プールへ行く途中、 **学部の中庭で、 地面の鉄格子から草が飛び出ているのを見る。 下水か何かの施設だろう。 最初は誰かが挿していったんだろうと思ったが、 下から生えているようだ。 普通の草と比べた場合、 まともに日のあたるところに出るまで数十センチのハンディがあるのに。
プールの帰り、 文系学部のそばでネコを見かけたので遊ぶ。 もとい、遊ばれる。
大失敗。 /tmp での作業を終え、 rm -rf * する前に念のため pwd しようと思って DOS と間違えて cd とやってしまった。 「念のため pwd」と思っているときって、 何も見てないのね。 即座に rm -rf * を実行してしまい、 あっと思って Ctrl+C で止めたがかなりファイルは消えてしまった。 たまたまアルファベット順の最初のほうにはどうでもいいファイルがあったので助かった。 疲れているのかもしれない。疲れているのだろう。
久しぶりに左胸に痛み。 息苦しくなく、脈も速くないので、たぶん死ぬことはないだろう。 うんと痛いわけでもないし。 でもなにかが血管の中につかえているようで --- 医学的にはそんなことはありえないんだろうけど ---、 いい気持ちはしない。 でもこれで死ねれば自殺にならないから。
2000-09-17 (0) 02:27:25 +0900
歩いて兼六園へ。 健康保険証を返してしまっているのであすの県民無料の日はただでははいれない。 そこでどうせお金を出すのなら別の曜日に、 というわけできょう土曜日に行ってみたわけだ。 行き道の途中から、右の靴の中に何かはいっているようで気になっていた。 七福神山の前で靴を脱いでソックスの上からさぐってみるが何もない。 おさまらないので、山崎山の上の東屋で座ってソックスを脱いでみてびっくり! 指に髪の毛が巻きつき、それが食い込んでいるのだ。 食い込んだところは色が変わりかかっている。 それほど苦もなくひきちぎれたが、 もしだめならライターとかで髪の毛を焼き切ればいいのだろうか。 ちょっと熱いかもしれないが。
2000-09-17 (0) 02:20:05 +0900
職場へ。 大学院の合格発表が出ていた。 **学科が結構たくさんとっていた。 「院生が増える→**機が不足→いま以上に私の実習時間に乱入」 と考え、超・憂鬱になる。 生協で写真を受け取るのを忘れていたのに気づき、引き返す。 焼き増しを頼みながらプールに行く予定だったが、 机の上のフェルトペンがインク切れ。 まあ、月曜日でいいか。 プールで泳ぐ。
2000-09-17 (0) 02:12:31 +0900
またまた仕事をすっぽかす。 18時ごろから「いろいろ」を書き始めて3時に及ぶ。 たまっていた新聞ネタをとりあげたので全部で40ぐらい書いたか? 最後、エディットしてアップロードするだけ、 と思ったら4時までかかった。
2000-09-17 (0) 02:04:25 +0900
きのうの続き。照合終了。 おかしかった MO はフォーマットしたら直ったようだ。 しかしフォーマットに何度も失敗した。
2000-09-17 (0) 02:02:48 +0900
MO にバックアップしておいたデータを復旧。 二つ作っておいたが、内容が異っているものが4つほどあった。 大きなファイルに多い。 Vz で比較するので、 long filename のものは同名のものが同一ファイルとは限らない。 これで時間と手間をくう。
そのうちの一枚の MO の読み書きがおかしくなってきた。 一応全部読み出しておく。 作業途中まで。
2000-09-17 (0) 01:58:43 +0900
仕事を一つすっぽかす。 バスで大学へ。 大学でプログラムを書くのは集中力が続かず不可能なような気がしてきたので、 一応片づける。 バスで帰る。
MO を使ってみたらハング。 Buffalo のドライバをマニュアルに従ってインストールしたのち、 SCSI ドライバも Baffalo のに変えてみた。 変えて OK かどうかのチェックはハングして終わったが、 リブートすると変更されていた。
7月23日(鹿児島に出かけた日)の新聞まで、 さかのぼって読み終える。 あすから99年11月26日以前の分に戻る。
2000-09-17 (0) 01:56:27 +0900
起きたら昼すぎだった。秋のように涼しい。 きょうは東京で買ったヱビスビールのTシャツを着てみた。 少々寒いぐらいだ。 バスで町中へ。 兼六園、福音館、カーラ、山蓄。 大和の文具売場で filofax の別サイズのダイアリーはあったがバイブルサイズのみ、ない。 店員に聞いたら、いま入荷したところだそうだ。 出して見せてくれたので、例年と同じのを買う。 うつのみや。 ライオンで食事。 歩いて帰る。涼し。 広坂の交差点で、**さんから声をかけられる。 車の中からだったのですぐにはわからなかった。 メールを送ったと言っていた。
2000-09-17 (0) 01:49:39 +0900
目が覚めたら暑いのでエアコンをつけてまた寝る。 文語訳の新約聖書、読了。
FreeBSD のインストールディスクでいろいろ試みるがダメ。 FreeBSD の fdisk を使ったあとで Win95 の fdisk を使ってはいけなかったのだろうか? FreeBSD をあきらめ、 その領域を Win95 の fdisk で解放。 これで一応解決した。 (FreeBSD のデータは救出できなかったわけだが。)
そのあと、ASCII 9月号付録の CD-ROM から Internet Explorer 5.50.4134.0600 と Outlook Express5 5.50.4133.2400 をインストール。 インストール時に一時ディレクトリをオプションで指定してみたが、 やはり内蔵ディスクに書き込んでいるようだ。 セットアッププログラム自身は指定されたディレクトリを一時ディレクトリとするが、 セットアッププログラムによって起動されるプログラムは若いドライブ名をもつドライブに書き込もうとするのではないだろうか? 破損したドライブをスリープにし、 そのあとのドライブを二つに分けてドライブ名がずれないようにしてインストール完了。 どちらも使えるところまで進んだ。
2000-09-17 (0) 01:24:22 +0900
バスで職場へ。 プールで泳ぐ。 ちょっと計算機室へ。 バスで町中へ。 大和で filofax のダイアリーを見たが、 (何年か前は9月1日に売り出されたのに)見あたらなかった。 アトリオに Gucci が開店していた。 バスに乗り、途中で降りてスーパーマーケットでペットボトルを買って帰った。
シャワー、洗髪。
Internet Explorer をインストールしようとするがうまくゆかず。 やはり内蔵ディスクのドライブに一時ディレクトリを作っているのに気づき、 オプションで起動ドライブに作るようにさせたが、ダメ。 内蔵ディスクのドライブをスリープにしてみたら、元に戻せない。 一台につきアクティブは4パーティションまで、という約束があったか? FreeBSD の fdisk で“強引に”5つをアクティブにしたのかも知れない。 だとしたら FreeBSD を使わないと元に戻せないのかも。
黙示録、二章ほど残る。
2000-09-17 (0) 01:21:28 +0900
赤 (red) | 橙 (orange) | 黄 (yellow) | 緑 (green) | 青 (blue) | 藍 (indigo) | 菫 (violet) |
---|---|---|---|---|---|---|
赤 (red) | 橙 (orange) | 黄 (yellow) | 緑 (green) | 青 (blue) | 藍 (indigo) | 菫 (violet) |
2000-09-17 (0) 01:17:53 +0900
TABLE border=4 の 4 を二重引用符で囲み、 /TH, /TR タグを補った。
2004-05-02 (0) 14:27:42 +0900
バスで職場へ。 プールで泳ぐ。 ゆっくりしていたら、更衣室にいるうちに「もう閉めますから」 と言われてしまった。 あわてて出てきてしばらくきたところでおもての時計を見たらプール解放終了時刻2分前だった。 計算機室で書きかけのプログラムのソースを見直す。 バスで帰る。
ドライブを領域解放、領域確保。 Win3.1 をインストール。Win3.1 を起動して終了。 Win95 にアップグレードしようとしたら CONFIG.SYS に power.exe が見つかった、というなつかしいメッセージ。 EDLIN で書き換えて再ブート。 また Win3.1 を起動・終了。 setup.exe を実行したら、 Windows の中から行なえというのでまた Win3.1 を起動。 昔の OS はこんなに起動が速かったか。 Win3.1 の中から setup.exe を実行したら「SETUPX.DLL が 見つかりません」と言って止まってしまう。 しかたがないので DOS からインストール。 「セットアップファイル (.CAB) の破損が検出されました」だそうだ。 もう一度 Win3.1 の中から setup.exe を実行。 同じことだ。 ただし、今回、内蔵ディスクを読もうとしているような気がしたので、 内蔵ディスクを切り離してみたが、これではドライブ名がずれるので Win3.1 がブートしない。 scandisk a: /checkonly をかけたらエラー発見。 scandisk a: で修復。 15分ほどでクラスタスキャンが実行できるというのでやらせたら無限ループにでもはまったかのように動かないのでリセット。 Win3.1 から setup.exe を実行。 「アプリケーションエラー/WINSETUP でセグメントのロードの失敗が発生しました。 発生した場所は、モジュール SETUPX.DLL 内の 0001:0059 番地です」 って言われたって……。 あきらめてリブートし、 Aドライブを見たら一時ディレクトリができていた。 壊れているドライブに作るんだから、エラーが起こるわけだ。 q:\setup /T:e:\temp と、一時ディレクトリを指定してやったら うまく行った。なーんだ。
今月読んだ新聞の数は35。休刊日が一日あったので+5。 まだ7月末の旅行中の分を読んでいるところ。 1日から5日までは旅行疲れで、10日から15日までは採点で、 一つも読めなかったのが響いた。
2000-09-17 (0) 01:11:27 +0900
バスで職場へ。 プールで泳ぐ。 計算機室の 98 に BC3.1 をインストール。 最初、外づけドライブがあるのを知らず --- 単に上に乗せてあるのかと思ったら電源を切ってあるだけだった ---、 空き容量を増やすのに時間を費した。 増やさなくてもここを使えばよかったのだ。 長い間使われていなかったせいで、 本体の日付・時刻がずれていた。 それに気づかず試しにメイクしてみたものだから、 もう一度メイクするとまたコンパイルされてしまい、少々悩んだ。 バスで帰る。
自宅の Win95 の再インストール準備。 いままで使っていた Internet Explorer のバージョンは 4.72.3110.8 だった。Outlook Express のバージョンは 4.72.3110.5 だった。
まずはとっておきたいものを一つのディレクトリにまとめる。 そのあとで同居人のドライブからブートし、MO にコピー。 (私のドライブからだと MO が使えない。 それが再インストールする理由の一つだ。 もう一つの理由は、ここはメインに使っていなかったので ASCII の付録 CD-ROM などから試しにいろいろインストールしてぐちゃぐちゃになっていたこと。)
もう一枚の MO に移動するところでエラー発生。 でもやり直すことでうまくいった(ようだ)。
(私は、フロッピーや MO などのバックアップは原則として二つとる。)
2000-09-17 (0) 01:01:30 +0900
夜、BC3.1 を 5 インチディスクにコピー。 あした職場でインストールしよう。
コピーしながら、文語訳新約を読む。ヘブルの途中からヨハネ一の 途中まで。結構進んだ。
2000-09-17 (0) 00:56:40 +0900
暑い。扇風機をつけてまた寝る。暑いうえに身体によくない。 バスで職場へ。 プールで泳ぐ。 バスで帰る。 コンビニでヱビスビールを買う。 うちで一本飲む。
卒業生からハガキ。
シャワー、洗髪。
ここ数日、夜は涼しい。(昼間は暑い。)
夜、作りかけのプログラムのソースを整理して職場にもってゆけるようにする。
2000-09-17 (0) 00:54:03 +0900
国際面「黒海の底「ノアの大洪水」で沈んだ?古代集落跡」。 《旧約聖書にあるノアの箱舟伝説を生んだ洪水で沈んだ可能性があるとしている》。 そりゃ可能性はいつでもあるけれど、 洪水は一度きりだったのか? 何度もあったとしたら、ノアの方舟の伝説を生んだまさにその洪水と言えるのか? なぜ「ギルガメシュ叙事詩の洪水」と発表されないのか? などなど。
くらし面「ストレスためないスペイン流子育て」に 《十七歳で長女を出産した。 日本流にいうなら「ヤンママ」のひとり》。 ここではこの語が「ごく若い母親」の意味で使われている。
社会面「金沢「聖戦大碑」 建立に寄付/ひめゆり学徒隊の名、刻銘/同窓会、経緯説明を要求」。
漫画「ののちゃん」。藤原先生の名前は「ひとみ」であったのか。
2000-09-17 (0) 00:43:44 +0900
前者は「低高高高低低低」、 前者は「低高高高高低低」だと思う。
2000-09-16 (6) 01:43:15 +0900
栄太郎とか英太郎とかの人名みたいだ。
2000-09-16 (6) 01:39:35 +0900
……あるそうだ。 1982 年ごろ出た、「キリスト者の信仰」(全8巻、岩波書店) の第8巻はこれと「続」を収めるが、 そこには違いが明記されている。
2000-09-16 (6) 01:06:45 +0900
……していた。 入場順は、ギリシアと開催国を除けば、 NHKラジオのアナウンサが言っていたように英語の国名のアルファベット順だったようだ。 ドイツが G だったので。
2000-09-16 (6) 00:59:45 +0900
昔はスクラップブックというのを文房具屋で買ってきてそれに貼っていた。 梅棹忠夫「知的生産の技術」を読んでからはA4の紙に貼るようにしたが、 ついついおっくうで、切り抜いたままためていた。 ある時点からは、貼らないと決めた。 単に切り抜いて箱に入れておく。
最近気がついたことは、 年月日を余白に書き込むのは切り抜く前がよい、 ということだ。 後だと余白が足りないことあり。 (なんでこんな簡単なことに長い間気がつかなかったんだ。)
サイズを統一したい場合は、コピーをとるのも一法。 欄外の新聞名・年月日も切り取っていっしょにコピーすると、手で書く手間が省ける。
2000-09-16 (6) 00:49:00 +0900
「ラーメンが食べたい」と言っても「ラーメンを食べる」ことにならないのと同じか。
2000-09-16 (6) 00:43:30 +0900
ここに出てくる落合の火葬場が実家のそばだから。
目に入るものは青い麦畑と青い大根畑と常磐木の中に赤や黄や褐色を雑多に交ぜた森の色であった。
なんて景色は私が子供のころでも見られなかったけど。
久しぶりに通して読んでみて、 ああ、そういう人物関係だったのか! という感じ。 柴田南雄「グスタフ・マーラー」(岩波新書)のなかに、 「交響曲第5番」第4楽章の「アダージェット」だけを SP でくり返し聞いたので、 のちに全曲通して聞くと違和感を覚えた、という話が出てくるが、 それと似た感じかも。
2000-09-15 (5) 02:38:58 +0900
漱石の小説に出てくる成年男子はほとんど全員タバコを吸う。 それほど遠くない将来にタバコを吸う人はなくなると私は思っているのだが、 それでもすでに書かれた小説のタバコを吸う描写はそのままだろう。 「この機に喫煙の描写は削除せよ」なんてことにはなってほしくないが、 もしそうなったらどう削除するか。 漱石などを読んでいてそう思うことがある。
そこで、「彼岸過迄」第1回の一部で試してみた。 <DEL>...</DEL> で消した部分を削除する。
敬太郎は夜中に二へん目をさました。 一度は咽喉がかわいたため、 一度は夢を見たためであった。 三度目に目があいた時は、 もう明るくなっていた。 世の中が動き出しているなと気がつくや否や敬太郎は、 休養休養と言ってまた目を眠ってしまった。 その次には気のきかないボンボン時計の大きな音が無遠慮に耳に響いた。 それからあとはいくら苦心しても寝つかれなかった。 やむを得ず横になったまま
巻煙草を一本吸っていると、 半分ほどに燃えてきた敷島の先がくずれて、 白い枕が灰だらけになった。 それでも彼はじっとしているつもりであったが、 しまいに東窓からさし込む強い日あしに打たれた気味で、 少し頭痛がしだしたので、 ようやく我を折って起き上がったなり、 楊枝をくわえたまま、手ぬぐいをぶら下げて湯に行った。
これは割と楽にいったほう。
2000-09-15 (5) 02:25:15 +0900
本文ナシ。
2000-09-15 (5) 01:45:38 +0900
14日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面 「シドニーの風/変わらぬIOC体質」。
総会開会式の司会は地元の女性テレビキャスター、 コスタキディスさんが務めることになっていた。 IOCの公式行事はフランス語、 英語の順で進めていくのが原則だ。 でも彼女は 「英語を母国語とする国で、 どうしてフランス語を先に話さなければいけないの」 と素朴な疑問をIOCにぶつけて司会を辞めた。
IOCの理由は「クーベルタンがフランス人だったから」 ということくらい。 彼女と話し合おうという姿勢はなかった。
私はこの件についてはここで読んだことしか知識がないが、 IOC側は 「IOCの第一“公用語”はフランス語、 第二は英語と決まっているから」 と説明すればよかったのに、 と思える。 その上で「なぜそれが“公用語”なのか」という議論をするならするで。
2000-09-15 (5) 01:37:55 +0900
いわゆる使い捨てカメラ。 コダックのスナップキッズ ピカキレだ。
2000-09-15 (5) 01:26:40 +0900
ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」第1楽章の中間部、 テレビコマーシャルにも使われたあの旋律は ハイティンクの交響曲全集解説書の石田一志氏によれば
兵士の歌ともいえる一見おとなしいここでの主題は、 <戦争の主題> とも呼ばれるもの (しかし、 柴田南雄氏によれば、 レハールのオペレッタ《メリー・ウィドウ》 第1幕で歌われるダニロのアリア <私はマキシムに行く> に由来し、 その歌詞は「祖国のために働くのは厄介なことだ、 さて気晴らしにマキシムに行くか」となる)。
カラヤン指揮の「メリー・ウィドウ」の CD を聞いてみたが、 関係があるのかどうかよくわからなかった。 しかしルネ・コロはうまい。
あと、「メリー・ウィドウ」 のワルツはマーラーの交響曲第7番第5楽章の副主題に似ているといわれる。 これは文句なく似ている。
2000-09-15 (5) 00:50:30 +0900
……だったのが、 「ヤ」や「エ」を小書きの「ャ」「ェ」と誤解されてできた単語では?
「パリジヤン」「パリジエンヌ」のほうが 「パリジャン」「パリジェンヌ」より原語の発音に近いと思う。 「パリジヤン」は、いま私が「カナに写せ」と言われたら「パリジアン」とするかも。
2000-09-15 (5) 00:36:34 +0900
先日のNHKラジオ名人寄席を聞いていて、 「細工は流々(りゅうりゅう)仕上げを御覧(ごろう)じろ」の前半の意味が 「細工の仕方は色々あるが」なのを教わった。 (ただし上に書いたのは広辞苑第五版からの引用。)
「細工はちゃーんとやっているから」 だと思っていた。 なぜだろ?
2000-09-15 (5) 00:33:38 +0900
兼六園のみやげ物屋で 《早い女性はもう使っている》 という貼り紙を見た。 ワープロか何かで作ったようなのだが、 「い」の字だけが妙に小さい。 《早ぃ女性はもう使ってぃる》 なのではないか? 原文は縦書き。
2000-09-15 (5) 00:27:05 +0900
「須永の話」第 29 回冒頭に 《僕は僕の前にすわっている作の姿を見て、 一筆がきの朝顔のような気がした》 という表現がある。
初めて MINIX を見たとき、そんな感じがした。 いや、そんな感じがした、とあとで思ったのかもしれない。 「作(さく)」は小間使いの名。
2000-09-15 (5) 00:24:14 +0900
それがかえって千代子の気に入らなかったと見える。 「それがわからなければあなたばかよ」
「須永の話」第 34 回の終わりのほう。 文字づかいは 1968 年の岩波文庫によった。
2000-09-15 (5) 00:16:40 +0900
不安感からか、夜眠れないので、 漱石の「彼岸過迄」を読んでいる。 昔、 実家の本棚で見つけて最初の一二回だけを読んだ岩波文庫は旧字旧かなだったから、 この 1968 年版より古い、 1939 年の初版(をおそらく戦後に刷ったもの)だったのだろう。
2000-09-15 (5) 00:12:25 +0900
Win95 の押ボタンなどには左上から光がさしているかのような陰影がついている。 右ききの人がデスクワークをするときは左前方から光をいれるのが目によいのだが、 だったらマウスを左きき用に切り換えたら右上から光がさしている絵に変わってもいいのではないか?
そういうこった GUI はないのかな。
2000-09-14 (4) 22:02:30 +0900
私が「ラジオの聴取率調査に協力した話」は 2000-07-04 (2) 22:43:27 +0900 づけで書いた。 「前もってはがきがきているはず、といわれたが、それはこなかった」 と書いたが、 同居人にははがきだけがきて調査員がこなかった。 その、平成七年五月のはがきを、見せてもらった。
2000-09-13 (3) 04:04:01 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-09 (2) 23:58:20 +0900
9日17時25分に西荻北のご自宅で亡くなられたとのこと。 きょう13時からの葬儀・告別式は東京女子大学礼拝堂で。
旧約聖書の翻訳(岩波文庫および教文館)にはお世話になった。 これからもお世話になり続けるであろう。
2000-09-13 (3) 03:44:06 +0900
きのう書いた 『朝日新聞社説>「旧姓での研究・教育活動を認めない大学側を訴えた裁判」』 に、メールでコメントをくださったかたがありました。 私の論旨に混乱があったことに気づきましたので、 そこに書き足しておきました。
2000-09-13 (3) 03:31:16 +0900
1999年12月9日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」は、 エレベータの話題だ。
エレベータには、 待っている人に与えられる情報が 「次にくるのはどのエレベータか」だけのものと、 「いま各エレベータがどの階にいるか」まで示すものとある。 (より正確に言えば、 そのほかに、 前者では[待っているのが最上階・最下階の場合を除いて] くるのが「上り」か「下り」か、 後者では各エレベータが [最上階・最下階にいる場合を除いて] 「上り」か「下り」か、 の情報もある。)
この天声人語の筆者は、 ある建物のエレベータが前者だったことが気に入らなかったらしい。 《点灯した扉の前に駆けつけ、 お預けを食った犬のように待たなければならない》 などと、天声人語ではあまり見かけないタイプの表現まで使っている。 それを後者に直したら評判がよくなった、という話だ。 前者が増えた理由が、一応はあげられている。
大手メーカーに聞くと、 何台かをコンピューターで効率よく動かす「群管理」のせいらしい。 呼んでも一番近くのエレベーターが来るとは限らない。 通過してしまう場合もある。 こうした舞台裏を表示盤で見せれば、 利用者は混乱するし不満も募るだろう。 そんな予測があったという
しかし、これだけではない。 高層ビルではかなりのスピードでエレベータが上下する。 かなり手前の階にいるエレベータを呼び止めたつもりでも、 急ブレーキをかけるわけにはゆかないので止まらないことがあるそうだ。 これが全く抜けている。
と続くが、 そのエレベータに「群管理」が導入されていたのかどうかは述べられていない。 「通過されるにしても、どこにいるのか分かった方が、利用者の気持ちは落ち着く」 かどうか。ただし、 隣のビルで観察する限り、 心配しすぎのようである。 同じ待たされるにしても、 どこにいるのか分かった方が、 利用者の気持ちは落ち着く。
このエレベータは1階から14階までだそうだ。 これなら、昔ながらの運転方法で十分だと思う。 何十階もある高層ビルに階数を表示しないものが多いので、 必要のない中・低層ビルまでまねをしてしまったことが問題なのではあるまいか。
付) うまく上の話と一体化できないので別に書くのだが、 もし仮に 「階数表示なし」 にしてコンピュータ管理にしたほうが待ち時間が短くて済むのに評判が悪くて 「階数表示あり」 の昔ながらの運転方法になってしまうのだとしたら、 合理的だと言われながらなかなか広まらなかった 「一列並び」と似ていると思う。
2000-09-13 (3) 02:24:58 +0900
1999年8月19日づけ朝日新聞大阪本社版、投書欄「声」に 「鉛筆使えない子ら気がかり」という、 49歳の公民館講師の(おそらく)女性の投書が出ている。 その中に 《ボールペンやシャープペンシルの普及などで、 親や学校が鉛筆の正しい持ち方、使い方を伝授できなくなってしまい》 とあるが、 鉛筆とボールペンやシャープペンシルは持ち方が違うだろうか? 私は意識せずに同じように持って書いているつもりだが。
2000-09-13 (3) 01:43:16 +0900
1999年1月17日づけの朝日新聞日曜版(大阪本社版)第7面の松村宏氏 「演人類」。 今までうたた寝していた受験生が、 母親がお茶をいれてきたのであわてて起きたけれども顔にセーターの模様編みの跡がついているのでバレバレ、 という一コマ漫画だが、 そでの部分の模様編み(縄編み)は一つの交叉を除いて全て
\ /\ /\ / \ \ \ / \/ \/ \の向き。顔についた跡は少なくとも二つの交叉を含んでいるが、鏡像の
\ /\ /\ / / / / / \/ \/ \にならず、元と同じ向きだ。
2000-09-13 (3) 01:29:05 +0900
1999年12月27日づけ朝日新聞大阪本社版第6面の全面広告に、 大野晋氏の「談」が載っている。
「九」「鳥」「鳩」という字の中で、 子供にとって一番覚えやすいのはどれだと思いますか? 「鳩」です。 そして一番覚えにくいのが「九」。 書かせるには「九」が一番簡単でも、 覚えさせるには複雑でおもしろい形の方が簡単なのです。
というのだが、 ほんとうに「字」を覚えさせてテストしたのかどうかが気になる。 「鳩」という字を見せて「これは『ハト』という字です」 と教えると、 子供はすでにハトという名前を知っているところのあの鳥とその字を結びつけるから、 記憶に残りやすい。 「九」は、 数を理解していない子供には意味がわからないから、 「これは『きゅう』という字です」 といっても意味のわからない言葉 --- オトの列というべきか --- を現わす文字を教わったにすぎないので記憶に残りにくい。
このあたりをきちんとテストするには、 「鳩」という字を見せて「これは『きゅう』という字です」、 「九」という字を見せて「これは『ハト』という字です」 とウソを教えたグループと比較してみるのだそうだ。 これでも「鳩」のほうが覚えやすいのならこの 「字」が覚えやすいということだし、 「九」のほうが覚えやすいのなら 「子供はよく知っているものの名前を現わす文字だと言われると覚えやすい」 にすぎない。 ウソを教えるなんて“児童虐待”では、とも思うのだが、 あとで「あれは間違いだった」と訂正しておくのだそうだ。
そうやって実験した結果では、 文字の複雑さと覚えやすさの間にはあまり関係がないと聞いた。
付)大野氏の話は
と始まる。 ワープロ・パソコンで「打つ」のは「書く」に含めないで、なのだが、 学生・生徒は授業のノートを取ることを含めて、 まだまだ手書きで文字を書いているはずだ。 図書館でもキーボードを打つことは禁止されているので手書きしかないと思う。 数学屋はもちろん手書きで考えるが、 あれは「文章」ではないと思われているのか?!現代の日本人で、毎日五百字以上の文章を書いている人がいったい何人いるでしょう。
2000-09-12 (2) 04:54:50 +0900
1999年12月27日づけ朝日新聞大阪本社版社説「新しい家族の時代」。
社会的な評価と名前は分かちがたく結びついている。 名前が変わることで、不利益を被る可能性もある。 女性研究者が、 旧姓での研究・教育活動を認めない大学側を訴えた裁判では、 女性の言い分が大筋通る形で和解が成立した。
最初、 この大学は旧姓ですでに行なった研究・教育活動を業績として認めないのかと思ってしまった。 それではあまりにひどい。 どうやらそうではなくて、 今後は行なうことを認めない、という意味だったようだ。 教育はともかく研究は旧姓で論文を書いてしまえばそれまで、 という気もするが、 分野によっては論文はすべて教授と共著で、 旧姓では教授が書かせないとか、 「その名前で書くのは勝手だが昇進の際には業績にカウントされないよ」 と言われるとか……。
2000-09-12 (2) 04:21:55 +0900
メールでコメントをくださったかたがあって気づいたのだが、 上の議論には「強行すればできる」と 「強行すればできなくはないがこういう問題が起こる」 の混乱があった。
「教育はともかく」 というのは時間割表などに旧姓を用いることは大学側が認めなければまず無理 (=強行すら不可)という意味であり、 「研究は旧姓で論文を書いてしまえばそれまで」 というのは大学側が認めなくとも本人がその気なら強行できる、 という意味である。 しかし、最後の 『「その名前で書くのは勝手だが昇進の際には業績にカウントされないよ」 と言われるとか……』 はそうやって強行したらこういう問題が起こる、ということだ。
2000-09-13 (3) 03:29:56 +0900
1999年12月27日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の技術評論社の広告に 「最新 2000-'01 年版 パソコン用語事典」というのが出ている。 「'01」のような表示は 2000 年問題でこりたのか、ほかではあまり見ない。
2000-09-12 (2) 04:18:38 +0900
腕時計の日付は、針が日付に重なると読めなくなってしまう。 単なる思い付きだが、ダイバーズウォッチでは、 ベゼルを透明にして、 ベゼルの下に表示される日付をベゼルをとおして見るようにしたら、 その問題がなくなるのではないか? 文字盤に“穴”をあけて日付を表示するより美しいかも知れない。 ベゼルを標準の位置から回転させているとベゼルの文字と重なって見えないかも知れないが、 「ベゼルと日付の利用は排他的」としてもいいのではないだろうか。
でも、ベゼルのところは時計の“外”だから、 そもそも日付を表示させることが無理か?
2000-09-12 (2) 04:14:20 +0900
夏時間実施期間になったらここに何かを合わせるとかすると針が一時間進んで夏時間表示になるということなのか、 それとも自動的に時刻は調整されるが 「いま夏時間中かどうか」がここに何かを合わせると表示される、のか。
2000-09-12 (2) 04:04:45 +0900
1999年12月14日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の角川書店の広告に 「クリスマス どうやって日本に定着したか」という本が出ていた。 その著者は 「クラウス・クラハト」氏と 「克美・タテノクラハト」氏。 ご夫婦ではと想像されるが、 「タテノ」は旧姓か。 とすると「タテノクラハト」は旧姓と今の姓を一つにつづったものか。
2000-09-12 (2) 03:56:25 +0900
ただしローマ字では Shachihata だ。 同社のページ参照。 yahoo は 「シヤチハタ」 でサーチしても 「シャチハタ」 でサーチしても同じ結果となる。 「キヤノン」「キャノン」も。
2000-09-12 (2) 03:29:58 +0900
7月30日づけ朝日新聞大阪本社版日曜版第4面、 内海隆一郎氏の小説「朝の音」その18「レシート」。 北海道出張に行った夫が、豪華な海産物のお土産をもって帰ってきた。 自分は「たらふく食べてきた」 というのを聞いて妻はそのうえどこからこんなお土産を買うお金が、 と疑惑を抱くが、バッグのなかからコンビニのレシートが出てくる。 焼鳥の缶詰、カップラーメン、スナック菓子。 それを見た彼女は、夫はそんなもの「ばかり」 食べて浮かせたお金でお土産を買ってきたと理解するのだが、 レシートがあるということが意味するのはたかだか 「それを買った」ということでしかない。 それ以外のものを食べなかった保証はどこにもないのだ。 俗に言う「アリバイ」のために買ってきた、ってやつかもしれない。
(「アリバイ」のこの用法は広辞苑第五版にも載っていない。)
2000-09-12 (2) 02:43:36 +0900
8月27日づけ朝日新聞大阪本社版文化面 「飛鳥川 古代の清流 復活するか」。 私はこの川のことは古今和歌集 933 番の 「世の中はなにか常なるあすか川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(読人しらず) で知ったので、昔から流れが変化しやすかったのだと思っていたが、 この記事によると人間が周囲に手を加えた結果らしい。
ところで、この記事には万葉集の歌は引用されているものの、 上の歌は引用されていない。
2000-09-12 (2) 02:26:46 +0900
8月27日づけ朝日新聞大阪本社版読書面で歴史学者の黒田日出男氏が 「地名の歴史学」(服部英雄著、角川書店)について書いている。 《著者は言う。地名を使っている人たちからの丹念な聞き取りこそ、 地名研究の基本であると》 《今や地域で通称されている地名は、急速に失われつつある》
一昔前に「由緒ある地名を守れ」という運動があったが、 それらの多くは「旧町名」を「住居表示」 として残せと言っているにすぎなかった。 この本で言っている「地名」はそれと違うもののようだ。 機会があったら見てみよう。
2000-09-12 (2) 02:16:58 +0900
8月27日づけ朝日新聞大阪本社版読書面「いつもそばに、本が」 で丸谷才一氏が大野晋氏の日本語タミル語起源説を絶賛している。
2000-09-12 (2) 02:10:20 +0900
8月27日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の「紙面から」の 「Jオールスター 西軍が5点快勝」を見て、 プロ野球のジュニアオールスターのことかと思ったのは私だけではないはずだ。
これはJリーグのオールスターのこと。 プロ野球の二軍選手のオールスターは別の名称に変わったはず。
2000-09-12 (2) 02:06:36 +0900
1999年11月21日づけ朝日新聞大阪本社版「朝日歌壇」の、 《へッドライトを一気に横切りし黒きイタチ姿伸びやかに刈田に消えたり》 (藤井恵一氏) は最初の「へ」がひらがなになっている。
2000-09-12 (2) 02:02:59 +0900
1999年11月21日づけ朝日新聞大阪本社版「ウイークエンド経済」の 「ビジネス戦記」は日本マクドナルド社長の藤田田氏。
私は「努力×時間=膨大なエネルギー」 という自分なりの生き方の数式をもっています。 最近は努力をばかにする風潮がありますが、 成功にはやはり必要です。 努力すればするほど、 エネルギーは幾何級数的に膨れ上がるんです。
この“数式”の左辺は努力の算術数列的にしかふえないと思うのだが。 と思いつつ先を読む。
私は藤田商店を始めた二十四歳から毎月、銀行に積立預金をしてきました。 最初の十年は月五万円、次の十年は十万円で以後十五万円にして、 今も続けています。 いくらになったかわかりますか。 四十九年で約三億円です。 通帳は約六百冊にもなりました。 元本に利息がついて、 またそれに利息がついて雪だるま式に増える。 毎月は少額でも長く続ければ膨大な金額、エネルギーになるわけです。
ということは、「努力すればするほど」というのは努力の程度を上げるのではなく、 努力する期間を長くすればするほど、という意味だったのか。 ならば「努力×(時間の指数関数)=エネルギー」ではないだろうか?
ところで、藤田氏の預けたお金は 5*12*10 + 10*12*10 + 15*12*29 = 7020 万円となる。
2000-09-12 (2) 01:46:46 +0900
8日づけ朝日新聞大阪本社版経済面の「情報ファイル」 “紀香・郷・聖子で新発売”。
は、歌手の郷ひろみさんと松田 聖子さんのデュエット曲「True Love Story」で、CMが歌の
「Love」の前の、行頭のスペースは不要のはず。 原稿には「True Love Story」とあって、 その途中で改行したがスペースを除去しなかったのだろう。 組版ソフトが完全には欧文に対応していないということか。
2000-09-12 (2) 01:22:28 +0900
新共同訳などは前書きから節番号を振っているので問題ないが、 そうでない文語訳などの場合はどうするのだろう? 「Ps 53.0」とかする?
2000-09-11 (1) 01:53:44 +0900
ちょっと前に書いたように、 もともとはこのカッコの中は割り書きで、 割り書きはスペースが足りないためかここだけルビがなかった。 それをこの版では普通に一行にしたものの、 ルビなしはそのままだったのでこうなってしまったのだと思う。
この版だけ見てこれ(=ここだけルビがないこと)に気づいた人は偉いっ!
2000-09-11 (1) 01:48:45 +0900
6月2日の朝日新聞大阪本社版社会面のコダックの広告に、 こういう製品を出荷してしまったと書いてあった。 普通の現像処理では画像が現れないというから、大変なことだ。 最近はほとんどリバーサルを使わないのでうちには関係なかったが。
2000-09-11 (1) 01:31:05 +0900
体調がよくないのでゆっくり寝ていたら 「決めていない人/寝ててくれれば」 (6月21日づけ朝日新聞大阪本社版第一面) のかたと同じ党の候補者の名前を連呼して走って行く選挙カーに起こされる。
新聞がやっと出てきた>自分
2000-09-10 (0) 02:18:58 +0900
1999年12月4日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面。 プロ野球選手の契約更改情報が出ているが、 「巨人」の選手だけ活字が大きい。
2000-09-10 (0) 01:40:50 +0900
6月25日づけ朝日新聞大阪本社版26面に自由党の広告が出ている。 大きな活字の「日本一新」のわきに小さく
とあるが、この「出典」という言葉の使い方が気になった。※いっ-しん【一新】古いことを全く改めて、万事を新たにすること。
「人心を―する」「明治の御―」(出典・広辞苑)
広辞苑第五版で「出典」をひくと 「故事・成語・引用句などの出所である文献・書籍。また、その出所。典拠」 となっている。 例えば 《「人間万事塞翁が馬」の出典は淮南子だ》 などと使うのだろう。 (この例文は私が作ったものです。 一応、広辞苑第五版をひいて調べましたが、 本当に内容が適当かどうかの責任はもてません。)
辞書を出典にあげるということは、 その辞書より前の文献には見つからない、 ということにならないか?
付)広辞苑第五版で「一新」を引くと、最後にもう一つ、 「面目―」という例が出ているが、これは割愛されたのであろう。
2000-09-10 (0) 01:20:00 +0900
前に「離婚数は婚姻数の4分の1を超えているのに冠婚葬祭事典はページを割かない」 (2000-08-23 (3) 00:05:36 +0900 づけ)でふれた 「ちょっと前の新聞」が出てきた。 6月30日の朝日新聞大阪本社版総合面。 「出生率 1.34 過去最低に/昨年 晩婚・晩産化進む/厚生省統計」 だが、結婚件数が 762011 組、 離婚件数が 250538 組と書いてある。
20組か30組に一組ぐらいかと思っていました。
2000-09-09 (6) 23:02:27 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-10 (3) 00:03:44 +0900
2月27日づけ朝日新聞大阪本社版「主張・解説」面の 「閑話休題」は「ワープロ廃止論の重み」。 書家の石川九楊氏が雑誌「文学界」に書いた文章の紹介だ。
たとえばワープロで「雨が降る」と打つ時、 人は「amegafuru」や「あめがふる」のキーを打ち、 「飴(あめ)が降る」「あめが振る」などの同音異義の漢字から 「選択」する。 文章は思考を集中、持続し、 極点で白熱して初めて生まれる身体運動のはずだ。
ところがワープロでは、これが表音を「打つ」行為と、 漢字を「選択する」行為に分断される。 これでは思考は絶えずかき乱され、 ひっきりなしに電話がかかる中で文章を書くようなものだ。 石川氏はそう批判する。
これにはまったく同感である、 ただし「ワープロ」を「かな漢字変換」に置き換えさえすれば、だが。 どうやら、石川氏も、このコラムを書いた編集委員の外岡秀俊氏も、 「ワープロ=かな漢字変換」と信じて疑っていないようだ。 Tコードによる入力では、 「tx;s.3;a」と打てば「雨が降る」が画面に現れる。 「tx」で「雨」、 「;s」で「が」、 「.3」で「降」、 「;a」で「る」が入力されることに決まっているからだ。 そこには「選択」という行為は入り込む余地がない。
(Tコードをマスターする上では 《「tx」で「雨」》などと覚えてはいけないことになっている。 「雨」という字を見た、あるいは思い浮かべたとたんに、 「tx」という文字列を思い浮かべずに、 手が“勝手に”「tx」と動くよう練習しなければならないのだ。 また、すべての漢字にコードが振られているわけではないので、 出現頻度の低い漢字は「選択」して入力することもある。 このあたりのTコードの紹介は、 いつかまとめて書きたいと思っているが時間がなくて書けないでいる。)
日本語のローマ字化・カナモジ化は行われない見込みとなり、 漢字かなまじり文が定着した。 コンピュータも漢字を“征服”した。 でも表音文字でワープロを打つことで表音文字に侵略されている、 ということが石川氏には不安であるらしい。
この編集委員が石川氏に会って聞いた話。
「電子メールは、言葉の垂れ流しでしかない。 手紙は重い。 やっとの思いで書き、 封筒に入れる。 切手をはっても、ポストの前で出さずに引き返すかもしれない。 そういう深い思いや迷いを経て、ようやく届くのが手紙です」
私は Outlook Express の「送信トレイ」にまでいれたものの 「送受信」が押せずに“引き返し”たことがある。 そういう経験をもつ人は少なくないはずだ。
付)漢字を手書き入力することは今のところ実用化されていないようだが、 それが可能になると上に紹介した石川氏の前半の議論は意味を失うだろう。
2000-09-09 (6) 19:07:58 +0900
3月11日づけ朝日新聞大阪本社版総合面の広告 「特装版 日録20世紀」(講談社)には 《激動の 100 年を 36500 日の日録で再現!》とあるが、 20世紀は 365*100+25 = 36525 日あるのではないか?
2000-09-09 (6) 18:34:15 +0900
3月11日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」は花柳幻舟さんの話だが、 《自宅のトイレの壁に九九と分数の表を張り》 とある。 「九九と『分数の表』」なのか「『九九と分数』の表」なのか、 どちらにせよ「分数の表」は意味がわからない。 「分数の公式」のようなものであろうか?
2000-09-09 (6) 18:28:25 +0900
1月18日づけ朝日新聞大阪本社版ラジオ面コラム「キュー」の誤植は 「価植観」。 スキャナが取り込むときに「価値観」をこう読み違えたのだろう。
BGM:キム・カシュカシャンのヴィオラでバルトーク「ヴィオラ協奏曲」
付)上のBGMは「価植観(カショクカン)」から 「カシュカシャン」を連想してかけたもの。<念のため
2000-09-09 (6) 17:56:33 +0900
2月28日づけ朝日新聞大阪本社版第一面。 「センター試験 授業離れた出題併用」。 《高校の授業や教科書とは直接関係がない出題が想定される》 というのだが、参考までにあげられた国際基督教大学の 「一般学習能力考査」の過去の出題例は――。
「一から二十一までの整数を全部足すといくつになるか」。 って、これ、級数の和の問題じゃないの。
「ある方向にまっすぐ歩いた。 しばらくして九〇度左に曲がり、 また四五度左に曲がったら真南に向かっていた。 最初はどの方向に歩いていたか」。 普通に答えれば「北西」だが、 二度目に曲がる点が北極点だとすると「東」と答えてもよい。 最初に曲がった時点で北を向き、北極点に達したわけだ。 北極点からはどちらに歩いても真南向きになる。
付)昔の新聞ネタはきょうも続くのだった。
2000-09-09 (6) 17:45:53 +0900
……とは思わなかったのできのう(厳密にはおととい) 「たヾ」と書いてしまいましたが、 正しくは「たゞ」でした。 (そこにも訂正を書いておきました。)
確認しないやつが悪い>自分
2000-09-09 (6) 01:50:40 +0900
1月21日づけ大阪本社版ラジオ面コラム「キュー」の誤植は 「べージュ」。 「べ」がひらがなだ。
こういうのはいちいち書いてもしかたがない、 と思いつつ書く私。
2000-09-08 (5) 19:59:40 +0900
1月5日づけ大阪本社版国際面の 「ミレニアム紀行 3/高利貸し…「背徳の繁栄」ここから」。 最後の部分に「最後の審判」の絵のことが書かれている。 《悪魔に拷問を受ける悪人たち》。 すでに地獄に落ちている悪人たちに、 悪魔は何を自白させようとしているのだろうか。
2000-09-08 (5) 19:52:30 +0900
広辞苑第五版に 「肉体に苦痛を加えて自白を強いること」 とあるように、「自白を強いる」のが拷問の目的である。 ところが「肉体に苦痛を加える」ほうだけに目がゆくせいか、 「拷問=肉体に苦痛を加える」と思っている人も多いようだ。
(私もそうでした)
2000-09-08 (5) 19:46:05 +0900
いまNHKラジオのニュースを聞いていたら、 日本人がローマ字で名前を書く際に 「名−姓」の順に書くのは明治時代の外交文書からだそうだ。
もしも、明治政府が 「日本語の中でも『名−姓』の順で言うこと」 と決めていたら、どうだったろうか? 江戸時代に名字をもっていたのは一部の人だけだ。 多くの人は明治になって初めて姓をもったわけで、 はじめて名乗るんだったら 「山田太郎」でも「太郎山田」でも違和感は同じようなものだろう。 「『織田信長』のように『姓−名』の順にいうのはちょんまげ時代の古いやり方」 と宣伝すれば、 「ああ、そういうものかな〜」となったかもしれない。
付:「姓」「名字」と書きましたが、法律上は「氏」であることは知っています。 念のため。
2000-09-08 (5) 19:39:45 +0900
日本聖書協会の聖書は総ルビが原則だが、 口語訳、新共同訳は数詞として使われている漢字にはルビを振っていない。 文語訳は新約を読んでみて文字どおり総ルビだと思っていたが、 昨夜、詩篇第 60 篇のはしがきを見ていてそうでないことに気がついた。
1982 年版「旧新約聖書」 は民数記略の途中まで読んでいたのに気がつかなかった〜。 (民数記略の冒頭には数詞がたくさんでてくる。 Numbers というぐらいだから……。)
2000-09-08 (5) 19:10:15 +0900
いままでは <H1> ... </H1> で 「いろいろ(その12)」のように見出しをつけ、 <TITLE> ... </TITLE> は 「iroiro (12)」としてきた。 ここには(いわゆる)日本語を使わないほうがいい、 と読んだからだ。
しかし、サーチエンジンでここが目立つように表示されることもあるから、 今度からは《すのものの「いろいろ」(その13)》 のようにする。 著者名もいれた。 前のもだんだんに直してゆこうか。
2000-09-08 (5) 03:30:20 +0900
yahoo で「イスラム教」をひくと数件が見つかる。 その中の一つ、 イスラミックセンター・ジャパン の イスラームとは何か には 《「アッラーの神」という言い方は間違いです》 とあった。
2000-09-08 (5) 02:06:00 +0900
7月30日づけ朝日新聞大阪本社版読書面。 北岡伸一氏による佐藤快和著「海と船と人の博物史百科」の紹介に 《「アホウドリもカモメも海の鳥はみんな本当は鳥じゃない。 ありゃ船乗りの魂でしかないんだ。 溺れたり、けおとされて、もういねえ連中の魂なんだよ」》 という引用があった。
中島みゆきの「かもめの歌」はこういったものから影響を受けているのだろうか?
2000-09-08 (5) 01:52:36 +0900
私は夏でも出かけるときは長そでだ。 冷房が効いていると半そでではひじを冷やす恐れがあるし、 一年中同じものを着るから衣がえの手間が省ける。
と思っていたのだが、 8月28日朝日新聞大阪本社版第一面 「聖マリアンナ医大 麻酔医中毒死/3人とも薬物依存症」 に 《この麻酔科医は夏でも長そでの服を着ていたという》 とあるのを見て、 ときどきは腕をまくらないといけないか、と思った。 プールで泳いでいるから、ま、いいか。
2000-09-08 (5) 01:42:00 +0900
7月29日づけ朝日新聞大阪本社版経済面の記事 「日本火災と興亜火災/合併新社名は日本興亜損保」。 《日本火災はこれまで「にほんかさい」が正式呼称だったが、 外国人が発音しやすいなど国際性を考慮し、 新会社名は「にっぽんこうあ」と呼称する》。
ここでは「呼称」が「読み方」の意味で、 「呼称する」が「読む」の意味で使われていることに注意。
2000-09-08 (5) 01:34:19 +0900
朝日新聞第一面の「折々のうた」はほぼ毎日読んでいるが、 大岡信氏の解釈が定説になっているものなのか、 引用部分のほかに作者・編者による解説があってそうとしかとれないのか、 あるいは解釈の一つに過ぎないのかがわからないときがある。
この歌は7月5日の大阪本社版に載ったもの。 作者は小泉旅風氏。 大岡氏は年老いて泳がなくなったと解釈しているが、 私は別のことを考えた。
去年か一昨年までは独り者だったのでさっそうと泳いでいた若い男が、 今年は海へ来てもわが子の水遊びの相手だけをし、 また万が一の事故にあったらこの子はどうなるだろうと考えるから自分は全然泳がない、 そんな父親になったのだなあ、と。 ほかには、子を助けて自分は溺れ死んだのでもう二度と泳がない父となったのだ、 などなど。
2000-09-08 (5) 01:23:36 +0900
1日の朝日新聞大阪本社版家庭面 「遺されて/自殺した父へ ---番外編---」 に 「雑誌「上方芸能」代表で立命館大学教授の木津川計さん」 が書いているが、 見出しは「死んではいけない、絶対に」であり、 文章の結びは「難しい時代だが、あとにのこされる子どもや家族を考えても、 死んではいけないのだ。絶対に」となっている。
これを読んでしばらく唖然とした。 「人間は死ななければならない」 というのはあまりに当たり前だと思っていたし、 これでは病気や事故で死んだ人にむち打つようで気の毒だと思ったのだ。
しかし、 もしも関西方言の「死ぬ」が「自殺する」の意味なら、理解できなくもない。 自殺の場合は「亡くなる」とは普通言わないから、 「亡くなる」を「死ぬ」の意味に、 「死ぬ」を「自殺する」の意味に使うことはあり得なくはない。
2000-09-08 (5) 01:13:41 +0900
Win95 でマルチタスクを利用して仕事をしていると、 ものを打っている最中に別のウィンドウが開き、 打ったものがそちらに入力されてしまう場合がある。 例えばダイヤルアップネットワークの、 接続時間が表示されるウィンドウでは 「C」は「切断」の命令であり、 やっとつながったところで間違って切ってしまうのはかなり悲惨だ。
「ユーザ=主人、コンピュータ=召し使い」 と考えると、 これは主人がものを書いているところに召し使いがいきなり別の書類をつき出してきて、 おかげで仕事がめちゃめちゃになってしまうのに等しい。
「一歩さがって『お話ししたいことがございます』と言って待つ」 とかできないものだろうか。
2000-09-08 (5) 01:02:10 +0900
「香淳皇后=昭和の母」とした週刊誌広告をよく見た。 たとえば朝日新聞大阪本社版7月25日づけ国際面の 「女性自身 8月8日号」の広告など。
昭和天皇を単に「昭和」と記す例があることは前に書いた。 そうすると「昭和の母」は「昭和天皇の母」と誤解されてしまう。 実際には香淳皇后は今上天皇の母である。 このあたりから、後になって、 「昭和天皇と今上天皇は兄弟」 という誤解が生まれないだろうか。
中国側の資料では倭の五王の珍は讃の弟だが、 日本側の記録で珍にあたるのは反正天皇、 讃にあたるのは反正天皇の父の仁徳天皇だとされるらしい。 (広辞苑第五版、岩波文庫「日本書紀(二)」を参考にした。)
2000-09-08 (5) 00:50:35 +0900
7月27日づけ大阪本社版、 吉田秀和「音楽展望」に 「その位今の時の歩みは早く、昨日の淵は今日の瀬になってしまう」 というフレーズが見える。 これは古今和歌集 933 番の 「世の中はなにか常なるあすか川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」 (読人しらず) を踏まえているのだろうが、 普通の読者はわかるだろうか?
2000-09-08 (5) 00:29:15 +0900
7月27日づけ、オールスター第3戦の記録中、 小倉(オ)の投球回数が「1 0/3」となっている。 ほかに、ちょうど整数回だけ投げた投手はセパ合わせて11人いるが、 「0/3」はついていない。 イニングの途中から登板した場合とかで書き方が違うのだろうか、 と思ったが、普段は朝日は一切「0/3」をつけていないはずだ。
オールスターならではのハプニングなのだろうか?
付: 紙面では分数部分は「¾」のように数字が小さくなっていたが、 ここではそれは表現できなかった。
2000-09-07 (4) 23:56:21 +0900
朝日新聞の石川面に「北陸建築探検」というのがときどき載る。 5日づけを読んでいて気づいたのだが、 ここでは電話番号が 076·222·5740 のように中黒で区切って書かれている。 (この電話番号は5日づけで取りあげられていた金沢市民俗文化財展示館の問い合わせ先。)
2000-09-07 (4) 23:44:05 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版のまんが「ののちゃん」に 「声の大きさが同じ」という地の文がある。 一方、1999年11月25日分では、 兄と同じ33点を試験でとったののちゃんに 「一緒や、いーっしょや」 と言わせている。
作者のいしいひさいち氏は、 「同じ」の意味で「一緒」というのは関西地方の口語だ、 ということを認識しているのではないか。
2000-09-07 (4) 23:33:08 +0900
7月23日づけ朝日新聞大阪本社版。 右上の、記事の一番最初の部分の「ぺタジーニ」は「ぺ」がひらがなだ。 ほかは正しく「ペタジーニ」としている。
2000-09-07 (4) 23:25:05 +0900
……「旧約聖書のパロ・ネコからきている」と答える。
2000-09-07 (4) 23:12:35 +0900
もしも可能なら、 自分の背後に行き、 自分の背中をマッサージしたい。 肩こり持ちなもんで。
2000-09-07 (4) 22:37:38 +0900
ドラえもんの「どこでもドア」は、 A地点で起動するとB地点にも同じドアが現れ、 A地点でドアを「こちら」から「あちら」に抜けようとするとB地点の 「あちら」側に現れ、 B地点で「あちら」から「こちら」に抜けようとするとA地点の 「こちら」側に現れる、 と記憶しているのだが、 A地点で「あちら」から「こちら」に抜けようとするとどうなるのだろう?
SF では、いろいろな流儀があるそうだ。 「あちら」から「こちら」を見ると何もないように見えるので単に 「こちら」にくるだけとか。 でも、私はB地点の「こちら」側にくるように思えてならない。
もしそうなら、三次元を二次元に落として図を書くと、 次のようになる。
○--->○ ○--->○ A地点 B地点図で、白丸は「どこでもドア」の枠をあらわす。 「--->」はドアである。 これが、巨大な二次元球面の上に書かれている。 まず、白丸の中身は忘れる(=ないものとする)。 「--->」で球面を切り開き、 A地点の上側とB地点の下側、 B地点の上側とA地点の下側を貼りあわせる。 (貼りあわせ方は二通りあるが、向きを保つように貼ることにする。) すると、A地点とB地点の左側の白丸の縁はつながって一つの円周になる。 右側も同様。 そこに丸の中味を埋め戻すと、全体はある曲面になる。 Euler 標数を考えればこれはトーラスである。
問題:世界は三次元球面であるとし、 上と同じような考察を行なえ。 (円板を円周に貼りつける方法は本質的に一通りしかないが、 中味のつまったトーラスをトーラスに貼りつける方法はいろいろあり得るので、 必要なら適当な仮定をおくこと。)
2000-09-07 (4) 22:32:35 +0900