだった菜摘ひかる「池袋イメクラ日記」(二見書房)を読了。 しおり代わりのポストイットは貼りっぱなしにしておくと跡が残る。 今回はセーフだったけど。 前に同書に言及したのは 1999-01-18 (1) 22:59:40 +0900 だから一年以上ほったらかしにしていたわけか。 ダイニングキッチンの私の席はこの時間帯には光線の具合がちょうどよくて本が読みやすい。 道の騒音も気にならない。 今度っからここで仕事しようか? 仕事の本はまた別か。

まだ時間があるので寝室の掃除。 いまは事情あって28箱(注) のダンボール箱とカウンターテーブルに囲まれた狭い空間で寝ているので、 ものを動かすのも容易でない。 テレビも置いてあるが、 ふとんに寝るか上に座るかしてカウンターテーブルの下を通して見るしかない。 寝てみるときはテーブルの足がじゃまなので頭の位置を工夫する必要がある。 不便なようだけど、 カウンターテーブルの裏面でテレビ画面が反射するので、 夕焼けのシーンだったりすると感動が2倍になる。 掃除のほうは、 私は掃除機が好きでないので、 手でホコリをかき集めて捨てるだけだ。 この部屋は北東に面しており午後になると暗くなるので、 日のかんかん当たるベランダでふとんを干しなおした直後は “暗闇”に目を慣らさないとものが見えない。

注) メールなどで「36箱」と聞かされたかたもあろうかと思いますが、 全部は寝室にはいらないので4箱は書斎の入り口に、 もう4箱は寝室の入り口においてあります。 おかげで寝室の戸は閉めてしまうと手をかけるところが箱に隠れてみえないんだなあ。

ついでに、 冬のあいだ使っていたオイルヒーターをしまう。 寝る時だけ、 これをつけて室温をほんの少しだけでもあげないと、 顔が寒くて眠れないのだ。

郵便受けを見にいって、 ついでに中のほこりをティッシュでぬぐう。 前に掃除したのはいつだったけ?

2000-04-29 (6) 18:49:06 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-09 (2) 22:33:45 +0900

「わが強いチーム」というのはやや破格に感ずるが、なぜだろう?

マーシャ・クラッカワー先生担当のNHKラジオ「英会話」 を聞いている。 目的は(もちろん)英会話の学習だが、 バイリンガルであるマーシャ・クラッカワー先生の日本語を観察するのも面白い。 ネイティブと全く変わらないのだが、 ごくまれに、 (東京方言の)ネイティブである私にはちょっとひっかかる言い方が出てくるのだ。 (ただし、観察するのは日本語について考えるヒントを得るためであって、 先生の日本語をあげつらうためではない。)

昨年10月29日放送分の「わが強いチーム」という言い方。 「強いわがチーム」なら OK だと感ずる。 「わが」はやや文語的であるため、 次の名詞との間の結合が強く、 間に形容詞をはさむことはしないのではないか、 という仮説をたててみたが、 「わがよき友よ」 (フォークソングの題名、文字使いはこのとおりだったかどうかわからない) という反例がすぐ見つかった。 しかしこの「よき」は文語の形容詞だ。 もしも「わがよい友よ」とすればこれはヘンだ。

2000-04-29 (6) 18:45:26 +0900

万葉がなは漢字とは別に文字コードが振られるのか?

そんなことないよね。:-)

2000-04-29 (6) 18:29:55 +0900

中島みゆきの「御機嫌如何」の歌詞「人形たちのようなヒロイン」について

いくつか疑問があるが一番気になるのは 「人形たちのようなヒロインじゃあるまいし」の部分。 翻訳調に単複を使い分けている歌詞ではないので、 ここで人形が複数になっている理由がわからない。 「人形のようなヒロインたちじゃあるまいし」ならまだわかる。 もしかして(複数の)人形が合体して(一人の)ヒロインになる、 ということ? 単にメロディーとの関係か?

2000-04-29 (6) 18:25:38 +0900

中島みゆきの「もう桟橋に灯りは点らない」の歌詞について

中島みゆきのアルバム Love or Nothing の第2曲目 「もう桟橋に灯りは点(とも)らない」 だが、まず 《……あの桟橋でいつもかくれて逢っていた二人》 というのがわからない。 桟橋でかくれるところといえば水面近く、桟橋の下、 柱のかげしかないのでは? その前に《まだ灯りが点っていた》というのだから、 暗闇にかくれているのではない。

それから、桟橋がビルになってしまう、 というのがどういう状況なのかよくわからない。 水中にビルを建てるのか、 それとも一帯を埋め立ててからビルを建てるのか。

2番にいって、 《星にたとえて名前つけた夏の日》 の「星にたとえて」とはどういうことなのか? 星の名前をつけたということなのだろうか? 《夜の長さが変わるのを待てない秋の日》 というのは、 秋は確かに夜の長さが日一日と変わって(i.e. 長くなって)いくが、 その変化が遅くて待てない、ということなのだろうか? 次の《冷えた指先キスで暖めた冬の日》 というのは息で暖めたほうが暖かいと思うがそれはさておき。 《似合わない互いのスーツ笑った春の日》 の「互いのスーツ」はやや破格の表現ではないか? 意味としては 「似合わないスーツ(を)互いに笑った春の日」 ということだろうか?

このあたりの点をもしも日本語を学習中の外国人に聞かれたとしたら、 うまく答えられるかどうかわからない。

2000-04-29 (6) 18:13:11 +0900

めまいがしたら中島みゆきの「時代」を歌って気を紛らわせることにした

「まわるまわるよ時代は回る」 --- おかげさまで、めまいは軽くて済んでいます。 中学一年の夏休みのめまいはひどかった……。

2000-04-29 (6) 17:52:07 +0900

蔵書印は本の本体の最初のページに押す

蔵書印の本を見ても、どこに押すかは書いてないことが多い。 これは****の作者である****先生に教えていただいたことだが、 本の本体の最初のページに押すのが正式だそうだ。 表紙でもなく、 その次の、表紙と本の本体を貼りあわせるための紙でもなく、 本の本体の最初のページである。 岩波全書でいえば書名、著者名、 「岩波全書」の文字、それに加えて鳥の絵が描いてあるページ。

2000-04-29 (6) 17:47:45 +0900

思うところあって一部を伏せ字にした。

2006-05-09 (2) 22:44:33 +0900

「新約聖書詩篇付き」の正式タイトルは「新約聖書」になってしまわないか?

手元の3冊を見ると、いずれも最初のページには詩篇についての言及がない。

2000-04-29 (6) 17:42:45 +0900

本の正式なタイトルは本体の最初のページにあるもの、と聞いたことあり

本の正式なタイトルは、 カバーや表紙に書いてあるものではなく、 本体の最初のページに書いてあるものである、 と聞いたことがある。 手元の岩波全書を例にとると、 カバーや表紙に「サンスクリット文法」 と書いてあるがこれはタイトルとはみなされない。 表紙をめくったところの見開きはこの本では白紙だが、 ここに何か書いてあってもタイトルとはみなされない。 この紙は表紙と本体を貼りあわせるためのものにすぎないから。 そして、その次の紙に書いてあるのがタイトルである。 もちろん、この本ではカバーや表紙にあるのと同じ 「サンスクリット文法」とあるので問題ないが。

2000-04-29 (6) 17:39:25 +0900

文語訳マルコ 9.44, 9.46 の注はヘン

《異本 四四および四六の二節に、 この書の四八とおなじ句あり》 とあるが、 「この章の四八」ではないかと思う。 9.48 は 「彼處(かしこ)にては、その蛆つきず、火も消えぬなり」 だ。 イザヤ書の最後の句の引用。

これは 2000 年版でもそのまま。

2000-04-29 (6) 17:30:28 +0900

1984 年版「新約聖書詩篇附」(文語訳)マタイ 24.28 の注の不揃い

ここだけ、 注と本文を区切る縦棒が抜けているのだ。

2000-04-29 (6) 17:21:35 +0900

文語訳の訳注にはふりがながないので「兀鷹」の読み方がわからない

文語訳のマタイ傳 24.28 には 《或は「兀鷹」と譯す》 と訳注があるが、 本文総ルビにもかかわらず訳注にはふりがなを振っていないので 「兀鷹」の読み方がわからない。 「パイタカ」などとふざけて読んでいたが、 おそらく「ハゲタカ」ではないかと思う。

2000-04-29 (6) 17:18:07 +0900

「兀」のオンは「ゴツ」

「兀鷹」を Google で検索して辞書を見ると,「禿鷹(ハゲタカ)」の意味らしい。

2016-12-11 (0) 23:58:30 +0900

文語訳・マタイ伝 23.14 の訳注の間違い

マタイ伝 23.14 は節全体が欠けており、 日本聖書協会の文語訳は訳注で 「異本にマルコ傳一二章一四、ルカ傳二〇章四七とほぼ同じ句あり」 と説明しているのだが、 前者は「マルコ傳一二章四〇」の誤りである。 この誤りはずいぶん昔からのもののようだ。 「舊新約聖書 引照附」 (私の手元のは 1980 年のものだが版そのものはもっと古いはず) からずっとそうなっているが、 つい最近でた 2000 年版では改められている。

2000-04-29 (6) 17:02:53 +0900

私のめまい/めまい全体の空間

きのうの晩に確かめたのだが、 上を向くと、またその時に限り、めまいがする。 回転軸は左上45度から右下45度に向かう直線。 回転の方向は、もし本当に回ったらあおむけになってしまう方向だ。

めまい全体の空間は回転軸と回転の速さの直積だから S2× ]0, ∞[ か、 などと回りながら考えてしまった。 苦しいときはつまらないことを考えるものだ。

あとになって思えば、 めまいが“治る”、 すなわち回転の速さ=0の場合も考えにいれるべきで、 よって射影平面上の R1 バンドルになるのかと思ったが、 回っている間にはとてもそこまで。

2000-04-29 (6) 16:46:19 +0900

訂正

めまいは回転だから,その全体は角速度ベクトル全体と一致する。 だから,三次元空間だった。 先日,めまいがしたとき一瞬で気づいた。

2014-12-30 (2) 21:33:01 +0900

1982 年版「舊新約聖書」民數記略 3.27 の誤植「へブロン」

正しくは「ヘブロン」。 たとえば 1 節の「給へり」、 33 節の「マヘリ人」と字体を比べてみれば、 これがひらがなであることがわかる。

2000-04-27 (4) 02:00:10 +0900

新しい「文語訳 小型新約聖書詩篇附」には訳注の説明がない

1984 年版には目次の最後に訳注についての簡単な説明がある。 これは前の版にあった文語による説明を口語訳し、 この版に合うよう改変したもののようだが、 新しいのには全く何も書いてない。 いま気がついたのだが、1982 年の「舊新約聖書」にも説明がない。

2000-04-27 (4) 01:56:12 +0900

《ここにヘロデ、博士たちに賺されたりと悟りて》の「賺す」がわからざりき

文語訳、マタイ伝 2.16 だ。 ふりがながあるので「すかす」であることはわかる。 もちろん、文章の意味はわかっているからなんとなくわかるけれど。

2000-04-26 (3) 23:44:50 +0900

文語訳聖書はまだ読みとおしていません

2000-04-04 (2) 01:36:19 +0900 の 「外出の際に読む本は、 すでに読んだ本で、家で読む本とは別にもう一冊買う」 の最後に 《今度でた、 文語訳 小型新約聖書詩篇附」も買っておこうか。 小型の文語訳は品切れになったら次はいつでるかわからないから》 と書いたので、 私が(少なくとも新約と詩篇は)文語訳を読み通した、 と思われかねないのでそうでないことをここに記しておく。

矢内原先生の「聖書講義」が文語訳を使用しているのである程度慣れてはいるが。

2000-04-26 (3) 23:39:29 +0900

上のリンクはいまはった。 もとは a href タグがなかったのだ。

2004-04-28 (3) 20:47:09 +0900

マーラー3番の終楽章とベートーベンの弦楽四重奏曲第16番第3楽章の主題

マーラーの交響曲第3番の第6楽章のテーマと、 ベートーベンの弦楽四重奏曲第16番の第3楽章のテーマは似ていると思うのだが、 そう書いてあるのを見た記憶がない。 ドシラソラシドレミレだ。 もっともマーラーでは最初にソがつくが。 よくありそうなメロディーだから言及しないのか?

2000-04-26 (3) 23:29:44 +0900

音楽之友社のマーラー「交響曲第9番(改訂版)」は「校訂版」では?

ドイツ語では Revidierte Fassung だ。 作曲者は初演も聞かずに世を去ってしまったので、 “改訂”するひまはなかったと思うのだが……。

2000-04-26 (3) 23:19:02 +0900

最低音より低い音はどうやって弾く? --- マーラーの交響曲第9番

マーラーの交響曲第9番の第3楽章ロンドブルレスケの最後、 659 小節目のチェロのパートにチェロの最低音より半音低いHがでてくる。 どうやって弾くんだろうか?

おそらく作曲者が“いきおい”で書いてしまったもので、 弾けないんだと思うけど。

2000-04-26 (3) 23:02:02 +0900

Wiz#4 の Good Hope Cape は Cape of Good Hope(喜望峰)のしゃれ?

Wizardry #4 に Good Hope Cape というアイテムが出てくるが、 これは Cape of Good Hope(喜望峰)のしゃれではないか? 先日、寝ころんで英和辞典をながめていて気がついた。 日本語の攻略本を4冊見たが、 このことには言及されていないようだ。

2000-04-26 (3) 22:54:52 +0900

honcho を OED でひくと語源は han'cho とアポストロフィーがついている

o の上には横棒。 「班長」からきている語だそうだ。

2000-04-26 (3) 22:22:29 +0900

岩波の旧約聖書「出エジプト記 レビ記」の挿し絵はマンガ風

147 ページの「大祭司の祭服(想像図)」「一般祭司の祭服(想像図)」など。 イラストは関根惠子氏。

2000-04-26 (3) 22:17:58 +0900

「それから」に「僕はちょっと職業を探して来る」というせりふがある

終わり近くだ。 この「職業」はいまなら「就職」というところか。

2000-04-26 (3) 22:13:56 +0900

「三四郎」を読み返してみた

表紙裏の万年筆の書き込みによると中学一年の 11 月 4 日に買ったことになる。 なつかしい。 当然ながら、当時は知らなかったことがたくさんあった --- 東大周辺の地理とか --- から、 いま読むといろいろ思うところが多い。

《男はもう四十だろう。これより先もう発展しそうにもない》 (「一」の中ほど、広田先生についての三四郎の観察)

《「それじゃ僕より七つばかり若い。 七年もあると、人間はたいていの事ができる。 しかし月日はたちやすいものでね。七年ぐらいじきですよ」》 (「二」の終わり近く、野々宮さんのせりふ)

《「あゝあゝ、もう少しの間だ」》 (「三」の中ほど、汽車を待つ自殺者(轢殺)のせりふ)

《「美禰子さんは会堂(チャーチ)」》 (「十二」の終わり近く)

付) この会堂は本郷中央教会のことだとも言われている。 本郷三丁目の駅から交差点へ出て、東へ少し行ったところ。

2000-04-26 (3) 22:07:21 +0900

「オジセー」という「吾輩は猫である」(岩波文庫)の表記

「吾輩は猫である」(岩波文庫 1990 年) の 97 ページに「オジセー」という表記がある。 《首縊りの力学》の部分だ。 Odyssey のことだから、 もしかしたら原文の表記は「オヂセー」かもしれない。

2000-04-26 (3) 21:39:58 +0900

久しぶりに「吾輩は猫である」を通して読み返してみた

先日、おそらく小学校6年生のとき以来、 「吾輩は猫である」を通して読み返してみた。 いつのまにか、私は苦沙弥先生よりも年をとっている。

落雲館の生徒がボールを苦沙弥先生の家の庭にいれて困らせるくだりは覚えていたが、 その裏で実業家の金田が糸をひいていたのはすっかり忘れていた。

付) 最近、担当している計算機実習を特定の(と思われる) 学科の学生に妨害されている裏に何かがあるような気がしている。

2000-04-26 (3) 21:30:49 +0900

小学校6年生のとき「早晩」の意味を「晩の早いうち」と誤解していた

小学校6年生のとき、 「吾輩は猫である」を中高生向きに漢字・かなづかいを改めたものを買ってもらい、 読んだ。 終わり近くに 「主人は早晩胃弱で死ぬ」 という句がある。 私は「早晩」を「晩の早いうち」と勝手に解釈したので 「夕飯を済まして書斎に入」った主人がもう死んでしまったかと驚いたものだ。

2000-04-26 (3) 21:18:16 +0900

24時制に慣れてはいるが、20時から22時台あたりはいまいち不慣れ

時刻について「書く」時は必ず24時制を使うが、 24時制のデジタル時計だけで20時以降の時間を過ごした経験はあまりない。 いっとき愛用していた腕時計がデジタルで24時制表示にしていたが、 20時すぎはほぼ毎日うちに帰っており、 アナログ式の置時計を併用していたからだ。 23時台は 「もうじき0時だ」ということでわかりやすいので、 20時から22時台が不慣れな時間帯である。 「不慣れ」というのは、 アナログ時計や12時制なら見てすぐに 「あ、もう**しなきゃ」「まだ時間がある」 とすぐ反応できるが24時制デジタルだとすこし時間がかかる、 という意味である。

付) 1981 年夏のトポロジーシンポジウム(高知大学)はデジタル腕時計で行ったっけ。 帰りによった吉野川、土柱がよかった……。 (-_- ←遠い目)

2000-04-26 (3) 20:08:26 +0900

自分の応援曲を決められるとしたらクリングゾールのモティーフがいいな

野球の応援などで、 選手ごとに応援曲が決まっていることがあるが、 私だったらワーグナー「パルジファル」の中のクリングゾールのモティーフがいいな。

ずっと前にパソ通でそう書いたような気がするが、 いまも同じ気分。

2000-04-26 (3) 20:02:30 +0900


すのもの Sunomono